第九話「大会終了! 交わされるそれぞれの想い」
地区予選大会は新井山ひでりの優勝で閉幕。
優勝者として表彰され、決勝大会への切符を手にしたひでりではあるが、二位となったしずくと同じくその表情は浮かないものだった。
表彰も終わり、しずくはカード同好会の元へと戻ってくる。
相変わらずの淡々とした雰囲気で「負けちゃった」と短く口にし、そんな彼女へ四人はどのように声をかけるべきか迷う。
しずくがプレッシャーに押しつぶされて試合に敗れたのだとしたら、気軽に「残念でしたね」などと声を掛けるのも無責任な気がするからだ。
近くにいたのに彼女の抱える重荷に気付けなかった罪悪感が、四人にはあった。
しかし、メンバーにまで伝染した浮かない表情を見てか、しずくは無理に笑って、
「まぁ、しょうがないって。帰ろうよ」
と口にし、それに従い各々が自然と帰路を歩もうとする。
そんな時――背後から聞こえる声。
「青山、しずく……っ!」
いつものようにフルネームで――しかし、会場に響き渡るような大声ではなく、感情を噛み殺したように静かな声。
一同が振り返るとそこにいたのは、ひでりだった。
いつもの勝気で自信に満ち溢れた雰囲気ではなく、どこか冷めた印象を受ける。小柄で子供にしか見えないひでりに、いつものイメージを抱く者はこの場にいない。
ゆっくりとしずくへ歩み寄り、しずくの瞳を見上げて覗き込む。
すると、しずくが根負けしたかのように視線を逸らす。
「……ひでり、優勝おめでとう。ほんと、完敗だったよ」
先ほどまで戦っていた相手へ賛辞を送り、しずくは握手を求める。
しかし、ひでりは差し出された手を不愉快そうに払う。
そして突如――しずくの胸倉を掴んで自分の眼前まで引き寄せると、彼女の瞳を恨めしそうに見つめる。
怒りと悲しみが混在した、震える瞳で。
「馬鹿にしないでっ! 何が完敗よ……あんなプレイで私の相手をしておきながら、優勝を祝福するですって? 侮辱するのも大概にしなさいよっ!」
激昂するひでりの乱暴な物言い。
会場中に響き渡り、周囲の人間の空気がざわつく。
優勝者と準優勝者の諍い――しかし、怒り狂っているのは頂点を取ったひでりの方。その異様な光景に皆が硬直して、静観。
そして、真正面からその激情を叩きつけられたしずくはトレードマークであるポーカーフェイスを大きく崩し、表情を臆したものに歪める。
「油断したのかしら? ナメていたのかしら? あれで勝てると思ったのかしら? あそこに至るまでナメた戦い方で勝ち上がれたから、そのまま行けると思ったのかしら?」
「いや、私は……」
「確かに私はいつもあんたに負けていた。……だけど、楽に勝てる相手でいたつもりは一度だってないわっ! 馬鹿にしないで、ナメないで! 真剣に……戦いなさいよっ!」
怒りに駆られて言葉を吐き連ねていくひでり。
しかし、自分の内から感情を解き放っていく度、彼女の言葉に伴う怒気は身を潜めていく。
それもそうだろう……ひでりの中で混在する感情は怒りと、悲しみだ。
次第にひでりは涙を滲ませ、しかしそれを堪えるようにグッと奥歯を噛み――掴んだままの胸倉を揺らし、力強さとは対極にあるものを帯びた声で言葉を紡ぐ。
「あんたは確かに強い……だから、私はずっとあんたを見てきた。負ける度に悔しい気持ちを抑えて、次こそは……そう何度も自分を振るい立たせてきた。そして今日、あんたにこんな形で勝った。それに何の意味があるの? 勝ったって言えると……思う?」
やがて力なく、しずくを掴んだ手を放す。
ひでりの肩から釣り下がった両手は震えていた。
そして、頬を伝う涙を拭うことなくひでりは涙声で語る。
「私を見なさいよ……青山しずく。私を――私を見なさい、青山しずくっ!」
自分の中にあるぐちゃぐちゃに入り混じった感情、その最後の一滴までを絞り、叩き付けたひでりは……しずくとすれ違って、ふらりと会場から姿を消した。
その場に残され、佇むしずく。
ひでりはしずくの事情なんか知らない。だからこそ、主観的な怒りをぶつけた部分もあっただろう。
……しかし、あの瞬間にしずくが全力でひでりと戦えていなかったのは、事実だ。
しずくの手が震える、ギュッと拳が握られる。
同好会メンバーが彼女に歩み寄り……そして、四人は目の当たりにする。
クールでミステリアス、天然で自分の失敗を意に介さない不思議な人物、青山しずくが――顔をくしゃくしゃに歪め、唇を震わせ、ぼろぼろと涙を流して泣いているのを。
ひたすらに、今日の自分を悔いている光景を。
奥歯をギュッと噛み、それでも堪えきれない感情が溢れる。
