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七十五話目~影女の諜報部員さん~

 翌朝になって、俺は病院へと向かっていた。それは、とある人物のお見舞いに行くためである。無論、それだけのために行くのではないが。

 俺はビールが山ほど入ったビニール袋を片手に病院内へと足を踏み入れた。あらかじめ病室は聞いていたので迷うことはない。エレベーターを使って一気に目的の階まで上がると、予想通り喧騒が聞こえてきた。中には、悲鳴のようなものも混じっている。

 俺は小走りで病室へと向かい、中を覗き込んで嘆息した。

「シュ、シュラさん! お酒はダメですって!」

「ケチケチすんじゃないよ。なぁ、かずら」

「そうそう。酒呑童子は酒が原動力なんだから、奨励してあげなよ」

「って、かずらさんも呑んでるじゃないですかぁ!」

 喧々囂々、という言葉がぴったりな光景が病室内では繰り広げられていた。

 クモの体を持つアラクネ族であるクーラは目に涙を溜めながら目の前の患者たちに向かって声を張り上げているしかし、そんなことはお構いなしに酒呑童子のシュラとぬらりひょんのかずらはゲラゲラ笑いながら酒を飲みかわしている。

 俺はため息交じりに中へと足を踏み入れ、ビニール袋をひょいと掲げた。

「クーラ。お疲れ様。その酔っ払い二人はこっちで対処しておくよ」

「な、夏樹さぁん……」

 何とも情けない声を漏らすクーラはかさかさと天井を張ってその場を後にした。一方で、残された酔いどれ人外二人はけらけらと陽気に笑っていた。

「よう、夏樹! 退院したってな、おめでとう!」

「そう言う二人は、まだ検査が残っているのかな?」

「まぁね。特にシュラは、結構ヤバかったから」

 かずらが補足を入れると、シュラはジト目で「うるせえ」と毒づいた。本人的には、腕の衰えが気になっているらしい。今、酒を大量に摂取しているのもそのためだろう。

 酒呑童子にとって酒はかなり重要なファクターだ。酔えば酔うほど強くなるのが酒呑童子の特性だ。ただし、力を使いすぎるとたちまち消耗してしまう欠点がある。この間は、その隙をつかれたらしいのだ。

「待ってろよ、あの贋作野郎。次あったら捻りつぶしてやる」

「悪いけど、それは無理だよ。あいつは死んだ。でも、あいつの同類はまだ息を潜めている」

 その言葉を聞いた後で、シュラはグイッとビールの缶を煽り、まるで紙のように一瞬で握りつぶした。その瞳には、明らかな敵意が宿っている。

「そいつらは、どこにいるんだい?」

「いや、特定まではできていない。ただ、俺がここに来たのは二人にお願いがあるからなんだよ」

「……どうやら、いつもの依頼とは違うようだね」

 かずらがいつになく真剣そうな表情で言う。俺が、この二人を尋ねたのはあの惨状にいたからだ。それに、この地域ではかなり有力な人外で顔も聞く。だから、これからの作戦にはどうしても必要になると思っているのだ。

 俺はビニール袋の中にあるビールを二人に渡し、その後でどっかりと椅子に腰かけた。改めて対峙すると、この二人は相当な威圧感を持っていることがわかる。あの敗戦は、鬼の頭領であるシュラにも多数の人外たちを配下に持つかずらにとっても堪えるものだったのだろう。彼女たちはこちらに身を乗り出して少しでもよく話を聞こうとしてくれていた。

 そんな彼女たちに向かって、俺は静かに語りかける。

「俺に、お前たちの命を預けてくれないか?」

「……は? なんだい、そりゃ。告白じゃあるまいし」

「悪いな。だいぶはしょりすぎた。まぁ……俺は、この一帯の人外を護りたいんだ。あの時の画霊もどきは異常だった。たぶん、放っておけば確実に被害が出ると思う」

「だろうねぇ。ただ、一つ聞かせておくれ。その気持ちは、義務感によるものかい?」

「ま、コーディネーターとしては合格の答えだけど、君としてはどうなのかを聞きたいな?」

「決まっているだろう。立場とか、義務感じゃない。俺が、護りたいから言っているんだよ。正直言うと、俺はお前たちを……友人だと思っている。だから、その友人が傷つけられるのを見ていられないんだ。幸い、この立場ならお前たちを護ることができる。けど、悔しいけど、俺には力がないんだ。護れるだけの力が。だから、頼む。お前たちの力を貸してくれ。そして、一緒に……」

「待った!」

 言葉の途中でシュラが横やりを入れた。彼女はビールをがぶがぶと飲んだ後で、ギロリとこちらを睨んでくる。彼女の瞳は金色に輝いており、怪しい様相を見せている。そのただならぬ姿に、俺はごくりと唾を飲みこんだ。

