韋駄天の水雷戦隊
長らくお待たせいたしました。高速戦艦“紀伊”を主人公とした本作品、今回で完結となります。
と、言いつつ。最終回は水雷戦隊の戦いですが。
これまでで一番長い話となっております。どうかご了承くださいませ
「“紀伊”、砲撃を再開しました!」
見張り員の声が軽巡洋艦“神通”の艦橋に響く。各砲塔の一番砲をもたげ、交互撃ち方を再開した“紀伊”を自らの艦が上げる飛沫の向こうに見つめて、田中頼三少将はジッと機会を窺っていた。
―――狙いは敵二番艦だろうな。
“紀伊”はつい数分前に敵一番艦を撃沈した。その砲門を、新たな敵に向けるとすればそれは、“尾張”の相手取る敵二番艦に対してだろう。早急な決着を、第二戦隊は望んでいるのだ。
―――こちらも、本格的にかかるか。
チラリと、田中は“神通”の左舷前方を見遣る。丁度その時、目標とする敵艦が再び主砲発射の砲炎を迸らせた。そこには、いくらかの苛立ちが見て取れる。
「敵三番艦再び発砲!続いて四番艦発砲!」
見張り員の報告から十数秒後、鋭い弾丸が空気を切り裂いて襲いかかる音がした。六インチ砲弾が海面を叩き割り、飛び散った海水が“神通”の甲板を濡らす。どうやら二隻の“ブルックリン”級は、“神通”以下の二水戦を脅威と判断し、その砲門をこちらへ向けてきたのだ。
いい兆候、と言えるのかもしれない。
田中はまだ、本気で突撃を敢行する時ではないと判断している。時宜はもうすぐ来る。水雷戦隊の本領は、その時に見せつけてやればいい。それまでは、敵にこちらを脅威であると認識させることが大切だ。
「全艦一斉回頭。取舵一〇、針路二二〇」
田中が各艦に下令し、“神通”の艦長もまた、転舵を指示する。“紀伊”や“尾張”のように排水量の大きくない“神通”以下の二水戦各艦は、すぐに舵が利き始め、艦首を左に振る。その合間を縫うようにして、二隻の“ブルックリン”級から放たれた六インチ砲弾が水柱を上げた。
「“羽黒”と“那智”の様子はどうだ?」
巡洋艦部隊を相手取っていた三隻の“妙高”型重巡洋艦のうち、いまだ健在な二隻の様子を確認する。見張りからはすぐに返事があった。
「“羽黒”は、目標を敵三番艦に変更しています。“那智”は現在も敵二番艦と交戦中」
報告に頷いて、田中は前を睨んだ。
いささか早いだろうか。だがこれ以上待っても、無駄に時間を浪費するだけかもしれない。水雷戦というのは、一撃必殺ゆえに勝負は一度きりだ。時宜を待つ忍耐も必要だが、潔い決断も時として重要となる。
―――是非もなし。
田中は、自らの奥底に宿る水雷屋としての勘を、全面的に信頼することにした。たとえいかな敵が立ちはだかろうと、全霊を捧げて乾坤一擲の突撃を敢行する。退くことなどない。それを成し遂げられるだけの猛訓練を、田中指揮下の二水戦は積んできたのだ。
「始めようか、艦長」
田中の横に立つ“神通”艦長、河西虎三大佐が、不敵な笑みと共に頷いた。
「はっ」
六インチ砲弾が、再び弾着の水柱を上げる。“神通”と同じ軽巡洋艦に分類されているとはいえ、それはあくまで主砲の口径の話だ。“ブルックリン”級の強さは、先の“妙高”との戦闘で証明されている。真っ向から挑んでは、“神通”に勝ち目はなかった。
