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6 青天の霹靂

 街をひと巡りした俺は、陰を伝って城壁に上る。

 そして、城壁の上で陰から出た。


「ふう……やっぱ、外のほうが気が楽だな」


 陰の中に「入る」といっても、俺の物理的な身体がそっくりそのまま収まってるわけじゃない。

 なんらかの魔法的な効果によって、俺は陰のような何かになってるようだ。


 その状態で長くいると、身体の感覚がなくなってくる。

 身体の感覚がなくなってしばらく経つと、今度は精神が不安定になる。


 前世で、音を完全に吸収してしまう壁に囲まれた、刺激のまったくない部屋の中に閉じ込められると、人間は長くはもたないという実験があった。

 陰の中にいるのは、まさにそんな感じだ。


「【無荷無覚】がなかったら、ひょっとしたら発狂するかもな」


 身体の感覚がなくなったり、精神が不安定になったりすること自体は、怖くはあるが、危険ではない。

 取り乱して魔法の制御を誤ってしまうほうがよほど危険だ。

 陰の中にいる時に魔法が乱れたらどうなるか。

 たぶん、陰から排出されるだけだと思うが、状況によっては「いしのなかにいる」なんてことになるおそれもあった。


「制御自体はむしろ簡単だから、プレッシャーとの戦いなんだろうな」


 【無荷無覚】は、陰使いを目指すにはうってつけの力かもしれない。


「っと、もうこんな時間か」


 空が茜色に染まってる。

 ランペジネの西に沈みゆく太陽。

 その下では、まもなく収穫期に入る麦が揺れていた。

 麦畑は段丘に沿ってなだらかに広がり、その奥には山脈が横たわっている。

 山脈のふもとは森で覆われ、峠を守る関の他には、炭焼き小屋がいくつかあるだけだ。


 夕陽に染まり、風にそよぐ麦の大海に、俺はしばし時を忘れた。


「もうそんな季節か……」


 美しい秋の夕暮れを堪能したところで、俺はふいに思い出す。


「そうだ、『望遠』の練習もしておくか」


 「望遠」。

 その名の通り、遠くの景色を拡大できる光魔法だ。


 「望遠」は、俺のオリジナル魔法ってわけじゃない。

 かなりポピュラーな光魔法で、サンの人なら八割方は使えるらしい。


 ただし、拡大倍率は、露骨に魔法の技倆を反映する。


 素人なら、気持ち大きくなったかな?という程度。

 斥候を務めるサンの騎士で一.五倍。

 いっぱしのサンの魔術師になって、ようやく二倍といったところだ。


 現在の俺は……ざっと五倍を超えている。

 倍率を上げるほどに魔力の制御が難しくなり、したがって、精神的なストレスも増大する。

 だが、ストレスを感じない俺は、制御能力の限界まで倍率を上げられる。


 俺は、定期的に「望遠」のトレーニングをすることにしていた。

 まだ倍率を上げる余地がありそうだし、これ自体光魔法のいい修行になるからな。


「農民たちも、もう家に帰る時間か」


 麦畑の中を歩く農民たちを、ひとりひとり拡大して観察する。

 日本の三ちゃん農業と違って、老若男女さまざまだ。

 談笑したり、歌ったりしながら帰路につく彼らは、なかなか楽しそうに見えた。


 いうまでもないと思うが、現ブランタージュ伯エリオス、つまり俺の父さんは、善政を敷いてることで有名だ。

 税は軽いし、不作の時には蔵から麦を放出する。

 余った麦は自由に換金していいし、余裕があるなら麦以外の作物を育ててもいい。


 俺の現代知識で内政チートができないか?

