10 くっ殺
「な、ななな……なんだ貴様は!?」
床から這い上がりながら、ネルズィエンが言ってくる。
「おっと、大丈夫か? 皇女殿下は徹夜には不慣れみたいだな」
「子どもだと……? 街の住人の逃げ遅れか?」
「おいおい、本当に頭が回ってないな。街の住人は全員父さんが避難させてるよ。もし子どもが残ってたとしても、おっかないザリガニ兵が見張ってる屋敷の奥まで入ってこれるわけないだろ?」
「ぐ……」
ネルズィエンが言葉に詰まる。
皇女が、警戒心たっぷりに俺のことを凝視する。
俺も、改めて皇女を観察する。
「ネルズィエン皇女」と呼ばれてる彼女は、赤く長い髪と燃えるような瞳、白い肌の持ち主だ。
美人だが、吊り目と高い鼻、赤いルージュの引かれた唇から、かなりキツそうな印象を受ける。
女性にしては背が高い。
現在9歳の俺と比べると、頭一つ半くらいは高いだろう。
そんな子どもをうろんげに睨む女指揮官……って図は、シュールといえばシュールである。
「何者だ?」
「それはこっちのセリフだぜ。人様の国にいきなり攻め込んできやがって。いまだに正式に名乗ってすらいない。とんだ卑怯者の国もあったもんだな」
「貴様っ! 帝国を侮辱するかっ!」
「それを侮辱と感じるなら、そう言われるような行動を取らなきゃいいだろ。
まあ、いいや。名乗る気がないなら確認してやる。
ネオデシバル帝国の皇女ネルズィエン=ジトヒュル=デシバリ。
これで合ってるか?」
「なっ!? どこでそのことを……」
「どこでって……あんたらの話を聞いてればわかるさ。あんたが書簡に署名してるのも見たし」
「貴様……いったい……」
怒りと困惑にかすかな恐怖が交じったような顔で、ネルズィエンがつぶやいた。
警戒心たっぷりに、黙ったままで俺を睨む。
「やれやれ。これじゃ、いつまで経っても話が進まないな。
俺はお姉さんの国みたいな礼儀知らずじゃないから、レディにはちゃんと名乗ってあげるよ。
俺は、エリアック=サンヌル=ブランタージュ。
これだけで素性はわかるだろ?」
「ブランタージュ……だと!? では貴様は、ブランタージュ伯の関係者か!?」
「ふぅん? ブランタージュ伯爵家の嫡男はいまのところ俺だけなのに、そこまでの情報は持ってないんだな。ネオデシバル帝国は、まだミルデニア王国に情報網を築いてないらしい」
「ふんっ、こんな小国を落とすのに情報など必要ない。情報なら国を落とした後で集めればいい。そのほうが効率的だ」
「で、どうなんだ? あんたの率いる赤装歩兵は、この国を効率よく落とせそうか?」
「ぐっ……このクソガキが……」
「いまのあんた、国を落とすより、自分のほうが寝落ちしたいって顔してるぜ。
いまこの場で俺に詫びを入れて軍を引くと約束するなら、特別にあんただけ《不夜城》を解いてやってもいいぜ」
「ブラ……? では、やはり貴様がこの面妖な術を!?」
「詳しく話すつもりはないけど……いかにも、この術を使ってるのは俺だ」
「ならば……っ!」
ネルズィエンが机を跳び越える。
「『烈火の剣よ!』」
ネルズィエンは空中で、右手に炎の刃を生み出した。
机を跳び越えた勢いのまま、俺に炎の剣を振り下ろす。
三徹明けとは思えない身のこなしだ。
が、
「――何っ!?」
炎の剣は空ぶった。
俺は、炎の剣の明かりで伸びた、ネルズィエンの背後の影に飛び込んでる。
「ど、どこに逃げた!? 卑怯者め! 姿を見せろっ!」
ネルズィエンが剣をぶんぶん振り回す。
その剣の作る影の中にいるから、俺はずっと皇女殿下の背後にいる。影の中だからどうせ見えないけど、絵面としては面白い。
「卑怯はひどいなぁ。説明してあげるって言ってるのに、いきなり斬りかかってきたのは皇女のお姉さんだろ?」
背後から突然現れた俺に、ネルズィエンが慌ててとびのいた。
「サンヌルと名乗っていたな……。その面妖な術は闇魔法か? サンヌルでまともに魔法を扱えるものなどほとんどいないと言われているはずだが……」
「みたいだね。おかげで、未開拓の魔法がたくさんあって楽しいよ」
「おまえの両親――ブランタージュ伯夫妻はいずれも複合魔法の使い手だと聞いているが……とんだバケモノを生んだものだな」
ネルズィエンは、壁を背にして、こっちに炎の剣を向けている。