その代わりに。“神通”には、あらゆる艦船を一撃のもとに撃沈することのできる、必殺の兵装が備えられている。それを、敵艦のどてっ腹に叩き込むべく、田中は二水戦にさらなる転舵を命じた。
“神通”を旗艦とする第二水雷戦隊は、第八駆逐隊(“朝潮”、“大潮”、“満潮”、“荒潮”)、第十五駆逐隊(“黒潮”、“親潮”、“早潮”、“夏潮”)、第十六駆逐隊(“初風”、“雪風”、“天津風”、“時津風”)、第十八駆逐隊(“霰”、“霞”、“陽炎”、“不知火”)の計四個駆逐隊で構成されている。この内、第八駆逐隊は船団護衛任務のため離れており、現在“神通”に続行しているのは三個駆逐隊十二隻の最新鋭駆逐艦である。
みな、士気は高い。開戦早々、自らが磨きをかけてきた水雷戦の能力を存分に発揮する機会に恵まれたのだ。誰もが、「米海軍に一番槍を叩きこむのは俺たちだ」と意気込んでいた。
田中の指示で転舵した二水戦各艦は、綺麗な単縦陣を保って突撃を敢行する。それを阻止するべく、二隻の“ブルックリン”級がさらなる砲煙を上げ、六インチ砲弾を雨霰と降りかける。
障害となるのは、敵巡洋艦だけではない。敵艦隊に付き従っていた十隻前後の駆逐艦もまた、二水戦の突撃を阻止しようと、前面に展開する。
数多の六インチ砲弾と、敵駆逐艦。二水戦が雷撃を成功させるためには、二つの壁を乗り越える必要があった。
「左砲戦用意!各艦各個に目標を捕捉!」
牽制の弾幕を張るべく、田中が命じる。“神通”でも、左舷に指向可能な六基の一四サンチ単装砲が旋回し、手ごろな敵駆逐艦に砲門を向けた。
「撃ち方始め!」
河西が叫び、“神通”の主砲が咆哮する。花火を打ち上げるような炸裂音が腹に響いた。六つの火箭が、敵駆逐艦へと飛翔していく。
「十六駆、撃ち方始めました!」
「十五駆、撃ち方始めました!続いて十八駆、撃ち方始めました!」
「敵駆逐艦発砲!」
全ての報告が、ほとんど同時だった。“神通”の一四サンチ砲弾が先頭の駆逐艦正面に水柱を噴き上げると同時に、五インチ砲弾の軽やかな飛翔音が迫って右舷に落下する。六インチ砲弾よりも一回りほど小さな水柱が上がった。
それから数拍を置いて、今度は六インチ砲弾が弾着した。メートル法換算で一五・二サンチの口径になる砲弾は、“神通”の一四サンチ砲よりもわずかに大きい。しかし、たった一サンチだけの違いでも、砲弾の炸薬量は大きく変わってくる。弾け飛んだ海面は、容赦なく“神通”の甲板を打っていた。
負けじと、六門の一四サンチ砲も咆哮を上げる。大太鼓を叩くかのような砲声と衝撃が艦橋の窓を震わせ、それがまた、田中の闘志を掻き立てる。“神通”もまた、その闘志に応えようとしているかのように、老練な艦体を奮わせていた。
一四サンチ砲弾が落着するのと、“神通”が敵駆逐艦の五インチ砲弾に包み込まれるのは、ほとんど同時だった。お互いに命中弾はない。そもそも、超が付くほどの高速と急機動を繰り返す水雷戦隊において、砲撃を当てることは難しかった。
それでも、“神通”は三度砲炎を上げる。二隻の“ブルックリン”級や駆逐艦も同じだ。彼我の砲弾が入り乱れ、水柱が小柄な勇士たちを覆い隠す。独特の音を引きずる砲弾のスコールの後、まるで台風のように海面が泡立ち、水滴が降り注いだ。
