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九十九話目~夢の足跡~

 自室の窓から見える月を眺めながら、俺は酒をチビチビと煽っていた。以前シュラたちからもらった上物の逸品だ。月見酒というだけでも十分なのに、さらに上物の酒が加われば最高のものに仕上がる。俺は丸い月を眺めつつほぅっと息を吐き、部屋に掲げてあるカレンダーを見やった。

 三月が終わり、四月に入ったカレンダーのある一点には、赤字で丸がしてある。その日こそが、俺とリリィの結婚式の日だ。ちなみに、もう明日である。俺はカレンダーを一瞥し、今度は部屋を見渡した。

「だいぶ、変わったな」

 別に大規模なリフォームをしたから、というわけではない。部屋にはいくつもの写真立てが並べられており、そこにはリリィたちのみならず、レジオやクーラの姿もある。それに、その周りには俺が関わった人外たちがことあるごとにくれた様々な贈り物がある。

 趣味の悪い置き物だったり、自画像だったり、はたまたサインだったりと統一性はないが、どれも俺と彼らを繋ぐものだ。彼らと付き合っていてできた絆の結晶とでも言うべきものである。それらの全ては俺の命と同じくらい大事な宝物だ。ひとつひとつに思い出が込められている。

 これらは、俺がここに来た時にはなかったものだ。人外の奴らと関わるようになっていつしかこの簡素な部屋も華やかになっていったのである。

「……やっぱり、俺は恵まれているな」

 少なくとも、俺は一人ではない。困ったら助けてくれる奴がいるし、一緒に笑い合える仲間や家族がいる。それはどれだけ尊いことだろうか?

 俺は、それが嬉しくてならない。

 俺はお猪口をクイッと傾け、中の酒を煽り、右手に持っていた瓶を逆さにして酒を注ぐ。が、ぴちょん、というものがなしい音だけが虚しく俺の耳朶を打った。どうやら、なくなったらしい。

「結構呑んだな……っと」

 自慢じゃないが、俺はそこまで酒が好きなわけでも得意なわけでもない。ただ、今日はどうしても飲みたい気分だったのだ。

 きっと、明日はうんと忙しい一日となることだろう。そして、それからもずっと。

 だから、今は一人で思い出に浸っていたかったのだ。しかし、素面では恥ずかしいので、酒の力を借りるという手法を取りながら。

「明日は晴れそうだな」

 空には雲がなく、月だけが見えている。おそらく、明日もずっとこの調子だろう。せっかくの門出が雨では締まらない。こればかりは、日ごろの行いという奴が関係していると思う。

「……にしても、よく集まってくれたよなぁ」

 俺は嘆息しながら、スマホを見やる。と、目に入ってくるのは無数の着信履歴だ。全員、俺の担当地域にいる人外たちである。彼らは俺の連絡を受けるや否や、こうやって祝いの言葉を寄越してくれたのだ。しかも驚いたことに、全員が出席してくれるらしい。人外というのは色々と仕事をするにも制限があり、休暇は取りにくいそうなのだが、今回は何としても行きたいと思っていたらしく強引にもぎ取ってくれたそうだ。本当に、頭が下がる思いである。

「俺、大丈夫かな?」

 一応、新しいスーツは用意してある。それも特注品だ。せっかくの晴れ舞台なのだから、いつもよりもキチンとした状態で臨みたい。こう言ったらピティには苦笑されたが、こればかりは俺の性分なので仕方がないだろう。

 思えば、ピティもずいぶんと俺たちに馴染んできた。最初はもっと高飛車でちょっとばかり不安もあったが、今では完全に俺の家族だ。グリもよく懐いている。

 そのグリも、正式に養子として引き取ってから色々あったがちゃんと俺を親と認識してくれて嬉しい限りだ。最初は露骨に避けられていたものの、あれは悪意があったわけではないと知って安心したものである。あの子が俺のことを「パパ」と呼んでくれた時は死ぬんじゃないかと思ったほどだ……まぁ、実際に一度は死んだわけだが。

 俺はふと自分の手を見つめた。一見何ともない、以前と同じような手だ。しかし、その下は違う。精密な機械で埋め尽くされ、電子回路などが並んでいる。もう、俺は人ではない。人外だ。

 だが、それがどうしたというのだ?

 俺の目的はあくまで人外と人間の共生。そして、俺は人外が世間に現れてから初めての人間から人外になったレアなケースだ。その反響はかなり大きかったと聞く。それを俺が意識することがなかったのは、他のコーディネーターやレジオたちが頑張ってくれたんだろう。あいつらにも、感謝は尽きない。

「って、ダメだな。センチになりすぎている」

 自嘲気味に笑って、酒瓶を近くに置いた。どうやら、ちょっと酔ってしまったらしい。

 慣れないことはするものじゃない。ただでさえ、明日のことでナーバスになっているのだ。そこに酒が加わってしまうと……結果はご覧のとおりである。

「まぁ、いいか。こんなことができるのも、今日だけなんだからな」

 いよいよ明日、俺はリリィと結婚する。これは、単なる結婚では済まないだろう。彼女は人外であり、俺も人外になった人間だ。つまり、寿命差を克服した異種婚である。

 現在、オーリエさんのように人間と結婚した人外は数多く存在する。しかし、そこで問題になるのが寿命差だ。どうしても人外は長命なため、人間の方が先に死ぬことになる。つまり、最初から別れを意識しなくてはいけないのだ。それが原因で、結婚を躊躇う奴もいる。

 しかし、人外化すれば色々と条件はあるが半永久的に生きることができる。純粋な人間ではなくなるとはいえ、これを望むものは多いだろう。愛するものとは長くいたいと思うのが必然なのだから。

 だからこそ、俺たちの結婚は大きな意味を持っている。これが上手くいけば、人外化する人間も増えることだろう。オーリエさんの旦那さんも、検討しているらしい。

 ――が、今まで言ったことはあくまで建前だ。本音としては、一人の男としてリリィと結婚できたことが何よりも喜ばしい。あいつとずっと一緒にいられるというだけで、天にも昇りそうな気持ちだ。

 コーディネーターとしても、一人の男としても今回の一件は喜ぶべき出来事である。だからこそ、今日は浸ろうじゃないか。これまでの思い出に。

 俺はスッと立ち上がり、サインなどが置いてある棚へと向かう。チラリと窓を見れば、月光が妖しく差し込んでいる。それはまるで、俺たちを祝福しているかのように美しかった。


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