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八十話目~名無しの怪物~

 時刻は午前一時四十五分。青行燈はすでにこの場を去っており、召喚されるのを待っている。今頃、パキラと話をしている頃だろう。もし計画通りことが進めば、パキラが俺たちに連絡をくれるはずだ。

 俺はふと視線を周囲にやる。廃校の校庭内には多数の人外が押し寄せている。その数ざっと、百。文字通りの百鬼夜行が集った今日、俺たちは決戦の準備をしていた。

 この中に非戦闘員はいない。少なからず腕に覚えがあるものだけ、参加を要請したのだ。いつもの相手と同じ感じで挑んでは犠牲者を無駄に増やすことになる。量よりも質を優先し、奇襲を仕掛けることこそが今回の作戦の肝だ。

「おい、かずら! いきなり連れてきてどういう了見だよ、あぁ!?」

「悪いね、牛鬼。土蜘蛛。君たちの力をどうしても借りておきたかったんだ」

 校庭の隅っこではかずらと長身の女性、それからパンクな格好をした女性が言い争っていた。どうやら、彼女たちがかずらが度々言っていた問題児二人らしい。その二人はかずらを威圧的に睨みつけているが、一方の彼女はニコニコと笑っている。

 流石はぬらりひょん、と言ったところだろうか?

『ハロー、ハロー。応答願えるかな?』

 ふと、校庭内のスピーカーからグリムの声が聞こえた。彼は飄々とした調子のまま、どこか他人事のように続ける。

『パキラから連絡があった。青行燈が眠りから目覚めたそうだよ。座標の特定は今やってもらっている。みんな、準備はいいかな?』

 もちろんだ。そう言わんばかりにこの場に集まった全員が各々の獲物を振りかざす。それをどこかで見ていたのか、スピーカーからは彼の笑い声が聞こえていた。

「じゃあ、そろそろ行きやすぜ」

 朱黒がどこからか現れ、能力を発動させる。影が俺たちを包んでいき、世界が闇に包まれていく。

『座標は指定したとおり、この街にある廃墟となった工場だ。行けるかい?』

「造作もないことでさぁ……ただ、これだけの数を飛ばすとあっちゃ、あっしもただじゃあすみやせん。戦闘には参加できないと思ってくだせえ」

「気にしなくていいよ、朱黒。元々バックアップ要員として数えているんだからさ」

 かずらの言葉に、朱黒はふっと微笑んだ。その横顔は、なぜかいつもよりも嬉しそうに見える。

「……じゃあ、行きやすぜ」

 刹那、闇が蠢動する。俺の体に闇がまとわりついていき、徐々に浮遊感が襲ってくる。

 俺は静かに瞑目し、リボルバーをギュッと握りしめた。

 そうして目を開けると映ってきたのは――ボロボロの壁といくつも打ち捨てられた重機だった。どうやら、工場内には侵入できたようである。

 さらに、その中央には青行燈と彼女を中心に円を描いて座っている者たち。ローブを被っているせいで顔も体の形もいまいちよくわからないが、間違いなくあいつらが首謀者だろう。

「かかれ!」

 誰ともなくそんな叫び声が上がる。が、それよりも早く動いていたものがいた。

 シュラと、レジオだ。二人は目にも止まらぬ速さで奴らへと接近し、手近にいたローブの男を殴りとばす。咄嗟のことで防御すらできなかったのか、奴は二人の拳をまともに受けてしまい、すさまじい勢いで吹き飛ばされていった。

 その衝撃でボロボロになったローブの下から顔が見えてくる。至って普通の、人間然とした奴だった。

「あれは……雪男だね」

 かずらがポツリと呟く。彼女は苦虫をかみつぶしたように渋い顔をしていた。

「……数年前から連絡が取れなくなっていたけど、こんな形で再開するとはね」

 どうやら、彼女の知り合いだったらしい。だが、今はそんなことを気にかけている場合ではない。

「行け!」

 俺の号令に合わせて、他の人外たちもシュラたちに続いていく。一方で、奇襲にこそ戸惑っていたもののローブの集団は実に落ち着いた様相を見せていた。

 彼らは大きく後ろに跳躍し、シュラとレジオの攻撃を躱す。だが、甘い。

「ハッ!」

 鎌鼬が風の刃をやたらめったら打ち出した。それはまっすぐ奴ら目がけて襲来する。

「――ッ!」

 彼らのうちでもっとも巨躯を持つ者が前に歩み出る。が、風の刃の切れ味は思ったよりもすさまじいもので彼らのローブは無残に切り裂かれ、血飛沫が舞った。

「ちょ、ちょっと! 危ないってば!」

 巻き添えを喰らいそうになっていた青行燈がぎゃあぎゃあと叫ぶ。彼女は怒り心頭と言った様子で鎌鼬に抗議していた。その剣幕に鎌鼬は戸惑っていたものの、すぐに体勢を整える。