 そう思ったこともあったのだが、はっきり言って余計なお世話だった。

 この世界では、地の魔法で地味を豊かにすることもできれば、雨が降らない時に水魔法で代用することもできる。

 地魔法は農業にはとくに有用で、クワを使わず地面を耕すことまでできてしまう。

 連作障害が起きないから三圃制にしても意味がないし、魔法で地面を耕せるからクワもいらない。


「この世界はこの世界で、ちゃんと回ってるんだよな」


 俺の存在意義はいったい……という気もするが、考えてみれば、神様からああしろこうしろとは言われてない。

 それなら、ストレスのないまったりスローライフを楽しんでもいいだろう。


 俺は、麦畑から目を離し、「望遠」の倍率を上げながら、峠のほうを凝視する。


 べつに、何かが気になったわけじゃない。


 単に、目印にちょうどよかっただけだ。


 だが、


「ん? なんだ?」


 峠の上のほう、山の嶺を越えた辺りに、鈍く輝く何かが見えた。


「くそっ、倍率が足りないな。もうちょい集中して……」


 倍率をさらに上げる。

 峠を越えてくるものが見えてきた。


「あれは……」


 我知らず、俺の声が固くなっていた。


 さっき夕日に輝いて見えたのは、金属製の鎧兜だった。

 鎧兜は、長槍を縦に抱えながら、細い峠道をおぼつかない足取りで下ってくる。


 そんな鎧兜の連中が、細い山道を二列になって、さながら蟻の行列のように、果てることなく峠の向こうから溢れてくる。


「これ、どう見ても軍隊だろ。

 あっ、あいつが旗を持ってるな。赤い三角旗……紋章までは見えないけど、ザスターシャの国旗じゃないか!」


 山の向こうの隣国、ザスターシャ。

 鉄鉱石を産する国で、鍛治がさかん。

 というと、軍事国家をイメージするかもしれないが、そうでもない。

 むしろ、鉄製品の輸出で儲ける商業国家だ。

 砂漠やサバンナが国土の大半を占めていて、さまざまな部族を、歴代の王家がまとめてる。

 もっとも、諸部族の力が強いため、内紛も多いと聞いている。


「ザスターシャが軍を動かしたのか?

 でも、あそこの王権は弱いはず。まとまった軍事行動なんて取れないんじゃなかったのか?

 いや、そもそも、麦を輸入しないと民が餓える国なんだから、戦争なんて自殺行為のはずだ」


 俺は「望遠」をなんとか大きくしようと試みる。

 見たいという強い気持ちがよかったのか、これまでの最高倍率で峠を拡大することができた。


「ザスターシャの旗の奥に……べつの旗が。兵士も、ザスターシャ兵とはべつみたいだな。鉄の甲冑じゃなくて、真っ赤な鎧で固めてる。あの旗は……見たことないぞ? どういうことだ?」


 俺は、メモ代わりの紙を取り出し、旗のスケッチを取った。

 光魔法を使って、スケッチに色を焼き付ける。


「黒地に逆三角の赤の紋章か……」


 見覚えのない紋章だ。

 血に飢えた狼が噛み付いてくるような、そんな不吉な印象を受けた。


「いや、とにかく、父さんに知らせないと!」


 俺は城壁から飛び降り、手近な陰に飛び込んだ。






 俺の急報を受けた父さんは、斥候を放つと同時に、農民たちの城壁内への収容を急がせた。

 峠のふもとにある関所の番兵は、突如現れた大軍を前に逃げ出したらしい。

 途中でランペジネからやってきた斥候と合流し、領主である父さんに報告するため、屋敷へとやってきた。


「状況は?」


 父さんが冷静な声でそう聞いた。


 ここは屋敷の執務室だ。

 父さん、母さん、俺の他に、伯爵領の重鎮たちが集まってる。


「はっ! ザスターシャの軍旗と見覚えのない軍旗を掲げる完全武装の軍が、突如峠を越えて現れました!」


 斥候に連れられてきた関所の番兵がそう答える。


「見覚えのないほうが問題だな。どのような連中だった?」


「遠目に見ただけでありますが、ザスターシャの鉄鋼歩兵の他に、赤い奇妙な甲冑を身につけた歩兵がおりました」


「赤い奇妙な甲冑……?」


「妙なたとえですが、沢にいるザリガニを彷彿とさせるような、ぐねぐねと曲がった、まがまがしい意匠の甲冑なのです」


「ふぅむ……?」


 父さんがちらりと俺を見る。

 異世界の知識を持つ俺になら、何かがわかるのではないか。

 そう思ったのかもしれない。


(期待を裏切って悪いけど……)


