八十一話目~暗幕~
事態は混戦を極めていた。あちこちでは悲鳴と怒号が響き合い、血飛沫が舞っている。
『名無しの怪物』を相手にしている牛鬼と土蜘蛛は互角以上の闘いを繰り広げているものの、怪物の一撃は予想以上に強力だ。二人はそれを躱しているものの、怪物の拳は容易に地面に大穴を開ける。地形を変えるほどの一撃だ。当たれば、ただでは済まないだろう。
「この……ッ!」
一方、シュラは苦戦していた。力では勝っているかもしれないが、単純に相性が悪い。
羅生門鬼は羅生門の守護を司る鬼だ。性質としては、ぬりかべに近い。特定条件を満たさないと、その防壁は破ることができないのだ。
しかし、その条件は至ってシンプル。ただ、攻撃を加え続けるだけだ。が、それが難しいのは周知の事実。攻撃の大半が無力化され、体力ばかりがいたずらに減らされていく。そもそもシュラは頭に血が上りやすい。彼女は現状にいら立ちを隠せないようだった。
「このクソ猿が!」
レジオと狒々が拳を交わしている。スピードはほぼ互角と見たのか、今度はパワー勝負に出たようだ。今日は満月であり、レジオのポテンシャルが存分に発揮される日ではあるのだがいかんせん屋内だ。月の加護がない状態では、上限がある。レジオはじりじりと押され、苦悶の表情を浮かべていた。
「旦那!」
と、そこで力強い怒鳴り声が耳朶を叩いた。刹那、俺の視界を闇が包み、再び目を開けると工場の隅まで移動させられていた。朱黒の仕業である。どうやら、敵の攻撃から庇ってくれたようだ。
「悪い、朱黒!」
「いいんでさぁ。旦那は人間であっしらより非力なんですから」
「フォローになってねえよ!」
口角を吊り上げつつ、リボルバーの引き金を引く。ちょうどこちらにやってこようとしていた口裂け女の腹部に風穴があき、彼女の大きな口から血が吐きだされる。蠱毒の力は恐ろしい。彼女はすぐに見動きを止めた。
「朱黒。他のサポートに回ってくれ。重傷者が出ている。そいつらは離脱させろ」
「……了解。ボス。あっしの代わりに旦那のおもりを頼みやすぜ」
「はいはいっと」
かずらは俺の隣に身を寄せ、両手を前に掲げた。すると、俺たちを中心に半透明の膜が形成される。シャボン玉のようなそれは俺たちをすっぽりと包みこんだかと思うと、ふっと消えた。いや、見えなくなったという方が正しいだろう。
「大丈夫。この中にいる限りはばれないから」
かずらが自信ありげにそう告げる。
ぬらりひょんの特性は同化だ。ありとあらゆる場所に適応し、違和感なく紛れ込む。彼女が使ったのは、それを応用した能力である。今さらながら、彼女の実力に舌を巻く。
「……だが」
俺は小さく舌打ちした。今のところ、状況は優勢である。
数で勝り、奇襲を仕掛けたにもかかわらずだ。
あちらには太古の昔から存在した人外――妖怪やモンスターが存在していた。歴史の長さが強さに直結するわけではないが、奴らは間違いなく強い。修羅場も数多く潜ってきているのだろう。動きに無駄がなく、統制が取れていた。
「かずら。ここから攻撃はできるか?」
「無理だね。そうなれば、気づかれちゃうよ」
「じゃあ、何ができる?」
「……何も。ただ、見ているだけさ」
「こんな時までふざけるなよ? 俺だって戦うさ!」
しかし、かずらは首を振る。
「でも、なっつん。ハッキリ言って、君じゃ役不足だ。だって、君は人間だもの。人外じゃない。異形の存在じゃないんだよ」
そんなのわかっている。嫌というほど、わかっている。
俺がここでは邪魔者扱いだというのもよく知っている。
本当は、ここではないどこかで彼女たちの無事を祈っている方がいいのだともわかっている。
だが……ッ!
