29、人斬り中毒
木陰で休み取ってると、大きくあくびするサトミの横で、ダンクが深刻な顔でデリーとの協定書のメモを何度も読み直す。
「えーと、森から330フィート(100m)離れて進むこと。
近隣にトラックを見たら逃げる。
あと、えー・・・・何だよ、ちっとも対策になってねえ気がする。
あの機関銃、射程何フィートだよ……
結局運じゃねえか。
一般の車がさ、今度狙われるんじゃねえかって、これやっと問題になってるらしいわ。
3人も死んでからだぜ?
そのわりに軍が出てこないなあ、どうなってんだろう。
なあサトミよう、お前なんで怖くねえの?」
聞かれて水飲み、うーんと考える。
なぜ怖くないかなんて、考えたことがない。
でもまあ、同じ元少年兵だったというダンクには、話してもいいかもしれない。
「慣れ……なんだろうなあ。
地雷は結局、どこにあるかわからないってのが怖いんだと思うわ。
その辺、俺はなんか知らんけど、勘がいいんだよな。
機銃はさ、撃つ奴殺せば撃ってこないし。」
「ははっ!そっか、撃つ奴殺せばいっか!……って、お前ほんとサラッと荒んでるよな〜
まあ、俺も人のこと言えねえけど…………
命なんてさ、ほんとあっけねえよなあ……せっかくみんな戦争生き残ったのによう……
俺、脱走兵でさ、空き屋隠れててガイドに見つかって、施設に送られたんだけど……
同じ年の奴らって、羊みたいな奴ばかりだろ?
しょっちゅう喧嘩して、ずっとイライラして……
肌に合わないから、働きたいって言ったら身元引き受けに、ボランティアで来てた局長がなってくれたんだ。
郵便局の近くの教会に世話んなって、軍で受けた訓練生かしてポストアタッカーになってさ。
これでも真面目に働いたんだぜ。
今年やっと独り立ちさ、局長って、オカマでも凄く優しいんだよ。
俺の給料の半分、ちゃんと俺の口座作って、貯金に貯めてくれてたんだ。
それでエリザベスも買えたし、家も借りられた。
お前もさ、うち来て正解だと思うぜ。」
「ふうん…………そっか。
じゃあ、がんばらないとな。」
ダンクがサトミを見る。
サトミは、いつも空を見ている気がする。
なにか達観している様が、軍の下っ端だった自分とはまったく違う。
少年兵ってのは、いいように使われる奴隷みたいなものだ。
やらされることは決まってる。
前線の鉄砲玉か使い捨ての暗殺くらいだ。
自分は前線の鉄砲玉だった。
危険なことばかりやらされて、仲が良かった子が爆弾チョッキ付けられて、敵中で自爆させられたの聞いて逃げ出した。
あんなこと、もうたくさんだ。
自分の命がゴミのように扱われて、俺は、俺の生きている意味を探そうと決意した。
この仕事も、命のやりとりはある。
でも、人のために、その為に郵便を守って戦うのは、気持ちが違う。
俺は、この仕事について、やっと生きる意味を見いだした。
サトミも、そうであって欲しいと思う。
「おまえさ、変なこと考えるなよ。」
「変なこと?」
「一人で何かしようと思うなって事。ガイドに怒られたろ?」
「考えてねえよ。」
「そっか」
ダンクがメモを直しながら、遠くを見つめる。
空は変わらず透き通るように青くて、白い雲が流れ、鳥が飛んでいる。
静かだ…………
ふと、目をそらして、サトミに質問した。
「お前、…………リードの、死んだ時の写真見たんだってな。
な、お前さ、……………………‥死体の写真見て、……どうなった?」
サトミが、ドキリとして自然に顔を背ける。
その顔は、目を見開いて驚愕した顔だった。
どうなった?
その質問が、その意味が、良くわかる。
あの、人間と馬が肉塊となったショッキングな写真。
目を背ける事も無く、それはただの物と見えていた。
人に対する敬意も尊厳も無く、その結果へ至る分析だけが冷めた脳で分析される。
普通になりたい自分と、普通じゃない自分が、きれいに解離している。
自分は、気付かないうちに引き戻されていた。
心が、あの頃に。
斬りたい。人を斬りたい。
殺った奴なら、ミッションなら、切れる。人を。
衝動に驚いて、その日の夜は刀をシーツで包んで硬く縛って寝た。
眠れなかった。
意識を飛ばすと、うとうとすると、人を斬る時の手の感触が、その時の様子が現実のようにありありと浮かぶ。
軍に居た時はこんな事一度も無かったのに、まるで「人斬り」という中毒のようだ。
この平和な日々で薬が切れたように、人が斬りたい、ただ強烈に……斬りたい。
耐えかねて飛び起き、あまりの寒さに毛布をかぶって、心を落ち着けようとココアを入れて飲む。
ココアは、サトミの精神安定剤だ。
作る間も辛くて胸をかきむしり、髪を掴んで引っ張る。
辛い、
つらい、
ツライ、
飲み終わるのが名残惜しくてもういっぱい。
あったかくて、甘くて、体中がだんだん落ち着いてくる。
そのまま、倒れ込むように居間の床、ベンのクッションで眠り込んだ。
だからあの、軍の装甲車が襲われた土曜は、ほとんど寝てなかった。
そうやって…………
それは、月曜まで続いてやっと押さえ込んだ。
短くて済んだのは、きっとダンクのおかげだと思う。
彼の心遣いは、俺の唯一の救いになった。
ダンクには嫌われたくない。
どう当たり障り無く返答すべきか、考える。
視線が泳いで動揺している自分に気がつき、息を吐いた。
ああ…………駄目だ。もうバレてる。
俺は普通じゃない。
苦しい、人殺しから離脱したと思っていたのに、離脱なんか遠かった。
「そんな……事…………」
雲の流れる空を見て、視線を落とし、フフフッとサトミが笑う。
軍を辞める時ボスの言った言葉。
耐えられなくなったら、いつでも戻ってくるがいい。
一体何の意味かわからなかった。
それが、こう言うことかと身に染みてわかる。
郵便を届ける時の、人々の感謝の言葉が遠くで思い出された。
『ありがとう』
小さく首を振る。
俺に、そんな価値は……無い。
ゴーグルを外してストールを巻き直しながら、彼は無常に大きくため息をついた。
人は印象が強いと、あまりに強烈だと、心にそれが残ります。
そして称賛されると、それは行動に結びつけられます。
サトミは成長期から脳内物質の過剰な状態に晒されてきた、言うなれば被害者です。
まるで麻薬のように、人を斬ることに抵抗がなくなっていました。
退屈な普通の日々、その人斬り中毒から離脱できるわけが無い。
彼が耐えられなくなって戻るだろうと、ボスは予測していたわけです。




