九十三話目~ガマユンの予言者さん~
「式を挙げるかどうか、ですか?」
昼寝から覚めたリリィに俺は先ほどメリナから言われたことを告げた。彼女はぽかんと口を開けており、目をパチクリさせている。
「ダメ、かな?」
「ダメではないんですけど、お金はあるんですか?」
言われて、グッと言葉に詰まる。この体になった後、色々と費用がかさばってしまって少々生活に余裕がない。これまでは経費で落としていたが、そう何回も使うわけにはいかない。それくらいはわきまえているつもりだ。
「リリィとしては、どうなんだ?」
「う~ん……私としては、どちらでも」
「へ?」
「だって、私はリビングドールですよ? 着せ替え人形だった時期はウエディングドレスなんて山ほど着ましたし、そう無理をすることはないかと思っているんですが」
……なるほど。どうやら彼女の考えていることは俺と少しばかり違ったようだ。
「まぁ、生活に余裕ができた時にでもそれは話し合いましょう。それより、買い出しに行ってきてもらえますか?」
「……わかった。じゃあ、この話はまた今度な。ただ、遠慮はしないでくれ。こう見えても顔は広い方だからな。なんとか工面するくらいの甲斐性はあるつもりさ」
「はい! ありがとうございます、夏樹さん」
俺は手を振り、その場を後にする。そうして外に出ると、冷たい風が頬を撫でた。
「まだまだ寒いな。早めに行くか」
やや足を速め、近くのスーパーへと向かう。ポケットに入れている財布をしっかりと握りしめ、落とさないようにする。そのまましばらく走っていると、見覚えのある人影が見えた。
「あ、どうも、夏樹さん。お久しぶりです」
「オーリエさん。いい所で」
俺の眼前にいたのは一つ目の女性――サイクロプスのオーリエさんだ。彼女はニッコリと人当たりのいい笑みを浮かべながら、頬に手を当てる。今日はかなり寒いからか、ニットを被っているものの、その目の存在感は隠しきれていなかった。
ちょうど買い物帰りだったのか、彼女が持っている袋はだいぶ膨らんでいる。しかし、流石は怪力を持つ種族のサイクロプス。まるで意に介していないようだった。
そんな彼女はきょとん、と首を傾げてみせる。
「いい所、とは? 何かあったのですか?」
「あぁ、実はちょっとご相談がありまして……」
オーリエさんの綺麗な瞳が俺の左手へと移った。彼女は薬指に光るリングを見た後で「あぁ」と頷く。
「なるほど。そういえば、ご婚約なさったんですよね」
「はい。で、それなんですが……」
辺りを見渡し、人がいないことを確認してから彼女に事の次第を話す。それを聞き終えると、オーリエさんは難しそうな顔であごに手を置いた。
「そうですねぇ……リリィさんのことですから、嘘はついていないと思いますよ? 私たちの時はお互いの意見が一致していたのでスムーズでしたが、やっぱり家庭によって違いますものね」
「そうなんですよ。俺、どうしたらいいですかね?」
「とりあえず、話し合うことだと思いますよ? 私もよく旦那と話し合っていますし、それが肝要だと。ただ、どうしてもというなら私の友人を紹介しますけど、どうですか?」
「是非、お願いします!」
即答した。
オーリエさんはよほど驚いたのか、その大きな目をもっと見開いて身を反らすがすぐに元の調子に戻ってスマホを取り出す。
「じゃあ、呼びますね。たぶん、すぐ来ると思いますよ」
オーリエさんはすぐに誰かへと電話をかけ始める。受話器から微かに聞こえてくる声音と口調からして、どうも女性のようだ。オーリエさんは手短に用件を伝え、スマホをしまう。
「すぐに来てくれるそうですよ。たぶん、もう着く頃かと」
そう、彼女が言った直後だった。上空から何かが降ってきて、俺の眼前に着地したのは。
「な、なんだ!?」
舞い上がる土煙を手で払い、視界を確保しようとする。風に吹かれて土煙が徐々に収まってきた頃にはすでに視界はクリアになっており、そこでようやく俺は目の前に立っている女性に気づく。
「えと、あなたは……」
「あぁ、どうもはじめまして。あなたが四宮夏樹さん?」
そう告げるのは、首から下が巨大なカラスのような姿をした女性だ。頭は人間の者であり、非常に美しいのだがやはり異形感が否めない。これを見ればわかると思うが、彼女はハーピー族ではない。『ガマユン』というロシアを起源とする鳥の人外だ。
鳥の人外は種類が多いものの、確か彼女の種族は……。
「予言の鳥と呼ばれているんですよ」
補足を入れてくれたのはオーリエさんだ。彼女は隣にいるガマユンの女性の肩に手を置いている。
「久しぶり、オーリエ。最近はどう? 上手くやれてる?」
「もちろん。いつも助言、ありがとうね。ノノ」
ノノ、と呼ばれた女性は妖艶な笑みを浮かべている。その姿は見ているものをぞっとさせるような雰囲気を持っていた。
「さて、四宮夏樹さん。私を呼んだということは、何かの助言を求めているんだろう?」
「彼女の種族は予言ができるんですよ。と言っても、アバウトなものですけどね」
なるほど。だから彼女が呼ばれたわけか。なら、ここはあやかっておくに越したことはない。
「あの、俺はどうすればいいですかね? 式を挙げるかどうか迷っているんですが」
「ふぅむ……なるほどねぇ。ちょっと待って」
刹那、ノノさんの金色の瞳がカッと見開かれる。瞳には不可解な紋様が浮かび上がっており、しかもそれらは次々と変わっていく。その様はまるで、これから先の未来を選んでいるかのようだ。
それから数分もすると、彼女は静かに目を閉じる。
「……己が心に従うことですね。苦難はあるでしょう。衝突も避けられないでしょう。ですが、それを恐れていては発展はありません。これからはあなたが道を示していくことが必要なのです。とりあえず、私に言えるのはこれくらいです。ただ、悪い未来は見えませんでした。どっちの道を選んでも、あなたはきっと幸せです。なら、後悔のない方を選びましょう」
「……そうですか。ありがとうございます。なら、俺は……あいつと式をあげたいです」
「その心は?」
「まぁ、何と言うか……リリィの花嫁姿が見たいから、ですかね?」
俺の言葉に、ノノさんのみならずオーリエさんもプッと噴き出した。
まぁ、これが俺の本心だ。飾り気のない本当の気持ちなら、これに従った方がいいということだろう。
「ノノさん。ありがとうございました」
「うん。どういたしまして。じゃあ、そろそろ帰るよ。旦那と子どもが待っているからね」
言うが早いか、彼女はサッと飛び去ってしまう。俺は去りゆく彼女に向かって何度も何度も手を振っていた。




