七十八話目~???の怪談~
「夏樹さん。大丈夫ですか?」
夜もすっかり更けたころ家に帰ると、リリィが出迎えに来てくれた。俺は力のない笑みを彼女へと向ける。
「あぁ、大丈夫だよ。ピティには悪いことをしたかな? 見送りに行けなくて」
「ピティさんもわかってくれていますよ。夏樹さんが奔走していたことを。むしろ、来ていたら叱りつけるって言っていました」
「あいつらしいや。グリは?」
「もう寝てます。最近は、一人で寝れるようになってきたんですよ」
「そうか」
俺は彼女にそう返し、リビングへと向かう。静まり返ったそこには、ポツンと夕飯が置いてあった。俺の横をすり抜けてきたリリィはそれを持って台所へと向かう。
「お夕飯あっためますね?」
「頼むよ」
俺は嘆息しながら上着を脱ぎ捨てる。すると、そのはずみでリボルバーが内ポケットからこぼれ落ちてきた。俺はそれを片手で受け止め、苦笑する。これで、どれだけの人外もどきを葬ってきたのかわからない。
あいつらとの戦闘はいまだに続いている。すでに百体は葬っただろう。こちらの被害は至って軽微であり、死者も重傷者も出ていない。噂を聞きつけてやってきた人外たちも戦線に加わってくれたおかげで、だいぶ楽になってきた。
しかし、一つだけ問題がある。もどきの出現率もそれに比例して上がってきているのだ。例の法則――数体が倒されるとそれ以降は出なくなるというのは変わらない。だが、今ではより強力なもどきたちが出現してきているのだ。
今のところは数の有利があるこちらに分がある。だが、奇妙なのだ。
あいつらは、複数体で同時に来るということが絶対にない。一体ずつ、別々の場所に現れる。最初はこちらの戦力を分散させる狙いなのかと思ったが、そうとは思えない。もしそのつもりであるのならば、もっと効率的なやり方があるはずだ。
「夏樹さん。家でくらい、ゆっくりしてはどうですか?」
リリィから苦言を呈される。俺は目元を指で押さえながら、小さく首を傾げた。
「悪い。どうも最近は働きづめだからな」
「本部の人は、どう言っているんですか?」
「とりあえず、俺に権利を一任するとさ。今のところ、人外もどきに一番詳しい人間は俺だ。それに、自警団の幹部連中は全員俺の担当の人外だし……もどきたちはこの街を中心に出現してきているからな」
そう。前までは各地でぽつぽつと目撃談が上がっていたのだが、今ではこの街近辺でしか見られなくなってきている。同族がやられたことに怒りを覚えているのか、それとも……何か、別の狙いがあるのか。
確証はないが、最初のもどきが発見されたのもここだった。なら、首謀者が潜んでいる可能性は非常に高い。ただ、それを知るすべはないし、捜査をしているものの手掛かりを掴めていないのも事実だ。
索敵能力ならば随一と謳われるレジオの嗅覚をもってしても見つからないのだ。よほど気配を隠すのが上手いのか、それとも……。
「夏樹さん。できましたよ」
ふと、リリィが夕飯を持ってきてくれる。今日はハンバーグか。俺とグリの大好物だ。
「ありがとう。頂くよ」
「やっぱり、大変なんですか?」
「まぁな。でも、安心してくれ。休む時は休むし、これからはちゃんと話すから」
その答えにリリィはふっと微笑む。俺たちはあの時以来、互いに隠し事をしなくなった。彼女のためを思っての嘘も、かえって彼女を心配させると気付いてからは言わなくなった。あの日、喧嘩のような形になってしまったが話し合ってよかったと今更ながらに思う。
俺はハンバーグをぱくつきながらテレビをつける。こうしていると、本当に幸せな日々を過ごしていると思える。家族がいて、温かいご飯が食べられているのだ。
俺は味噌汁を啜ってから、ほぅっと息を吐いてリリィの方を見やる。彼女は俺の視線に気づいてふっと微笑んできた。
「なぁ、リリィ」
「何ですか?」
「リリィはさ、グリの母親代わりだよな?」
「? はい、そうですけど……」