「距離、一〇〇!」
見張り員から敵艦隊との距離が知らされた瞬間にも、五インチ砲弾が降り注ぐ。今頃、見張り員たちはびしょ濡れだ。それでも、“神通”の目として、鍛え上げたその索敵能力を発揮している。
「司令、投雷距離はどうしますか?」
横に控える河西が尋ねた。
「・・・五〇だ」
田中は仁王立ちのまま答える。九三式の足を考えれば、雷戦距離として妥当な距離と言えた。
敵艦の砲撃を受けながら進む二水戦が、五千メートルの距離を縮めるのにかかる時間を、田中は五分―――三四ノットの艦が五千メートル進むのにかかる時間とほとんど変わらないと見積もった。二水戦に無駄な動きはない。発揮しうる最大戦速で突っ込むことが、結果的に最小限の被害で最大限の結果を得られると、田中は考えている。
「敵駆逐艦に命中弾!」
戦いの推移を静観していた田中の耳に、見張り員の報告が届いた。空振りを続けていた“神通”の砲撃が、ここにきて命中し始めたのだ。砲術長は、すぐさま連続斉射を命じ、振り立てられた一四サンチ砲六門が一斉に咆哮を上げる。駆逐艦一隻など、あっという間に蜂の巣だろう。
「さらに敵駆逐艦に命中弾!十五駆です!」
「“羽黒”、敵三番艦を夾叉!」
命中弾の報告に続くようにして、次々と朗報がもたらされる。見れば、すでに一隻の駆逐艦が炎上し、二隻に命中弾によるものと思われる白煙が上がっている。最大戦速で突撃中にもかかわらず、素晴らしい砲撃の腕だ。田中は素直に感心していた。
二水戦を支援せんとする“羽黒”の存在もありがたい。帝国海軍の中で、“高雄”型と共に重巡の双璧を成す、攻撃力の高い艦だ。その砲弾が命中するだけ、二水戦への脅威は軽減される。
だがしかし、決して楽観視などできないことを、田中は次の瞬間に思い知らされた。
「“霞”に命中弾!」
―――喰らったか・・・!
隊列の一角、十八駆の司令駆逐艦である“霞”が、ついに被弾したのだ。それ以上の報告が上がってこないところから、被害はまだ小さいのだろうが、それでも投雷予定地点までたどり着けるかは怪しかった。何とか耐えてくれることを祈るしかなかった。
被害報告は続く。“霞”の次に被弾したのは、十五駆の“黒潮”であった。前甲板が抉られ、黒煙が噴きだす。
「敵駆逐艦、沈黙!」
「“霞”炎上!落伍します!」
“神通”の砲撃が敵駆逐艦を黙らせるのと、被弾に耐えられなくなった“霞”が速力を落とし始めたのがほとんど同時だった。この時点で、距離は八千。彼我共に、駆逐艦三隻に被害が生じていた。
「砲術、手頃な駆逐艦に向けて撃て!」
河西が砲術長に発破をかけ、次なる目標へとその砲門を開こうとした時だ。
「・・・っ!」
自らが乗る艦を襲った衝撃に、田中は声にならない呻きを上げた。距離が近づいたことで、敵艦の砲撃精度も増している。“神通”の艦橋を揺らしたのは、敵三番艦が放った六インチ砲弾であった。
冷や汗が伝う。次から“神通”を襲うのは、“妙高”を鉄屑の塊に変えてしまった、あの鋼鉄の暴風雨だ。艦齢が古く、装甲も薄い“神通”が耐え抜ける道理はない。だがそれでも、突撃を止めるわけにはいかないのだ。
