第6話【由美と私と】
香織は、今日の注意事項や時間割の説明について話し始めた。
特にいつもと変わった様子はない。
みんな軽く聞き流す程度に話しを聞いていた。
陽菜は、端っこの一番後ろの席であることを利用して、今朝のことを振り返っていた。
−−そういえば…、あの家…
ものすごく気になる!というわけではないが、またあの家に行ってみたいな、と陽菜は考えていた。
あんなところに同じファンがいたなんて…!!
陽菜は悔しいような、それでいて少しうれしいような、そんな不思議な感覚に満たされた。
…同じユキファンがいた!!
どうせなら、知り合いになりたいなぁー…。
ほくほくとした気分で考えを膨らませていく。
−−でも…どうして今まであの家に気がつかなかったんだろう?
陽菜は至極当たり前な疑問へとたどり着いた。
別に遠いってわけじゃないんだけどなぁ−−…。
陽菜ははぁっ、とため息をつくと、窓の外に目を移す。ポカポカと照らされた陽気に、輝く視界。学校の外にある木々の木漏れ日がきらきらと差し込まれてきた。
ぱっと見たら美しい景色だと思うかもしれないが、陽菜にとってはただの見慣れた風景でしかない。
−−あーあ、なんかつまんないな…。
陽菜は急速に、先程までの穏やかな気持ちが失われていっていることに気がついた。
あの家のこと考えてる間は楽しかったのに……。
陽菜は自分で自分が分からずにいた。
−−私どうしたんだ??
…と、そこで陽菜は頭に、ぴしっと痛みを感じた。
「いつっっつ!!」
「そこ!話し聞いてんのか?渡瀬!」
香織の声色が教室中に響き渡った。陽菜は驚きを隠せずにいながら、遠くで睨んでいる香織を見返した。
机の上にころころと転がっているチョークが目に入った。どうやらあれが頭に当たったらしい。
「…ったく、話しくらい聞かないか…」
そうため息をつきながら、香織は再び話しを始めた。その間にチョークをじっくりと観察する陽菜。
−−いったぁ!!
ってか、あんなところから狙ってくるなんて…コントロールすごっ!!
陽菜が軽く感心していると、くすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。
陽菜はぐるりと辺りを見渡すと笑いをこらえられずにいる、由美の姿を発見した。
−−後で覚えとけよ…!!
陽菜は由美に復讐することを決意した。人はこれをただの八つ当たりという……。
「…だからゴメンって!!」
由美は手を合わせながら陽菜に謝っていた。陽菜はつーんとそっぽを向いていて、怒っているような顔をしている。香織の話しが終わり、由美が陽菜の席に来た時から、陽菜はずーっとこの調子でいた。
「はーるーなー!!」
由美はもう半ベソをかいている。
もともとそこまでは怒っていなかったので、許してあげることに決めた。
「さっき私のこと笑ったからだよ!!天罰だ、天罰!!」
べーっと舌を出すそぶりをする陽菜。
由美は、やっと許せてもらえたと顔をほころばせた。
「だって…陽菜の反応楽しかったんだもん」
「あ!そんなこと言うならまた無視してやる!」
陽菜の言葉に由美は慌てながら、
「冗談だってば…!! ところでさ、…なんで今日遅刻したんだっけ?」
と話題を変えた。
陽菜はどうも腑に落ちない気分ではあったが、渋々と今日の出来事について話し始めた。
「なんか…面白そうな話しじゃない?」
陽菜は、今朝見つけた猫と家と、そしてユキの曲が流れてきたことについてを話した。しかし陽菜は先程感じていた、家に対する不思議な気持ちまでは伝えなかった。由美に話すと、厄介なことになるのは、目に見えているからである。
…その理由は、すぐ後にわかるだろう…。
とりあえず…、話しを聞き終えた由美は、ほぅとため息をつきながら、先程の言葉を陽菜に向けたのだ。
「そっかなぁ?」
「もし!相手が女なら−−友達になれるかもしれないでしょ?」
「うん」
陽菜の問いに素直に頷く陽菜。
「もし!相手が男なら−−」
そこで由美は、わざと間を開けた。
「恋できるかもよ?」
陽菜はやれやれとため息を尽きながら尋ね返した。
「…私と由美があんなに憧れてる?」
「私と陽菜があんなに憧れてる」
由美は頷く。
「あの胸が苦しくなるっていう?ご飯も喉に通らないっていう?あの少女漫画の定番の『恋』?」
「そう」
由美はさらに深く頷いた。
「その『恋』」
−−私が…『恋』??
「あははっ!!」
由美の真剣な顔を見たら、陽菜は思わず笑ってしまった。
「ありえないって!!」
「なんでそんなこといえるのよー」
由美は口をへの字に曲げる。そんな由美をよそに、陽菜はまだ笑いが止まらずにいた。
「そんな少女漫画みたいな展開がーーそうそうあるわけないでしょ!!」
「そんなこと…分からないじゃない…」
由美は口を尖らせながらぼそぼそと呟く。
先程陽菜が由美にあの気持ちを言わなかったのには、こういったことになると考えたからである。由美は陽菜に『恋』をさせたがる。自分も彼氏がいないくせに、そんなことよりも陽菜が『恋』をしてくれるほうを願っているのだ。由美もまた、自分が『恋』の第三者の立場だと思っているのである。
由美の機嫌が悪くなったのを察知した陽菜はひとまず笑うのを止めた。しかし顔がまだひくひくとしていて、それがかえって不気味な様子となっていた。
−−こーの、乙女思考が…!!
陽菜は心の中で由美に悪態付きながら、やれやれと口を開いた。「私が恋なんてできるわけないでしょ!!…由美がー恋してます!!っていうならわかるけど…!!」
由美は同性の陽菜から見ても憧れる存在であった。
美人で優しく、スポーツ万能で頭もいい。
テストで、学年三百五十人中、毎回十位以内をキープしているし、同じ女子サッカー部で、陽菜とともに一年から今までずっとレギュラー入り。ポジションはMF。司令塔で、キャプテンも任されている。月一で告られることは当たり前。入学時もいろんな部から、マネージャーにならないかと勧誘がきたほどに美人で気が利く。
そして本人の最大の魅力は、それを本人が自覚していないということである。三年間、ずっと友達を続けてきた陽菜だからこそそれは断言できる。
由美は自分で自分を作っていない、天然素材なのである。
「あたしが?あたしが恋できるわけないでしょ」
由美は笑顔で否定した。由美もまた恋をしたことがないのである。
−−ああ、この無意識な笑顔に男はやられるのか…。
と陽菜は一人で納得した。
−−私が男なら確実に惚れてるな…。
「寧ろ私の方がありえないっつーの」
陽菜はやれやれとため息をついてみせた。
「あんたねぇ…」
陽菜が話しを続けようとした時だ。
「なんの話ししてんのー?」
低いけれど、はっきりとした声が陽菜の背後から尋ねてきた。
陽菜はぴくりと眉を動かすと、後ろを振り返ることなく、
「あんたに言ってないから、洋一」
と冷たく言ってのけた。