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七十四話目~人外の家族たち~

「リリィ。ちょっと話があるんだ」

 帰るなり、俺はそう口にした。玄関先で出迎えてくれたリリィはキョトンと首を傾げている。それを見ているピティはこちらの内情を知っているせいか、険しい顔でこちらを見つめていた。一方、彼女に抱かれているグリは訳がわかっていないようで俺たちの顔を見渡している。

「大丈夫。すぐに済むから」

「とりあえず、リビングに行きましょう。ここではなんですから。ね?」

 俺は彼女に頷きを返し、リビングへと向かっていく。その途中で、ピティがスッと体を寄せてきた。彼女はグリには聞こえないくらいの声量でぼそりと呟く。

「いったいどこほっつき歩いていたのよ。心配していたのよ?」

「……すまない」

 俺の心情を読み取ったのだろう。ピティはそれ以上言わず、ただ大きなため息を漏らした。前方を歩くリリィは俺たちを見渡した後で首を捻る。だが、俺はそんな彼女に対して優しく微笑みかけながら、リビングのソファに腰掛けた。

 リリィは俺の眼前に腰掛けた後で、居住まいを正す。それを見て、俺も背筋をグッと伸ばした。

「私たちは、席を外した方がいいかしら?」

 そう告げるのはピティだ。彼女はドアのところにグリと共に立っている。だが、俺は静かに首を振った。

「いいや。お前たちも聞いてくれ。俺は、どうしても伝えなくてはならないことがある」

 ピティは悩ましげに眉根を寄せていたものの、リリィの横に腰掛ける。リリィはピティからサーブされたグリを膝の上に置き、俺に視線を向けてきた。彼女の綺麗な瞳が俺の顔を覗き込んでくる。

 正直、言うのは躊躇われる。これまでは秘密にしてきたものだ。

 俺は数度息を吸い込み、呼吸を整える。徐々に心拍が落ち着いていくのを感じながら改めて彼女たちを見つめた。

「リリィ。実は……」

「わかっていますよ。これまでずっと、危ない橋を渡っていたんでしょう?」

 その言葉に、俺はハッとする。見れば、リリィは朗らかに微笑みながら、いつもの通り優しい眼差し俺に向けていた。もしや、ピティから聞いていたのかと思ったが、違う。彼女も俺と同様に驚愕しているようだった。

 当のリリィはというと、ふっと口元に淡い笑みを浮かべてそっと呟いた。

「知っていますよ。だって、夏樹さん。いつもと違うんですもの。いつもはもっとニコニコ笑っているのに、今は怖いです。笑っていても、心までは笑っていないんですよ」

「……そうか。すごいな」

「伊達に長年付き合っているわけじゃありませんよ。ですので、正直に言います。今回、私は非常に悲しいですし、歯がゆい気持ちでいっぱいです。これほどの長い付き合いなのに、相談してくれたのが今さらなんですから」

「それは、お前を危険に巻き込みたくなかったからで……」

「わかっています。夏樹さんは、そういう人です。いつも周りの人のことを考えて、自分のことを疎かにしています。私としては、夏樹さんと同じ秘密を共有して痛かったです。少なくとも、それができるだけの間柄だと思っていましたから……」

 そう告げる彼女の瞳はどこか寂しげだった。言葉の刃が緩慢に俺の心を抉ってくる。

 だが……ッ!

「でもな、リリィ。俺は、どうしてもお前を巻き込みたくなかったんだ。今回は、いつもとわけが違う。危険なんだよ」

「それは夏樹さんも同じですよね? 夏樹さんだって、ずっと死にそうな目に遭っていたじゃないですか。この間だって……」

「だから、あれは別に大したことはないんだって。怪我だってしていなかったじゃないか」

「そういう問題じゃありません!」

 普段は絶対に出さないような大声を出して、リリィはテーブルを力強く叩く。彼女らしからぬ振る舞いに、その場にいる全員がびくりと体を震わせた。

「……!」

 グリは怯えた様相でピティの方に移る。初めてリリィが怒っているのを見たからだろう。しかし、リリィはそれでもなお語調を緩めない。

「夏樹さん。どうして話してくれないんですか? 私たちはそんな希薄な関係だったんですか? 夏樹さんにとって、私は一体何なんですか!?」

「決まってるだろ! お前は俺の大事な家族だ! だから、言いたくなかったんだ! お前がいなくなるのが嫌だから! 危険な目に遭わせたくないから! お前を泣かせたくなかったから!」

「それは私だって同じです! 夏樹さんは、私の大事な家族です! だから、生きていてほしいんです! 笑っていてほしいんです! あなたが病院に運ばれたと聞いた時、一体私がどれほど……ッ!」

