79 悪夢と等しい現実の中を
本日2話更新、この話は2話目です。
前話の読み飛ばしにご注意ください。
◆???視点
「がはっ……」
黒い継ぎ目のないカプセルの中に横たわったまま、キロフは鮮血を吐き出していた。
鮮血がキロフの白い裸の胸に飛び散った。
「ぐふっ、げほっ……」
キロフは片手で口を押さえつつ、カプセルの開閉スイッチを押す。
透明なプラスチックの蓋が静かに開く。
キロフは、カプセルの縁に手をかけ、起き上がる。
カプセルが置かれているのは、薄暗く狭い部屋の中だった。
壁の左右に上下二段のカプセルが置かれている。
寝台特急の客室や、カプセルホテルに似た空間だ。
無機質な空間に存在するのは、四基のカプセルの他には、三着の服がかけられたハンガーラックだけである。
三着の服のデザインは全く同じで、皺がつかないよう几帳面に揃えてかけられていた。
黒を基調とした荘重なデザインのコートが襟のついた白いシャツの上にかけられ、シャツの裾からは折り目のついた黒いスラックスの先が覗いている。
キロフが起き上がったのは、下段にあるカプセルのうちの一つだった。
「クッ……やって、くれました、ね」
キロフは、赤い血のついた手のひらを見下ろしながらつぶやいた。
カプセルから這い出すと、他のカプセルの蓋も静かに開いた。
蓋が開いたのは、四つのうち三つのカプセルだけだ。
それぞれのカプセルから、人間が一人ずつ起き上がる。
いずれも服を着ていない。病的に白い肌と、黒くつややかな髪。髪とは対象的にツヤのない漆黒の瞳。
二十歳前後に見える酷薄な印象の青年たちは、キロフと全く同じ顔立ちをしていた。
合計三人のキロフたちは、あるいはカプセルの中に身を起こし、あるいはカプセルのへりに腰かけて足をぶらつかせ、あるいはカプセルから出て地面に立つ。
いずれも、口元に吐血の跡があり、一人は目から血を流していた。
三人のキロフは血で肌が汚れたことに眉をひそめるが、心身に残ったダメージについては頓着しない。
魂の一部を間違いなくえぐられたというのに、その苦痛を薄ぼんやりとしか感じていないようだった。
「まさか、模擬がやられるとはな」
キロフの誰かがそう言った。
「闇野光佑……いや、エリアック=サンヌル=ブランタージュ。彼は、何か奇妙な力を隠しているようですね」
「奇妙な力? 眩暈、何が見えた?」
「この世界にはない、異質な力だということはわかりました。精霊の力でも、むろんゼーハイドの力でもありません」
「そんなものがありうるのか? 転生者ということなら、われわれと同じ条件のはずだろう? おまえの気のせいではないのか? おまえは時々過敏すぎる」
「競争。眩暈が言うならそうなのでしょう」
最初に起き上がったキロフが、ハンカチで口をぬぐいながらそう言った。
「運機もまた何かを感じたと?」
「ええ。転生前の闇野君のことは知っています。詳しいとまでは言えないでしょうが、おおよその人格くらいはね。
その人格と照らし合わせても、現在の彼は……なんと言えばいいのでしょう。精神が潰れにくい、とでもいった感触がありますね」
「潰れにくい? ストレスに強いということか?」
「ああ、その表現はしっくりきますよ、競争。
今の彼は、奇妙なほどに追い込むことが難しい。仲間の危機を煽っても、死の恐怖をチラつかせても、圧倒的な力を見せつけても、それで冷静さをなくすことがない。それどころか、ほとんど動揺していないようにすら思えます」
「ふん。過労死や転生、第二の人生経験を経て、打たれ強くなったということか?」
「違いますね。人間の精神というのは、筋肉のようには鍛えられるものではありません。一度折れた人間の心は、その分だけ弱くなり、もう一度同じ箇所を攻められれば、今度はより弱い力でへし折れる」
「だが、反省して表面的な対処方法を身につけることはあるだろう。自分の限界を知ったからこそ無理をしなくなり、力を受け流すことを覚える、といったような」
「彼の動揺のなさは、そんなレベルではありませんでした。
眩暈、どう見ます?」
「われわれと似たものを感じましたね。彼は、ストレスを感じていない。そうとしか思えません」
「感じていない、ですか。たしかに。
世の中には、よく言えばストレスへの耐性が高い、悪く言えば感受性の鈍い人間もいますが、今の闇野君は、それをさらに極端にしたような感じでした。
完璧なるストレスへの耐性。そのようなものを備えているのかもしれません」
「運機、それではおまえは、あいつは俺たちと同じように現実感を見失ったと思うのか?」
「そうではないでしょう。
彼は、仲間の危機をちらつかされれば、それに怒りや焦りを感じてはいた。感情的な手応えがないわけではないのです。
しかし、その動揺がそれ以上に深まらず、あっというまに沈静化する。彼を動揺させて崩すことができなかったのはそのためです」
「完璧なるストレスへの耐性、ね。奇妙な力だな」
「ええ。ですが、かねてからの疑問の答えの一端はつかめました。彼がサンヌルでありながら魔法が使えるのは、ストレスへの耐性があるためなのでしょう」
「ふん、奇遇、というべきか?
