五十四話目~猫又のメイドさん~
視界に映ってくるのは白いひらひらとした服を着た女性たちと、テーブルに腰掛けたいかにもオタク然とした男性たち。女性たちは料理などをトレイに乗せて店内を駆けまわっていた。
――この状況を見てもらえばわかると思うが、俺は今メイド喫茶という場所にいる。
一応言っておくが、プライベートで来ているのではなくここで働いている奴らに用事があるからだ。
俺は店の端っこの方で接客をしている栗色の髪をした女性を見やる。彼女はニコニコと笑いながら楽しげに客と談笑していた。その客の目は、彼女の臀部に向いている。いや、それは別に彼女が女性らしい体つきをしているからというわけではなく、彼女が人外だからだ。
曰く、こういった界隈では猫耳メイドというものが流行っているらしいのだが、彼女はそれを具現化したような存在――『猫又』族だ。系統で言えば、以前出会った面霊気やリビングドールに近いかもしれない。あちらは器物が人外化した存在だが、彼女たち猫又は動物が人外化したものである。
「は~い。それじゃ、笑ってにゃん」
可愛らしい猫撫で声を上げる少女。彼女はおそらく客のものであろうスマホを持って客と写真を撮っていた。男性客はあからさまに鼻の下を伸ばしている。だが、あれは仕方ないだろう。
猫又族の女性には美人が多い。店内はそれはもう美女と美少女で溢れており、しかも全員見た目に個性がある。どの客のニーズにも対応できるようになっているのだろう。パッと見小学生にしか見えない子や、熟女的雰囲気を醸し出す女性も接客にあたっていた。
「失礼します。四宮夏樹さん。ですよね?」
ふと、後方から声がかかる。チラリと見れば、そこにはスーツを着た女性が立っていた。いかにも責任者と言った風体の彼女は肩まで伸びた髪を軽く払い、こちらの顔を覗き込んでくる。やや鋭い目つきに思わずびくりとしてしまうが、そこはグッと堪えた。彼女は俺を見下ろすようにしながら形のよい唇を半月型に歪める。
「お待たせしました。喫茶『キャフェ』のオーナー、上月奈々(こうづきなな)と申します。この度はご来店ありがとうございます。楽しんでいただけていますか?」
彼女は俺の前にあるからのコーヒーカップに視線をやる。先ほど注文したものだが、メイドさんから『魔法』とやらをかけてもらったのである。とりあえず美味かったが、恥ずかしかった。いかんせん、こういう場所には慣れていないので対応に困る。
それがわかっているのだろう。奈々さんはふっと笑いながら俺の眼前に腰掛ける。その時、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。おそらく、先ほどまで裏で働いていたのだろう。いっそのことメイドでも通用しそうだが、彼女はすでに現役を退いてこの店の経営にあたっているらしいのだ。
奈々さんはニッコリと笑みを浮かべ、それからポツリと告げた。
「さて、何からお話しましょうか……そうですね。最近、そちらの方はどうですか?」
「俺ですか?」
「えぇ。こういった職業をやっていると、色んな人の話を聞くのが趣味になるのですよ。まぁ、お話したくないなら構いませんが」
俺はそれに首を振り、それから顎に手を置いた。いつもは聞き役に回ることが多いので、いざ話せと言われると何を言えばいいのかわからない。俺は一瞬だけ俯いてから、再び彼女の目を見据えた。
「そうですね。最近は色々と大変ですよ。変わった同居人が増えまして」
「へぇ。どんな方ですか? 男性ですか? 近頃流行りのルームシェアとかですかね?」
矢継ぎ早に問いかけてくる彼女を手で制し、それから続ける。
「いや、一応女の子ですよ。スライム族の、ね」
奈々さんは驚いたように目を見開き、それから居住まいを正して咳払いを寄越す。
「……なるほど。すいません、てっきり早とちりを」
何を早とちりしたというのか。まぁ、聞かなくてもいいだろう。というか、聞かない方がいいだろう。
俺はお冷のグラスを煽り、それからもう一度彼女の方を見やる。奈々さんも人外なので、頭には猫耳が生えているし、お尻からは尻尾も生えている。今は手持無沙汰なのか、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。
「ところで、奈々さんのところのお店はどうですか? 確か、開業してもうすぐ一年になりますよね?」
