庭の紅葉(著:帽子屋
田舎に住む母の突然の訃報を受けて、私が数十年ぶりに帰郷したのは秋も深まり山の木々が燃えるような赤に変わった季節のことだった。
飛行機と電車を乗り継いで母の元へ辿り着いた頃には、先に到着していた弟と叔父によって既に葬儀は始まっていて、家の門を覆うような黒白の鯨幕は非日常な空間を作り出している。改めて母を失ったということを実感させる。
母と親しくしていた近所の人の話によると庭に面した日当たりのいい部屋の中でまるで昼寝でもしていたかの様に横たわり、眠るようにして死んでいたという。
私が都会に就職し、弟が地元で結婚して少し離れた場所へ家を建ててからは母はそれなりに広い家に一人で暮らしていた。こんなに急な別れになるくらいならばもっと帰ってくれば良かったと呟くと、それを咎めるように弟が視線を寄越した。
その晩、母の遺品を片付けながら今後について話し合った。殆どは私と弟で分けるとしてこの家はどうするのか、弟はもう戻ることもないだろうから売りに出そうと言う。特に反対する理由もなかったので、 それでいいんじゃないか?と私が答えると弟は一度手を止めてどこか非難がましい口調で兄貴はいつも人任せだなとぼやくと背を向けて遺品の整理を再開した。
その晩は弟とは一言も口をきかないままに就寝した。
翌朝、やけに早く目が覚めた私は外の空気でも吸おうと縁側に出た。そこには弟の姿があり、弟はどこか呆然としたように庭を一心に見つめている。どうしたと声をかけると、弟はある一点を指差して、紅葉があると呟いた。
指の先を眺めると、庭の片隅に植わっていた楓の木が赤く色をつけていた。私も弟の隣で息を飲んでそれを注視した。何せその楓の木は私の小さな頃から植わっているのにその葉はいつも緑色で、赤く染まった所など見たことは無かったからだ。
母さんが仲直りしろって言ってるのかもな……と弟に投げ掛けるとそうかもしれない、と気の抜けたような返事が帰ってきて、私はそのおかしさに久しぶりに声を上げて笑ったのだった。
そして、私は次の日には仕事という事もあり、数冊の母の蔵書だけを持って夕方には自宅へと戻った。少しだけ晴れやかな顔になった弟へ、またそう遠くないうちにくると言葉を投げ掛けて。
家に戻り、蔵書を書斎本棚に並べていると本にに紛れて数冊のノートが出てきた。そういえば母には日記を書く習慣があったなと思い出しながらそっと日記の表紙を開く。
最初に目に飛び込んできたのはいろとりどりのクレヨンで、ひらがなと誤字の多い大きな字でページいっぱいに書かれた……どうやら子供の頃の母の日記らしい。
―――今日もおにわのもみじはみどり色のままです。ことしも赤くならないのかなぁ……
あぁ、あの紅葉は昔からそうだったのか。
―――えん足で山にのぼったときに神さまに会いました。神さまは小さくてかわいくてわたしの手のひらできゃらきゃらと笑っています。わたしのおうちにこない?と聞くとうん!って言ってくれたのでいっしょにおうちに帰りました
でもおかあさんにはみえないみたい。
―――神さまとおやくそくしました。おにわのもみじをおやまのもみじみたいに赤くしてくれるっておやくそく!でもすぐにはダメっていわれました。あーあ、早く赤いろにならないかなぁ。赤いろはわたしのいっとう好きないろです。おかあさんも好きっていってました。
―――神さまはしっぽがはえています。先がとがっててさわるとチクッとするの。
可愛らしくどこか脈絡の無い、子供の空想を具現化したような内容に母にもこんな時期があったのかと微笑ましく思いながら次の一冊を開いた。
そこにはそれまでとはうって変わって丁寧な字体で私と弟の成長の記録が記されていた。子供の頃の私のおねしょの事まで記してあり、きまりが悪くなってその日記はすぐに閉じてしまった。
次に手をとったのはまだ真新しい日記帳だ。その日付はまだ新しく、まだ書けるところがある日記の一番最後に記されたページには、
―――神様も死んでしまうのね。ちゃんと埋めてあげないと
母の日記はそこで終わっていた。その日付は母の死ぬ前日の日付だった。
私は何故かふと、桜を題材にした小説の内容を思いだした。その小説の中で桜の木の下には死体が埋まっていてその腐乱した液を吸って美しく色付くのだと登場人物が語っている。
ならば、あんなにも突然に深紅に色づいた母の家の紅葉の下にはいったい何が埋まっているのだろうか。これまで赤く染まった事など無い筈の、我が家の紅葉。日記には神様だと母は記しているが、本当にそれは神といえるモノだったのだろうか。弟は母が仲良くしろといっているのだと思ったようだがでもしかし……
ただの空想だ、母の日記を見てしまったから毒されたのだと一笑に伏そうとした私は背中にうすら寒い物を感じ、日記帳を閉じた私の視界の端にあるものが留まった。
それは見事な程に深紅に染まった……そう、まるでたった今拾ってきたばかりのような色の紅葉の一葉だった。