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五十五話目~べとべとさんの探偵さん~

 暗く静かな夜道。すでに夜はすっかりと更けており、家の灯りはほとんど消えている。そんな中、俺とその横にいる女性は夜闇に紛れるようにして物陰に潜んでいた。

「あの、田部さん」

 俺は隣にいる女性に語りかける。黒髪を肩のあたりまで伸ばした女性だ。目は前髪で隠れているが、こちらのことは見えているらしい。彼女は唇を半月型に歪め、俺の方に向きなおってくる。

「どうしたんですか? 夏樹さん」

「いや、あの……今回のターゲットってあの人ですよね?」

 俺たちの眼前にいるのは二十代半ばころの男性だ。おそらく会社帰りであろう彼は疲れ切った顔で帰路を急いでいる。横にいる田部さんはコクリと静かに頷いた。

「えぇ。あの人が今回のターゲットです。名前は石橋洋介。二十六歳。商社マン。趣味は読書と映画鑑賞。特技は舌でサクランボのヘタを結べること。また、独身で彼女は大学以来できていない。それから……」

「ちょ、ちょっと待って! あの、探偵ってそんなことまで調べなくちゃいけないんですか?」

 そう。彼女の職業は探偵であり、今はターゲットの尾行中である。ちなみに、俺がこうやって大声をあげても相手に気づかれないのにはある理由がある。それは、彼女が人外だからだ。

 田部さんは『べとべとさん』という人外である。べとべとさんとは、夜道などで現れいつまでも相手の後ろをついてくる人外だ。足音も聞こえ、気配だって感じるのに振り返っても誰もいない。つまりは、存在を消すことができるのだ。だから、探偵業はもってこいなのである。尾行中は誰にも気づかれないのだから。俺もその能力圏内にいるおかげでこうやって声を上げることもできているのである。

「まぁまぁ。とりあえず、これ食べて落ち着きましょうよ」

 彼女はどこからか取り出したあんパンと牛乳をこちらに差し出してくる。いや、張り込みにはうってつけの食べ物だろうけど、まさか本当に持って歩いている人がいるとは思わなかった。

 だが、無下にするのも忍びない。俺はとりあえずあんパンを頂くことにした。

「できるだけ冷静にいきましょう。焦りは禁物。業界の鉄則です」

 彼女が言うと一層説得力が増す。彼女は俺と同い年にもかかわらず年不相応の落ち着きを備えている。これは、職業によるものだろうか? いや、ひょっとしたら種族の特性かもしれない。

 俺はあんパンを牛乳で流し込んでから、再び男性の方を見やる。彼は近くの自販機で買ったコーラを飲みながらてくてくと歩いていた。その姿を見ている田部さんは、どことなく真剣そうである。やはり、仕事の時は皆こうなるのだろう。

 彼が曲がり角に差し掛かろうとしたところで、田部さんが動く。彼女は手慣れた動きで近くの電柱に身を隠した。相変わらずほれぼれする手際である。

 コーディネーターとして人外たちの働きぶりを確認する必要があるからついてきたものの、完全に足手まといになっている。一応彼女の能力圏内にいる限りはばれないが、それでも彼女の足を引っ張っていることには変わりない。

 俺は小走りで彼女の元へと向かう。と、田部さんは人差し指をピッと立てて自分の唇に当てた。

「できるだけ足音は立てないようにお願いします。足音や気配は消せないので。それに、私だけならともかく夏樹さんは気付かれてしまうかもしれませんから」

「……すいません」

 うん。やっぱり俺には探偵業は向いていないらしい。こういったコソコソとしたことはどうにも性に合わないし、何より落ち着かない。気づかれるのではないか、という不安が常に俺の体に纏わりついてくる。

 対して、田部さんは非常に落ち着いている。ターゲットを見る表情こそ緊張に満ちており、熱を込めた視線を送っているが、それでも落ち着いて尾行している。この点は俺も見習うべきだろう。

 と、再び田部さんが動き出し、俺はその後をついていく。曲がり角を突っ切り、しばらく歩いたところで、彼女がピタリと足を止めた。何事か、と見てみればそこには二階建てのアパートがある。どうやら、彼はあそこに入ったらしい。

「よし、確認完了。お疲れ様でした」

 田部さんは胸元から取り出したメモにカリカリと住所を書きこんでいる。にしても……。

「田部さん。あの~……いったい、彼を尾行した目的は何なんです?」

「決まってるでしょう。彼の全てを知りたいんですよ」

 直後、彼女はハッと口元を手で覆う。何やら「まずった」とでも言いたげだ。

 その様相に不信感を覚えた俺は彼女を問い詰める。

「あの、田部さん。正直に話してください。何で、彼を尾行したんですか?」

「いや、あの……その……ほら、種族の本能というか、生物としての義務というか……」

 しどろもどろになり続ける彼女に、俺は懐疑的なまなざしを送る。すると、彼女は大きく息を吐いてどこかすっきりとした表情で告げた。

「いいですよ。わかりましたよ。教えますよ。ただの趣味ですよ、趣味!」

「ひ、開き直りやがった!」

「だって、しょうがないでしょう? 本当の仕事場に夏樹さんを連れていくわけにもいきませんよ。尾行ヘタですし」

「それはすいません。いや、それより。これって、ストーキングしてたってことですか?」

「違います。あくまで尾行です。趣味の」

 俺にこの人を逮捕する権限がないのが悔やまれる。流石は人外界きっての変態種族と言われるだけはある。

 日本の人外にはこのような奇妙な性質を持つ者が大勢いるが、彼女はその中でも頭一つ突き抜けている。先ほどまでは歴戦の猛者という様相を見せていたのに、今ではただの変質者だ。

「大体、どうして尾行しようとか思ったんですか?」

「尾行する理由なんて一つで十分でしょう。気にいったからですよ」

 もう彼女は詫びる気もないらしい。完全に開き直って腰に手を当てながらふんぞり返っていた。もうここまで来ると呆れるを通り越してどこかすごい人のように思えてしまう。

 が、見過ごすことはできない。俺は彼女の目をしっかりと見据えた。

「田部さん。あの人を尾行するのはやめてください」

「ご無体な! 種族の本能なんですよ!?」

「それを発散するための仕事でしょう?」

「違います、違います! 好きな人を尾行するのがいいんです! 何が悲しくて不倫しているカップルを尾行しなくちゃいけないんですか!?」

 子どものように駄々をこねはじめる田部さん。うん。正直に言うと手におえない。

 未だに人外は予想外の行動をするときがあるので困る。俺は苦笑を浮かべつつ、ガリガリと髪を掻き毟った。

「とりあえず、今後このようなことをしないように。言いたいことがあるなら会って伝えること。もし、ばれたら営業停止になるかもしれませんよ?」

 俺はややドスの利いた声で通告した。けれど、彼女はチッチッと指をメトロノームのように振る。

「いいですか? ばれなきゃいいんですよ。私の能力ならそれが……」

「通報しますよ?」

「すいませんでした」

 もう嫌だ、この人。一瞬でもすごいと思っていた自分が恥ずかしい。

「気をつけてくださいね。一度、会ってみることをお勧めしますよ」

 俺はとりあえず彼女に通告だけして、その場を後にした。


 ――後日聞いたことだが、その男性に会って想いを伝えたところ、玉砕したらしい。何というか、自業自得とはいえ悪い気がした。


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