 俺にもまったく心当たりがない。

 俺は小さく首を振った。


「敵の正体はこの際おいておこう。数はわかるか?」


「細い峠を二列で越えてきておりましたから、正確なところはわかりません。ただ、連中の先鋒が関に迫った時点で、後続はまだ峠を越え切っておりませんでした」


「すくなくとも、峠を二列縦隊でふもとから嶺まで覆い尽くせる数、か。騎兵はいなかったか?」


「はい。あの峠を騎馬で越えることはできません」


「そういうことではなく、実際に馬や騎兵を見なかったか、と確認しているのだ」


「はっ、失礼しました。私が見た限りにおいて、馬は連れておらなかったようです。後から送ってくるおそれはありますが」


「峠からランペジネまで、徒歩なら丸一日はかかるな。後続の集結を待ち、隊列を整えてから移動してくると考えると、もう一日以上はかかるか……」


 父さんはさらにいくつか質問を重ねると、労をねぎらって番兵を部屋から退出させた。


「……どう見る、軍務官」


 父さんは、五十代ほどの精悍な軍服姿の男に目を向けた。


「厳しいですな。控えめに見積もっても、敵兵力は二千を越えるでしょう。ランペジネにいる兵は七百ほど。近隣の都市から兵を集めようにも時間が足りませぬ」


「なぜ峠を越えてくる軍に気づかなかった?」


「先ほどの兵の話では、峠の向こうに定期的に送り込んでおる斥候が、消息を絶っておったようですな。そのことをランペジネに伝えるために伝令を送ったと申しておったのですが、その伝令が届いていなかったのです」


「どういうことだ?」


「敵は、先に腕利きの精鋭を峠のこちらに送り込み、峠からの伝令を始末した……ということでしょうな」


「峠を越えればもはや目視で気づかれる。これ以上の時間稼ぎは不要と見て、そいつらは撤収した。だから、関所の番兵は逃げて来られた、か」


「そやつらのゆくえは気がかりですな。本隊に合流しておるのか、それとも……」


「街に潜んでいるおそれもあるか」


 父さんが大きく息をついた。


 目頭を指でもんでから、青白い顔の若い青年貴族に目を向ける。


「紋章官。敵の正体について、何かわかるか?」


「いえ、ご子息の模写された紋章を拝見しましたが、これに合致する紋章はございません。ザスターシャのいずれの部族の紋章でもございません。もちろん、われらがミルデニア王国にも、該当する紋章を持つ家門はございません」


「他の国はどうだ?」


「記録が限られているので確言はいたしかねますが、私の知る限りではこのような紋章はなかったはずです。……申し訳ございません」


「謝ることはない。若いのに有能な貴君が知らぬというのだ。実際、未知の紋章なのであろう」


「はっ……」


 若い紋章官が頭を下げる。


「この際、敵の所属は後回しにしよう。こうして峠を越えてきた以上、我が国への侵略をもくろんでいるのはあきらかだ。すでに王都には伝令を走らせた。だが、援軍はとうてい間に合わん」


「となると、籠城ですかな?」


 軍務官が言った。


「籠城戦に持ち込めば、七百の兵でも、攻囲軍が三千五百程度までなら持ちこたえられます。さいわい、ランペジネには穀倉がありますからな。住民すべてを数ヶ月以上養うことが可能です」


「だが、それは相手も知っていよう。それでも仕掛けてきたということは、何か勝算があるということだ。こちらを圧倒的に上回る兵力を送り込んできている可能性がある。

 いや、まちがいなくそうだろう。ランペジネだけを落としたところで、大した意味があるとは思えない。

 連中の狙いはその先だ。ランペジネで足止めされるような少数の兵だけを送り込んできているはずがない」


「そ、それはそうですが……」


 軍務官が言葉に詰まる。


 べつの重鎮――恰幅のいい中年男性が言った。


「われらがブランタージュ伯は、奥方ともども高位の複合魔法の使い手ではございませぬか。お二方だけで百の兵をも蹴散らすと聞いておりますぞ」


 そんなことを言ったのは、商人組合の代表者だ。


「個人の力がいかに強かろうと、数千の軍勢を止めることなどできませぬ」


 軍務官が、軍事に疎そうな商人に釘を刺す。


(いまの父さんと母さんなら、百と言わず数百はいけそうだけど……)


 それでも、陣形を組んで向かってくる軍隊を、正面から相手にできるわけがない。


「で、では、勝ち目がないと申すのですか?」


 商人の代表が、顔を青ざめさせてそう言った。


 他の重鎮たちが、互いの顔色をうかがいあう。

 執務室に、気まずい沈黙が落ちた。


 沈黙を破ったのは父さんだ。


「そうだな。籠城戦には持ち込めようが、数に任せて攻められれば、そう長くはもたないだろう。へたに手向かえば怒りを買って、落城後の略奪を招くおそれもある。

 かといって、まったく抵抗せず街を明け渡したとなれば、陛下から賜った領地を、守ろうともせずに逃げ出した臆病者とそしられよう」


 父さんのセリフに、重鎮たちがぎょっとする。

 たしかに、普通はここまであけすけに言ったりはしない。


 重鎮たちが、目に見えて動揺した。


 中でもいちばんうろたえてるのは、商人の代表者だな。


 動揺を引き起こした領主は、しかし、不敵な笑みを浮かべてこう言った。


「……だが、私に策がある」

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