71 誘い
キロフの振るった鎌が、エリアックの首を薙いだ――と見えた。
「おや?」
手応えがなかった。
エリアックの姿が歪んで消える。
同時に、キロフの手からも影の鎌が消えていた。
光魔法で作られた蜃気楼が、闇魔法で作られた影の鎌と相克を起こして消えたのだ。
キロフは振り返り、直感の命じるままに腕を振るう。
とっさに生み出した影のナイフが、飛来した光の槍を相殺する。
「くそっ、気づかれたか」
キロフは光の槍の飛び来た方に目を向ける。
そこでは、身体中に木の葉をつけたエリアックが、膝立ちの姿勢で、こちらに手を向けていた。
「なるほど。落下の途中、森の木々を目くらましにして、蜃気楼と入れ替わりましたか」
淡々と言ったキロフに、エリアックは予想外の反応を見せた。
何も答えず、背中を向けて逃げ出したのだ。
「……おや?」
敵わないと見て逃げ出した……という風にも見えなかった。
さっきの光の槍にはしっかりと殺意が乗っていた。
あれだけの殺意を術に乗せられている人間が、怖気付いて逃げ出すということはありえない。
つまり、
「誘い、ですか」
場所を変えて仕切り直す。
あるいは、あらかじめ罠を用意した場所に誘い込む。
見え見えの罠だった。
「ですが、馬鹿正直にあなたを追う必要はないのですよ、闇野君。
君の仲間を先に血祭りに上げれば、あなたも出てこざるをえなくなるでしょう。
さて、ローゼリア王女はどこへ――」
キロフは魔力を使って、ゼーハイドと融合した人質と戦っていたローゼリアを探そうとする。
ゼーハイドがやられたことには気づいている。
気配が消えたし、何より闇属性の大きな爆発があった。
学園にスパイとして潜り込ませたあの愚かな少年が自爆したことは間違いない。
しかし、もし自爆で王女が死んでいると厄介だ。
エリアックを追い詰めるための材料がなくなってしまう。
「……ふむ。気配がなくなっていますね」
サンヌルであるキロフは、光と闇の魔力を探知できる。
その他の属性も、存在くらいは察知できるが、精度の面では光と闇に及ばない。
だが、ローゼリア王女はサンヌルだ。
それも、キロフをはるかにしのぐほどの膨大な魔力を持っている。
その気配がなくなっているとは……
「どうやら、自爆に巻き込まれて死んでしまったようですね。あっけないものです」
ミルデニア王家の血を引く彼女は、黄昏人の遺伝子を受け継いでいる可能性があった。
皇帝からは生きて捕らえるように言われている。
なんでも、古代宮殿ラ=ミゴレの深部に至るには、黄昏人の末裔が必要だとか。
「まあ、死んでしまったものはしかたないでしょう」
キロフは肩をすくめ、一言で片付けた。
キロフ自身は、ラ=ミゴレの秘密になど、さして興味を持っていない。
皇帝は、深部にあるとされる黄昏人の遺産を使って、戦局を有利にしたいのだろう。
だが、キロフにとって、人が苦しんで死んでいく戦争は、おのれの快楽と正気の維持のために、是が非でも必要な舞台装置なのである。
「ローゼリア王女は頓死した。その程度の人間が、黄昏人の末裔であったはずがない。そう奏上すれば済むでしょう」
それより、問題はエリアックだ。
エリアックの気配は探れている。
隠すつもりもないらしい。
エリアックは、森を抜け、ウルヴルスラ正門前の広場に出た。
そしてそのまま、ウルヴルスラの正門をくぐって都市に入る。
「なるほど、ウルヴルスラには帝国兵を始末するための罠が仕込まれている。それを使って私を倒そうというのですね」
あるいは、都市内にいる生徒騎士たちを戦力としてあてにしているのだろうか?
まだ少年少女にすぎない、兵士とも呼べないような半端者たちを?
