九十一話目~ダークエルフの演出家さん~
草木も眠る静かな夜。俺は厚手のコートを羽織ってある場所へと向かっていた。というのも、臨時で仕事が入ったからである。あの一件以降夜の外出は控えるようにしていたのだが、今回に限ってはどうしても行かなくてはいけないのだ。
何せ、古馴染みの呼び出しなのだから。
「はぁ……キツイな」
定期検診の後はいつもこうだ。体がだるくてしょうがない。
ちなみに定期検診というのは人間の時にやっていたものとは少しばかり違う。体の中に精密機械があるせいか時間がかかるし、かつ超高価なロボットなどを使って検診を行うのだが、それがどうにも慣れない。
検査中はずっと監視されているし、あまりいい気分とは言えない。これも慣れない原因かもしれないな。
「まぁ、いいか」
やや足を速めて目的地へと向かっていく。ふと空を見上げると、月が完全に雲で隠れていた。そのせいか、道はとても暗い。街灯で照らされているだけの頼りない道を歩いていくのはやや心細くもある。
俺はふとポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。そうして起動させ、画像欄を漁って一枚の写真を見つめた。そこには俺の家族たちが映っている。
不思議なものだ。以前は一人で何とかしようとしていたが、今は家族たちに支えられ、あいつらのために頑張っているという実感がある。正直なところ、こっちの方が俺は好きだ。
ちょっとばかりあいつらに負担をかけてしまって心苦しくもあるが、それでもやはり一人でないというのは大きいところだ。
「……っと、ここだな」
俺はすっと視線を右に移す。そこには、小さな一軒家がある。戦前から残っているボロ家はところどころ外装が剥げ、落ちた瓦の残骸は地面に散らばっている。うっそうと茂った雑草や庭の木は不気味な様相をますます醸し出している。
「ったく、掃除したらいいのに……言っても無駄か」
言いつつ、戸を引いた。すると、むわっと臭気が押し寄せてくる。吐き気をこらえながら勢いよく戸を閉め、玄関先から駆けだす。
「くさっ!」
ふざけるな! たまに呼び出したらこれか!?
「念のため持ってきておいてよかったな」
あらかじめ持ってきておいたマスクを装着する。これでだいぶマシになるはずだろう。
「お、お邪魔しま~す」
意を決して再び戸を開けるとまたしても臭気が押し寄せてきた。しかし、この程度はどうってことない。マスクの恩恵を受けながら、足の踏み場もない家の中へと侵入する。
「も、もしも~し! いるんですよね!? トワさん!」
答えはない。とすれば、また寝ているのだろう。俺を呼びだしておいて、いい御身分なものだ。いや、実際にそうなんだけど。
「しばらく来ていなかったが、酷いもんだな。あの人、ものぐさだし」
ゴミ袋などを手当たり次第に放って無理矢理スペースを作っていく。ゴミ袋には黒光りする虫や、うねうねと蠢く幼虫のようなものが付いている。俺は虫自体は好きだし触れるが、不潔なのは我慢ならない。この虫たちの温床となりつつある家を掃除したくてたまらない衝動に駆られながらも居間に到着すると、俺の視界に一人の女性が映ってきた。
タンクトップとパンティのみというものぐさを体現したような姿をした女性はワンカップを煽りながらテレビを見やっている。その脇にはさきいかや柿の種が置いてあり、酒盛りをしているのが見てとれた。
「トワさん! 何やってるんですか!?」
「ん? あぁ、夏樹くん。どうもどうも。ひっさしぶり~」
彼女はへらへらと笑いながらワンカップを振っている。それを見て、俺は大きくため息をついた。
彼女は俺の古い友人であるトワさんだ。種族は『ダークエルフ』族。人外の中でもトップクラスに長い寿命を持っており、高い知性を持つことで有名だ。だが、彼女はその種族特性にかまけてこのような怠惰生活を送っている……言い方は悪いが、ダメ人間だ。
「トワさん。今日はどうしたんですか?」
「ん? あぁ、面白いビデオが手に入ってね。これを一緒に見ないかい?」
彼女が持っているのは……いかにもつまらなそうな映画である。彼女はそれを俺に渡してくれるが、その内容たるや最悪のものだ。
