九十七話目~人外一家~
「夏樹。来たわよ」
そう告げるのは、ピティだ。コートを身に纏い、脇に大きなキャリーバッグを置いている彼女はニコニコと笑みを浮かべている。
ピティが来ているのは、留学のためではない。ただ単に、俺とリリィの結婚式に出るためだ。もうすでに準備が整いつつある、と言ったらすぐにやってきたのだ。
というか……。
「ピティ。お前、単位とかは大丈夫なのか?」
「はぁ? 当たり前じゃない。勉学こそが学生の本分よ。というより、もう春休みよ。バタバタしていたかもしれないけど、時間感覚がなくなっているんじゃない?」
――そうだった。忘れていたが、こいつはこういう奴だった。
遊びほうけているように思えて意外に考えているのだ。ピティは肩を竦めながら俺を押しのけて家に入る。そうすると、彼女を出迎えるようにしてグリがテチテチと歩み寄ってきた。グリはピティの顔を見るなり、パァッと顔を輝かせる。
「ピティお姉ちゃん!」
「あぁ、グリ! 会いたかったわよ!」
ピティは彼女を力の限り抱きしめ、頬ずりする。グリもそれを受け、心底嬉しそうに顔を緩めていた。そんな二人を眺めているのは、リリィだ。穏やかな笑みを浮かべてその様子を見守っている彼女は本当の母親のようにも思える。
ピティはハッとしてグリから身を離し、リリィに向かって笑いかける。
「リリィ! 久しぶり! と言っても、ほぼ毎日連絡を取っているから新鮮味はないけど」
「え? ちょっと待て。お前ら、そんな頻繁に連絡を取り合っているのか?」
その問いに、ピティがコクリと頷いた。
「まぁね。でも安心しなさい。別に愚痴を聞いてるとかじゃないから」
「そうですよ。言いたいことがあったら言い合うって決めましたから、ね」
「それはそうだが……何というか、こう。妬けるな」
「そんな柄じゃないでしょ」
いや、割とマジでのけ者にされている感じがして辛かったのだが、ピティに一蹴されてしまった。グリはそんな俺を不憫に思ってか、慰めるように抱きついてくる。
「ありがとうな、グリ」
数か月前までは全く懐いていなかったのを考えると、信じられない。たぶんあの時のままだったら、俺は完全にのけ者にされていただろう。少なくとも、この状況に置いては。
「で? もう準備は整っているのよね?」
「えぇ。もうすぐですよ」
「にしても、早いわよね。準備が」
「それなんだが……どうも、変な手回しがあったらしくてな」
「何があったの?」
俺の言葉に、ピティはもちろんその場にいる全員が首を傾げる。グリは二人の真似をしただけだろうが。
「実はな……俺の友達が色々とやってくれていたらしいんだよ。変に気を回してな。できるだけ早くやれるようにってな」
「へぇ。いい友達じゃない」
「まぁ、それには同意だがな。でも、考えられるか? 夜中に半ば拉致に近い形で酒飲みに連れていかれるんだぞ? しかも、俺の寝室にまでは言ってくるとか、信じられるか!?」
「私もそれを最近知ったんですよ。音も気配もなく侵入してくるので、おかげでグリちゃんはよく眠れています」
まぁ、あいつらも馬鹿じゃない。それはちゃんと考えてくれていたのだろう。グリやリリィに迷惑をかけないようにする配慮は有していたようだ。だが、だからと言ってそれを受け入れることはできない。俺のプライバシーなどはないも同然なのだから。
「で、夏樹。やっぱり体はもう機械になっているのよね?」
「あぁ。触ってみるか?」
俺がふと右手を突き出すと、ピティはそっと手を伸ばしてきた。そうして俺の手に軽くタッチし、悔しそうに唇を噛み締める。
「……馬鹿ね。あんたも人外になっちゃうなんて」
「ハハッ! 悪いな。でも、おかげで決心がついたんだよ。リリィやグリと一緒にいようってな。もちろん、お前ともな」
「……やっぱり、あんたは大馬鹿よ。人外になったのよ? 少しは悲しみなさいよ。じゃないと、私だって馬鹿に見えるじゃない。あんたみたいに人外になったことを受け入れようとしている人間もいるのに、未だに人間に戻りたがってるんだから」
嗚呼、そうだろう。そもそも人間に戻る手掛かりを探すために、ピティはこちらにやってきていたのだ。
人外というのは、まだ世間的に風当たりが強い。ピティだって、それは幾度となく経験してきたのだろう。
もし、仮に生まれながらの人外ならばそんな悩みはなかっただろう。だが、元人間だからこそ、人間になってみたいと思ってしまう。それは至極当然の願いだ。
だが、ここは言わねばなるまい。
「いいんじゃないか? ピティはピティだ。お前は自分のやりたいようにするといいよ」
「……えぇ、そうさせてもらうわ。ありがとな、夏樹」
「いいってことさ。だって家族じゃないか」
優しくピティの頭を撫でてやると、彼女の顔が真っ赤に染まった。
