10
日が傾き、空が赤く染まる頃。俺たちは商業ギルドの受付横で、かれこれ20分ほど立たされていた。エレナは自然体に立ち魔力を循環させる訓練を、俺は後ろ脚で立たされ前足の肉球をぷにぷにされている。何度も「エレナと待遇が違うんだが?地味にこの体勢はキツいのだが?」と目で訴えてみてもカミラさんはどこ吹く風である。ちなみに10分ほど前、
「カミラさーん。そろそろ背中と足と首が痛いんだが?」
「ダメよ。エレナが出来るようになるまでそのままよ。」
「……いつ頃終わりそうなんだ?」
「…………エレナならすぐよ。」
「すぐじゃないよな?目を逸らさず言ってみ?」
「……あーひんやりぷにぷにー。」
と聞いたのだ。取り合ってくれない。こうなった理由が「戦闘経験のないエレナを危険に晒したから」なだけに甘んじて受けているわけだ。まぁ、体勢が崩れた時は手で支えてくれる辺りカミラさんは優しいのだが。エレナは俺とカミラさんが気になるのか全く集中できていない。あれは時間がかかるな。さり気なく黒球にもたれ掛かり楽をしつつ、時間をつぶそう。
しばらくするとリーネが図書棟から歩いてきた。エレナに助言して魔力循環が少し上手くなったあたりでカミラさんの手が止まった。
「エレナ、その感覚を忘れないでね。今日は訓練終了よ。」
「はい……あー疲れたぁ。」
「循環もできずに戦闘訓練は出来ないわよ?」
「……はーい。」
「さてと、もうすぐ交代の時間だけど、あなたたちはどうする?帰るなら送っていくわよ?」
「今日に限って何か……倉庫絡みで、ですか?」
「ええ、そうよ。マスターの指示が出ているし宿舎にも兵士が立っているわ。」
「と言うことは……沐浴はできないですね……。」
どうも外出時は複数で行動する事と残業が増えるらしい。沐浴は宿舎裏の井戸付近で水を浴びるのだとか。夏は良いが冬は寒くて大変だろうな。風呂はないのだろうか。壁にもたれて座ったエレナに聞いてみる。
「エレナ、風呂は無いのか?」
「フロ?フロって何?食べ物?」
「温めた水を大きな容器に入れたものを言うんだが……。」
「あ~。あるよ、貴族の屋敷では数人がかりで温めて入るみたいだけど。私たちの宿舎には無いかな。入ってみたいけどね。」
どうやら風呂は手間がかかるらしい。木も水も温めるのも全て人力なのだと。自然に湧いている温泉でもあればと聞いてみた。この世界にも温泉で有名な町があると教えてくれた。かなり寒い地域のようだ。雪を見ながらの温泉も良いな。でも行くまでが大変そうだ。片道1か月以上もかかる上に、国交のない国をいくつか越えなければいけないらしい。
「エレナは温泉とか入ってみたいか?」
「そりゃあね。冷たい水を浴びたり、体を拭くのが辛い時期もあるし。」
「カミラさんは温泉に入ったことあります?」
「あるわよ。昨日も入ったもの。」
「へぇーあるん……え?昨日?」
「どうしたの?」
カミラさんの言葉に固まるエレナは置いておいて。カミラさんに聞くと、本部の地下には温泉があり資格保有者にのみ入ることができるらしい。エレナに教えなかった理由は「教えたら絶対に駄々をこねるから」だそうだ。案の定というのか、エレナはしばらく駄々をこねてはカミラさんにチョップを貰っていた。カミラさんやリーネがつけている飾りには色々と優遇される者という意味合いがあるようだ。エレナは目標を温泉に決め、今まで以上にがんばるのだそうだ。現金な奴だな……。まぁ目標があるのは良いことだな。
カミラさんと俺が生暖かい目でエレナを眺めていると、リーネがエレナに聞く。
「エレナはマスターから、お小遣いもらってるよねー?職員用なら入れるんじゃないかなー?」
「ぅ……。」
「もしかしてー。」
「ぅぅ……。」
「食べ物にー。」
「ぐぬぬ……。」
「使い切って、誰も貸してくれないから困ってるー?」
「……きゅぅぅ。」
エレナがリーネにいじられ床に指で「の」を書き泣きマネをしている。カミラさんは額に手を当て、ため息をつく。リーネは一頻り楽しんだ後、受付に歩いて行った。俺はエレナに話しかける。
「とりあえず飯でも食べたらどうだ?」
「……うん、たべるぅ。」
「言っておいてアレだが、良い根性してるよな?」
「お腹は減るんだよぉ。」
はぁ。俺とカミラさんが同時にため息をつく。エレナが落ち込んだら食べ物で釣ろう。謎の決意を俺がしているとカミラさんが顔を寄せて言う。
「エレナは食べ物で釣ると、すごく食べるわよ。」
「……ちなみにどのくらい?」
「露店が品切れになるくらい。」
「マジかよ。」
カミラさんに促されエレナが立ち上がるとケロっとしていた。やっぱウソ泣きだ。カミラさんと一緒に俺たちは宿舎に戻る。カミラさんがさり気なく露店で串焼きを買ってくれて、ハラペコエレナは目を輝かせていた。
