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八十一話目~デスの導き手さん~

 暗い。ここは、とても暗い。

 目を凝らしても何も見えず、何も聞こえない。この状況を表す言葉があるとするならば――『無』だ。

 足は動かしているものの、前に進んでいる感覚がない。いや、そもそも自分がどこにいるかすらわかっていないのだからそんなことは土台無理な話なのだろう。

 俺は一度瞑目し、前にゆっくりと手を伸ばす。すると、何か柔らかいものを掴んだ。それは俺の手の中でもにゅもにゅと形を変える。それに合わせて、誰かの声も聞こえてきた。

「誰か、いるのか?」

「えぇ、いますよ」

 そんな言葉が聞こえたかと思うと、俺の手を誰かが掴む。俺はよく目を凝らしてそちらを見やって、ハッと目を見開く。そこにいたのは、白髪の女性だった。

 魔術師が着ているようなローブを被り、なぜか右手には鎌を持っている。右半分の顔は仮面に隠されていてよくわからない。その仮面というのは、骸骨を象ったものだ。彼女は妖艶に微笑みながら、俺の方に歩み寄ってきて頭を下げる。

「はじめまして。四宮夏樹さん。私は『デス』族のヘルリーナと申します」

「どうして、俺の名前を?」

「だって、私は死神ですもの。死者の名前は、全て把握しておりますわ」

 正直、言葉を失った。今、彼女は何と言った?

 ヘルリーナはスッと背筋を伸ばし、一つ咳払いを寄越した。彼女の口元には、淡い微笑が浮かんでいる。

「混乱なさるのも無理はありません。ここに来た方は、皆同じような反応をしますから」

「……本当なのか?」

「もちろん。ただ、正確に言うならば死にかけ……英語で言うところの『dying』と言ったところですね。今は死へと向かっている状態です。ちなみに、死因は撲殺。酷いものですよ。内臓のほとんどが破裂していて……」

「やめてくれ、頼む」

 聞いていて気持ちのいい話ではない。俺は彼女の話を手で遮り、ふと空を見上げた。そこも、黒で埋め尽くされている。

「……要するに、俺はもうすぐ死ぬんだな」

「はい。ですが、悲観しないでください。死ぬのはそう悪いことではありませんから」

「いや、君に言われても説得力がないんだが」

 骸骨の仮面をつけ、怪しさ満点の人に言われて「はい、そうですか」と言えるわけもない。困惑する俺を見て、彼女は思案気に眉根を寄せた。

「それもそうですね。ですが、ご安心を。あなたは善行をちゃんと積んでいるので、悪いところにはいきませんよ」

 と、羊皮紙のようなものを取り出してわざわざ見せてくれる。そこにはいくつかの文字が並べたてられていた。見た感じ、帳簿のようでもある。

「ちなみに聞くけど、俺はどこに行くんだ? 地獄か? 天国か? 極楽浄土か?」

「落ち着いてください。まずは、あなたの宗教から入る必要がありますので。四宮さん。あなたは神道を信仰していますね?」

「えぇ、まぁ」

「ならば、あなたはこの後ほんの少しの手続きをした後は神となります」

「は!?」

 俺は目玉が飛び出さんばかりに目を見開いていた。だが、彼女はこちらを宥めるように手を振る。

「神、と言ってもそんな大仰なものではありません。付喪神や八百万の神の末端として転生するのです」

「何か、漫画の主人公みたいだな」

「よく言われます。ただ、本当に楽ですよ。神になれば憑代が破壊されても生き続けられますし、何より自由です。あらゆるしがらみから抜け出せるのですよ」

 よくわからない宗教の勧誘の様なことを言っている。だが、彼女の言葉には妙な説得力があった。その有様に、俺はごくりと生唾を飲みこむ。

「……なぁ、念のため聞きたいんだが」

「何でしょう?」

「しがらみから抜け出るって言ったよな? 俺の記憶はどうなる?」

「消えます。転生時にすべてリセットされる仕組みになっているのです」

「そんな! 何とかならないのか!?」

 しかし、彼女は小さく首を振る。俺は絶句していた。今世の記憶が、すべて消える?

 冗談じゃない!

「ふざけるなよ! 俺にはまだやりたいことがいっぱいあるんだ! 一緒にいたい奴がたくさんいたんだ!」

「心中お察しします。ですが、申し訳ありません。これが、決まりですので」

「馬鹿げているな。決まりなんて知るか! 俺は、まだ死ぬわけにはいかないんだよ!」

「ここに来た方々は毎回そう言います。ですが、もうあなたは死んでいるのです。心臓は止まり、魂が抜け出ている。ここにいるあなたはあなたであってあなたでない。魂が死出の道を歩んでいるにすぎないのですよ?」

 ギリッと歯ぎしりする。本当に、これで終わりなのか?