 その時、彼女の大きな瞳から大粒の涙がこぼれる。それを見て、またしても胸が締め付けられる思いがした。

「……夏樹さんは、ずるいです。大事なことはいつも隠して、私を遠ざける。私は、あなたと一緒に歩みたいのに」

「……悪い。お前が、そう思っているとは知らなかったんだ。けど、知ればきっとお前が不安に思うと……」

「それでも話してもらいたかったんです。何も知らされていないのが、実は一番辛いんですよ? 死ぬかもしれないとわかっていたならもっともっとあなたを愛せるのに。もっともっと一緒にいようと思えるのに。もっともっと……あなたと笑いたいと思えるのに」

 俺は口内の肉をグッと噛み締める。気を抜けば、俺も泣きそうだった。

 リリィは大事な家族だ。そんな彼女が悲しむところは絶対に見たくなかった。だが、結局はそんな考えは俺のエゴでしかなかったのだろう。

 俺は自分本位で考えていて彼女のことを気にも留めていなかった。いや、もちろん彼女を巻き込みたくなかったのは本当だ。だが、本当の意味で彼女のことを真摯に受け止めていなかったのだ。

 リビングにはリリィのすすり泣く声だけが響く。息も詰まりそうな沈黙だ。あのピティですら、苦々しげな顔で俯いている。俺も、彼女にかける言葉が見つからない。やはり、俺は大馬鹿だ。

 俺は俯いたまま、グッと拳を握りしめる。やるせなくて、自分が嫌になる。なんだかんだ言って、彼女に心配をかけていたではないか。偉そうなことを言っていたのに……最低だ。

 嫌悪感の海に沈む込みそうになる。そんな時だった。

「ママ?」

 ふと、グリが声を上げたのは。彼女はピティの腕を離れ、下から覗き込むようにリリィの顔を見つめている。その大きくて丸い瞳は、不安げに揺れていた。

「だいじょぶ? おなか、いたい?」

「……大丈夫ですよ。グリちゃんは、優しいですね」

 そう言って、リリィは彼女の頭を優しく撫でた。グリは嬉しそうに顔をほころばせていた後で、俺の方にトコトコと歩み寄ってきた。

 嗚呼、きっと彼女も俺を叱責するのだろう。だって、大好きな『ママ』を泣かせたのだから。

 もうどうにでもなれだ。俺はふとグリの方に視線をやって――ハッとする。彼女は、心底心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。彼女のゲル状の腕が俺の頬に伸びてくる。ぺちゃっという音とともに、冷たい感覚が頬を襲った。

「……パパ、だいじょぶ?」

「……ッ!」

 彼女の言葉に、俺のみならずその場にいたリリィもピティも目を剥いた。グリが俺のことを『パパ』と呼んだのは初めてだ。彼女は俺が言葉を失っているのを見て、ますます不安げに体をすり寄せてきた。

「……パパ、なかないで。もう、わがままいわないから」

「……いや、グリ。お前は悪くないよ。悪いのは、全部俺さ」

 そう言って、愛しき娘の頭を撫でてやる。彼女は本当に嬉しそうに頬を綻ばせた。俺は彼女に最大級の笑みを向けた後で、グッと背筋を伸ばして勢いよく頭を下げた。

「……すまない。リリィ。俺が悪かった。これからは、お前にも話すよ。だって……俺たちはグリの『パパ』と『ママ』だもんな。家族の間に、隠し事はなしだ」

「……そう、ですね。私たちは家族ですもんね。家族は仲良く、です」

 嗚呼、その通りだ。俺は、本当に大馬鹿だった。でも、変わってみせよう。

 この愛しき家族たちとなら、きっと大丈夫だ。

「ねぇ、私も入っているわよね?」

 長女がきょろきょろと辺りを見渡しながら言ってくる。それに、俺は小さく笑いかけた。

「もちろんだよ。ピティも俺の大事な家族だ」

「夏樹さん」

 ふと、リリィが語りかけてくる。彼女はそっと、右手の小指を俺の方に突き出してきた。それを見て、俺も同じようにして小指同士を絡ませる。

「約束です。これからは、隠し事はなしにしましょう」

「あぁ。覚悟はいいか?」

「はい。あなたと歩む覚悟なら、とっくの昔にできていますとも……最初に出会った時から、ずっと」

 リリィは泣きはらした顔で、それでも花の咲くような満面の笑みを浮かべてくる。

 この顔だ。やはり、彼女は笑っているのが似合う。俺は、この笑顔を護りたかったのだ。

 隠し事を抜きにすれば、彼女を危険な道に引きずり込んでしまうことにもなるだろう。だが、大丈夫だ。俺は、もう覚悟を決めた。

 たぶん、俺は怖かったんだ。彼女を護りきる自信がなかったから、あえて遠ざけようとした。

 だが、リリィは俺に覚悟を見せてくれた。思いのたけをぶちまけてくれた。

 なら、それに応えるのが礼儀だろう。

 気のせいか、心がとても軽い。体の奥底から力も湧いてきた。こんなのは初めてだ。

 守るものがいるということが、こんなにも心強いとは。

 俺は改めて愛しき家族たちに目をやる。彼女たちを、必ず守ってみせるという決意を胸に秘めながら。


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