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六十二話目~画霊の絵描き~

 しばらくして、俺たちは路地へと身を滑り込ませた。先へ行くにつれ暗く、細くなっていく。足元にはごみが散乱しており、中には生物の死骸も見て取れた。幸いにも、人間の骨や肉などはない。せいぜい、犬や猫だ。いや、それでも十分不愉快である。

「チッ……」

 レジオが小さく舌打ちする。彼は人外であるため、鼻が利くのだがそれが今は煩わしいようだ。立ち込める死臭と腐臭にまみれながら俺たちは先へと進んでいく。

「レジオ。こっちで合ってるよな?」

「たぶんな。穢れの匂いがこっちからしてる。気ぃつけろよ。たぶん、相手は人外だ」

「わかってる。一応、さっき増援は呼んでおいたさ」

 俺は路地へ入る前にあらかじめスマホを弄って連絡を送っていた。遅くとも数十分以内には救援が来るだろう。できることなら、彼らの手を煩わせることなく穏便に済ませたいのだが、レジオの顔つきを見るにそれは厳しいようだ。

 険しい顔をしたレジオは鼻を拭う。緊張した時に出る仕草だ。

 俺も懐にある警棒へと手を伸ばす。が、先ほどのよくわからない奴との戦闘によってそれはすでにボロボロだ。戦闘になったら逃げる方が賢明だろう。

「レジオ。後、何回いける?」

「何回でも。ただ、今日は月がねえからな。どうしても時間がかかる」

 彼は月を見ることで変身できるワーウルフだ。先ほど変身できたのは、月の映像を見たからであるが、本来月が上っている時に見せるポテンシャルと比べたら大きく見劣りする。人外はこういったピーキーな特性を見せる奴が大勢いるのだ。

「ったく、どうして俺なんだか。別の奴らに頼めばいいものを」

「今さら言うなよ。お前が俺と面識があって、追跡能力に長けているからだろ? 別にとらえる必要はない。足取りがつかめれば十分だ」

「それはそうだがな……っと!」

 レジオは不意に壁へと裏拳を放つ。よく目を凝らしてみれば、そこには闇に紛れて先ほどのような黒い獣――今度は蛇のような姿形をしたものが張りついていた。奴はレジオの裏拳をまともに食らって壁にめり込んでいる。

「夏樹。何かわかるか?」

 一応手加減はしていたのだろう。レジオは弱弱しくもがく黒い蛇をひょいっと持ち上げて俺に見せてくる。が、残念ながら俺は専門家ではない。

「……悪い。とりあえず、こいつが純粋な人外じゃないってことくらいだ。わかるのはな。たぶん、何かしらの能力か権能を使ったんだろう。こういった特性を持つのは……西洋の人外だとは考えにくいな」

「あぁ。やり方がまどろっこしすぎる。それに、陰湿だ」

「たぶん、考えていることは同じだろうが、日本の人外だろうな。俗に『妖怪』と呼ばれているタイプの奴らだ。あいつらは直接的攻撃力はないが、小技に長けている。その線で間違いないだろうよ」

 レジオはつまらなそうに鼻を鳴らし、蛇を真っ二つに引きちぎる。またしても霧散していくそれが宙に舞っていくのを視界に納めてから、俺は奥の方へと目を凝らした。

「レジオ。行こう。ただ、戦闘はなるべく避けるように」

「……だな」

 ここは彼も納得してくれたようだ。非戦闘員である俺と、本調子からは程遠いレジオでは決め手に欠ける。そもそも、今回は調査が目的だ。そこまで踏み込むことはない。

「しっかし、相手はどんな奴なんだろうな?」

 レジオが不思議そうに言ってくる。彼は首を捻りながら、珍しく難しそうな顔をしていた。

「ま、ねちっこい奴ってのは間違いないだろうな」

「ハッ! 確かにな!」

 こういった状況でも軽口が交わせるのは俺たちにまだ余裕があるからだろう。緊迫しているよりはずっといい。レジオはゲラゲラと笑い――キッと前方を睨みつけた。

「おっと……やべえな。そろそろご対面だぞ。変な匂いがしやがる。腐った匂いだ。性根のな」

 レジオはグッと四肢を収縮させ、一気に跳躍してみせる。俺もすぐさま彼の後を追って――ハッと息を呑む。

 路地を抜け開けた場所に出ると映ってきたのは、足元を埋め尽くすほどの死体の山だった。犬、猫、鳥――その他もろもろ。それらの上に、一人の老人が座っている。彼はスケッチブックに何かを描きこんでいた。

 どことなく仙人のような様相を見せる彼は熱心に筆を走らせている。だが、明らかに異様な雰囲気を纏わせていた。

「おい、おっさん。あんた、何者だ?」

 レジオが食ってかかるが、老人は答えない。その反応を見て、彼はピクリと頬を歪めた。キレる前兆だ。マズイ。マズすぎる。

「レジオ。落ち着け」

「わかってるよ……」

 そう告げる彼の視線は足元の犬たちに向いている。ワーウルフは犬や狼と遺伝子的に近い。彼としては、同類がやられたような気分なのだろう。拳には血管が浮いており、ピクピクと蠢いていた。

 俺はレジオを押しのけて前に出て、老人に向かって声を上げる。

「失礼。ご老人。あなたは何者ですか? 只者ではないと思いますが」

 だが、彼はそれにも答えない。ただただスケッチブックに向かい合っているだけだ。その傲慢とも取れる態度を見て、とうとうレジオがキレた。

「わりぃ。夏樹。どけ」

 彼は静かに言って前に歩み出てゴキゴキと指を鳴らす。すでに戦うつもりだったのだろう。彼の体は獣人形態へと変わっている。

 レジオは目にも止まらぬ速さで老人に肉薄し、鋭い爪の生えそろった右腕を振り下ろす。

 殺す気だ!

