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五十八話~迷い家の定食屋さん~

「久々ですね、こうやってお出かけするのも」

 昼時、ちょうど太陽が一番高く上る時間帯に俺とリリィ、そしてグリはある場所へと向かっていた。それは、昨日聞いた居酒屋の向かいにできたという定食屋である。一応、半分は仕事。もう半分はプライベートだ。

 ちょうどリリィも仕事が休みだと言っていたので誘ったのである。グリも久しぶりの外出に心が躍っているようで、何かを見る度にそちらの方についていこうとしてしまい、終いにはリリィから抱きかかえられていた。けれど、どこか満足そうである。

「おなかすいた!」

 グリが舌っ足らずな口調で言う。彼女もずいぶんと話せるようになってきた。最初に見られた言語障害もなりを潜めているし、今はどんどん新しい言葉を覚えている。これなら、近いうちに保育所に預けることもできるだろう。

 現在はベビーシッターを頼んだりしているが、やはり人とのかかわりは重要なものだ。閉じられた世界にいるよりは、もっと広いコミュニティに行ってもらいたいのが親心である。

 って、なんだか本当の親みたいだな。

「あ、夏樹さん。見えてきましたよ」

 そんなことを思っていると、リリィがふと前方を指さした。そこには、件の定食屋が見える。ちょうど開店したばかりなのか、店先では若い店員さんが暖簾を上げていた。

「じゃあ、行くか」

「えぇ。行きましょう」

 俺たちは足早に定食屋へと向かい、引き戸を引いて中へと入る。内装はかなり綺麗で清掃が行き届いている。いかにも定食屋といった感じだが、それが逆にいい。情緒にあふれた店の造りに、思わず口角を吊り上げる。

「いらっしゃいませ。こちらの席にどうぞ」

 そう言ってきたのは和服を着た女性だ。見たところ、人外らしさはない。リリィから見ても同じだったらしく、彼女はさりげなくアイコンタクトを寄越してきた。

 俺たちは窓際の席に腰掛ける。メニューに目を走らせると、特に何の変哲もない品ぞろえだった。とりあえず、俺は手を上げて店員さんを呼ぶ。

「すいません。唐揚げ定食一つ」

「あ、私はおうどんで。できれば、取り皿をいくつかいただけますか?」

「かしこまりました」

 店員さんは愛想のいい笑みを浮かべて奥へと消えていく。その後で、俺はため息をついた。やはり、今回の件は女将さんの勘違いだったか。だが、変な噂というのがやや気になる。それほど変なところもないが……。

「ね、ママ」

 ふと、グリが声を上げた。彼女はあたりをきょろきょろと見渡しながら首を傾げる。

「このおうち、へん!」

 グリの言葉に思わず苦笑する。確かに、俺の家はやや様式よりだ。フローリングなどもあるし、こんな和風建築ではない。それしか知らない彼女から見れば、そう捉えられてもおかしくないだろう。

「ふふっ。グリちゃん。変なおうちじゃないですよ。渋くて趣があるおうちじゃないですか」

「ちがうの! へんなの!」

 この年頃の子にありがちな、精一杯の主張だ。けれど、リリィは大人の対応を見せてにこにこと笑いながら彼女の頭を撫でる。グリはまだ何か言いたそうだったが、存外頭を撫でられるのが気に入ったらしくリリィに抱きついてそれを甘受していた。

「それにしても、ずいぶん懐かれたな」

「えぇ。聞きました、夏樹さん。ママ、ですって」

 リリィは心底嬉しそうに言う。彼女の種族は、確か子を宿せない。だから、そう呼ばれることにひそかな憧れがあったのだろう。なりゆきとはいえ、グリを養子として迎え入れたのは正解だったかもしれない。

 いや、リリィとは結婚したわけではないから、正確に言うとグリから見た彼女は赤の他人で俺の方が親であるのだが、彼女は一度たりとも俺のことを『パパ』と呼んだことはない。思い返しただけで泣けてきた。

「あ、いい匂いがしてきましたね」

 リリィが鼻をひくひくさせながら厨房の方に体を向ける。確かに芳しい匂いが厨房から漂ってきていた。おそらく、もうすぐ出来上がる頃合いなのだろう。先ほどよりも僅かばかり騒がしくなった厨房を見ながら俺はひとり頷いた。

