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七十三話目~箱庭と行燈と夢見と~

 この学校へと入ってから数時間が経過した頃、俺は汗だくになりながらも百物語を続けていた。これは、予想以上に精神力を使う。なにせ、一度間違ったら呪いを負い、また最初から始めねばならないのだから。

 存外、俺はこういった怪談の類が苦手である。人外は見慣れているが、怪談系だけはあまり好きではない。というのも大半がこちらの恐怖心を煽ってくるものばかりだからだ。それが前提、という反論は捨て置くとして得体が知れないものに恐怖を覚えるのは人の性だろう。

 人外たちは――少なくとも俺が知っている限りでは人間に対して友好的だし、話も通じる。でも、怪談に出てくる奴らは話が通じないどころか積極的に襲ってくる。これがどうしても苦手だった。

 今は、そんな理由付けをして怪談を素人もしていなかった自分に腹が立つ。一から自分で怪談を作るというのは案外難しく、想像以上に体力を使うものだ。徐々に頭もぼんやりとしてきて、冷静な判断力と思考力が奪われてくる。

 食事をとっていないことも関係しているのだろう。俺は悔し紛れに舌打ちし、スマホに目を落とす。現在、俺が話した怪談は六十五。まだ、三十四個も話を作らねばならない。考えるだけで気が遠くなる話だ。

 俺は一度目を閉じ、深く息を吸い込む。空腹感には抗いようがないが、脳に酸素を供給する必要がある。これで少しはマシになるはずだ。

 百物語において厄介な点は、その場を離れてはいけないということになる。つまり、中断してしまうとその段階ですべてが台無しになってしまう。だから、製薬的な意味でも、こういった労力的な意味でも多人数でやるべきなのだ。

「クソ……」

 オールさんに連絡をしておかなかったのが本当に悔やまれる。もしくは、誰か腕に覚えがある奴とでも来ていればよかった。ここにいるのが俺――人間ではなく人外なら、ここから出る方法を知っていたかもしれないからだ。

 が、悔やんでいても仕方ない。俺はパンッと頬を叩き、再び怪談を口にしていく。一言一言、最大の注意を払いながら話していく。途中でどもったり、悩んでしまったら終わりである。そうならないために、考えながら慎重に話していく必要があるのだ。

 いっそやめたいと思ってしまうほどの緊張感とストレスにさらされながらも、何とか進めていく。ひたすらに、無我夢中に、この状況を打開するために策を練りながら。

 それからまた数時間がたった頃、ようやく九十九個目の怪談に入る。もう精神は限界にきている。だから、ここで必ず終わらせなければならない。

 俺は決して間違うことないよう、はやる気持ちを押さえながら怪談を綴っていく。終盤に近付くにつれ跳ね上がる心臓を押さえながら、努めて冷静であろうとする。

「……その後、彼の姿を見た者はいない」

 ようやく最後の一節を唱え終えたその直後だった。部屋の照明が一斉に消え、世界が闇に包まれる。窓の外を見てみると、そこは一面黒の世界だった。

 まさか、失敗したのか……?

「あら、あなた、前来ていた子ね?」

 ふと、そんな声が耳朶を打つ。見れば、俺の眼前には例の青行燈がぷかぷかと宙に浮かんでいた。彼女は心底驚いたように俺の顔を覗き込んできている。その青い瞳はやや揺れていた。

 俺は安堵を覚え、地面にへたり込む。正直、失敗したらと思う時が気でなかった。我ながら、よくやったと褒めてやりたい。

 そんな俺をよそに、少女はふわりと地面に着地して辺りを見渡した。その横顔が険しいのを見て、俺はやはりこれが異常な出来事であるということを再認識する。

「……なるほどね。あなた、呑まれてるわね」

「それはわかってるよ。この人外はなんだい?」

「人外、というのは不適切よ。これは、怪談。『箱庭の怪』……とでも言うべきかしら?」

 彼女はどこかあっけらかんと言った後で、わざとらしくため息をついた。

「それにしても、一人で百物語をしている人がいると思ったら、まさかあなただったなんてね」

「悪いな。緊急だったんだ。百物語をすれば、君が来てくれると思ってね」

「でも、リスクのことは知っていたんでしょう?」

「……あぁ。いいよ。命でも寿命でもあげるさ」

 しかし、俺の予想に反して少女はけらけらと笑いだす。子どものように無邪気に、狂人のように高らかに笑う彼女は、怪しげでありながらも妙な魅力があった。

 彼女は目元に浮かんだ涙を指の腹で拭う。その口元には微笑が浮かんでいた。

「いらないわよ。だって、聞いていて面白かったもの」

「え?」

「言ったでしょ? 最近は同じ物語しか聞かせられていないって。でも、あなたが話したのは全部新しいものばかりだから面白かったわ。まぁ、造りは未熟だしオチは似たような感じのがいくつもあったけど、大事なのは過程だものね。あなたの頑張りは評価に値するわ。やっぱり、自分で考えて作る物語に勝るものはないわよね。うん、うん!」

 ……よくわからないが、彼女は満足してくれたようだ。なら、よかった。呪いはもらわないということだろう。

「さて、じゃあ早速だけど、この怪談の対処方法を教えてあげるよ。この怪談はね、下手に動かない方がいいんだよ」

「……は?」

「うん。だからさ。ここって箱庭なんだよ。箱庭っていうのは観察するものでしょう? つまりさ、対象が動けば動くほど、この怪談の興味をそそるものになってしまう。そして魅入られてしまえば、もうここから出ることはできない」

 なるほど。つまりは、俺は箱に入れられたモルモットのようなものだろう。面白そうなやつだ、とみなされてしまえば死ぬまで捕らえられてしまうのだ。対して観察に値しない、つまらない奴だ、と思われればすぐに釈放される。