われわれは現実への感受性のなさによってサンヌルを克服し、闇野光佑はストレスへの感受性のなさによってサンヌルを克服した。たいした因縁だ。
運機、おまえなら運命とでも言うのか?」
「まさか。何者かによって与えられた力であることは確実です。
ひょっとすると、われわれの転生に対するカウンターとして、精霊側が用意した役者が彼だったのかもしれませんね」
「例の『運命』とかいう胡散臭い話がからんでるっていうのか、運機? またお得意の陰謀論か?」
「さて、どうでしょうね。認識できないからこそ、『運命』はその名で呼ばれるのです」
「ストレスへの耐性ね……。んなもんがあったって、それだけじゃたいした脅威にもならんわな。タネがわかっちまえば、いくらでもやりようはある。
今回の奴の戦い方を見る限り、サンヌルの優秀な魔術師って枠は出てねえしな。サンヌルとしての魔法の腕なら、こっちの方が上だったろう。
その意味じゃ、ミルデニアの姫の方が厄介なくらいだ」
「問題は、もはや彼個人ではありませんよ、競争。
黄昏人の精霊育成装置である学園都市ウルヴルスラは、彼の影響下に置かれることになった。彼も、彼の仲間も、これまで以上に強くなるでしょう。
まあ、それはわれらが主人の望むところではあるのですがね」
「そうは言っても、あまりに強くなっては手がつけられなくなりませんか、運機?」
「もうじきヒュルベーンが落ちます。その民を徴発し、吸魔煌殻を着せればいい。
ウルヴルスラの生徒騎士は、騎士と言っても所詮は学生で数も少ない。
本物の『戦争』になれば、抗う術はありませんよ、眩暈」
「吸魔煌殻も、さらなる改良を加えるべきだろうな。もっと徹底して魂を吸わせるんだ」
「普段からそれでは、装着者がいくらいても足りませんよ」
「いざって時だけでいい。どうせ、吸魔煌殻の正体はゼーハイドなんだ。いざって時に、ゼーハイドを吸魔煌殻に閉じ込めてる檻を壊せるようにするんだよ」
「ふむ。有効でしょうね。こちらの手の内を見せるのは気に入りませんが、彼なら装着者をゼーハイドに喰わせないために殺すのを躊躇う、などという効果も見込めるでしょう」
「とんだお人好しですね」
眩暈が嘲笑まじりに言った。
「ですが、そんなお人好しだからこそ、仲間が集まるとも言えますよ、眩暈。
対するわれわれには仲間と呼べるものはいない。模擬も失ってしまいましたし、ね」
「ふん、あいつが弱ぇのがいけねえんだ。
それに、仲間がいないってことは、遠慮がいらねえってことだろう。
残虐非道。人を支配するにはそれに尽きる」
競争が、かつての「仲間」をせせら笑う。
「しかし、これでわれわれの存在がバレてしまう。
模擬がやられた上で、われわれの誰かが『丞相キロフ』として人前に出れば、彼にはキロフが複数人存在することがわかります」
「正確には、やはり一人ですけれどね。四分の一人を失ったのは痛手ではありますよ」
「弱気だな、眩暈。
逆に考えろよ、これからは無理に一人を演じる必要がねえ。『丞相キロフ』が三人いれば、多方面への戦争もやりやすい。
俺にはヒュルベーン攻めを任せてくれよな?」
「好戦的なあなたに軍を任せるのは不安なのですがね。まあ、ヒュルベーンなら、もう不確定要素もありません。多少兵が磨り減ったところで、占領後にヒュルベーンから調達すればいいだけです」
「っしゃ。そうと決まったらとっとと落とすぜ。俺たちの方針とはいえ、ぐだぐだ戦争を続けてんのもフラストレーションが溜まってしょうがなかったんだ」
そう言って、競争は、ハンガーラックの服を身にまとい、部屋から飛び出していった。
残った眩暈と運機は顔を見合わせる。
「眩暈、丞相の役目は任せます」
「あなたはどうするのです、運機」
「ここにいますよ。『キロフ』が複数いることはバレるでしょうが、何も馬鹿正直に何人いるかを教えてやる必要はない。ここで眠って、あなたと競争の活躍を見届けながら、登場のチャンスをうかがいましょう」
「まさに運機を見るというわけですね。やれやれ。競争もあなたも、一番面倒な仕事を押し付けて」
「といっても、意識の一部がつながっているのです。労苦はみなのものですよ」
「そうですね。
しかし、返す返すも奇妙な話です。
もとはひとりの人間の別人格だったものが、バラバラになって転生するとは」
「われわれの現実感のなさは、そのせいだったのかもしれません。
前世の精神医学に照らせば、解離性障害と、そこから派生した多重人格ということになりますがね。
それだけでは、転生に際してバラバラになった理由としては弱いでしょう」