「“雪風”轟沈!」
十六駆に所属する駆逐艦を貫いたのは、“神通”を捉えたのと同じ六インチ砲弾だった。運悪く次発装填装置に飛び込んだ砲弾は、そこに控えていた四本の九三式酸素魚雷諸共盛大に弾け飛び、貧弱な駆逐艦の装甲を引き裂いて竜骨をいとも簡単にへし折ってしまった。
雷撃の性能を極限まで突き詰めた、帝国海軍駆逐艦ゆえの弱点と言えた。
「敵三番艦斉射!」
見張り員の悲鳴にも似た報告が届く。“羽黒”の斉射を受けているにもかかわらず、“ブルックリン”級は堪えた様子すら見せずに、褐色の炎を噴き上げていた。反射で照らしだされるその艦影を、田中はただジッと、見つめているしかなかった。
それでも“神通”は咆哮する。測敵を終えた新たな敵駆逐艦に向け、指向可能な六門の一四サンチ砲が発砲した。
―――撃ち続けろ。
たとえここでこの“神通”が力尽きるのだとしても、せめて残った駆逐艦たちに、活路を開く。そんな決意を表すかのように、厳めしい砲声が響いていた。
だが、次弾装填作業が終わる前に、恐怖は始まりを迎えた。
甲高い風切り音が急速に迫ったかと思うと、打撃音とともに艦が震えた。衝撃は後部から襲い来る。全体重を両足にかけ、田中は艦橋に仁王立ちをし続けた。
被害が報告される前に、二度目の斉射が降り注ぐ。箱型の艦橋前にあった一四サンチ単装砲があっさりと吹き飛び、宙を舞う。その動きが、田中には妙に遅く感じられた。
「敵駆逐艦、四隻撃破!」
「“夏潮”被弾!」
「“不知火”に敵弾集中!落伍します!」
連続した報告も、続いて落下してきた第三斉射の音にかき消される。何かがひしゃげるような音が、艦橋からもはっきりと聞こえた。
およそ六秒後には、第四斉射が降ってくる。再び前甲板で閃光が走り、破孔が穿たれた。吹き飛んだリノリウムの残骸が飛び散る。
「敵駆逐艦、さらに一隻落伍!」
―――これで五隻か。
第五斉射の衝撃に足を踏ん張りながら、田中は頭の中で数える。敵駆逐艦は、確か十隻が報告されていた。その内の半数を無力化したことになる。
距離はいよいよ七千を切ろうとしている。しかし、残り二千メートルの距離が、途方もない壁のように田中には感じられた。
第六斉射が弾着の水柱を上げ、艦体を容赦なく抉る。金属のこすれるような異音は、“神通”の上げる悲鳴のようだ。それでもなお、艦は進み続ける。
「左舷雷跡!」
「何だと!?」
見張り員の叫びが艦橋に響く。二水戦を妨害するべく牽制の弾幕を張り続けていた残存五隻の敵駆逐艦が、最後の抵抗とばかりに魚雷を放ったのだ。彼我の距離は二千。到達までは一分と少ししかない。
「全艦一斉転舵!取舵一杯!」
「取舵一杯!」
田中が二水戦各艦に指示するとともに、河西が取舵を号令する。五千トン超の“神通”はしばらく惰性で進み続けた後、左に艦首を振った。
敵駆逐艦から伸びてくる魚雷が、艦橋からもはっきりと見えた。扇状に広がる白線の束を、田中は固唾を呑んで見つめる。
転舵したことで、相対位置が変わり、敵三番艦からの射弾も止んでいる。ある意味、幸いと言えば幸いだった。
「正面、雷跡接近!」
―――当たるなよ・・・!
