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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

血だまり。

作者: 高野 M明

二○○二年十二月十七日(火)、小松東公園。

 おびただしい血だまりの中、香山(かやま) 利絵子(りえこ)(十八)が死体で発見された。

 手首を切り自殺したらしい。

 動機は不明だった。




 死体の傍にあった彼女の日記が読まれるまでは…。











‐血だまり。‐











二〇〇二年十二月十一日(水)


 今日、私は初めて血を吐きました。

 二時間目の体育、私は気分が悪くなったので保健室へ向かっていました。

 その時だったのです。突然の腹痛と共に込み上げてくる吐き気。

 私は堪らずトイレに駆け込み、ぐぇっ…と蛙のような呻き声を上げながら…びちゃっと赤黒い血を吐きました。咳き込むたびに紅いものがピチャピチャ飛びました。

 眼の前の鏡を覗いて見ると、私の瞳は眼鏡の奥でゆらゆら潤んでいます。

 口元は真っ赤で化粧に失敗したような顔になっていました。そこから流れる唾液と混ざった血はつぅっ…と糸を引いて排水口に流れて行きました。

 服…体操着に血が飛ばなかったのは幸いです。私はうがいを四回してから顔に付着した赤を必死で擦り、洗い落としました。

 こんなこと先生にも友達にも言えません。(もともと友達なんていませんでしたし)お母さんがこの事を知ったら、きっと心配する。

 お母さんが、お父さんの事で毎晩声を荒げて泣いているのを、私は知っているのです。私はお母さんにこれ以上負担をかけさせたくないのです。

 私は、何事も無かったように(自分では)体育館の皆より先に教室へ戻りました。

 次の時間も、そのまた次の時間も、度々鉄の味が込み上げてきました。


 帰りにまた公園で吐き、トイレで顔を洗いました。眼鏡に飛んだ血は落ち難かったです。




二〇〇二年十二月十二日(木)


 朝、洗面所で吐いてしまいました。

 喉の奥に絡みつく鮮血のせいで私は激しく咳き込みます。朝食のパンも粘っこい血の中に少し混ざっていました。

 その後お母さんが心配そうに「風邪でもひいたの?」と訪ねられ、私は「歯ブラシで喉を突いた」と誤魔化しました。

 風邪だと言っておけば良かった…と、すぐ後悔しました。


 四時間目の古典の時間、私は口元を抑えトイレに走りました。

 ごぱぁと口を開くと溜まっていた血がびちゃりと音を立てます。

 膝は冷たいタイルに付き、ぐったりと洗面台に寄りかかり私はむせました。焼け付くような喉の痛みの中から残った血が吐き出されます。

 鼻呼吸だけだった事もあり私は酸素を求めてはぁはぁと喘ぎました。

 まだ少し奥に残っている血は、朝の紅茶と鉄が混ざったような不思議な味でした。呼吸を整えながら、ごくりとそれを飲み込みました。

 思ったより不快ではありませんでした。


 その後、早退させられましたが、これではお母さんが心配します。私は学校が終わる時間まで公園でブランコをゆらゆらさせてました。

 先程の血の味を思い出し、思わず唇をぺろりと舐めました。




二〇〇二年十二月十三日(金)


 登校中、公園のトイレに吐きに行きました。

 いつもの腹痛と共に、重い音を立てて蜜のような鮮血が吐き出されます。朝食のヨーグルトがそのまま排出されたようにドロリとしていました。

 それを見て私は思いました。

 それはまだヨーグルトの味を残しているのでしょうか?(今思えばこれは無理やり作り出した理由なのかもしれません)

 私は引き寄せられるように指でそれをすくい取り口へ運びました。

 結果ヨーグルトの味はしませんでした…。

 でも気になる味だったのでしょうか。私は可能な限り排出された血をすくい、その赤い指をしばらく舐め上げていました。

 もったいない気がして、眼鏡に付いた細かい血はそのままにしておきました。


 初めての遅刻でした。




二〇〇二年十二月十四日(土)


 午後四時、英語の宿題中に吐き気を催しました。

 いつものようにトイレで鮮血を吐き出します。ゴホゴホと何度も咳き込み、荒い呼吸で私は便座を覗き込むようにして倒れこみました。

 溜められた水に私の吐いた紅いすじが混ざっていきます。その光景に眼をやりながら、私は昨日の自分の血の味を思い出していました。

 欲しい。

 また、あの血の味を味わいたいと思いました。こんな事を考える私は変態でしょうか?