「前世の久瀬川了からして、複数の魂が癒着し、混淆しあった存在だったと? ギリシア神話のキメラのような?」
「実際、競争のような人格が、自分の一部だったと思えますか? 眩暈や模擬ならば、まだわかりますが」
「さあ、わかりませんよ。私には、あなたがたのいずれもが無謀で野蛮なように思えますからね」
「くくっ……それは失礼。
ともあれ、慎重なあなたが、宰相にはふさわしいことでしょう。あなたのお気に入りである皇女殿下も好きにすればいい」
「無駄なあがきを続けさせますか。そんな娯楽でもなければ、実際やってられませんよ」
眩暈がそうぼやきながら部屋を出て行く。
それを見送ると、運機は元いたカプセルに戻り、横になる。
「やれやれ……模擬が喰われたせいで頭痛がしますよ」
こんなにもゼーハイドに喰わせてやるつもりはなかったのだ。
だが、逃げ場のない状況に置かれた模擬は、なりふりかまわず生き残りを図り、存在の大半をゼーハイドに喰わせてしまった。
だが、当然ではある。
いくら現実感が希薄とはいえ、どの「キロフ」であっても、あの状況ならばそう考えるはずだ。
四人の「キロフ」は運命共同体であるとはいえ、自分を犠牲にしてまで残り三人の便宜を図る謂れはない。
「キロフ」たちは、それぞれ自分のことしか考えていないのである。
他ならぬ自分のことであるから、皆がそれを当然のことと思っている。
この中の誰一人として、倫理観や道義心などいうものを持ち合わせてはいない。
そんなことは自明の前提であり、言うだけ野暮というものだ。
そんな四人がまがりなりにも協力しあっていたのは、大半の利害が一致しているからにすぎなかった。
「しかし……これは参りますね。夢とうつつと。ますます区別がつかなくなってきたようだ」
運機はカプセルの中から天井を見上げ、つぶやいた。
薄暗い室内の無機質な天井を見ていると、ここがどこで、自分が誰で、今がいつかといった実感が、水を混ぜすぎた水彩絵の具のように滲んでいく。
いくつかの現実的な検討を経て、運機は今自分が現実の中にいることを確認した。
確認はしたが、それはあくまで頭で理解したというにすぎないものであり、実感を伴ってこれが現実だと受け止められるわけではない。
「いつものことではありますが、また悪化したようですね。それも、急激に」
魂がつながったままの状態で模擬が喰われたことで、キロフの意識を覆う現実感のなさ――現実からの乖離感とでもいうべきものが、いっそう強くなったのだろう。
もはやキロフには、現実が、蜃気楼か白昼夢のようにしか思えない。
その中にいる自分もまた、実体のない幽鬼のように、あてどなく、どこでもないどこか、いつでもないいつかをさまよっている。
自分たちの領域へ来い――
ゼーハイドのそんな意識が伝わってくる。
「妖怪の仲間になるつもりはありませんよ。
私はただ……自分自身でありたいだけだ」
運機は、そうつぶやいて目を閉じた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回で15歳編が一区切りとなりました。
ここをもちまして、本作を完結としたいと思います。
たくさんの応援をいただいており、自分としてもなんとか浮上できないものかと手を尽くして参りました。
ですが、執筆に使える時間や気力、体力には、どうしても限りがあります。
心残りではありますが、連載五ヶ月と少し、キロフとの一次的な決着がついたところで、幕とさせていただくことに致しました。
これまで、なろう上での感想、評価、活動報告へのコメント、ツイッターでのツイート・リプライ・RT・お気に入り、果てはYouTubeの朗読動画へのコメント・高評価等、さまざまな形でご支援いただいたこと、心より感謝しています。
ここまで続けることができたのは、皆様のご応援のおかげです。
本作にいただいたご感想は、貴重なご意見として、最大限今後の作品へと生かさせていただきます。
毎度のお願いで恐縮ですが、評価がまだの方は、最後に入れていただけると大変励みになります。
『NO STRESS 24時間耐えられる男の転生譚 ~ストレスから解放された俺は常人には扱えない反属性魔法を極めて無双する~』に最後までお付き合いいただき、まことにありがとうございました。
それではまた、次の作品でお会いできることを祈って。
平成31年3月
天宮暁
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