やれることは最早ない。後は各艦が、この雷撃を避けてくれることを祈るばかりだ。
白濁の航跡が、“神通”の艦首と交錯し、見えなくなる。
「・・・雷跡、本艦を通過しました!」
「よしっ!」
思わず両の拳を握る。“神通”は、敵駆逐艦の雷撃を避けることに成功したのだった。
―――押し切れる。
田中は確信する。
しかし、状況を判断するには、いささか早すぎた。
唐突な轟音が響き、“神通”の艦橋を震わせた。何事か。田中が身構えると、見張り員が報告する。
「“早潮”轟沈!」
敵駆逐艦の放った魚雷は、運悪く“神通”に続く位置にいた駆逐艦に命中し、その艦体をまるでブリキでもあるかのように葬り去った。田中が聞いた轟音は、“早潮”の一番連管に装填された九三式魚雷四本が一時に誘爆した音だった。
真っ赤に燃え盛る“早潮”が、艦橋の左舷側に見える。もはやその原形を見ることは難しく、周囲の海面を沸騰させながらズブズブと沈み込んでいった。
被雷はその一隻だけだった。生き残った二水戦各艦は、敵駆逐艦からの雷撃を全て交わすことに成功している。
「面舵一杯。陣形を密にせよ」
二水戦各艦は再び転針し、単縦陣を構成する。この時点で残存しているのは、旗艦“神通”、十五駆“親潮”、“夏潮”、十六駆“初風”、“天津風”、“時津風”、十八駆“霰”、“陽炎”の八隻。落伍した僚艦の分、陣形を詰め、再び突撃を敢行する。
その時田中は、ある違和感に気付いた。敵駆逐艦はまだしも、魚雷の回避行動前まで砲弾を雨霰と振らせ続けていた敵三番艦の射弾が止んでいる。
答えはすぐに示された。
「敵三番艦沈黙!」
「敵二番艦大火災!行き足止まっています!」
―――やってくれたか。
“羽黒”と“那智”だ。今回の作戦に参加していた五戦隊の重巡が、二水戦の障壁を取り除いてくれたのだ。
これで最早、迷いはない。
「五戦隊が、やってくれましたな」
河西がどこかほっとしたように言った。その言葉に、田中は仁王立ちのまま頷く。
ここからは、俺たちの―――水雷屋の仕事だ。ここまで御膳立てをしてもらって、戦果ナシはありえない。
「“那智”、砲撃を再開しました!目標は敵四番艦の模様!」
「続いて“羽黒”発砲!」
背中を押すような砲声をひしひしと感じて、田中はそれに負けじと、一際大きな声を張り上げた。
「二水戦各艦に通達!巡洋艦には目もくれるな!雷撃目標を敵戦艦二番艦に集中する!」
その指示は、すぐさま全艦に通達される。単縦陣を構成する八隻の艨艟の唸りが、心持ち高鳴った気がした。
「六〇!」
彼我の距離が、ついに六千を切った。“紀伊”、“尾張”の二戦艦と撃ち合い続けている敵戦艦二番艦―――“ウェスト・ヴァージニア”は、すでに満身創痍の状態だった。しかしその主砲はいまだ健在であり、浮かべる城の如く海上に君臨し、新たな射弾を放つ。その砲撃を一身に受けている“尾張”の方も、大量の黒煙を噴き上げていた。
「敵四番艦に命中弾!“那智”です!」
二隻の戦艦と同じく、五戦隊の重巡も奮戦している。敵巡洋艦と激しい撃ち合いを演じていたにもかかわらず、二隻の“妙高”型重巡は激しい砲煙を吐き出す。“那智”のそれは、“羽黒”のものよりも幾分か量が少ない。おそらくは、敵二番艦との砲撃戦で主砲塔を損傷しているのだろう。
投雷距離五千までの後数十秒が、妙にゆっくりと過ぎていった。
「五○!」
そしてついに、その時が来た。距離五千の報告に、田中は声を張り上げる。
「面舵一杯!敵艦隊と同航戦に持ち込め!」
逐次転舵の要領で、二水戦各艦は単縦陣を保ちつつ“ウェスト・ヴァージニア”と同航戦の形態に移行する。最後尾の“陽炎”が転舵すると同時に、田中は次なる命令を発した。
「投雷始め!」
「投雷始め!」
田中の指示を河西が復唱する。左舷に指向された“神通”の四連装魚雷発射管から、圧搾空気によって魚雷が放出された。海面に飛び込んだ四本の長槍は、二重反転プロペラを力強く回すと、調定された深度を保って一直線に“ウェスト・ヴァージニア”へ突き進む。
二水戦を構成する各“朝潮”型、“陽炎”型駆逐艦も同じだ。こちらは“神通”と同じ四連装魚雷発射管二基から計八本を射出する。八艦合計で六十本の酸素魚雷が、“ウェスト・ヴァージニア”の進路を塞ぐようにして展開していく。どちらに転舵しようとも、その投網から逃れることはできない。
「本艦、投雷完了!」
「十五駆、投雷完了!」
「十六駆、投雷完了!」
「十八駆、投雷完了!」
各駆逐隊からも、投雷完了の報告が寄越される。後は運を天に任せ、命中を祈るだけだ。
「しばらくは直進するぞ」
投雷のタイミングを悟らせぬよう、二水戦はなおも“ウェスト・ヴァージニア”と同航し続ける。一分ほどそうした後、田中は転針と離脱を命じた。魚雷を放った軽艦艇たちは、一斉に面舵を切り、避退を始める。
「後方より敵駆逐艦!」
―――しつこい・・・!