「それならそれで、愉しめそうです。闇野君に、無辜の生徒騎士たちを巻き込んでしまったことを後悔させてあげましょう」
キロフは昏い快楽の予感に唇を歪めると、エリアックの後を追って駆け出した。
ウルヴルスラの正門を越えた。
ウルヴルスラのエネルギーフィールドはダウンしている。
不可視の城壁と言われたフィールドがない今、ウルヴルスラは無防備だ。
「誰もいませんね」
無人の通りを進みながらキロフがつぶやく。
なお、キロフの切断されていた足は、闇色の「義足」によって補われている。
翼で飛んでもいいのだが、いざという時に足がないのは不便である。
その程度の実用的な理由から、キロフは魔法で「義足」を生み出していた。
自分の足が切断されたことなど、現実感の希薄なキロフにとっては、衝撃を受けるほどのことでもない。
「さて、彼は……?」
エリアックの気配は、キロフを誘うように少し先を進んでいる。
「生徒騎士たちは避難済みですか……」
誰一人迎撃に現れない以上はそうなのだろう。
黄昏人の遺産でありながら、ウルヴルスラの街並みは、ラ=ミゴレのものとは全く違う。
壮麗な宮殿であるラ=ミゴレに対し、ウルヴルスラは機能的ながら洗練されたデザインの学園都市だ。
現代人であったキロフには、こちらのほうがむしろ違和感がない。
「あちこちの陰に膨大な魔力が貯められていますね。大掛かりな魔術――効果まで調べる時間はありませんが、なかなかの技術です。彼は、魔力を貯蔵し、あらかじめ仕込んだ魔法回路で、魔法を自動発動する技術を編み出したようだ」
もちろん、キロフも同様の技術を身につけている。
キロフの独自研究に、旧デシバル帝国から受け継がれた古代の魔法技術を加えたものだ。
「それを独力で編み出したとすれば大したものです。6年前にネルズィエン皇女が破れたわけだ」
だが、都市に仕掛けられた魔法は発動しなかった。
「この大掛かりな魔術は、都市に帝国兵を招き入れて一網打尽にするためのもののようですね。
おそらくは、多数の吸魔煌殻の気配に反応して発動するようになっているのでしょう。
術者である闇野君になら即時発動することもできるのでしょうが、対多数用の術を私に使っても防がれるだけだと読んだのでしょうね」
溜め込まれた魔力の量が、数百人の吸魔煌殻部隊に作用したとすると、一人当たりの魔力量はさほど大きなものにはなりえない。
「即座に命を奪うほどの術ではないでしょうね。闇魔法系統の睡眠魔法の大規模版、といったところでしょうか? 光魔法による肉体的・精神的な眩惑、光過敏性反応を利用した失神痙攣……転生者なら他にもアイデアを思いつくはずです」
たしかに、吸魔煌殻兵を無力化するにはその程度で十分だ。
だが、相手がキロフとなるとそうもいかない。
同じサンヌルであるキロフは、光魔法には闇魔法をぶつけ、闇魔法には光魔法をぶつけるだけで、エリアックの魔法をあらかた潰すことができるだろう。
「くくく……吸魔煌殻兵を全滅させるのなら、もっと身もふたもない手段がありそうなものですがね。帝国兵といえど、私に操られているだけの犠牲者だ……とでも思って、手心を加えているのでしょう」
キロフは影を伝って都市の建物の屋根に登り、エリアックの気配を探知する。
「ふむ……あそこですか。これはまた露骨だ」
エリアックは、都市の中心付近で動きを止めていた。
事前に入手した情報では、至聖所と呼ばれる施設のある大きな円形広場のようだ。
周囲を気にせず戦うには格好の場所だろう。
「なんらかの罠があると見るべきでしょうね」
キロフは、広場の周囲へと目を転じる。
都市は、その広場を中心に放射状に広がっていた。
都市の建物は、荘重なラ=ミゴレとは違って近未来的なデザインだ。
乳白色の謎の材質の建物が多いが、あちこちに街路樹が植えられ、人工物にありがちな心理的な圧迫感を軽減している。
もっとも、それを無機質な目で眺めるキロフに、人工物に囲まれていると息がつまる……といったような、人間的な感性などあるはずもない。
「おや、あの奥に見えるのは……」
キロフから見て広場の奥に当たる場所に、小型のエネルギーフィールドが張られていた。
その中にあるのは、ドーム状の大きな建物だ。
前世でいえば、東京ドームと武道館を足して割ったような外見をしている。
「そういえば、円卓戦の最中だったはずですね。円卓戦は大講堂に人を集めなければ開催できないという話でした。つまり、生徒騎士は大講堂に集合していた。エネルギーフィールドは大講堂だけに張れば十分だ」
帝国の策がうまくいったと思わせるために、学園都市側は、エネルギーフィールド発生塔の近くで、帝国が運び込んだ魔法爆薬を爆発させたのだろう。
同時に、エネルギーフィールドを消滅させた。
策が上手くいっていると思い込んだ帝国兵が都市内に踏み込めば、エリアックの用意した大規模魔法によって一網打尽にされる。
もしキロフが出てこなかった場合には、エリアックはそうして帝国兵を退けるつもりだったのだろう。
