落陽の頃に
「ねぇ、人が死ぬってどういうことだと思う──?」
放課後の教室。彼女は窓際の席に一人足組みをしながら座っている。首元のやや下で切り揃えた黒髪が、外の夕暮れ下がりの空と馴染んで妖しく見える。
突然の質問が喉の奥の言葉を詰まらせる。外から鴉の声が遠く聞こえたような気がした。
「人は生まれながらに死に向かって歩いていく。金持ちも貧乏人も、大罪人も聖職者も、必ず死ぬ。じゃあなんで人は生きるのかな──」
俺の存在に気付かないかのように彼女は続ける。
「産声を上げてから心臓が動きを止めるまでの七十年、人は様々なものを産み出す。悲しみも、喜びも、怒りも、慈しみも。そして愛も。誰かを愛して、その愛を子供に託して笑顔で死んでいく」
「関わった色んな人に惜しまれながら、死んでいく。けどね、ある人は言うの。死人はその身は焼かれ、骨だけになって土の下に埋められようとも、みんなの記憶のなかで生き続ける。死んでいるのに生き続けるんだよって。それって不思議じゃない?」
彼女はゆっくりと、しかししっかりとした口調で滔々と言葉を紡ぐ。
「人が死ぬって──なんだろう。心臓が止まったときに死ぬのか、誰にも思い出されなくなったときに死ぬのか。なんて、誰もわからないのだけれど」
「あなたは人が死ぬときっていつだと思う?心臓が止まったとき?それとも…?」
濁ってはいない、むしろ輝いている彼女の双眸の奥に、黒よりも黒い漆黒の海が広がっているように見えた。
その双眸は俺を捉えて離さない。
「俺は…人は死なないと思う」
虚を衝かれたのか、彼女は瞳を丸くさせる。
「心臓が止まろうが、骨だけになって墓に埋められようが、記憶からいなくなろうが…その人が存在していた場所がある。声を響かせた場所がある。悲しんで、喜んで、時には誰かを愛した場所が、この世界のどこかにある。その場所があるかぎり人は死なないし、消えない。俺はそう思う」
深い藍が夕焼けの空を巻き込んで地平線へと沈んでいく。夕でも夜でもない時間が教室を包む。
僅かばかりの沈黙のあと、彼女が言う。
「貴方、おもしろい考え方するのね」
ニヤッと彼女が笑う。吸い込まれるような白い肌と淡い桃色の唇がとても艶やかで、思わず見とれてしまいそうになる。
「私もね、人は死なないと思うの。貴方とは少し考えが違うけど、人は自らの鼓動が止まったときにまた新たな命になると思うの。死後の世界を、長い長い時間をかけて廻って。自分の産み出したものすべてを清算するためにね。その清算が終わったら、またこっちの世界に戻ってくる。だから人は死なないの。またこの世界に戻ってくるから────」
まるで実際に死後の世界を廻ってきたかのように。何度も何度も自らの過去を清算してきたかのように。朱と藍が混じった空を眺めながら、彼女は紡いだ。その物憂げな姿が、彼女の今までを語っている。そんな気がした。
「私、もうそろそろ行かなくちゃ」
彼女は腰かけていた机から身軽な動きで下りると、教室の出口に向かって歩き出す。
「お、おい…」
彼女は何者だろうか。見るものすべてを虜にしてしまうような肌と唇。すらりと伸びたなめまかしい脚と腕。そして、すべてを悟ったような漆黒の双眸────。
ドアのところまで来たときに、彼女はこっちを振り返る。妖しくも麗しい黒髪が僅かな余韻を残して舞う。
「もっと貴方と早く出会いたかった。そしたら、この世界ももっと明るかったのかも。なんて」
彼女はもう一度笑った。さっきとは違う笑顔で。俺を見つめる瞳の中の海が少し波立ったようにも見えた。
その時、ふと俺は感じる。もう彼女とは会えないのではないか。夜が空を覆う前に、彼女に聞かなければ。君は何者で、どこから来て、そして────
「大丈夫。また会えるから」
ふと、強い秋風が教室を駆け抜ける。彼女がいた場所はもうすでに埃のついたフローリングが何事もないように広がり、俺の伸ばしかけた腕の影を映していた。この世界に、彼女はいない。だが彼女のいた場所は存在する。
彼女はきっと、彼女としてはもう二度と会えないのだろう。彼女はこれから"死ぬ"のだ。人として、自ら死を選ぶのだ。だが彼女の話が本当ならば、また会える。長い長い時間がかかったとしても。その形を変えようとも。俺はそのときにこう言うんだ。物憂げに空を見つめる君に。
「君の名は────」
窓の外からは、夜を告げるように街灯がちらほら輝き始めていた。
こんな駄文を最後まで読んでいただいてありがとうございます…!
この作品は映画「君の名は。」と「誰そ彼時」を僕なりの解釈で物語に落とし込んだものです。なので最後の台詞は完全に映画に影響されており、パクリではなくオマージュ作品として楽しんでいただけならな、と。
死について考える"彼女"のミステリアスな雰囲気と、それに飲まれる"俺"のやりとりを、その場にいるような視点で読んでいただけたら幸いです。
それではまた、どこかでお会いしましょう。