ゾンビ映画ではあるのだが、表紙にはスーパーヒーローが描かれていたり、カートゥーンのキャラクターやいくつかのパロディが見られる。パッと見てわかるほどのクソ映画だ。
「これを見るんですか?」
「うん。次回作の研究にね」
「また何か書いているんですか? 大変ですね、作家先生も」
そう。トワさんは一部では有名なシナリオライターだ。何が有名かというと、最低クラスの予算で最高クラスのクソ映画を作るということで、だ。これは案外簡単なようで難しいことらしい。クソ映画好きは普通の映画好きよりもっと性質が悪いらしく、ただのクソ映画は求めていないというのだ。
「これはいいよ。中々にクソだ。クソをどぶにぶち込んで三日三晩煮込んだようだ」
知らん。てか、この人は相変わらずだ。
「トワさん。それはいいとして掃除はしましょうよ」
「わかっていないね。夏樹くん。クソ映画を作るためにはまずあらゆるものを最低クラスに落とさねばならないんだよ~」
「いや、知りませんよ! てか、生活レベルは保ちましょうよ!」
「チッチッチ。生活? 知らないよ。大体私の寿命は千年単位なんだから、いまさらちょっとくらい不摂生したくらいで死なないさ」
「そういう問題じゃないんですよ。トワさんは女の子なんですから、ちゃんとしませんと彼氏できませんよ?」
刹那、彼女の表情がピキリと凍った。これは彼女の地雷だ。俺はそれをあえて踏み抜いて見せたのだが、効果はてきめんだったようだ。トワさんは頬をひくつかせながら、目尻に涙を浮かべてみせる。
「い、いいもん。彼氏がいなくても幸せだもん。もう齢数百歳で生き遅れ確定だし、だったら独身貴族頑張るもん」
「口調が変わるくらい落ち込んでるじゃないですか! てか、やっぱり彼氏欲しいんですね?」
「当たり前だよ! 私だって女なんだ! それに、夏樹くんにわかるかい!? 実家に帰ると催促されるんだ! 孫はまだか、ひ孫はまだかって! おじい様とおばあ様からも言われたんだよ! クッソ! エルフ族に生まれなければよかった! こんなのは嫌なんだ! うぉおおおおっ!」
「お、落ち着いてください!」
ワンカップを投げつけてくるトワさん。俺はそれを片手で払い、彼女の方に歩み寄る。
「俺が悪かったですよ。意地悪しすぎました。だから、ね? ほら、映画見ましょう?」
「うん……夏樹くんは優しいな。私の旦那さんになってくれないかい?」
「あ、すいません。俺もう婚約しているんで」
「え!? 嘘でしょ!?」
「いや、マジですよ。ほら」
言いつつ、スマホを起動させ先ほどまで見ていた写真を見せてやる。トワさんはそれをまじまじと見ていたが、やがてボロボロと涙をこぼし始めた。
「は、はは……夏樹くんもとうとう結婚か。なるほどなるほど。こうやって私はまた置いていかれるんだね? 同期はみんな結婚して家族がいるし、私はこんなクソみたいな家でクソ映画を作るしか能がないんだよ」
「お、重い……」
「口に出てるよ。はぁ……辛いな。私は本当にどうなるんだろうか? こんな長い生を受けているんだから色ごとの一つや二つがあってもいいと思うんだが、どう思う?」
「いや、トワさん綺麗だからお洒落とかすればいいと思うんですけどね」
しかし、彼女は首を振る。
「お洒落とかわからないんだよ。何で服にお金をかけるんだい? そんなもの数年経ったらおじゃんじゃないか。映画はいいよ。半永久的に楽しめる。こんな娯楽があるのに、どうしてオシャレしなくてはいけないんだ……?」
だから彼氏ができないんですよ、とは言えない。
「と、とりあえずこの話は終わりにしましょう! 闇しかない!」
「そうだね。うん。辛いよ。本当に。彼氏が欲しいし結婚もしたい。でもね、人を好きになれるかわからないんだ。いや、私が結婚したいのだって家族に急かされているからかもしれないし……」
「いや、大丈夫ですよ! ほ、ほら! 早く見ましょう! ね!? 愚痴も聞きますから!」
言いつつ、俺はスマホでシュラに連絡を取る。酒をいくつか寄越してもらうためだ。彼女がこんなネガティブモードに入った時は、大抵酒をがぶ飲みする。いわゆる、ヤケ酒だ。しかもエルフは酒乱が多く、相当たちが悪い。
これから起こりうるであろう出来事を予測して、俺は戦慄した。
が、それよりも今見ている映画の出来がクソすぎてそっちに戦慄した。