「なぁ、夏樹よぉ。あんた、今、なんて言った? 自分に力がないから、助けてほしいだぁ? ハッ! よくも堂々と言えたものだ。恥知らずめ。強くなろうという気概はないのかい? 自分が護ってみせる、くらい言ってみたらどうだい」

「……あぁ。少年漫画の主人公なら、そんな風にカッコいいことを言って強くなるんだろうな。でも、俺は人間だし、本当に無力だ。厚かましいのもわかっている。惨めなのもよく知っている。恥やプライドでお前らを護れるなら、いくらでも持ってやるさ。でも、ダメなんだよ。俺じゃ、ダメなんだ。けど、俺たちならあいつらからみんなを護れるかもしれないんだ。だから、頼む」

「……シュラちゃん」

「……カッ! わぁってるよ。夏樹ぃ。あんた本当に馬鹿だねぇ。大馬鹿だ」

 しかし、彼女は心底嬉しそうに笑みを作る。

「けどねぇ、あたしは酒と同じくらいそんな馬鹿が大好きなんだよ。さっきは、悪かったね。ちょいと試させてもらったよ。あんたの覚悟って奴をさ」

「全く、シュラちゃんは不器用だよねぇ」

 かずらが飄々とした調子を崩すことなく言ってみせる。こいつは本当にぶれない。しかし、いつもよりやや楽しげに口の端を歪めたまま、指をぱちりと鳴らす。すると、部屋の影からぬっと人影が現れた。

「紹介するよ。こいつは『影女』の朱黒しゅこく。主に、ウチで情報伝達係として働いてもらっているんだ」

「……ボス。ご命令を」

 全身黒づくめの長身女性はぼそりと呟く。かろうじていることは認識できるが、感覚としては影がそのまま出てきたようだ。目も鼻も口も、どこにあるかわからない。けれど、こちらを見ていることだけはなぜか本能的にわかった。

「あぁ。ちょいと頼まれてほしいんだけど、全国に散らばるウチの奴らに声をかけちゃくれないかい? ただし、命の保証はしないともよろしく」

「お言葉ですが、ボス。ウチの奴らはあなたに忠誠を誓ったものばかり。命など惜しくもありませぬ。ですが、確かに承りました」

「待った!」

 再び影に潜ろうとする彼女を、俺は咄嗟に引き留める。すると、彼女は非常にゆっくりとした動作でこちらに体を向けてきた。俺は一瞬の間を置いた後で、大きく息を吸い込んだ。

「……言伝を頼まれてくれ。この街にいる人外全員にだ。もし、護りたい奴がいる者は俺の元にきてくれ。共にこの街を護ろう、と。ただ、無理強いはしない。怖かったら、逃げてくれ。絶対に死ぬな、と」

「……かしこまりましたよ、旦那。では、失礼」

 朱黒はすぐに影に潜って消えてしまった。俺は妙な安堵感に襲われ、胸をそっと撫でおろす。正直、すごく精神力をすり減らしてしまった。たぶん、そういう類の瘴気を放っていたのだろう。

「さて、夏樹。とりあえず……ほれ」

 どこから取り出したのかわからない大盃になみなみと日本酒を注ぐシュラ。彼女は緩慢な動作で俺の方にそれを差し出してきた。

「あんた、一揆を知ってるかい? その時は、誓いを固めるためにこうやって盃を交わしたそうだよ」

「正確に言うと、ちゃんと神様に一度納めた奴じゃないとダメなんだけどね」

「いいんだよ、細かいことは! ほれ! 飲みな!」

 半ば押し付けられるようにして、俺は酒を喉に流し込む。元々人外用の強い日本酒だろう。喉がカーッと焼けるような感覚がした。これには、いつまでたっても慣れない。

「さて、次は……っと」

 かずらが俺の手から盃を奪い取り、グイッと煽る。そうして、次はシュラに回された。流石というべきか、彼女は一気に中身を飲み干して俺とかずらを見つめなおす。

「さて、これで決まったね。自警団みたいなものか。いいじゃないか」

「あぁ。頼むよ、二人とも」

「こっちこそ頼むぜ、大将!」

「あ、ちょっと待った」

 ふと、かずらが手を上げた。彼女は子どものようにいたずらっぽい笑みを浮かべながらピッと人差し指を上げる。

「じゃあ、名前がいるんじゃない? 自警団として活動するならさ」

「名前ぇ? かずらはほんっとうにどうでもいいことに気をかけるな」

「いいじゃんいいじゃん。さ、名前はどうする? 定番的に『百鬼夜行』? もしくは『モンスターズ』? どうするどうする?」

 どうにも調子が崩されてしまう。結局その場では案がまとまることはなく、決起集会という名の飲み会を終えて俺はその場を後にした。


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