三徹明けではあるが、戦士としての本能が、背後を取られることを嫌ったようだ。実際、正解ではある。
「説明するって言ったからね。まずは、いまの状況を説明してあげよう。何から聞きたい?」
「何を悠長な……いや、構わんか」
皇女は苛立った声を上げかけたが、すぐに思い直したようだ。
これだけどったんばったんやってるんだから、間もなく部下がやってくると思ったんだろう。
「では、この妖術……われらの眠りを妨げているのは貴様の魔法で間違いないのか?」
「そうだよ。光闇混成魔法《不夜城》。この街に張り巡らせた陰のネットワークを用いて、対象に『目をつむるとまばゆい光が見える』と錯覚させる魔法だ」
「錯覚、だと? 気のせいだというのか?」
「気のせいとは違うかな。実際に光はないわけだけど、あたかもまぶしい光を当てられたように感じるってこと。お姉さんも散々味わったと思うけど、それだけで眠ることもできなくなる」
万一眠られた場合でも、すぐに叩き起こせるよう光魔法を仕込んであるけど、そこまで説明する必要はない。
「……いまランペジネにいるわららの兵は四千を超えている。そのすべてにその術をかけたというのか?」
「その通り」
「どうやって!? 宮廷魔術師が束になってもこんな真似はできん! そもそも、光魔法と闇魔法の複合魔法だと!? そんなものは皇帝陛下ですらご存知ないはずだ!」
「複合魔法じゃないよ。混成魔法だ」
「なんだと? 何が違う?」
「世の中の複合魔法ってやつは、二つの魔力を強引に混ぜ合わせただけのものだ。お姉さんはジトヒュルだから、火と風の複合魔法――着弾と同時に火炎の竜巻を起こす『フレイムピラー』あたりは使えるんじゃないかな?」
「馬鹿にするな! その程度は基礎中の基礎だ!」
「俺に言わせれば、世の中の複合魔法は、基礎中の基礎ですらないんだよね。二つの魔力を『隔離』して魔法回路に組み上げるってことすらやってないんだから。二重属性に当たりとハズレが出てくるのもそのせいさ」
「な、何を言っている……?」
「俺の混成魔法は、二つの魔力を単にごちゃまぜにしてるじゃない。それぞれの魔力を隔離し、回路へと組み立てて魔法にしてる。ちゃんと設計図を引いた上で魔法を構成してるんだ。だから、これだけ大規模な魔法を維持できるってわけ」
「そ、そのようなことが可能なのか!?」
「相当難しいことは事実だね。魔力を体内で練るのは相当にストレスがかかるみたいだから。父さん母さんに教えた時も、何度も音を上げそうになってたし。高位の魔術師でもそうなんだから、一般に知られてないのも無理はない」
「貴様は……そんな高度な魔法を街全体に発動しながら、さっきは私の攻撃を影に潜り込んでかわしたというのか……」
「へえ。よく見てたね。徹夜明けなのにすごいや。やっぱり万全のコンディションで戦わなくてよかったよ。
さて、もう質問はいいかな? 今度はこっちから聞きたいんだけど……」
「貴様に答える義理はないっ!」
ネルズィエンが炎の剣で斬りかかってくる。
「やれやれ」
俺は、自分の背後に灯りを生んだ。
自分の影が伸びてネルズィエンにかかる。
「『影の触手よ』」
俺の言葉とともに、影から無数のチューブのようなものが湧き出した。
漆黒のチューブが、ネルズィエンの身体をからめとっていく。
「くそっ!? なんだこれは!? 離せ、卑怯者め!」
「卑怯卑怯って、人の話を聞くだけ聞いて自分は話さないお姉さんのほうが卑怯じゃない?」
「貴様が勝手にしゃべったんだろうが! うぁっ!?」
影の触手をコントロールして、ネルズィエンの両腕を、頭の上に吊り上げる。
豊満な肢体に触手がからみ、皇女殿下の見事なプロポーションが強調される。
そんな身体をくねらせながら、ネルズィエンは触手から逃れようと必死にもがく。
「くっ、身動きが……!? ならば、『炎の――」
「『闇の刃よ』」
俺は、漆黒の剣を生み出した。
その切っ先を、ネルズィエンの首筋に当てる。
ネルズィエンが動きを止めた。
「動かないでよ? 情報なら将軍さんから聞いてもいいし。聞いたこともない国の自称皇女を、生かしておかなきゃいけない理由は俺にはない」
ネルズィエンが、俺をキッ!と睨みつける。
そして、はっきりと言った。
言ってしまった。
あるいは、言ってくれた。
「――くっ! 殺せ!」