見張り員の報告と同時に噴き上がった水柱を確認して、田中は内心で毒づいた。最早投雷を許してしまっているというのに、それの報復とでも言うかのごとく、敵駆逐艦は執拗に二水戦を着け狙う。
「“霰”より入電、『十八駆、殿ヲ引キ受ケル。貴艦ラハ退避サレタシ』」
落伍した“霞”に代わって駆逐隊を率いる“霰”艦長が寄越した電文に、田中は首を縦には振らなかった。
「駄目だ。各艦に通達、各個に目標を捕捉。牽制しろ」
避退する二水戦の右舷後方より接近する敵駆逐艦に対し、二水戦各艦から弾幕が伸びた。ほとんどが後部砲塔しか使えないため、弾量も多くなく、精度も粗い。もっとも、それはお互いさまであり、前部の砲塔しか指向できない敵駆逐艦もまた、二水戦を捉えているとは言い難かった。
やがて、田中が待っていた報告が上げられる。
「敵駆逐艦転針!退避していきます!続いて敵四番艦も転針!」
戦場に留まり続けていた最後の“ブルックリン”級と五隻の駆逐艦が、一斉に舵を切り、海域からの離脱にかかったのだ。
二艦隊が敵護衛部隊と交戦している間に、輸送船団も退避行動を取っている。十分に時間を稼いだと判断し、これ以上の損耗を避けるべく、護衛部隊司令官は戦場からの離脱を選択したのだ。
田中は額を伝い落ちる汗を拭った。
「魚雷到達までの時間は?」
「後二分です」
「二分・・・か」
“ウェスト・ヴァージニア”が十分な回避運動を行うにはいささか足りない。目標とした敵戦艦の動きを確認するべく、田中は双眼鏡を覗きこんだ。
だが、当の“ウェスト・ヴァージニア”は、一向に回避運動を取る様子を見せなかった。
激しく燃え盛りながらも前進を続ける“ウェスト・ヴァージニア”の艦上に、再び主砲斉射の砲炎が踊る。それと入れ替わるように、“紀伊”からの斉射弾が艦体を包み込み、甲板を焼いた。
―――なぜ回避しない・・・!