 俺も前方に目をやって、ごくりと息を呑んだ。

 主犯格たちは身を隠していたローブの加護を失い、その姿を月下の元に晒している。やはり、人外しかいない。目を三つ持つ者や、逆に大きな目を持つもの、はたまた耳元まで裂けた口を持つ者など、様々だ。

 だが、その中に志野さんの姿はない。ということは、彼女はこの件とは無関係なのだろう。安心したやら、逆にそれが恐ろしいやら、自分でもよくわからない気分だった。

「ち……やられたな」

 奴らのうちの一人、猿のような見た目をした奴が憎々しげに毒づく。確か、あいつは狒々と言う人外だったはずだ。彼はギラギラと血走った目をこちらに向けている。

「まぁ、時間の問題だったんじゃないかのう? あ奴がいる以上な」

 と、しわくちゃの老人が青行燈をじろりと睨む。それを受け、彼女はやや身を強張らせた。俺は彼女を庇うように前に立つ。

「悪いが、おしゃべりはそこまでだ。こんな時間に何をやってる?」

「問答は無用じゃ。人間」

 老人は挑発的に答え、俺たちを見渡した。その後で、白く濁った眼をズロリと剥く。

「ほほぅ。なるほどのぅ。お主たちが、例の人外連合じゃったか」

「そのセンスのない名称、どうにかならないかねぇ? なぁ、羅生門鬼」

 シュラが静かに告げる。だが、彼女の目は口調とは裏腹に苛烈に燃えさかっていた。それを受けた老人はゲラゲラと汚らしい笑いを上げる。

「これはこれは、頭領。お久しぶりですなぁ」

「おべっかは嫌いだよ。それに、あんたにそう呼ばれる義理はないさね」

「ふふ、ずいぶんと嫌われたものですな。まぁ、よいでしょう。それより、こちらとしては感謝をしているのですぞ? あなた方のおかげで、計画は順調に進んでいた……そう。進んでいた」

「残念だったな。あんたらの望みはここで終わりだよ」

 シュラが大きく一歩を踏み出す。が、老人はそれまでの調子を崩さず肩を竦めた。

「頭領。いいことを教えてあげましょう」

「あ?」

「怪談は、観客がいて初めて成立すると」

 刹那、大地が鳴動し、工場内の全てのガラスが割れた。耳障りな音が響き、工場内で反響する。

「ま、まずいかも……」

 青行燈は慌てふためいた様子で俺の方にやってくる。彼女の顔は、これまで見たことがないくらい緊迫していた。

「逃げて! あいつが、あいつが来る!」

「あいつ? なんだ、それは?」

「あいつだよ! 怪談におきまりのパターンでしょ!? 『名無しの怪物』って奴だよ!」

「そう。その通り。名無しじゃ。化け物は名も、存在意義も、何もかも与えられなかった。その具現が、今ここに」

 老人が手を振り上げた直後。空間が真っ二つに裂けてそこから二つの手が現れた。

 続いて、子どもが粘土で作ったのではないかと思うほどぐにゃぐにゃした頭が。

 毛むくじゃらで、しかし所々剥げていて鱗のようなものを生やしている胴体が。

 最後に、象のように太くて巨大な八本の足が現れる。

 それを見て、俺は苦笑した。

「……マジかよ」

 そこにいたのは人外でも、人外もどきでもない。

 ただの化け物だった。

「一つ、話をしてやろう。この怪物はな、子どもに作られた。家を出ることが許されず、名も与えられなかった不遇な子が、この状況を変えてくれるヒーローを作ろうとした。じゃが、怖ろしいものじゃのう。その子にとっての英雄は、他の者にとって化け物でしかなかったのじゃ」