「……で、俺は出られそうか?」

「微妙ね。だって、こんなイレギュラーなことをやってのけてみせたんですもの。経緯はどうあれ、こうやって外部からの侵入を許可したんですもの。この怪談は、きっとあなたに興味を抱いているわ」

「チッ……!」

「悲観することはないわ。だって、まだ出られる可能性はあるんだもの」

「どうすればいい? だから、動かなければいいのよ。この怪談は、動けば動くほど試練が降りかかってくる。ジッとしている。それが一番よ」

「わかった。忠告どうも。君から他の奴らに連絡を送ってくれないかい?」

「できないことはないけど、いいの? 巻き添えにする形になるけど」

「マジかよ……じゃあ、やめだ。あ、いや。待ってくれ」

「何?」

 俺はすぐさまポケットからメモを取り出し、彼女に渡す。そこに書いてあった内容を見て、青行燈はふっと微笑んだ。

「これ、あなたの家族?」

「あぁ。俺の大事な家族だ。たぶん、オールさんに連絡すれば連絡先を教えてもらえるはずだから、その後にでも頼む。君も、彼と話す口実ができて嬉しいだろう?」

「ま、まぁ……いいわ。任せなさい。後、頑張ってね。私、案外あなたのことも気に入ったんだから」

 その後で、青行燈はふっと微笑み、またしても怪談を口にする。そのあまりの恐ろしさに気を失いそうになりながらもなんとか耐え、役目を終えて霞のように消えていく彼女に手を振ってから、俺は今一度周囲に目を走らせた。

 現状、別に変なところは見当たらない。この怪談は、以前の画霊のように好戦的な方ではないのだろう。なら、青行燈が言ってたことを実践すべきである。

 俺は床に横たわり、スマホを起動させる。すでに俺がここに侵入してから半日が経過している。窓の外は時間とリンクしているのか夕暮れの景色へと変わっていた。

「……ま、解決法がわかっただけマシか」

 俺はスマホを閉じ、押し寄せてくる眠気に身を任せる。疲れていたからだろう。眠りに落ちるのはそう難しいことではなかった。


「……もしもし。もしもし?」

 ふと、誰かが問いかけてくる。俺は静かに目を開け、未だ霞む視界を何とかするべく腕で目元を拭う。すると、俺の眼前に見おぼえのある顔があった。

「パキラ?」

 そう。目の前にいたのは藍色の髪をポニーテールにまとめた少女――獏族のパキラだ。彼女は大きなあくびをしながら、右手に持つよくわからないぬいぐるみを抱きしめた。

「よっ、なっつん」

「よ、じゃねえよ。お前がいるってことは、ここは夢の中なのか?」

「そそ。現実世界には戻さないから、安心して」

 その言い分に俺は身構えるが、パキラは首を捻り、訂正を寄越す。

「あぁ、ごめん。別に取って食おうってわけじゃないよ。ほら、今は起きたらマズイ状況にあるんでしょ? 寝てた方が安全だよ」

「お前、知ってるのか? 俺の現状について」

「あ、言ってなかった? 獏ってね、寝てる人の記憶を覗き見できるんだよ。だから、ちょっと独断専行させてもらいました」

「プライバシーの侵害もいい所だな」

「そう言わないでよ。この方がなっつんにとってもいいでしょ?」

 まぁ、そうだ。パキラの支配下にある間は、彼女がGOサインを出さない限り俺は夢を見続けていられる。下手に起きてしまえば――いや、もしかしたら今は俺が寝ていて気付かないだけで箱庭の方からアプローチを仕掛けているのかもしれない。

「ま、危ない時には起こしてあげるから、それまでお話しようよ」

「ま、いいけどな。助かるよ」

「えっへん」

 ない胸を張るパキラ。この能天気さが、今はありがたい。

 彼女は再び大きな欠伸をした後で、俺の目を見据えた。

「なっつんさ。今、すごくいい目しているね」

「何だよ。藪から棒に」

「いやね。いつもいい目をしているんだけど、今日はちょっと違うっていうか……覚悟を決めた感じ?」

「だろうな」

 一度、俺は死を覚悟した。後悔もした。しかし、必ず帰還しようと心に決めた。愛する家族たちに会うために。たぶん、その影響だろう。

「ま、いいけどさ。なっつんはひとりで抱え込み過ぎだよ。前から言ってるよね?」

「あぁ。今日で痛いほどよくわかったよ。帰ったら、とりあえずリリィたちにも事情を話すつもりだ。たぶん、反対されると思うけど」

 その言葉に、パキラは首を捻る。彼女は不可解そうにしながらぬいぐるみを弄んでいた。

「いや、反対されることはないんじゃない? ま、心配はされるだろうけど……いや、これ以上は言わない方がいいな。君が帰った時に……」

 そこで、パキラは言葉を切る。何かあったのだろうかと思っていると、彼女はやや残念そうに呟いた。

「やったね、なっつん。解放されたみたいだよ」

「本当か!?」

「うん。もう安心。じゃあ、早くお帰り。リリィちゃんたちによろしくね」

 そう言って彼女が手を打ちあわせた直後、俺の意識は完全に覚醒した。

 俺はバッとその場で飛び起き、周囲に目を走らせる。そこは、昨日行ったばかりの廃校だ。ボロボロで、見る影もない。ようやく、戻ってこれたということだろう。

 緊張が解けたせいか、乾いた笑いが口から洩れる。

 嗚呼、よかった。戻ってこれて。

 さて、ではこれから……帰るとしよう。愛しき家族の待つ場所に。

 だが、その前に……もう一度寝るとしよう。正直、寝足りない。俺は再び瞼を閉じ、そしてパキラと再会を果たした。


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