 しかし、さすがに便器に頭を突っ込んで、この水と混同された血を飲み下すのは少し抵抗があります。今にもしゃぶり付きたくなる衝動を抑えていた私に、今もたれかかっている便座が目に入りました。

 先程から私の口元を伝った血は便座を紅く汚しています。他にも吐いた時に飛んだわずかなしぶきが残っていました。

 数分、私は鉄の味がする便座に舌を這わせていました。


 その後、私はもっと血を味わいたくて、指を口内深くまで差し込んで見ましたが、失敗でした。

 血でなく昼食(コロッケと甘い卵焼き)を酸っぱい酸味と共に戻しただけだったのです。




二〇〇二年十二月十五日(日)


 もう、お母さんに報告しない理由は別のものになっていました。

 知られたが最後、私は病院へ連行されるでしょう。

 そこで私は七面倒な治療を受け、この吐血と…甘美な赤黒い鉄の蜜と永久に決別することになるかもしれません。

 わかったのです。

 私はこの血の味から離れたくありません。ぬらぬらと赤黒く光り、喉の奥で絡み付く、この胃液の混じった血の味が堪らないのです。


 今日は合計三回吐血しました。

 洗面所で流れないように栓をしてから、びちゃりと吐き落としました。

 鏡に映る私は相変わらず涙眼で、かれた声で咳き込んでいます。(今思うとそれは笑っていたのかもしれません)

 それが収まってから私は自分の血に唇を近づけます。初めのうちはゆっくりと舌で舐めとっていましたが、しだいに我慢できなくなりズチュリと下品な音を立てて吸ってしまいました。

 自分の顔だけでなく身体までも上気しているのがわかります。

 鏡を見るとそこには、恍惚とした表情で口から糸を垂らす血みどろの私の顔がありました。


 後で眼鏡にこびり付いた血も舐めました。




二〇〇二年十二月十六日(月)


 私はどうすればいいんですか?

 もう夜なんです!

 もう今日が終わってしまうんです!!

 なのに…なのに!!

 今日、一度も血を吐いていないのです!

 あの血の味をまだ一度も口にしていないのです。

 私は何度も何度も…もう喉を突き破るように指を挿し入れましたが、ただひたすら戻すだけでした。

 そして今は苦い胃液を吐き捨てるだけ…。もう戻すものさえないのでしょう。

 ガタガタと身体の震えが止まりません。瞳孔が開いたように瞬きが出来ません。

 私は今、公園にいます。林の中をのたうち回っています。

 こんな私の姿を見たらお母さんは混乱するでしょう。すぐ病院へ連れて行くでしょうね。

 そうしたら…――


 ―――あぁあああああああああっっっ!!!!!


 今より遠くなってしまう!!!

 あの味が!香りが!!

 吐きたい!

 吐きたい!!

 血!

 血が!!!

 血が欲しい!!!

 今、ぼたぼたと流れているのは何ですか?

 汗、涙、唾液?

 私は血が欲しいんです!!!

 このままだと私はおかしくなってしまうかもしれません。髪の毛を掻き毟りながら、私は冷たい冬の地面に身体を叩き付け続けています。


 そのとき、頬に痛みが走りました。


 ふと頬を指でなぞってみると…そこには私の死ぬほど欲していたものが流れていました。

 血です。

 頬の傷から血が流れていたのです。

 地面を見るとそこには、いつの間にか割れていた自分の眼鏡のレンズがありました。これで頬を切ったのでしょう。

 私は頬に舌を伸ばしますが届くはずがありません。必死で頬の血を指でなぞり、それをしゃぶりました。

 しかし、このとろけるような一時はすぐに終わりを告げました。

 この程度の切り傷で得られる血なんて少量です。私の渇きはこの程度では収まらないのです。

 しかし、この切り傷がその渇きを癒すヒントとなりました。

 もっと!もっと!!!

 私は忙しない手付きで学校のカバンからカッターナイフを取り出しました。

 そう、何も血の味を得るだけならわざわざ吐く必要はないのです。(酸味は少々失われますが)

 標的はもう決まっていました。血を一番得られる場所…頚動脈です。(文系の私はそういう事に詳しくありません。首と手首にあることぐらいしか理解していないのです)

 首を切っても飲み難いだけ。私はためらうことなく左の手首を掻っ切りました。

 瞬間、これまでにない勢いで眼の前が真っ赤に染まり、何かが弾けたような音と共に、黒い血しぶきが上がりました。

 すごい!

 こんなにいっぱい…!!

 必死に顎を上げ、浴びるようにそれを飲みました。(実際浴びているのですが)

 堪らず私は直接口を付け吸い上げました。それでも、どす黒い鮮血は後から後から溢れてきます。私の周りはもう水溜りのようになっていました。

 おいしいです!

 すごいです!

 私は身悶えしながら地面に溜まった鮮血をすすりました。そして飛んでいるような感覚の中、右の手首にもその刃を走らせます。勢いよく顔に熱い鮮血がかかりました。

 私はだらしなく口を開いたまま、狂ったように血だまりの中で身をよじっていました。この季節で厚着した衣服も、すでに下着まで濡れています。(血でかどうかもわからなくなってきました)

 この日記を書いてる右手も感覚が無くなってきました。ビクビクと身体を痙攣させながら、顔を洗うようにべとつく血を可能な限り塗りたくりました。

 びちゃびちゃと卑猥な水音だけが夜の公園にこだましています。

 誰にもあげません。

 この血は。

 そうです。


 私はこの味と香りがあればもう…




     もう…




でも

     もっと



          もっと

               欲しい



          血

            もっと


   欲










〔終〕

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 血で濡れた手だと日記帳も濡れ、文字が書けるのかなと思いました。 [一言] いつの間にか血に飢えるようになり、欲する狂気が怖くて良かったです。
[良い点] コロッケと甘い卵焼き。 [気になる点] 突き破るように指を挿し入れましたてん。 [一言] ヨーグルトが。
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