宿舎前で警備をしている兵士にあいさつをして宿舎に入る。さすがに宿舎内に兵士はいないようだ。
宿舎に入ってすぐに、カミラさんが俺たちの方を向いた。
「エレナ、明日は休みだけど外出は複数人で、するのよ?」
「はーい。」
「……キツネさんはどうするのかしら?エレナと一緒に行動する?」
「そうだな……なんか不安だし一緒にいるよ。」
「あれ?私、心配されてる?」
良く分かっていないエレナを無視して、カミラさんに手を振って階段を上っていくと、エレナも俺を追いかけてきて、一緒に部屋に入った。
薄暗い部屋を進み、俺はベッド横に陣取り丸まって休む。エレナも着替えて寝間着になるとベッドに腰掛けた。
「さて、エレナ。」
「ほいほい。」
「飯はさっきの串焼きでいいかも知れんが、洗濯とかは良いのか?」
「あ……。まぁ、明日洗うよ。……ふぁ。ちょっとだけ寝てから考えるよ。」
「そうか、おやすみエレナ。」
「うん、おやすみ。」
エレナが横になり寝入るのを待っていると、エレナが起き上がり徐に俺を抱き上げるとそのまま再度横になった。どうやら俺を抱き枕にするつもりらしい。エレナは俺の背に顔をうずめ、寝ようとする。
「エレナ、どうした?」
「……今日は、ありがと。」
「礼を言われるような事をしたっけか。」
「キツネさんがいなかったら、多分私は森に入れなかったと思うから。」
「そうか。」
「……聞かないんだね。何で森に入らないのか、とか。」
「言いたくなったら聞いてやるさ。それよりも、だ。」
「何?」
「エレナ、におうぞ?」
「……そういうのは出来る限りやんわりと教えて欲しかった……。そんなに臭う?」
「ツーンとするくらいには。」
「……。」
エレナは自分の腕や胸元を引っ張り臭いを嗅ぐと、まゆのあたりにしわを寄せた。薄目を開け、俺を抱く力を少し緩めてくれる。拘束を解かれた俺はエレナに向き直り、ばつの悪そうな顔をするエレナに事実を突きつける。
「エレナ、今更だが昨日も臭かったぞ?」
「え……そう言えば昨日身体拭いたかな……。うわぁ……今日一日臭かったのかな……。」
「エレナが寝静まった後にキレイにしたから、朝には臭ってないはずだぞ。」
「……キツネさんは掃除の時も魔法使ってたね。ありがと。」
「まぁ、そんなわけで今日もキレイにしておこう。」
「あ、はい。……ほぁ、ありがと。」
黒球によってキレイになったエレナは、やはり疲れがたまっているようで。再度、俺を抱き寄せ眠り始めた。仕様がない、しばらくすれば腕の力も弱まるだろう。エレナの寝息を聞きながら今日の総括をする。
商業ギルドについて。
商業ギルドの倉庫は外部からの侵入の形跡は無かったようだ。外周を見ただけなので、屋根などは見ていないだろう。明日には何か分かるかもしれない。
黒球について。片目を開け、近くをふわふわと浮いているそれを見る。
いまだに何なのかサッパリだな。「言えば何かしてくれるボール」程度の認識しかない。俺を守ってくれる。カミラさんが言うには俺から魔力が流れているらしい。残念ながら俺には見えない。力んでたら見えるようになるだろうか……いや、カミラさんにでも方法を聞いてみよう。
今後について。エレナの寝顔を見ながら考える。
この世界に来てしまってから数日、自身が動物になるという素敵体験真っただ中なわけだ。言葉が通じるのは良いが、この姿のために街に入るのさえ大変だ。まぁ飯の要らない身体になったのだから旅はしやすいか。倉庫の件が落ち着いたら出ることにしよう。
ここまで考えたところでエレナが少し動く。かわいい子だ。元の世界でエレナのような女の子と出会うことは無いだろう。ギルドの見習いでドジをしつつも頑張っている。良い先輩にも恵まれているしギルド員として成長していくことだろう。……おっと、親のようなことを考えてしまった。頭を振り考えをやめる。エレナから離れ、窓の前に座り月を見ながら考える。
さて、他に考えておくことは……戻る方法か。
こっちに来た時は、あっという間だった。戻るにしても何から手をつければ良いのか見当もつかない。大きな図書館で調べるか色々知っている老人に聞くかだろうか。魔法がある世界だ。何かしら方法はあるのだろう。
分からない事ばかりだな、とため息をつきベッドに戻る。エレナの側で丸くなり休むことにする。しばらくするとエレナの腕が俺を捉えるが振り払うわけにもいかず、エレナを至近距離で見ながら朝まで過ごすことになった。
エレナは横を向いて寝ている。整った顔に綺麗な髪、きらめく口元と僅かに酸味の効いたスメル……。
「ん?……おいおい、まじか。」
じわり、じわりとエレナの口元から俺に向かって這い寄る悪魔。朝までの悪夢に少しだけ泣きそうに……。
あ……しみてきた……。
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