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(9歳)5 研鑽の成果

 俺が前世の記憶を取り戻してから、三年の歳月が流れた。


「今日もこの街は平和だな」


 鐘楼の屋根の上からは、ブランタージュ伯爵領の領都ランペジネの街並みを望むことができた。

 茶色い煉瓦の屋根が、果てしなく……というほどではないが、それなりに遠くまで連なってる。


 ブランタージュ伯である父は、領内の巡察に出る時を除けば、この都市にいることが多かった。

 その息子である俺も、この歳で勝手に出歩いたりできるはずもなく、この三年間はほとんどランペジネから出ていない。


「やることは多かったから、退屈はしなかったけどな」


 【無荷無覚】があるから、たとえ退屈したとしても、それを苦痛には感じない。

 退屈したままでも、「ああ、退屈してるな」で片付けて、退屈な作業を何の苦もなく続行できる。


「いまのところは、本を読む、魔法を研究する、剣や弓の練習をする、くらいだけど」


 三年の間に、身長が伸び、身体の作りもしっかりしてきた。

 もう少ししたら、体力づくりも本格化したい。

 あまり幼いうちから激しい運動をすると発育によくない、みたいな話を前世で聞いたような気がして、身体を限界まで酷使するようなトレーニングは控えてきた。

 いまはまだ、年相応よりは鍛えてるかな?くらいに留めてる。


「顔も、だんだんイケメン感が出てきたな」


 自分で言うのもなんだけど、いまの俺はなかなかの美少年だ。

 両親ともに美形なのに、顔だけ前世のままだったらどうしよう……などと心配してたのだが、杞憂に済んでほっとしてる。


「ざっくりいえば、東洋人っぽいか?」


 髪は黒で、肌は白。瞳は深い紫色だ。


 この世界では、誕生時に受けた精霊の加護が容姿に影響する。

 光闇(サンヌル)である俺は、髪と瞳に闇属性が、肌に光属性が影響したようだ。


 うちの両親は、母・ミスラが火風(ジトヒュル)、父・エリオスが地水(ホドアマ)だ。

 母さんは赤い髪とエメラルドグリーンの瞳、父さんはダークブラウンの髪とアイスブルーの瞳を持っている。

 肌は二人とも明るいが、これは母には風属性が、父には水属性が影響したためらしい。

 逆に、火属性や地属性が肌の色に影響すると、肌の色は濃いめになる。もちろん、闇属性が肌に働いても黒くなる。


「だから、髪も肌も、どの色がいいとか悪いとかは言われない」


 この世界には、髪や肌の色による差別がない。

 もし肌の色で差別などしようものなら、差別された人に加護を与えた精霊を侮辱したとして問題になる。

 たとえば、ヌル(闇)の人の肌が黒いからと言って差別すれば、世の中のヌルやサンヌルやヌルホドの人たちが激怒する。

 それ以外の加護を持つ人たちにとっても、精霊への侮辱はこれ以上ないほどの炎上案件だ。


「そもそも、生まれた曜日だけで容姿が決まるから、差別する口実自体がないんだよな」


 現代日本でたとえるなら、「水瓶座は陰険だ」とか「蟹座は頭が悪い」とか言ってるようなもんだからな。

 もしそんなことを言い出すやつがいたとしても、誰も真に受けないどころか、危ないやつだと思われ、スルーされるだけだろう。

 ……念のために言っておくと、水瓶座や蟹座の人を貶める意図は一切ないぞ。


 ただし、加護が性格に影響するのではないかという学説はあるらしい。

 もっとも、これも決定的な証拠はない。


「一応、理屈がつかないこともないんだが……」


 加護によって使える魔法が違うため、属性ごとの得意不得意によって、人生の方向性や社会での役割に、かなり大きな差が生じてくる。

 それが、その人の性格形成に影響を与え、結果として、同じ加護を持つ人たちに、ある程度共通した性格が備わるのではないか。

 前世の血液型診断よりは当たってるんじゃないかって気はするな。


 さて、ダークヘアーダークアイの美少年|(俺)が鐘楼の上から眺めてるのは、ブランタージュ伯爵領の領都ランペジネの街並みである。


 同じ色の煉瓦屋根が続く眺めは壮観だ。

 もっとも、これは観光条例で屋根の色を指定してるわけではない。単に、近隣で取れる粘土の色がこの色だってだけだ。


 人口は一万にちょっと届かないくらい。

 前世の基準では町か村になってしまいそうだが、この世界ではまずまず大きな街だと言える。


 一日もかからずぐるりと回れるくらいの広さで、周囲は城壁に囲まれてる。

 いかにも年代物って感じの、苔むした石積みの城壁だ。


 ブランタージュ伯爵領は、王国の西端にあった。

 かつては隣国との戦争に巻き込まれたこともあるらしい。


 ただ、ランペジネと隣国の間には、狭く険しい峠道がある。

 最後の戦争の後の平和な時代に、北を迂回する大きな街道が開通し、ランペジネは交通の要衝としての地位を失った。

 とはいえ、このあたりは肥沃な穀倉地帯だ。交易の中継点としての利益は得られなくなったものの、そのおかげでかえって、農業中心の穏やかな地方都市として発展できたともいえる。


