六十八話目~オウルマンの教授さん~
季節は冬へと移り変わり、凍えるような風が吹きすさぶ中、俺はそんなものとは無縁の図書館の中にいた。無論、調べ物をするためである。
グリムに任せているとはいえ、彼に頼りっきりではいけない。俺としても、微力ながら尽力しなくては。
……現在、リリィには俺が職場に復帰したと嘘をついている。それは心苦しいことではあったが、彼女に無用の心配をかけないためだ。
できるだけ無茶をせず、できる範囲でやれることをやる。これが最善の策だ。
「次の資料、ここに置いておきますね?」
ふと、声を掛けられハッとして顔を上げると、そこにはこの図書館で司書をやっている清華さんの姿があった。彼女は両手いっぱいに抱えていた本を俺の眼前に下ろす。
「どうも。助かりますよ」
「これが私の仕事ですから。頑張ってくださいね」
清華さんはニコリと笑ってその場を後にする。俺は彼女を見送ってから、本の山へと視線を移した。
俺が調べているのは人外についての本だ。今でこそこの呼び名が定着しているが、かつては『妖怪』や『モンスター』とも呼ばれていた。だが、人間と共存する時にこれらの言葉はやや否定的なニュアンスを含む。そのため、あえて『人外』という言葉を使ったのだ。
また、都市伝説についても網を張り巡らせている。おそらく、志野さんが言うことが本当であるとするならば、一番関連がありそうなのはこの分野だ。
俺はため息をつきながら近くにあった分厚い本を手に取ってペラペラとめくる。だが、基本的には古代の伝承などであり、核心的なものは見当たらない。人々からの言霊によって人外という存在が生まれる、と仮定したとしてもあまりに昔過ぎると特定は難しい。
さて……どうしたものか?
しばし頭を悩ませていたが、何もいい考えが思い浮かばない。ここで待っていたら志野さんとまた会えるかと思ったが、そう簡単な話ではなかったようだ。
意図せず舌打ちが漏れる。こんなにイライラしているのは久しぶりだ。たまには、タバコか酒に頼ってみようか……いや、やめておこう。所詮は気を紛らわす程度にしかなりえない。
こうしていても時間の無駄だ。今は一刻も早く情報を手に入れなければいけないのだ。そうしなければ、この街に住む人外に……何より、俺の家族たちに被害が及ぶ。それだけは、絶対に避けねばならないのだ。
「あら。ずいぶんとしけた顔をしているわね?」
「悪いな。どうせ俺は……って?」
ふと顔を上げてみて、俺は目を丸くする。なぜならそこにいたのは――かつて故郷に入ったはずの、ピティだったのだから。
「久しぶりね。夏樹」
「ピ、ピティ!? どうしてここに!?」
ピティはわざとらしく耳を押さえ、それから人差し指を唇にちょこんと当てる。
「静かにしなさい。ここは図書館。公共の場よ?」
「あ……す、すまない」
「相変わらずね。ま、いいわ。ちょっと外に出ない?」
「あぁ。いいよ」
俺は本をあらかじめ持ってきていたスーツケースに詰め始める。その様をピティは懐疑的に眺めていた。
「ワーカホリックね。リリィも心配するわけだわ」
「……あぁ、そう思うよ」
「どうせ、これも秘密裏にやってるんでしょ? だったら、言わないであげる」
「助かるよ」
俺は言葉少なにそう返したが、ピティは不機嫌そうに眉根を寄せる。彼女は耳にかかる髪をサッと掻き上げ、俺を睨んできた。
「相当参ってるみたいね……でも、安心しなさい。頼もしい助っ人を連れてきたから」
「本当か?」
「私が嘘をついたことがある? 信じなさいよ。私とあなたの仲じゃない」
ピティはいつもの調子で言って、軽やかに出口へと向かっていく。俺もスーツケースを転がしながらその後を追った。
やがて外へ出て、近所の喫茶店への道を歩きながら、ピティは辺りへ視線を巡らせる。
「変わらないわね。ま、たった数か月前に来たからかもしれないけど」
「というか、大学は?」
「あぁ、気にしなくていいわよ。家族のためだもの」
「……ありがとう」
彼女と俺はゲストとホストファミリーという間柄だったが、今では本当の家族のようなものだ。彼女がそう言ってくれたのが、何よりうれしい。あの時間は、決して無駄なものではなかったと認識できるから。
