七十二話目~箱庭~
「ねぇ、今日は家でゆっくりしていったら?」
外出していた俺を、ピティが引きとめる。彼女はグリを抱きながら不安げに眉根を寄せていた。おそらく、俺がやっていることを断片的にでも知っているのだろう。彼女はリリィがいないことを確認してから、こっそりと耳打ちしてきた。
「……もう言っても聞かないでしょうけど、念のため忠告しておくわ。決して無理はしないように。もし、またリリィを泣かせるようなことになったら、許さないから」
「……ありがとうな。心配してくれて」
言いようのない感情を覚え、俺はそっとピティとグリの頭を撫でる。彼女たちは顔を真っ赤にしながら俺から遠ざかった。その様を見て、俺は苦笑する。
「そう邪険にするなよ。大丈夫。危ない橋は渡らないさ」
「……気をつけてね」
俺は彼女たちにふっと笑いかけ、家を後にする。すでに向かう場所は決まっていた。
俺は着ていたコートの襟を立て、わずかばかりの防寒対策をしてから昨日行った廃校へと向かう。商店街を抜け、人通りの少ない道をしばらく歩くとようやく目的地が見えてきた。
俺は白い吐息が天に昇っていくのを視界の端に納めた後で、校門をくぐる。昨日ほどではないがしんと静まり返った校庭は、やはり不気味だ。
下駄箱へと向かっていく途中も、誰にも会わない。昨日はオールさんがあらかじめ連絡をしていたから出迎えもあったのだろう。とすれば、本来はこのような体勢を取っているのかもしれない。
……そう言えば、昨日出会った人外たちは全員初対面だった。とすれば、日本各地から集まったのか、それとも最近越してきたのか……そこまではよくわからない。ただわかるのは、彼らなら何かを知っているかもしれないということだ。
俺はジーンズのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。今回、オールさんには内緒でここの訪問を試みた。彼にばかり頼るのもどうかと思ったからである。少しは、自分なりに動かねば。
やがて下駄箱を潜り、職員室へと向かっていく。しかし、妙なことに校内からは物音ひとつ聞こえやしない。いや、廃校だからそれはある種当然ともとられるだろう。だがしかし、昨日はあれほど賑わっていたのだ。その余韻が残っていてもよいものである。
「さて、と」
職員室の扉の前で一度立ち止まり、コートのうちに忍ばせておいた警棒に一応手をかけておく。万が一、襲われた時のためだ。俺は数度深呼吸を繰り返した後でごくりと生唾を飲みこみ、サッとドアを開けた。
すると、目に映ってきたのは異常なまでに整頓された職員室だった。昨日見た時は暗くてよく見えなかったが、こんな感じだっただろうか?
多少の違和感は残るものの、俺はひとまず捜索に移る。残念ながらここには昨日のメンツはいないようだ。正直、予想していなかったわけではないとはいえあまり好ましい事態ではない。ここに来たのが、無駄足になってしまったからだ。
「ま、しょうがないか。もうちょっと見てから帰るか」
俺はため息交じりに職員室の机に触る。すべすべとしていて、なぜこのような綺麗な状態で放置されているのか不思議なほどだ。
それにしてもやはり変だ。暗かったとはいえ、昨日入った時にはこんな机はなかったように思える。儀式をするために、ある程度のスペースを開ける必要があり、このようなものは排除されていたはずだ。
仮に、後で戻したとしても、こんなに綺麗だったとは考えづらい。
これは……マズイな。
本能的に嫌な予感を覚え、すぐさまドアの方へと向かう。軋むドアを無理矢理こじ開け足早に下駄箱へと向かっていった。
――が、おかしい。
廊下をどれだけ行っても、下駄箱に着く気配がないのである。一歩進むと窓の外に見える景色は確かに変わっている。ということは、前には進めているのだろう。だとすれば、下駄箱が遠ざかっているとでも言うのか? ありえない。
「……いや、違うな」
ありえない、と思うことはタブーである。これが人外の仕業だとすれば、十分に可能性はあるのだから。
「誰か、連絡を――」
そう思い、スマホに手をかけた。が、画面に表示されていた『圏外』の文字を見て俺は小さく舌打ちする。
これはマズイ。確実に、呑みこまれた。
警戒はしていたはずだった。警棒や、護身用の道具は一通りそろえてきた。
だが、そもそも前提が間違っていたのだ。
なぜ、人間を相手にする時を基準に考えていたのか。
今さらながら、自分に腹が立つ。俺はサッと警棒を取り出し、苛立ちをぶちまけるように窓ガラス目がけて振り下ろした。
渾身の一撃は窓にぶち当たり、鈍い音を響かせる。だが、それだけだ。窓ガラスは、破れるどころかひび一つ入っていない。それは、何度叩きつけようと同じ結果だった。
「クソッ!」
毒づき、今一度スマホを取り出してみる。だが、電波が入らないのでは何もしようがない。かろうじて時間が進んでいるのを見ることはできるから、それはいいかもしれない。
俺は再び歩みを進めるものの、下駄箱にはたどり着くことすらできない。先ほど出てきたばかりの職員室の扉は未だ俺の横にあり、不気味な様相を醸し出している。
「こんな人外、いたか……?」
心当たりがないわけではない。以前であった迷い家などはその代表格だろう。こうやって入ってきた者を惑わすタイプの人外はいたはずだ。だが、だとしても数が限られている。少なくとも、こんな芸当ができる奴はそうそういないはずだ。
「まずは、状況確認だな」
俺は大きく肩を落とし、再び職員室へと足を踏み入れる。この後どうすればいいのか、ハッキリ言ってよくわからないが、長期戦になることもあり得る。俺はひとまず食料の確保に乗りだした。
机を漁って食べ物を探すものの、いかんせん見つからない。ここが本当の学校であるならば、収穫も期待できたものを。
結局全てが徒労に終わってしまった俺は、椅子にどっかりと座りこみ瞑目する。
今のところ、外傷はない。精神を汚染されているということもない。だが、時間が経てばどうなるかわからない。もしかしたら食虫植物に捕らえられた虫よろしく消火されるかもしれないし、密室によるストレスで発狂するかもしれない。今のうちに、できることは何だ?