ただし、この策を実行するには、エネルギーフィールドの切り替えという、都市の根幹となる機能にアクセスできる必要がある。
この学園の生徒は、この都市の機能にそれなりの深度でアクセスできているということだ。
「大講堂に無力な生徒騎士を集め、フィールドで守る。私との戦いは、邪魔が入らない形で闇野君一人で行う。なるほど、彼らしい」
前世でも彼は、本来は自分のものでもない仕事を抱え込み、義務感に駆られて徹夜仕事を繰り返していた。
責任感が強いのは結構だが、それで心身ともにボロボロになっては、本人の幸福はおろか、会社の生産性にも悪影響が出る。
本人も同僚も会社も、誰一人として得をしない、愚か極まりない選択だ。
「どうして人間はそこまで愚かになれるのでしょうね? まったく、理解しがたい。だからこそ、興味が尽きません」
一度死んだくらいでは、愚者が賢者になることはないのだろう。
彼がこの世界の人間の生死にまで責任を持つ必要はないというのに、自分の命をかけてまで、彼らを安全地帯に置こうとする。
彼が守ろうとすれば守ろうとするほどに、彼らの人質としての、あるいは足手まといとしての価値が上がるということに、まるで気づいていないらしい。
異世界人なんて路傍の石としか思っていない――そんな態度を貫いていれば、キロフもわざわざそんな相手を傷つけようとは思わない。
大講堂に彼にとって大事な人々が集まっている――そうあからさまに示されて、キロフが手を出さずにいられるものか。
「転生して少しは甘さが抜けたかと思ったのですがね。あいかわらずのようだ」
ならば、元上司としては、その甘さを思い知らせてやるしかないだろう
「ククク……。『エネルギーフィールドに守られていれば安全だ』。どうしてそんなふうに思い込むことができたのでしょうね?」
キロフは、エリアックの待ち構える地点を大きく迂回し、大講堂へと近づいていく。
キロフは、大講堂の周りに張られたエネルギーフィールドの根元へと降り立った。
「フィールドの全容は解明できていませんがね。ゼーハイドという存在と干渉し合うものだということはわかっています。だから――」
キロフは、エネルギーフィールドに手をかざす。
その手の先の空間に、ガラスのような亀裂が走った。
亀裂は、エネルギーフィールドをも越えて、その内部へと入り込む。
「出でよ、ゼーハイド。殻に篭る臆病者どもを喰い殺せ」
キロフの言葉に応えるように、空間の裂け目から青い光が漏れ出した。
その中から、三つ目の巨大な狼のようなものが顔を出す。
広場の方から、エリアックの迫る気配がした。
慌てているのだろう、気配があからさまに乱れている。
キロフはエネルギーフィールド上に次々と亀裂を生み出し、そこから異形の化け物を生み出した。
いくつかはエネルギーフィールドに触れて断末魔の悲鳴とともに焼き消えた。
だが、半数程度のゼーハイドは、フィールドの中へと放たれた。
エリアックの気配が追いつくまでに、フィールドの中に二十体ほどのゼーハイドが侵入する。
ゼーハイドたちは歓喜の声を上げながら、大講堂の正面入口へと殺到した。
「――キロフ! てめえ!」
息を切らして、背後からエリアックが現れた。
「くくく……馬鹿ですねえ、あなたは。これで、あなたの大事なご学友たちは、ゼーハイドの餌ですよ」
「くっ……」
「あなたの大事なローゼリア王女も死んだようですね。君の友人であるハント君。彼はとてもいい仕事をしてくれました。愚かしくも素晴らしい仕事をね」
「は、ハントだって!? なんであいつが……」
青い顔で、エリアックが言った。
「おや? 気づいていなかったのですか? 彼は精霊教の過激派ですよ。おのれの命を母なる精霊に捧げることで、自分も精霊の一部になれる……そう信じている愚か者です」
「う、裏切ったってのか!? 嘘だろ……」
「なんだ、カケラも気づいていなかったのですか。何重にも策を巡らせた私が馬鹿のようではないですか。
ともあれ、これでチェックメイトです。
さあ、こそこそ逃げ回るのは終わりにしましょう。
大丈夫、あなたが絶望を胸に抱いて死ねるよう、最後まで戦って差し上げましょう。
まもなく大講堂から聞こえてくるはずの、若い生徒騎士たちの断末魔の悲鳴を伴奏に……ね」
キロフはそう言って、闇色の大鎌を生み出した。
エリアックはうつむいたまま、その肩を震わせている。
「……っふ、くく……」
「おや、どうしました? まさか、泣いているのですか? 驚きましたね。自分の策がすべて裏目に出て、心が折れてしまったのですか? がっかりですよ。これではつまらない。復讐に燃えるあなたをいたぶり尽くすという私の計画が――」
キロフの言葉の途中で、エリアックが顔を上げた。
その顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「そうだな。こそこそ逃げ回るのはもう終わりだ。おまえが絶望して死ねる舞台を用意してやったぜ」
エリアックの言葉とともに、エリアックの――そしてキロフの足元に、巨大な光の魔法陣が浮かび上がった。