しばらく歩いたところで、ピティがパンッと手を打ちあわせた。
「あ、いるわね。あの人よ」
彼女が指差す先には、翼を生やした男性が喫茶店のテラス席に座っていた。コートを羽織り、シルクハットをかぶっている。その異様さに反して、どこか穏やかな雰囲気を纏わせている人だ。
彼はこちらに気づくや否や、シルクハットを取ってみせる。それによって彼の赤い目と長い耳が明らかになる。悪魔的な顔つきと取られるかもしれないが、笑うと案外愛嬌がある。彼はこちらに向かってひらひらと手を振ってくれていた。
「お待たせしました。彼が、私の……家族です」
「やぁ、なるほど。噂通り、優しそうなお方だ。はじめまして。大学で文化人類学の教授をしているオールと申します。種族は『オウルマン』。オウルマンのオールです。簡単でしょう?」
彼はクスリと笑い、再び椅子に腰かける。それを受け、俺とピティも近くの椅子に腰を下ろした。一方で、オールさんは脇に置いていたアタッシュケースからいくつもの資料を取り出してみせる。
「さて、彼女から聞きましたが、あなたは人外の起源について調べているとか」
「えぇ。ちょっと訳ありで」
「差し支えなければ、お聞きしても?」
正直、話すのは非常に躊躇われたが、彼もピティもこうやってわざわざ時間を割いてくれているわけだ。それを裏切っては失礼にあたる。俺はゆっくりと口を開いた。
「実は……近頃、新種の人外が出現しているのですが、それらは人間に作り出されたものだという垂れこみがありまして……」
「へぇ、誰から?」
「……志野さんだよ。ほら、例の……」
「あぁ、あの陰湿龍人ね」
ピティは憎々しげに言って、口から火の息を吐く。その様を見て、オールさんはふっと口元を緩めてみせる。
「ふふ、なるほどね。まぁ、つまるところその新種の人外が暴れまわっているというわけだね? 実に興味深い話だ。新種か……確かにここ最近は私たちの国でもよく見られるよ」
「本当ですか!?」
「あぁ。実のところ、私がそうだ」
オールさんはひょいっと肩を竦め、それから天を見上げた。その瞳はどこか寂しげで、悲壮感を漂わせている。それまで飄々としていて彼が、少しだけ頼りなく思えた。
「私の種族は歴史が短い。しかも、俗に言う未確認生物――つまりはUMAと呼ばれていた存在だ」
「ですが、あなたは……」
「今、ここにいる。そう言いたいのでしょう?」
俺の考えていることを先読みしたオールさんは、ニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「これはあくまで仮説ですがね、ある一定まで人の思い――この国で言うならば、言霊ですね。それが集まった時、その人外はこの世に限界する。それも、ごく自然な形でね? 少なくとも、私はそう考えています」
「では、今回の新種たちもその類だと?」
「おそらくは。あなた方人間も、どうして自分たちが生まれたのかわからないでしょう? そう。この世は奇跡でできている。私たち人外も、あなた方人間も、神の織り成した奇跡なのですよ」
「実際、私たちの種族はその神に牙を剥いたからこうなったわけだしね」
肩を竦めるピティは、以前見せた時ほどの辛そうな顔は見せていない。だいぶ自分の中で整理がついたのだろう。それはとても喜ばしいことだ。
オールさんはグッと背伸びをし、ふいに身震いした。
「失礼。この国は寒くてね。外だとかなわないよ」
「教授。なら、どうして外に?」
「だって、そっちの方がお洒落に見えるじゃないか」
ピティの問いにそう返すオールさん。何というか、ピティが振り回されているのなんて初めて見た。この人も中々捉えどころがない人だ。
俺はふっと息を吐く。気のせいか、先ほどよりも心が軽くなっているような気がした。
「あの、よろしければウチに来ますか? 泊まっていってもいいですが」
「いいや、遠慮しておくよ。私はホテルを取ってあるし、何より……家族だんらんを邪魔するな、と釘を刺されているからね」
その言葉に、ピティの顔がぼっと赤くなる。
あぁ、なるほど。そういうわけか。
「な、何よ! じろじろ見ないでくれる!?」
必死にか弱い抵抗をしているピティを見ながら、俺は満足げな笑みを浮かべた。




