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九十四話目~ブラウニーのお手伝いさん~

「じゃあ、行ってくるよ」

「はい。それでは、お気をつけて」

 恒例の挨拶をして、俺は家を出る。リリィはわざわざ門の前まで来て、俺に手を振ってくれていた。それは恥ずかしいけれども、とても嬉しいものである。おそらく顔が真っ赤になっているであろうことを自覚しながらも手を振り返すと、リリィは弾けるような笑みを向けてくれた。

「さて、と」

 実を言うと、今日もまた診断だ。メンテを行うことでだいぶ調整ができてきたらしいが、何せ人外化というのはかなりのリスクを伴う。もし少しでも欠陥があれば、たちまち俺は動かぬ人形のようになってしまうだろう。それを回避するために、メディアさんを含む対策チームは奔走してくれているのだ。

 しばらく歩くと例のごとく病院が見えてきた。それとほぼ同時、門から出てくるアラクネの女性――クーラと鉢合わせる。彼女は俺に気づくなり、ニコリと微笑んできた。

「あぁ、夏樹さん。おはようございます」

「おはよう……って、夜勤明けか? 顔色が悪いが……」

「えぇ。ちょっと大変な作業が残っていまして。そういえば、夏樹さんは今回数日間入院するんですよね?」

「え!? 聞いてないぞ!?」

 俺は目玉が飛び出さんばかりに驚愕する。その反応を見てクーラはキョトンと首を傾げた。

「あれ……違いましたか? いや、すいません。記憶が曖昧になってるみたいで」

「勘弁してくれ。検査入院でもお断りだからな」

 クーラはクスリと笑い、すっと背筋を伸ばして俺に一礼。彼女は寝ぼけ眼を擦りながら、その場を後にしていった。

「全く、洒落にならんぞ……」

 ぶつくさと言いつつも病院内へと足を踏み入れる。この時はやはり緊張するものだ。検査だけとはいえ、何があるのかわからないこの不安感は否めない。

 受付を済ませ、裏口へと通される。この病院は人外向けに地下室を持っている。言っておくが、これは差別ではない。人外の中には手術中に暴れ出すと危険なものもいるため、それ用の設備が整った場所に集められるのだ。

 薄暗い廊下を渡り、数分ほど歩くと前方に怪しげな扉が見えてきた。わざとらしくお札が張ってある当たり、製作者の趣味の悪さが伺える。まぁ、俺もその制作に力を貸したのだが。

「失礼します」

 扉を開けるとまず目に入ってきたのは診察台と、その周囲に立っているメディアさんたち対策チームだった。彼女たちは俺の入室に気づくなり、素早く持ち場に移る。この点は素直にすごいと思ってしまった。

「さぁ、早く横になってくれたまえ」

「あ、はい」

 メディアさんに促されるまま、診察台に横たわる。上にあるライトの眩しさに目を細めながらも彼女の方を向いた。

「あの、入院とかしないですよね?」

「嫌なのかい? できれば検査入院だけでもさせたかったんだが」

「ちょっと、困りますね。何分、リリィと大事な話をしたいので」

「へぇ、もしかして結婚式でも上げるのかい?」

 思わずぎくりとしてしまった俺のリアクションを見て、メディアさんはクスクスと心底面白そうに笑う。俺は顔をそむけながらも、唇を尖らせた。

「いや、すまない。やっぱり君は隠し事が苦手だね」

「……悪かったですね」

「ふふ、そう言うな。しかし、やっぱりそうなったか。お金のあてはあるのかい?」

「正直、ないです。俺の給料を使っても厳しいかと」

「ふむ。じゃあ、私に任せておきたまえ。君にはなにかと世話になったし、迷惑もかけてしまった。その償いというわけじゃないが、少しばかり援助させてもらおう」

「そんな! 悪いですよ」

 しかし、彼女は首を振り、辺りを見渡した。その視線の先には、対策チームの姿がある。その中には何人も見知った顔があった。

「君は私たち人外に対してよくやってくれたよ。だから、今度は私たちが恩返しをする番だ。なぁ、いいだろう? みんな」

 刹那上がるのは、同意の歓声だ。それを聞いてつい涙ぐんでしまいそうになった俺を見て、またしてもメディアさんは楽しげに笑う。

「さて、そろそろ検査に入ろうか。グリム。リリーラ。君たちの出番だよ」

 その呼び声に応えて現れたのは、機械仕掛けのおもちゃとその頭の上にちょこんと乗った非常に小さい豆粒のような少女だ。

 一人はグレムリン族のグリム。今はおもちゃに乗り移っている状態だ。グリムの特性として、電子機器やその他の機械に体をすり込ませることができる。今はそれを応用して俺の体のメンテの補助をしてもらっているのだ。

 もう一人の少女は『ブラウニー』族のリリーラだ。ブラウニーは妖精の一種であり、人間に対してとても友好的な種族のうちの一つだ。本来は家に住みついて家事を手伝ってくれるのだが、その体躯の小ささを買われて今は俺の体内という『家』に侵入してもらう役割を担ってもらっているのだ。

『じゃあ、行くよ。なっつん』

 刹那、ロボットから紫電が迸り、俺の体内へと入っていく。若干の痛みに顔をしかめながら、俺は小さく息を吐いた。それを見ていたリリーラは不安げに手をもじもじさせる。

「あ、あの。大丈夫ですか?」

「あぁ。ただ、できれば早く済ませてくれ。長時間されると本当に辛いから」

「わ、わかりました!」

 リリーラは元気よく返事をしたかと思うと俺の口内から中へと入っていく。防護服を着ているので胃液などで溶かされる心配はない。ただ、俺としてはこのやり方はあんまり好きではないのだ。