「なぁ、シュラ。俺たち、盃を交わしたよな? あの時から、俺はお前らとは一蓮托生だと思っていたんだよ。確かに、俺は弱いさ。力もない。けど、誰かを護りたいって気持ちだけはお前らよりも強いつもりだ。だから、頼む。どんな危険なことでもいい。何か、できることはないか?」
かずらはただ黙りこくっている。しかし、その横顔は緊迫した様子だった。珍しく思案する彼女は数拍おいた後で、そっと目を閉じる。
「……頑固だね。やっぱり、君は面白いや。いいよ。ただし、自己責任でね」
言うが早いか、シュラはトコトコと歩いていく。俺は彼女からはぐれないようにやや足を速めてその後を追った。すると、そこで妙なことに気づく。
攻撃が、全てこちらを外れているのだ。他の人外たちも、この場所を避けながら戦っている。この乱戦の中で、誰も俺たちに気づかないのはハッキリ言って以上だ。もはや、この能力は規格外のものである。
かずらは例の名無しの怪物のところまで歩いたところで、ピタリと足を止めた。
「この能力はね。自分から誰かにアクションを起こした段階で消える。つまり、声を出したり攻撃したりすれば、その時点でアウトなんだ。でも、裏を返せば……」
「奇襲ができる。そうだろ?」
「その通り。ただ、リスクがある。この能力が解けるまで、誰も僕たちのことを知らないということだ。つまり、サポートやカバーは期待しない方がいい。朱黒も、おそらく間に合わないだろう」
「いいさ。で? 誰をやればいい?」
かずらはゆっくりと怪物へと指先を向けた――かと思うと、そっと羅生門鬼の方へと移す。この場所は、奴のちょうど真後ろだった。
「ここからなら、能力圏外から狙い撃てる。ただし、その後どうなるかはわからない。もしかしたら、流れ弾が飛んでくるかもしれないし、敵に襲い掛かられるかもしれない。それでもいいかい?」
俺は首肯と同時にリボルバーを手に取る。それが、俺の答えだ。
銃口が羅生門鬼の心臓部を捉える。後は、引き金を引くだけだ。
ゆっくりと息を吸い込み、静かに瞑目すし、ゆっくりと、噛み締めるようにトリガーを引いた。
刹那、俺たちの周りが一斉に動き出す。
羅生門鬼が身をのけぞらせたところにシュラの拳が叩き込まれ、彼の体ははるか彼方へと飛んでいく。一方で何が起こったのかわかっていないシュラの横顔に狒々が蹴りを入れ、間髪入れずレジオにも裏拳を喰らわせた。
怪物が放った拳によって大地が揺れ、瓦礫が飛んでくる。さらにそのうちの一つは俺の腹部にぶち当たり、俺はつい口からくぐもった声を漏らした。
「なっつん!」
かずらは俺の体を抱きかかえ、離脱しようとする。だが、それもすでに遅い。主をやられたことに激昂した怪物はこちら目がけて鋭い拳打を放った。土蜘蛛と牛鬼は咄嗟に身を割り込ませようとするが、その時にはすでにかずらの体は宙を舞っていた。
「かずら!」
戦線に復帰したシュラが彼女の体を空中で受け止める。かずらは――口から大量の血を流し、苦しげに呻いていた。四肢はあらぬ方向へ通り曲がり、拳打の強力さを物語っている。
「この!」
リボルバーを怪物へと向ける。だが、奴は野生の勘によるものなのかすぐさま身をかわし、こちらの懐まで潜り込んでくる。
刹那、俺の体に悪寒が走った。奴はすでに拳を構えている。
これが当たれば、俺は……ッ!
「夏樹!」
「お前の相手は俺だろ、ワン公が!」
レジオの動きを狒々が止める。この状況下では、助けは望めない。
そうこうしている間にも奴の拳は俺へとグングン迫ってくる。そんな危機的状況だというのに、俺の意識はなぜかクリアーだった。
周りの状況がやけにスローに見える。こちらに駆け寄ろうとする仲間たち。負傷したかずらを庇いながらも戦闘を続けているシュラ。俺の方に手を伸ばしているレジオ。
……ああ、なるほど。これが走馬灯という奴か。ということは、俺はもうすぐ死ぬのだろう。
思えば、いい人生だった。こんな仲間たちに恵まれ、何よりいい家族と巡り合えた。
リリィ、グリ、ピティ。俺の大事な家族たちだ。
そう。俺の、俺のとても大事な――家族たちだ。
俺は痛みに堪えるべく、静かに目を瞑った。
この後、腹部を圧迫された感覚が走ったかと思うとそれっきり何も感じなくなった。音も、光も、何もかも。ただただ、真っ暗な闇の中に俺の意識は飲まれていく。
その時、誰かが俺の名を呼んだような気がするが――すぐに、そんな思考すらも闇に呑まれていった。