 俺はようやく……大事なものを見つけたというのに。

 ヘルリーナは嘆息し、俺の方に鎌を向けた。ギラリと鈍い光を放つそれは、俺の首元に突きつけられる。

「私が、これを持っている理由がわかりますか? この鎌は、魂を刈り取るものです。できれば使いたくないのですが、聞き分けがないのであればしょうがありません。悪いですが、ご同行願います」

「……嫌だ」

「自分がどのようにして死んだかお分かりですか? 内臓のほとんどが破裂し、全身の骨はぐしゃぐしゃ。筋繊維もほとんど断裂し、生命活動を行えるレベルではなくなっているのです。かろうじて頭が残ってはいますが……それ以外がダメならどうしようもありません。人間としての原型が残っているだけまだマシですがね!」

 鎌で体をグイッと引き寄せられる。彼女の濁った水銀色の瞳は俺をまっすぐ見据えており、どこか異様な雰囲気を漂わせていた。それは俺の体を強張らせるには十分なものである。

「四宮さん。もう、楽になりましょうよ。あなたは十分頑張りました。私たち『人外』と人間の融和を図るため、誰よりも努力を重ねてきました。実際に、それで救われた者たちもいます。これ以上、何を求めるというのですか?」

「家族だ」

 即答した。俺は、彼女の目をまっすぐ見据えたまま、しっかりとした口調で告げる。

「俺には、家族がいるんだ。大事な大事な家族だ。あいつらと一緒にいたい。あいつらと一緒に笑いたい。わかるか? あいつらといると何よりも楽しいんだよ。幸せなんだよ。仕事でどれほど疲れていても、あいつらの顔を見たらそれがすべて吹き飛ぶんだ。何よりな……あいつらを泣かせたくないんだよ。俺が死んだら、あいつらはきっと悲しむ。だから、戻りたい。いや、戻らなくちゃいけないんだ!」

 ヘルリーナは無言だった。だが、彼女の目は俺の後方を見やっている。何事かとそちらを見やると、そこからは光が放たれていた。とても温かで、眩い光だ。

 耳を澄ませてみれば、誰かが俺を呼ぶ声がする。たくさんの声だ。それがいくつにも重なり合っている。

「あれは、なんだ?」

「……光ですよ。現世のね」

 ヘルリーナはどこかつまらなそうに呟いた後で、鎌をスッと納めた。すでにその顔からは先ほどまでの険しさは消えている。彼女は口元に微笑を浮かべたまま、肩に鎌を担いだ。

「最近、よくあるんですよねぇ……人間と人外が出会ってからというもの、こうやって人間を引き戻してくるんです。俗に言う、黄泉返りですよ」

「待て。つまり、俺は生き返るってことか?」

「えぇ、そうですよ。よかったですね。私としては、最悪ですが……今月のノルマ、また達成できないかもなぁ」

「ドンマイ。運がなかったな」

 俺は光の方へと一歩を踏み出す。今度は歩いている自覚があった。

「四宮さん」

 ふと、ヘルリーナが語りかけてくる。振り向くと、彼女は仮面を外してこちらに手を振っていた。

「あなたはまっすぐですね。今時珍しいくらい、まっすぐでどうしようもなく正直な人です。その心を忘れないでください。例えどんな体になっていたとしても、心がそのままなら、あなたはあなたのままでいられるのですから」

「……あぁ。色々すまなかったな。ありがとう」

「いいえ。これもお仕事ですから。では、どうぞお気をつけて。また、会いましょう」

 俺は光の中へと足を踏み入れながら、彼女へ満面の笑みを向け――

「絶対に、嫌だね」

 挑発的に言ってやった。

 その直後、目の前がパァッと開けるような錯覚を覚えると同時、より声が鮮明に聞こえてくる。ふわふわと空に浮かんでいるような浮遊感が体を襲い、徐々に瞼が落ちていく。

 その抗いがたい感覚に身を委ねたまま、俺は静かに目を閉じた。


「……きさん! 夏樹さん!」

 声だ。声が聞こえる。これは……リリィの声だ。

 ゆっくりと目を開けると、まず真っ白い天井が目に映ってきた。遅れて、ピカピカと光る蛍光灯とこれまた白いカーテン。それと……涙を流すリリィと、それを取り巻くように立っているシュラやかずら。彼女たちは、一様に目を丸くしていた。

「……おはよう。いい目覚めだな」

「な……夏樹さん」

 呟くのはリリィだ。彼女は戸惑いを隠せないようで、目を赤く泣き腫らしながらこちらに手を伸ばしてくる。俺はそっとその手を握り返し、違和感に気づく。

 温度を、感じないのだ。

「な、何があったんだ?」

「悪いけど、君はもう人間じゃないよ」

 そう漏らしたのは、メディアさんだ。彼女はつぎはぎだらけの体を指でなぞりながら、バツが悪そうに頭を掻く。

「正直、君を助けるにはそれしかなかった。体がほとんど壊れていたからね。新しいパーツで君の体を補強したよ」

「……で? 俺の種族は?」

「決まっているよ。おそらく、これからは『人外』という言葉に変わってこちらが用いられるかもね……『亜人デミ・ヒューマン』さ」

 その言葉を受け、ぺちぺちと体を触るとやや硬い感触が返ってきた。体の中に、鉄板でも仕込んでいるのか?

 ……いや、そんなことはどうでもいい。俺はすぐに、また泣きそうになっているリリィへと目をやり――その体を、力いっぱい抱きしめた。

 当然のごとく、温度は感じない。彼女の温もりは感じることができない。

 だが、心は違う。彼女の優しさが、思いが流れ込んでくる。

 気づけば、俺の頬を涙が伝っていた。まるで、この喜びが嘘でないことを示すかのように。


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