「……全国優勝ばかりで、目の前のことが見えてなかった……。負けた時には実力不足だったんだって思い込もうとしてた。……でも、違うんだっ! ひでりの言うとおり。本当に失礼なことをしたんだって思う。焦って……今年優勝しなきゃ姉さんに遅れるって、そればっかりで! ……ちゃんとプレイすることも忘れて、私……私、ほんと最低だ!」
涙に濡れた声はただ、自分を責めては悔いる言葉の連なり。
零れた涙が床に落ち、染みる。
俯いたままぽっかりと心に空いた穴を抱えて、しずくはひたすらに悔いる。自分の行動を恥じて、憎んで、恨んで……それでも消えない悔しさ。
愚かな自分をズタズタに引き裂いてしまえたら、どれほど楽だろうか。
それほどに自分を思い詰める。
プレイヤーとして最低の行動。
眼前の盤面へ真摯に向き合わなかった事実。
だが、そんな悔やんでも悔やみきれない失敗に――寄り添う者たちがいる。
後ろからギュッとしずくを抱きしめるヒカリ。体温が背中に触れ、しずくはさらに目頭を熱くする。
「しずくちゃん……ごめんなさい。私たち、もっとしずくちゃんのことを考えるべきだったんですよね。大きな舞台に平然とした心で臨めるとしたら、それは真剣じゃないです。だから誰よりもカードに真剣なしずくちゃんの心を思えば、もっと寄り添えたのに……」
ヒカリの言葉にしずくは首を何度も横に振る。
責任を分かち合おうとするヒカリの言葉が、今のしずくには優しすぎた。
悔しさを抱えること。それを誰かに手伝ってもらうなんて……何だか甘えのような気がして。
だが、そんなしずくの右手をもえが優しく両の手の平で包む。
「私、入部した時に葉月さんから言われました。カードゲームは一人じゃできないって。それは対戦相手って意味もそうですけど……こうして、仲間に支えられることを許す意味もあるんじゃないかって思います。私……私、しずくさんが一番思い詰めている時に支えてあげられなかったこと……本当に悔しいですっ!」
まるで重ねた手から伝わったみたいに、もえはしずくの悔しさや悲しみを受け取り、その瞳に涙を浮かべる。
そして、同じように左手を幽子がギュッと二つの手で握りしめる。
「……お姉さんを目指して、躓いたってこと……なんですよね。……でも、それって悪いこと……なんでしょう、か? ……しずくさんにしかない経験、得たのは間違い……ないですよね。……別に、お姉さんと同じになる必要……ないと思うん、です。……しずくさんの歩む道は……しずくさんが主役なんですからっ! ……別の道を歩んだって、きっと!」
少しでもしずくの気持ちを和らげられたらと思った幽子、真似して欲しい気持ちで笑顔を浮かべてみせる。
三人がしずくへと寄り添い、それぞれに言葉をかけた。
少しでも彼女が抱えた悔しさや、辛さが癒えるように。
でも、そんなどれもが何だか湿っぽいなぁと思ってしまう葉月は、ふーっと息を吐き出し、そして――身を寄せ合う四人に後ろから飛び付く。
幽子ともえを抱き寄せて、ヒカリとしずくを包むように。
「はいはーい! 湿っぽいのは終わりだよー!」
「ちょ、ちょっと葉月!」
「葉月さん、苦しいですって……」
「……押しくらまんじゅう……してる、みたい」
ぎゅうぎゅうに体をくっつけて苦しそうに表情を歪める四人。対して葉月は、心から今の状況を楽しんでいるかのように笑顔を浮かべる。
「失敗したならしょうがないし、気にしてたって何も進まないよー。だからさ……今度はちゃんとやろっ!」
葉月の飾らない言葉。
それは意外なほどしずくの中で響き、現実から遠ざかるように閉じられていた彼女の目を見開かせる。
「間違えたんじゃないかって自分を疑い、間違っていたなら気を付ける。失敗は集めれば集めるほど人を正しくするからね。カードゲーマーがプレイを磨く時だって、そうでしょー?」
四人の言葉を受けて、追いつめられていたしずくの心が冷静さを取り戻していく。
(……そうだ。もっとみんなに自分の不安を吐露すればよかった。一人じゃないんだから、みんなを頼ってよかった。姉さんと同じを目指す必要もなかった。私は、私だから。でも、もう全部過ぎてしまったこと…………うん、だから)
ヒカリと葉月に圧し掛かられている形となっているしずくは体を動かして、それに呼応して皆は彼女から離れる。
しずくは指で涙を拭い、四人の方へ向く。
そして、赤い目と涙に歪んだ声のまま語る。
「ありがとう……なんか、嬉しいよ。個人戦だからって一人じゃなかったんだ。……うん、そうだよね。次はちゃんとやる。来年は……来年こそは負けない。同じ轍は二度と踏まないよ。私は……カードゲーマーだから」
一度折れたからこそ、強い闘志を燃やすしずく。
こうして――青山しずくが憧れを追いかけ、そして躓いた夏の個人戦が終わった。擦りむいた膝の痛みを忘れないからこそ、来年は違った場所に辿り着くだろう。