 そう思い、老人の元へ駆け寄ろうとした直後。

「うおっ!?」

 老人が持っていたスケッチブックから巨大な黒い手が出てレジオを弾き飛ばす。何とか空中で体勢を立て直した彼は上手く着地したものの、不意を突かれて唖然としていた。

「うるさいのぅ……」

 老人がようやく口を開く。ぞっとするほど低くて穏やかな声だった。彼は大きくため息をついた後で俺たちを見やる。不気味で歪んだ笑みが張りついた顔を見て、俺たちは身構える。

「わしはな。ただ絵を描きたいんじゃ」

「じゃあ、これはどういう了見だ!? あぁ!?」

 レジオは完全に頭に血が上っているようだ。彼は血走った眼で老人を見やる。一方で老人は白く濁った眼を俺たちに向けた。

「いい作品を作るために必要な条件を知っておるか? それは、リアリティじゃよ。作品などはな、現実を写したものじゃ。じゃから、本物を知っていればいるほどいい。より深みが増すからのう」

「じゃあ、そのために殺したってのか?」

「無論。じゃが、別に迷惑をかけてはおらんぞ? こやつらは元々野良じゃ。ま、遠くから拉致してきた者もおるがのう」

 野良――その言葉に俺は眉根を寄せる。今は俺の養子となっているが、グリも野良としてしばらく過ごしていた。もしかしたら、彼女もこいつの狂った思想に付き合わせられていたかもしれない。そう考えるだけで、背筋が凍る思いだった。

「さてさて。お主らはわしに何の用じゃ?」

「……あなたは人外でしょう? なら、勝手な行動はしないよう定められているはずです」

「ハッ! 人間どもが作った法など、わしらには関係ない」

「ですが……」

「夏樹。こいつに敬語なんざ使うな。そもそも、話す価値もねえよ」

 レジオが俺に制止をかける。彼は完全に老人を敵視していた。それがわかったのだろう。奴も口角をニィッと釣り上げて不気味な笑みを浮かべた。

「さてさて。好都合じゃ。お主らにも見てもらおう。わしの作品を」

 刹那、彼のスケッチブックから巨大な黒い手と足が出てくる。いや、それだけじゃない。やがて頭が出て、次に胴体が出てきた。

「こいつは……」

 現れた偉業を見て、俺は目を剥く。俺たちの眼前にいたのは、複数の生物の特徴を持った化け物だった。

 犬の首が六つもついており、猫のような尻尾が九つ生えている。だが、その先端は槍のように尖っている。背中からは巨大な翼が二対も生え、天を覆い尽くさんほどだ。さらに、肌は鱗のようなもので覆われている。それは頑丈そうで、不気味に輝いている。

「野郎!」

 レジオが突貫し、化け物の首に蹴りを叩きこむ。が、結果として効果は皆無だった。化け物は身じろぎ一つせず、逆に彼を地面に叩きつける。上手く受け身を取ったのかダメージは逃したようだったが、レジオは驚愕に目を見開いていた。

「この……ッ!」

「やめろ、レジオ! そいつは、画霊がれい! 絵を具現化できる人外だ! 本体を倒さない限りそいつは消えない!」

「ほう。わしを知っておるか。なるほどなるほど。一筋縄ではいかんわな」

 老獪な笑みを浮かべる老人に、もはや不快感しか抱かない。レジオもそれは同じだろう。彼は老人目がけて跳躍する。けれど、獣はそれを許さない。レジオの体を尻尾で打ちのめし、壁に叩きつけた。

「グハッ!」

「レジオ! 退くぞ!」

 俺は持ってきたライターを獣目がけて投げつける。それだけでは当然のごとく決定打にはならないだろう。だが、ここには生物の死骸が大勢積み重なっている。そして、それはよく燃えるものだ。

 次第に燃えさかっていく生物の死骸たち。獣は一応ながら本能や知性を持っているのだろう。足元で上がる火に怯えを見せていた。

 俺はその隙にレジオの元に駆け寄る。彼は獰猛そうな唸りを上げながら老人を見やっている。が、俺は躊躇なく彼の顔面を殴りつける。

「いい加減にしろ。死にたいのか?」

「……チッ!」

 レジオは憎々しげに舌打ちし、俺の体を抱きかかえすさまじい跳躍をしてみせる。あっという間にビルの頂上まで飛び上がった俺たちは、すぐさま逃げ去っていく。

 追撃されることはない。だが、捕らえることはできなかった。

 俺は下唇を噛み締めながら、自分の無力を呪う。レジオもギリギリと歯ぎしりをして苛立ちを隠せていない。だが、その気持ちはよくわかる。

 俺たちは、ほとんど何もできなかったのだから。


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