残り一分を切った魚雷到達時間を確認した田中は、次の瞬間にその意図を理解した。
“ウェスト・ヴァージニア”は、たとえ刺し違えてでも、“尾張”に大打撃を与えるつもりなのだ。最悪の場合、復旧不能放棄となるほどの損害を。
その意志を示すかのように、“尾張”の艦上に新たな命中弾炸裂の閃光が迸った。甲板が抉られ、細かな木くずが飛び散る。黒煙を燻らせるその姿は、まるで苦痛に体をのたうたせる龍の如くだ。どれほどの被害が累積しているのか、窺い知ることはできなかった。
―――恐るべき闘争心だ。
これが、米海軍なりの戦い方なのだ。彼らは知っている。輸送船団を守り抜くための最善の選択肢を。
そして何より、同じ一隻の損失が持つ重さは、日米で大きく違うことを。
「じかーん!」
魚雷到達を報せる声が艦橋に響く。全員が固唾を呑んで見守る中、“ウェスト・ヴァージニア”はさらなる斉射を放つ。直後、その舷側に、摩天楼を思わせる海水の塊が現出した。
最初の一本は、右舷艦尾付近。続いて、煙突基部付近に二本がまとまって命中する。四本目は艦首だ。そして最後となる五本目は、艦橋直下から白柱を生じる。
最早手の施しようがなかった。
水柱が治まった時、それまで勇壮な姿を浮かべていた米戦艦は、行き足を止めて、右舷に大きく傾いていた。“ウェスト・ヴァージニア”が、以降一切の戦闘を行うことができなくなったことは、誰の目にも明らかだった。否、今まさに、“ウェスト・ヴァージニア”はその舳先を海底へと向けようとしているのだ。
「魚雷五本命中!敵戦艦二番艦、撃沈確実です!」
歓喜に沸く“神通”艦橋にあってなお、田中は状況を素直に喜ぶことができなかった。むしろその内心では、
―――この戦い、米海軍の勝ちかもしれぬ。
そんな事さえも思っていた。
「まだだ。作戦の本番はこれからだぞ。各艦、魚雷の再装填作業に入れ」
気を抜くなとの意味も込めて、田中は残存二水戦各艦に通達する。本来、二艦隊の目的は、フィリピンへ向かう米輸送船団の撃滅だ。敵護衛部隊を撃破したとはいっても、その目的は微塵も達成できていない。
帝国海軍の体質的として、輸送艦などといった補助艦艇よりも、軍艦、ことに大型艦の撃破を重要視する傾向があることは否めなかった。それはことに、水雷戦隊に顕著と言えるかもしれない。
敵戦艦撃沈に沸き立つ二水戦各艦は、それでも素早く、魚雷の次発装填作業にかかる。空になった魚雷発射管が所定の位置に戻され、水雷科員が次発装填装置から新たな魚雷を引き出す。猛訓練を繰り返してきた彼らであれば、ものの数分もすれば作業が完了するはずだ。
が、目下一番の問題は。
―――長官が、どうされるか、だな。
今回の作戦を指揮しているのは、三川中将だ。そして、彼の乗艦である“尾張”は、“ウェスト・ヴァージニア”との激しい撃ち合いの末に、大きな傷を負っている。それを、三川がどう判断するかは、田中にもわからなかった。
「“尾張”より入電!『逐次集マレ』です!」
「何だと!?」
田中の心中を代弁するかのような声は、河西のものだ。通信兵からの報告を聞いた田中は、ゆっくりと口を開く。
「“尾張”宛に意見具申。敵輸送船団、未だ損害軽微なり。追撃の要ありと認む」
「敵輸送船団、未だ損害軽微なり。追撃の要ありと認む。送ります」
田中の意見具申が復唱され、“尾張”宛に電文が飛ぶ。だが田中自身、この意見具申が受け入れられるとは、思っていなかった。
三川の考えていることはわかる。敵護衛部隊との戦闘の結果、二艦隊は“尾張”と“妙高”、他五隻の駆逐艦に損害を受け、残った艦たちも傷ついているものが少なくない。この状態で追撃戦を仕掛けるのは、あまりに危険だ。
―――だが、危険を冒さなければ、作戦は全うできない。
やり場のない想いを誰にぶつけることもできず、田中は心の中で呟く。ほどなくして、“尾張”から返信があった。
「“尾張”より、『追撃ノ要ナシ。逐次集マレ』」