「です。今はキャンペーン中ですので、よろしければ」
商売上手な彼女はすぐさま胸元からスタンプカードと思わしきものを取り出して俺に寄越す。そこには可愛らしい文字でサインが描かれていた。一応、奈々さんのものではなく別の人の字である。まぁ、この人が可愛らしい字を書くというのもギャップがあっていいと思うが。
「まぁ、苦労は多いですよ。それこそ、こういった見た目ですからね。差別や偏見にもさらされていましたよ。あくまで、過去形ですがね」
彼女は意味深な笑みを浮かべながらひょいと肩を竦め、周囲に視線を巡らせる。俺もつられて周りを見て「ああ」と頷く。この店では、俺の理想とする光景が展開されていた。
人外と人間がともに笑い合い、楽しく過ごしている。俺は、やはりこういう世界になればいいと常々思っているのだが、現実ではそう上手くいくわけがない。色々と弊害はあるし、見た目の問題で差別を受ける人外は少なからず存在する。俺だってそういう奴らはいっぱい見てきた。
でも、この空間では――たかがビルのワンフロア程度だが、それでも確かに人外と人が共存している。いつかは、これが世界中で共通の光景になればいい。少なくとも、俺はそう思っている。
俺の考えていることが伝わったのだろう。奈々さんはにんまりと笑みを浮かべポンと手を打ちあわせた。
「さてさて。暗い話になりがちですが、ご覧の通り上手くやれていますよ? リピーターさんも多いですし、先日はテレビの取材も受けて大忙しです。それに『猫耳萌え』という方々が日本には大勢いるらしいですからね。最初の足掛かりとしては、いい場所を選んだと自負しております」
奈々さんは別に大したことでもない、とでも言わんばかりに告げる。が、言葉の節々から喜びが滲み出ている。本当は飛び上がりたいほど嬉しいのだろう。その気持ちは痛いほどにわかる。
「楽しくやれているようで何よりです。まぁ、大変でしょうけど、その時はご連絡ください」
「えぇ。その時は是非。あ、ただ……年末年始はご遠慮ください」
「? 何かあるんですか?」
「えぇ。資金もだいぶ集まってきましたので、移店しようと思っているんです。ほら、このお店って体が大きい人外は入りにくいじゃないですか。ですので、リフォームをしてより多くの人々に来ていただけるようにしようかと。あらかた目星はつけているんですよ? 郊外に安い物件がありましたので、そちらを買い取ろうと」
なるほど。この人はずっと先を見続けている。この姿勢は、俺も見習うべきことだ。
「あ、そうそう。その時は是非リリィさんや、その同居人さんも連れてきてください。サービスしますから」
と、彼女は愛嬌たっぷりの営業スマイルを浮かべながら言葉を述べる。
その時だった。ふと、店内で悲鳴が上がったのは。
何事かと辺りを見渡してみれば、すぐにその理由がわかった。一人の男性客が、スマホを持った状態でメイドさんに腕を掴まれている。よく目を凝らせば、その画面にはメイドさんのスカートの内側と思わしき写真が映し出されていた。
「これは……ちょっと失礼」
あらかじめ断りを入れて席を立とうとする。が、奈々さんは俺の腕を掴んで制止をかけ、静かに頭を振った。
「大丈夫です。あなた! 来てくださいな!」
奈々さんが声を上げた直後だった。店の奥から、身長二メートルは優に超すであろう、猫耳を生やしたスキンヘッドで筋骨隆々の男性がやってきたのは。言っておくが、あれはコスプレなどではない。れっきとした猫又族の男性だ。彼はどしどしと件の男性の元に寄り、その肩に手を置いた。
「ちょっと。来てもらおうか」
腹の底までズシンと響くような重い声だった。彼は問答無用で男性の手からスマホを取り上げぐしゃりと握りつぶし、外へと連れ出していく。その時、盗撮されたメイドさんを慰めるのも忘れない。彼は優しい手つきでメイドさんの頭を撫でてやっていた。
「ね? ご安心ください。ウチには心強い用心棒がいますから」
「みたいですね。そういえば、さっきは『あなた』って……」
「えぇ。私の夫です。仕事中は指輪を外すようにしているのです。夢を与えるのが私たちですから」
彼女は意味深な笑みを浮かべながら自分の左手を見せる。確かに、指輪焼けと思わしき跡があった。俺は先ほど彼女の旦那さんが消えていったドアを半眼で眺めながら、乾いたため息を漏らした。