「それにしても、このお店って本当に古いおうちですよね」

「確かにな。ってか、こんな店ってあったか?」

 リリィはそれに曖昧に首を捻る。俺もずっとこの土地に住んでいるが、こんな店があったことなど知らなかった。それこそ、昨日女将さんから聞くまでは。

 だが、行ったことがない場所なんて結構ある。ここもそういった場所の一つだろう。

「お待たせしました。唐揚げ定食とおうどんです」

 ふと、店員さんが料理を持ってやってくる。彼女は俺たちに笑みを向け、それから料理を配膳した。これまた普通の見た目だが、何ともいい匂いがしてくる。空腹は最高のスパイスとは言うけれど、まさしくその通りだ。

「それでは、ごゆっくり」

 去っていく店員さんに頭を下げた後で、割り箸をリリィとグリへと渡す。彼女たちはそれを受け取り「いただきます」と言って合掌してから料理に取りかかった。

「じゃ、俺も。いただきます」

 まず口に入れたのは唐揚げだ。にんにく醤油の香ばしさがたまらない。ご飯がいくらでも進む。けれど……どこかで食べたような味だ。美味しいけれど、面白みや新鮮味には賭ける。例えるなら、テンプレ的な味だ。唐揚げと言えばこの味、といった感じである。

 リリィも多少なりとも俺と同じことを思っているらしい。無論美味しいことは確かなのだが、どこか引っかかるところがあった。ただし、グリだけは無邪気にうどんを啜っている。彼女と俺たちに、何か違いがあるのだろうか?

 結局謎がわからないまま、とうとう完食してしまった。

 う~む……ダメだ。なんか、スッキリしない。胸の奥がもやもやしていて、まるで気持ちが晴れないのだ。

「夏樹さん。あの……ちょっと気が付いたことがあるんですけど、いいですか?」

「何だ?」

 リリィは声のトーンを落とし、俺の方に身を寄せて告げる。

「このお店、変じゃないですか?」

「……奇遇だな。俺も同意見だ」

 今さらになってグリが正しかったことに気づく。彼女は子どもだが、だからこそ直観に優れていることがある。おそらく、この店が何かしらの事情を抱えていることを本能的に察知していたのだろう。まぁ、今はお腹がいっぱいになったのか眠そうにリリィの胸に抱きついているが。

「どうかしましたか?」

 と、新たな気配がこの場に生まれる。見れば、先ほどの店員さんが俺たちに向かって立っていた。彼女は不審げに眉根を寄せながら俺たちを覗き込んでくる。

「いや、失礼。ちょっとこの家に違和感を覚えたもので」

 カマをかけた言葉に、店員の顔がピクリと歪む。これは、確実に何かある。

 俺はポケットに手を突っ込み、そこから名刺を取り出してみせる。こんな時もあろうかと、用意してきたものだ。

「遅れましたが、私はこういうものです。この店に、人外はいますね?」

「……いませんよ」

「嘘はいけませんよ。ちゃんとお店を経営するなら許可を……」

「人外はいませんよ」

 俺の言葉を遮って店員は言う。俺は苛立ち気味に彼女の顔を見て、ハッとした。

 なぜか? 決まっている。

 彼女の顔が、ひどく不気味に歪んでいたからだ。端正な顔立ちは崩れ、怖ろしい形相になっている。彼女は崩れた笑顔のまま、けたけたと笑った。

「この店の中に人外はいません。だって……この店自体が人外なのですもの」

 刹那、地震でも起きたのか店が大きく横に揺れた。俺は咄嗟に椅子から立ち上がり、リリィとグリを庇う。店員は依然としてゲラゲラと笑ったままだ。

 その間も揺れは激しくなっていき、とうとう壁にかかっていたお品書きなども落ち始める。

「こい! 二人とも!」

 俺は強引に二人を店の外へと連れ出す。半ばドアを蹴破るようにして開け、滑り込むようにして外へと逃げた。そうして、すぐさま後方を見やって――首を捻る。

 すでにそこに、店はなかったからだ。先ほどまで店があった場所には、大きな空き地があるのみ。目を瞬かせる俺とは対照的に、リリィはハッとして呟いた。

「……もしかして、迷い家じゃないですか? 人を惑わせるっていう……」

「……マジかよ」

 なら、尻尾が掴めなかったのも納得だ。グリがきっかけをくれなければ、俺たちはあそこに閉じ込められていたかもしれない。

 なぜだか無性に愛おしくなり、俺はグリとリリィを抱きしめる。リリィは目をぱちくりさせ、グリは鬱陶しそうに俺の手を払ってきたが、構わない。とりあえず、無事でよかった。

 ……にしても、女将さんが言っていたことは正しかった。確かに人外がこの街に潜伏していた。しかも、無許可だ。おそらく、流れの人外だろう。ひょっとしたら、危険なタイプかもしれない。

 俺は一抹の不安を覚えながら、一層二人を強く抱きしめた。


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