そんな馬鹿な。河西が悔しげに呟く声が、田中には聞こえた。
「・・・二水戦各艦に通達。陣形を整える」
田中はそれだけ指示を出して、激しく黒煙を上げる“尾張”を見遣った。魚雷の回避を取り止めてまで主砲を放ち続けた“ウェスト・ヴァージニア”の執念が、追撃の中止という結果をもたらしたのだ。
―――海戦には勝った。だがこの勝負、もっと深いところでは米軍の勝ちかもしれない。
水平線の向こうへと消えゆく艦影。それを一瞬だけ残念に思いながら、田中は転舵の指示を出した。
◇
「追撃中止とは、どういうことですか!?」
射撃指揮所から急遽艦橋に降りてきた深山は、語尾を強くしながら風中に尋ねた。
海戦の結果、二艦隊は敵戦艦二隻を撃沈、巡洋艦三隻を撃沈破し、駆逐艦部隊にも大きな被害を与えた。それに対して、こちらは“妙高”と駆逐艦三隻を失い、“尾張”と、駆逐艦二隻が大破という損害を受けたものの、“紀伊”と“那智”、“羽黒”、そして残存二水戦八隻はいまだ十分な戦力を残しており、輸送船団を追撃して撃破することは可能だ。深山もそのつもりで、各部に指示を与えていた。
それなのに、風中は追撃中止を命じたのだ。
深山の剣幕に対し、風中はいつもと変わらない様子で答える。
「司令部の判断だ。二艦隊は損害大のため、追撃を中止し、帰投する」
「確かに、“尾張”と“妙高”の離脱は大きいです。ですがまだ、この“紀伊”も、“那智”や“羽黒”、二水戦だっています。ここは追撃し、一気に敵船団を撃滅するべきです」
なおも力説する深山に、風中はかぶりを振った。
「すでに了承した命令に、いまさら異議を唱えるわけにはいくまい。それに、三川中将のおっしゃりたいこともわかる」
その先を言わない辺り、風中が真に納得したわけではないことがわかる。もとはと言えば、風中も鉄砲屋だ。見敵必戦、目の前の敵を叩くのに全力を尽くす。
それでもなお、命令には従わなければならない。上官への服従なくして、軍隊という組織は成り立たないのだから。
「この戦争は、長い戦いになる。無暗に人や艦を失うことは避けたいと、私も思っている」
まるで自らに言い聞かせるかのような声音で、風中は静かに口を開いた。
「それに、輸送船団の撃滅を諦めるわけではない。作戦は、一一航艦(第一一航空艦隊)に引き継がれる。すでに、攻撃隊の準備を始めているそうだ」
―――今の時間から攻撃隊を出すのでは、間に合わない。
陽が沈めば、航空機が輸送船団を捕捉、攻撃するのは格段に難しくなる。それに周辺の海域は、いまだに日米どちらの制空権も定かではない位置だ。十分な攻撃が反復されるとは思えなかった。
「そう暗い顔をするな、砲術長。少なくとも我々は、米国の戦艦二隻を撃破し、その他にも多くの敵艦に多大な損害を与えた。それだけでも、十分過ぎるくらいだ」
欲張りは禁物だぞ。どこかおどけたように言った風中に、深山も頷く。もちろん納得などしていないが、いつまで過去のことを言っていても仕方がない。
―――俺は、俺の仕事をするだけか。
“紀伊”の次なる戦いが、いつになるのかは定かではない。しかし、それほど遠い未来ではあるまい。その時に備えるのが、砲術長たる深山の責任だ。
禍根を残しながらも、傷ついた艦たちは海を行く。憂いを帯びた表情を乗せてもなお、その姿は勇壮で、間もなく夕陽を迎えようとしている陽光に映えている。黒鉄のきらめきに、海鳥たちがその目を細めていた。
いかがだったでしょうか?
一海戦書くだけでこれですからね・・・戦争を始まりから終わりまで書くのは本当に大変なことです。
一応、今回の世界観の中で、どのように戦争が推移していくのか、ビジョンはあります。書きたい話もだいたい決まっています。ですが、そちらはもう少し、作者の執筆活動が落ち着いたら(他所で書いているシリーズものが一段落したら)書き始めようと思っています。
それでは、またいつかお会いできますことを。