直後、腹部に軽い衝撃。見れば、彼女が照れ隠しの拳を放っていた。
「全く……夏樹。とりあえず荷物を置かせてもらうわよ。いつもの場所でいいかしら?」
「あぁ、いいよ。夕食はどうする?」
「いらない。機内食を食べてきたもの。あ、でも待って。リリィのおにぎりとお味噌汁ならいるわ。あれ、好きなのよね」
「じゃあ、すぐに作りますね!」
リリィはニコニコと笑いながら台所へと消えていく。ピティはというと、グリと手を繋いで留学時に使っていた自分の部屋へと向かっていった。
残された俺は、ポリポリと頬を掻いてスマホを開く。現在時刻は午後七時だ。ちょうど夕食時だったから、米も味噌汁も作ってある。たぶん、もう間もなくできるだろう。なら、台所に入っておくべきか。
リビングに足を踏み入れると、リリィがふと視線を寄越してきた。俺は口角を吊り上げながら彼女の方に歩み寄り、そっと抱き寄せる。
「なぁ、リリィ」
「何ですか?」
「あのさ、何か悩みがあるなら言ってくれ。ピティにしか、言えないことなのか?」
リリィはぽかんと口を開けていたが、数秒間をおいてプッと吹き出した。
彼女は笑いをこらえようとしていたが、次第に笑い声が大きくなっていく。見れば、目尻には涙が浮かんでいた。
「ふふ、夏樹さんらしいですね」
「だって……前、お前が泣いていたってピティから聞いたからさ」
「大丈夫ですよ。本当に悩みがある時こそ、頼りますから」
「いや、それはやめてくれ」
リリィの顔がわずかに歪む。どうやら、言い方を間違ったようだ。
俺はごほんと咳払いをして、ポリポリと頭を掻いた。
「俺が言いたかったのは……そう。本当に辛い時だけじゃなくて、いつでも頼ってくれ。まぁ、色々と不甲斐ない俺だけどさ。俺にここまで尽くしてくれたリリィに、少しでも恩返しをしたいんだよ」
「恩返しだなんて! それを言うなら、私の方ですよ!」
「え?」
「夏樹さんは人外である私にも平等に接してくれました。それだけじゃなくて、私がこの街に馴染めるように色々と手伝ってくれました。あなたはいつだってニコニコ笑っていて、誰にでも優しくて、温かくて……見知らぬ土地に来た私にとって、夏樹さんの存在はとても大きなものだったんですよ? たぶん、あなたがいなかったら、私はここにいません」
リリィは胸元でキュッと手を握り、俺を見上げてきた。彼女の潤んだ瞳は何とも蠱惑的だ。思わずドキリとしてしまった俺をよそに、リリィは告げる。
「ですから、あの時はとても不安だったんです。夏樹さんが危ない目に遭っているって聞いて。でも、私に相談してくれなくて。それはもしかして、私じゃ頼りないからじゃないかって思っていたんです。でも、それでも、私はあなたの力になりたいと思っていました」
「……そうだったのか。なら、お互いすれ違ってたわけだな」
「です、ね」
気まずい沈黙が俺たちの間を流れる。リリィはもじもじと体を捻り、俯いている。
俺はそんな彼女の頭にポンと手を置き、優しく微笑みかけた。
「リリィ。改めて言っておくが、俺は本当にダメな奴だ。自分勝手で、力もない。けど、お前のことは大事に思っている。これだけは確かだ。だから、さ。お前が困っているなら俺は全力を持って助けに行くよ」
「えぇ。私も、夏樹さんが困っているなら全力で助けます。ですから、その時はちゃんと言ってください。あなたは一人じゃないんですから」
「もちろんだ。せっかく結婚するんだ。これからは、二人で支え合って生きていこう」
「はい。だって、私たちは人外ですもの。数百年以上同居するんですから、遠慮なんていけませんよね。言いたいことは言い合って、時には喧嘩もしましょう」
「あぁ。だが、最後には絶対にお互い笑い合えるようにしような」
俺とリリィの距離が自然と近くなる。リリィはわずかに背伸びをして、顔を俺の方へと向けてきた。思わず、彼女の唇と潤んだ瞳に目を奪われてしまう。
そうして俺たちの距離は徐々に近づいていき――
「ごほん!」
額がくっつく寸前で、そんな声が上がった。何事かと辺りを見てみると、リビングの辺りにピティが立っていた。彼女はグリの目を両手で覆い隠しながら、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「お熱いのは結構だけれど、それはせめて夜にやってくれるかしら?」
顔が熱くなるのを感じる。というか、見てみぬふりをしてくれ。頼むから!
見れば、リリィも顔をリンゴのように赤くして俯きながらだらだらと汗を流していた。
一方で、リリィはけらけらと笑い、グリは訳がわからないと言ったように首を傾げている。
全く――本当にいい家族だ。
そんなことを思いながら、俺は静かに目を閉じた。