「その具現が、こいつだと?」

「然り。『名無しの怪』……不遇な子どもたちの希望と絶望、そして無念が集まった集合体よ。怪談としてはテンプレじゃが、中々に恐ろしいじゃろう?」

「あぁ、そうだな。悪趣味な爺さんだ」

 おそらく、その怪談はこの者たちの創作だろう。だが、それこそが厄介だ。

 怪談から生まれる人外もどきで怖ろしいのは、製作者側からのアプローチをかけられるところだ。つまり、自分の思うように作れるのである。

 おそらく、老人は俺たちの存在を予期していたのだろう。なら当然……この怪物は、対俺たち用に作られたと言っても過言ではない。

「一つ答えな、羅生門鬼。あんた、アタシの元を離れて何をやっていやがった?」

「勘違いするでない、小娘が。わしは、貴様の軍門に下った覚えなどない。じゃが、その質問には答えてやろう。わしはな、仲間を探しておった」

「仲間?」

 老人は不敵な笑みを浮かべたまま哄笑する。

「そうじゃ。わしが仲間を探しておったのは、単純な理由よ。この退屈な世界にくさびを打ち込むためじゃ」

「何?」

「貴様らも知っておろう? わしら人外はかつては『妖怪』や『モンスター』などと呼ばれて人々から畏怖を集めていた。羨望の対象じゃった。じゃが、今はどうじゃ? 仲良しこよし。まるで童話の中じゃ。ふざけるでない!」

 彼は初めて感情を露にする。だが、すぐに元の調子に戻って咳払いをした。

「……かつて、わしらの祖先たちは人々を脅かす存在にあった。じゃが、今の世の中は違う。数で優位を示す人間たちが我が物顔で過ごしておる。間違っているとは思わんか?」

「思わないねぇ。少なくとも、アタシはこっちの方が好きだ。血なまぐさくないし、何より美味い酒が飲めるダチもできた。これ以上、何を望むって言うんだい?」

「日和ましたな、頭領。いや、酒呑童子や。お主はいささか甘いところがあった。なら、この世界はさぞ生きやすいことじゃろう」

 彼はそっと息を吐いた後で、かずらを睨んだ。そこにも、確かな怒りが滲んでいる。

「かずら。お主はこちら側だと思っておったがのう」

「あいにくだけど、時代は変わるんだよ。その時に合わせるのが、ぬらりひょんさ」

「ふ、それがお主じゃったな。忘れておったわ。しかし……悪いが、もう止められんよ。わしらが、新たな流れとなる。人外じゃと? ふざけるな。人間がわしらの何を知っている。なぜ、『人の道を外れたもの』などという意味合いの名をつける? 違う。わしらは、妖怪じゃ。人々の畏敬を集め、好き勝手暴れまわる、闇の化生じゃ!」

「シュラ!」

 かずらが叫ぶと同時、シュラが動いた。彼女は大地を蹴り、老人目がけて殴りかかる。

「門鬼ぃいいいいいっ!」

 シュラが拳を思い切り振りかぶる。老人もそれに応えるかのようにふっと微笑み、右手を掲げた。

 刹那、彼女の体が吹き飛ばされる。ダメージはないのか空中で体勢を立て直した彼女は、小さく毒づいた。

「チッ! またあの術かい!」

「そう。わしは羅生門鬼。羅生門を千年以上守り続けてきた。この程度、造作もないわい」

「俺を忘れなんなよ!」

 そこで新たな動きが生まれる。レジオは老人目がけて猛突し、鋭い爪で斬りかかった。しかし、それを受け止めるものがひとり。先ほど毒を吐いていた狒々だ。彼は好戦的な笑みを浮かべながらレジオを見やる。

「いいなぁ、あんた。いい目をしてるぜ」

「黙れよ、エテ公!」

 レジオと狒々は目にも止まらぬ動きで戦っている。姿は見えないものの、互いに全力で戦っているのだろう。時折壁に亀裂が入り、地面に穴が開いた。

「二人とも! あの怪物は頼んだよ!」

「わぁってるよ!」

「めんどくせぇなあ!」

 牛鬼と土蜘蛛が同時に怪物へと仕掛ける。それを止めようと怪物の元に集まっていた奴らが止めようとするが、二人はそれをまるで意に介さない。彼らを逆に薙ぎ払い、怪物へと蹴りを放つ。

「ぐぉおおおおっ!」

 怪物には痛覚があるのだろう。奴は苦悶の声を上げ、その巨体をのけぞらせた。

「今だ、やれ!」

「おぉおおおおっ!」

 今が好機と見たか、こちらの陣営が一斉に動き始める。その様は、まさしく波。容赦なく敵を飲みこむ濁流だ。

 俺はごくりと息を呑みこみ、リボルバーを怪物へと向ける。

 数泊おいて銃声が鳴り響き、乱戦の幕開けを告げた。


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