今の段階でわかっているのはここの物質は破壊が不可能ということ。また、何かしらの人外による仕業であること。これだけだ。どうにも情報が足りなすぎる。
「いや、もしかしたら……」
俺はすぐさまスマホを起動させ、写真のフォルダを見やる。そこには、昨日あらかじめ撮っておいたリストの写真があった。俺はそれを拡大し、ひとつひとつ見ていく。
「どれだ? 一体、どの物語が元になっている?」
画霊の件を考慮するに、物語と人外の名は密接に関連している。ならば、キーワードとなりそうなのは『学校』か『密室』だ。幸いにも、今の状況は限られているからこそ、選択しやすい。
しばらくリストを眺め、最後の数個に至ろうとしたその時だった。ふと見えたある文字に俺の目は奪われ、瞬時に体に電撃が走る。
「――あったッ!」
見ればそこには『箱庭』という物語の名が書かれている。箱庭、というのはこの状況にもってこいの名だろう。俺は会心の笑みを浮かべたものの、すぐに現実へと引き戻される。
「って、これがどういう怪談なのかわからないじゃないか」
そう。今はネットが使えない。移動もできない。情報を得る手段がほぼないのだ。
「何か、何かこの状況を打開する方法は……」
頭を捻り、考えを巡らせる。だが、いいアイデアは浮かんでこない。頭に鈍痛が走るのを覚え、俺は苛立ち交じりに机を叩きつけた。
この状況は、おそらく新種の人外によるものだろう。なら、どうしようもないじゃないか。外部との連絡も取れず、帰ることもできないときている。言いたくはないが、詰んだ詰んでしまったのだ。
「クソ……」
脳内に浮かぶのは、家族たちの顔ばかりだ。どうせなら、もっと大事にしてやるんだった。いや、こんな心配をかけないために、大人しくしておくべきだったのだ。
独断専行をしたせいだ。これは、全部俺のせいである。
「何が百物語だよ、クソ……ッ!」
俺は目の前の椅子を蹴りあげ、持っていた警棒で机をひたすらに殴打する。どうせ壊れないのだ。なら、存分に活用させていただこう。
机を蹴倒し、椅子を窓目がけてぶん投げ、あらんばかりの大声を上げる。
やがて嵐のような怒りが収まった後で、俺は床に横たわっていた。騒いだせいでだいぶ体力を使ってしまった。だが、頭は不思議とすっきりしている。鬱憤を出せたのがよかったのだろう。
だが、これからどうする?
俺は状況確認のため、再び視線を周囲に巡らせる。まるで怪物が通った後のように荒れている職員室を見て、俺は苦笑した。すでに整理されていた机は端に寄せられ、真ん中にはそれなりに大きなスペースが空いている。そう。まるで昨日のような……。
「あれ? 待てよ。もしかして……」
俺の脳内にある考えが浮かぶ。それは――俺だけで儀式を行えないかということだ。もし儀式が成功すれば、問答無用で青行燈はやってくる。その時に、外部に連絡が取れるのではないだろうか?
が、リスクはもちろんある。ありすぎる。
本来、百物語とは多人数でやるものだ。それは、呪いを受けた時に分散させるためである。一人の場合、死ぬよりも辛い呪いを負うことになるのだ。
しかし、この状況では選り好みをしてはいられない。
俺は深呼吸を繰り返しながら、スマホの画像欄にある家族たちの写真を見やる。先日ピティが俺の家に来て、家族全員で撮ったものだ。
可愛らしいポーズを極めて笑っているピティ。何をしているのかよくわかっていないものの、とりあえずピティの真似だけはしているグリ。そして、そんな二人を微笑ましげに眺めている俺と、リリィ。温かな家庭の姿が、そこにはあった。
「……しょうがねえな」
呪いくらい、受けてやろう。どうせ、ここにいても死ぬだけだ。なら、やるだけ足掻いてやる。
俺はギュッとスマホを握りしめ、グッと唇を噛み締めた。が、すぐに初めの物語を紡いでいく。この状況を打開するために。