 体内に別の生命体がいるというのはとても不安なことだ。俺はさておき、彼女に何かあったらと思うと気が気じゃない。一応グリムの補助もあるとはいえ、それでも怖いものは怖いのだ。

「ところでさっきの話だが、私の方で呼びかけをしてみるよ。たぶん、すぐに集まるさ。だって、この街には君に助けられた人外が大勢いるからね。私も含め、君がいなかったらどうなっていたかわからないさ」

「そんなに持ち上げないでください。照れますよ」

「事実を言ったまでさ。君は、おそらくコーディネーターの中でもトップクラスにお人よしで私たちのことを第一に考えてくれている。それがとても嬉しいんだよ。マイノリティに優しい人物というのは、それだけで貴重だからね」

 そう告げるメディアさんの瞳は、わずかながら陰っていた。この人も過去には色々あったという。今はそんなことを感じさせないが、それでもその時のことは深く心に残っているだろう。少なくとも、今の態度からはそれが伺えた。

 そんなメディアさんはゴホンとわざとらしく咳払いをして、俺の胸元に聴診器を当てた。

 その数秒後、彼女の顔に笑みが浮かぶ。

「うん。順調だ。心配はいらないね。この調子なら、大丈夫そうだ」

「よかった。ありがとうございます」

「いや、当然のことをしたまでさ。それにまだ、全てが終わったわけじゃないからね」

 言うなり、メディアさんは俺の服を脱がしにかかる。本当は抵抗したいが、動くことはできない。仮に変な動きをすれば中にいるリリーラに負担がかかるからだ。

 グリムは一種の霊体のようなものであるからいいが、リリーラは生身だ。それに、身体強度もそこまでではない。俺たち人間より少し強いくらいだ。だから、もし俺が身じろぎでもしたせいで中の構造が変わり大怪我でもしたら大事である。

 そういった理由もあって、俺は抵抗することもできないまま半裸にされた。メディアさんは慣れているからかもしれないが、淡々と検査をこなしていく。ただ、俺としてはやや気恥しい気持ちだ。

 だって、俺の体にはいくつも傷があるのだから。これは戦闘の傷などではなく、人外化の影響によるものだ。最初は気にならなかったが、徐々に時間が経つにつれて違和感が出てきた。

「銭湯、入り辛くなったなぁ」

「? 何か言ったかい?」

「いいえ、ただの独り言ですよ。そういえば、メディアさんは俺たちの式には来てくれるんですか?」

「もちろんさ。招待状さえくれればね」

 と、彼女がシニカルに笑ったのとほぼ同時、俺の口からリリーラが姿を現した。

「異常なし、です!」

「うん。ごくろう。グリム。君の方は?」

『回路にも問題はなし。そろそろ出るから、距離を取ってね』

「わかった。ごくろう」

 メディアさんたちは俺から十分な距離を取ってグリムが出てくるのを待つ。そうして彼が出てきた時になってようやく、メディアさんは持っていたカルテに記述を始めた。

「今のところ、目立った後遺症も異常もなし。いい傾向だね」

「術者の腕がよかったんですよ」

「お世辞を言っても効かないよ」

 メディアさんはいつもの調子で返し、ひょいと肩を竦めた。俺はそんな彼女を視界の端に納めた後で、リリーラに視線を移す。彼女はそれを受け、びくりと肩を震わせた。

「お疲れ様、リリーラ。いつも悪いな」

「いえ、これがお仕事ですから! 夏樹さんも早くその体に慣れるといいですね!」

「全くだ。リハビリもこれからは積極的にやるよ」

『なっつんはやっぱりワーカホリックだよね。すぐに病院を出ていったくらいだもん。もっと自分を大事にしなくちゃ』

 いつのまにかロボットに憑依していたグリムが苦言を呈すが、俺はそれを鼻で笑った。

「しょうがないだろ。だって、人外と人間が仲良く過ごせる社会を作るのが俺の夢なんだから、その実現のためには頑張らないとな」

『言うと思った。ま、それがいい所なんだけどね。じゃあ、ボクはそろそろ帰らせてもらうよ。お疲れ様~』

 去っていったグリムをよそに、メディアさんはカルテに記入を続け、やがて大きく頷いた。

「よし! もういいよ。今日は帰って大丈夫だ」

「どうも、ありがとうございます」

「うん。それと、先ほどの件は任せておいてくれ。きっとみんな、快く力を貸してくれるさ」

 それは嬉しいが、やはり気を遣わせているようで悪いな……。

「そんなに考え込まないでくださいな。私たちが好きでやるんですから」

 リリーラが補足を入れてくれる。俺の心を読んだかのような発言だ。

「その通り。君は真面目すぎる。もっと柔軟にいきたまえ」

「メディアさんには言われたくないですよ」

「ふふ、君も中々言うじゃないか。それじゃあ、お疲れ様」

「えぇ、皆さんありがとうございました。また何かあったら、よろしくお願いします」

 俺はメディアさんたちにぺこりと頭を下げ、その場を後にした。


 この数時間後。いつの間にか暗躍していたグリムとメディアさんによって俺の式の資金は無事に集められ、ついでにリリーラから早めのプレゼントをもらったりもしたのだが、それはまた別のお話。


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