「だよな。で、俺はあの子の父親代わりだ」
しばらくの静寂がリビングを包みこむ。テレビから聞こえるコメンテーターの声だけが妙に大きく聞こえてきて、辟易した。俺はそっとテレビの音量を下げ、再び彼女の方を見つめた。
「で、今さらだけどリリィは俺のメイドだよな?」
「はい。雇われですが」
「……あのさ」
「はい?」
「よかったら、これからも俺と一緒に暮らしてくれないか?」
「……え?」
困惑する彼女をよそに、俺は続ける。
「いや、グリはまだ子どもだし、たぶん母親の存在が必要になると思う。それに、リリィにはとてもよく懐いている。だから、あの子の傍にいてあげてほしいんだ。もちろん、俺の傍にもいてほしい」
「え? あ、あの? ど、どういうことですか?」
「つまりさ……」
と、そこまで言いかけたところで、ふと電話が鳴り響く。俺はそれをすぐさまに手に取り、通話を開始した。
「もしもし?」
『なっつんかい? 緊急会議だ。すぐに朱黒が向かうよ』
「は? おい、グリム。待て……」
そこまで言いかけたところで、俺の視界が闇に包まれる。その寸前、リリィがこちらに手を伸ばしているのが見えた。俺も手を伸ばすが――虚しくも、視界は黒に塗りつぶされてしまう。
目を開けると、そこには自警団の幹部たちが集まっていた。彼女たちは円を描くように座っており、険しい表情をしている。その中心には、青行燈がぷかぷかと浮かんでいた。
「おい、急に呼び出しなんてどうしたんだよ?」
「夏樹ぃ……マズイことになった」
シュラが珍しく真剣そうな表情で言う。何事か、と俺は彼女たちの元に歩み寄った。すると、青行燈がこちらにふわふわと寄ってくる。
「……話があるそうだよ」
かずらが、これまで見たことがないくらい険しい表情で告げた。いつもは飄々としてへらへらと笑っているこいつがここまで思い詰めているとは。これは、何かがある。
息を呑んで答えを待っていると、青行燈が不意に口を開いてきた。
「一つ、伝えなくちゃいけないことがあるんだけど、いいかな?」
「……あぁ」
「今すぐ、この活動を中止した方がいい」
「は? いや、待て待て。おかしいだろう? もどきたちを自由にさせていいのか?」
「そうとは言っていない。まぁ、わかりやすく言おう。この活動は、この組織は、大きくなり過ぎた。それこそ、日本各地で噂になるほどに」
「……ッ! まさか……」
青行燈は静かに頷き、そっと目を伏せた。そこに秘められた悲しみに似た感情を見て、俺は戦慄する。
「人外や怪談が生まれる経緯については説明したよね? 人々が話し始め、それが噂として流布して、話されていくうちに言霊が集まっていって……」
「待てよ。つまり、あれか? 俺たちの活動そのものが、怪談になりかけているってことか!?」
「……そうさ。君たちの中にもいるだろう? ここのうわさを聞いてやってきた者たちが」
「……ふざけるなよ。もどきからみんなを護るためにやっていた闘いが、その実もどきを生み出すものになっていただと? 笑い話にもなりやしねえよ」
こんなに腹が立つのは初めてだ。結局、俺たちは誰かの掌の上で踊らされていたにすぎないというのか?
「で、その怪談はあんたから見てどうなんだい?」
「ハッキリ言って、形を成してきている。生まれる寸前だ。これ以上続ければ、確実に新たな怪談として世に名を刻むことになる」
「でも、もどきたちが攻めてきているのは確かだし、やめるわけにもいかないのが事実だよねぇ」
「ひょっとして、あいつらはこうなることがわかっていたのか?」
「可能性はあるね。ただ、彼らを操っている者の仕業だろう」
「だから、そいつらは誰なんだよ!」
喧々諤々とする会議室。しかし、俺の心はそこにない。
これまでやってきたこと全てが、誰かによって仕組まれていたことだった――。
それは十分に、俺の自信を瓦解させる要因と成り得るものだった。