「交通の要衝だってことは、戦争になったら軍隊の通り道になるってことだからな」


 それが敵の軍隊でも味方の軍隊でも、起こる問題は似たようなものだ。


「とはいえ、峠越えも一応は可能だからな。国としては相応の防備をしておく必要がある。街道をおおっぴらには通れないやつが、たまにこっちを通ろうとするし」


 異世界に転生して、いったいどんな敵と戦わされるかと思ったが、これまでの九年は実に平和なものだった。

 それでも魔法の研究に精を出し、ないかもしれない「有事」には備えてる。

 魔法があるおかげで、この世界の文明は中世ヨーロッパに比べれば随分マシなように思えるが、現代日本よりは原始的だ。


「さて、こうしててもしょうがない。修行の続きといくか」


 俺はそう言って、左手を向かいの家の煙突に向ける。

 正確には、煙突ではなくその陰だ。


「『陰渡り』」


 つぶやいて魔法を発動する。


 一瞬後には、標的とした陰の「中」に俺はいた。


 陰と完全に同化する闇魔法は、比較的よく知られてる。

 かなり高度な部類に属する魔法とされてるが、魔力の「隔離」を覚えた俺には、そんなに難しい魔法でもなかった。


 難しかったのは、むしろその作動原理である。


「陰|(影)と闇は何がちがうのか、陰に同化するってのはどういうことなのか……とかだな」


 魔法の闇が自然の闇と異なるものだってことは、三年前に気づいてる。

 闇魔法が、どうやら精神に作用する術であることもわかってた。


 では、陰に同化するとはどういうことか?


「他人に対しては、自分を影だと誤認させる。これは、『陰隠れ』としてよく知られてる方法だ」


 これが難しいとされるのは、他人に「自分=陰」と刷り込む際に、自分でも「自分=陰」だと思い込んでしまうからだ。

 他人の認識をごまかすのに比べ、自分自身を変身させる魔法は、難易度が一気に跳ね上がる。

 というか、ほとんど伝説の部類に入るだろう。

 そんな魔法をあやふやなイメージで発動しようとしてもできるはずがない。

 結果、他人に「自分=陰」と誤認させる部分すら発動できないことになる。


「『陰隠れ』は、『闇の霧』とやってることに大差がない。自分を中心に発動するか、すこし離れた地点を中心に発動するかの違いだけだ。それなのに、なまじ自分の姿を思い描いてしまうから失敗する」


 魔力の「隔離」さえできれば、そういう混同は起こらない。


「でもそうすると、次の疑問が湧いてくる。陰に隠れてる時の自分はどこにいるのか、だ」


 「闇の霧」で姿を隠す場合、霧の奥に隠れて見えないだけで、術者はたしかにそこにいる。

 だが「陰隠れ」の場合、術者は陰に同化している。

 陰を触っても、どこにも術者を見つけることができないのだ。


「陰そのものになってるのかと最初は思ったけど、それじゃ変身魔法になってしまう。いろいろ検証した結果、『「陰隠れ」は陰の中に隠れる術だ』ということが判明した」


 まんまじゃん、と思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。

 俺が問題としてるのは、「そもそも陰に『中』なんてねえだろ!」ってことなのだ。


「『中』に隠れられる陰は、自然の陰ではありえない。

 だとしたら何か。

 魔法の陰に決まってる。

 『陰隠れ』は、指定した自然の陰の中に、魔法の陰を生み出し、その魔法の陰の中に隠れる魔法なんだ」


 魔法の陰は、いわば四次元ポケットだ。

 この陰の中に、人が隠れられるだけの謎のスペースがある。

 しかもこのスペースは、ひとつながりの陰の中ではつながってる。


「屋根の上だと陰が少ないな。『灯よ』」


 俺は陰の中から光魔法を使い、煙突の背後に灯りを生み出した。

 煙突の陰がまっすぐに伸び、路地裏の暗がりへとつながった。

 俺は、その陰の中を、魚が川を泳ぐように移動する。

 前世で、イカがインクを塗り合うシューティングゲームがあった。

 イメージとしては、あのゲームでインクの中を泳ぐのに近い。


 俺は陰を伝って移動しながら、陰が足りなければ光魔法で増やし、あるいは通りがかった人の影の中に飛び込んで、次の陰まで運んでもらう。


 闇魔法の修行として、俺はこれを日課にしてる。

 領主の息子として、お膝元の街をよく知っておきたいって理由もあるけどな。


 『陰隠れ』にちなんで、俺はこの魔法を『陰渡り』と呼んでいる。

 名前は似てるが、難易度のほうは段違いだ。

 たぶん、俺以外にこんな魔法を使えるやつはいないんじゃないか。


 俺が、陰の中で路地裏から表通りに出ようとすると、


「スリだぁぁっ! そいつを捕まえてくれっ!」


 と声が上がった。


 その方向から人相の悪い男が、カバンを抱えて走ってくる。


 しかたないので、俺はそいつの影に飛び込み、影から手を伸ばして足をつかむ。


「ぐおあっ!?」


 スリが転んだ。

 たちまち周囲の人が殺到し、スリはめでたく御用となった。


 まあ、街を見回ってるとこんなこともある。


 この三年間は毎日がそんな感じだった。

 だから、この先もずっとこんな感じなのかと思い始めてた。


 ――だが、危機というものは、時に前触れもなくやってくる。


 そのことを、俺はすぐに思い知ることになった。

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