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五十三話目~面霊気の職人さん~

 木漏れ日が差す森の中を俺は行く。心地のよい風が吹き抜けてくるが、そろそろ飽きも終わりに近づいてきたということもあり若干肌寒さを感じる。以前は鮮やかな紅葉をつけていた木々もすでにかれつつあり、地面には儚く散った葉の残骸があった。

 俺はスーツの襟を正し、胸元から地図を取り出す。今回俺の依頼人はこの山にこもっているらしいのだが、いかんせん情報が取れていない。どうにも人間が苦手らしく、こうやって人里離れた山に居を構えるくらいなのだ。

 まぁ、こういった人物の対処には慣れている。肝心なのは、相手を理解しようとすることだ。焦らないことも重要である。人外が人間を苦手とするには何かしらの理由がある。それはおいおい聞いていけばいいことで、今はとりあえず彼女たちの力となれればいい。少なくとも俺はそう思っている。

 それからしばらく歩いていると、ふと前方に見覚えのある人影が俺の視界に映る。俺は眉根を寄せてその人物を注視し、ふっと頬を綻ばせた。

「シャクアか?」

 どうやら俺の声が聞こえたのだろう。その人物はくるりとこちらを向いてきて、ニコリと笑みを浮かべる。予想通り、この山に住まう人外の一人、ドリアード族のシャクアだ。彼女はゆっくりとこちらへと歩み寄ってきながら、すっと手を上げる。

「ナツキ。久しぶり。どうしたの?」

 言葉少なに語りかけてくるシャクア。このとぎれとぎれに喋る感じも久方ぶりだ。

「あぁ、ちょっと人を探していてな。そうだ。シャクア。道案内をしてくれないか? この家があるところなんだが……」

 言いつつ、俺は懐からスマホを取り出して目的地が映っている写真を見せる。彼女はそれを見た後で、うんうんと頷いた。

「わかった。ついてきて」

 シャクアはくるりと踵を返して俺に背を向ける。そうして、曲がりくねった道をスイスイと歩いていく。俺はその後を必死に追いながら、問いかけた。

「最近はどうだ? 不法投棄とかはされてないか?」

「ん。たぶん、ナツキたちのおかげ。看板。あるから」

「それは何より。ま、また何かあったら言ってくれ」

「了解」

 シャクアは口元に笑みを浮かべながらそう返しまたしても歩を進める。それからしばらく歩いたところで、彼女はすっと右の方を指さした。そこは緩やかな傾斜になっており、その斜面に小ぢんまりとした木造の小屋がある。間違いなく、目的地だ。

「あそこ。新入りさんが、住んでる。たぶん、今は仕事中」

「なるほどな。ありがとな、シャクア」

「ん。ついていこうか?」

 せっかくの提案だったが、俺は首を振って否定する。その時、なぜだかシャクアはわずかながら心配そうな表情を浮かべた。

 が、すぐに元の無表情に戻って俺に手を振る。

「それじゃ、また」

「おう。ありがとうな」

 俺は彼女に別れを告げ、それから小屋へと足を向けた。耳を澄ませば、そこからは木を削るような音が聞こえてくる。また、トンカチで何かを叩くような音も。シャクアが言ったとおり、彼女は働いている最中のようだ。

 俺は扉の前で一旦深呼吸をしてから、そっと戸を開いた。

「こんにちは~……」

「あぁ! いらっしゃい!」

 聞こえてきたのは、威勢のいい声だった。俺はその声の発信源――つなぎを着た若い女性に目をやる。額には手拭いを巻いており、両手には手袋をはめている。しかも、右手にはトンカチを持っていた。

 彼女は額に浮かんでいた汗を拭った後で、こう述べる。

「今日来てくださる方ですよね!? いや、よかったよかった! お忙しい中すいません! あ、疲れてないですか!? お茶淹れますよ!」

 何とも騒々しい人だ。彼女は小屋の中をバタバタと駆けまわり、台所らしき場所へと向かっていく。俺は囲炉裏が置かれた場所に腰掛けながら改めて小屋の中を見渡す。

 なんというか、昔話に出てきそうな家である。電子機器の類はないし、水瓶や竈など今の日本では滅多にお目にかかれないものばかりが置かれている。前情報によると、彼女はアンティーク好きなようだ。主に、種族的理由で。

「お待たせしました! あ、暑いですから気をつけてくださいね!?」

 そんなことを思っていると不意に横から少女が顔を出してきて俺の横に湯呑を置いた。彼女は自分の分も置いた後で、俺の横に腰掛けてぺこりと頭を下げる。

「はじめまして! 『面霊気』族の柚子と申します! 今日は御足労いただきありがとうございました!」

 やはり、元気のいい子だ……が、俺はずっと彼女に違和感を覚えていた。

 俺はごくりと唾を飲みこみ、おそるおそる彼女に尋ねる。

「あの、柚子さん?」

「はい! なんでしょう!?」

「どうして、ずっと無表情なんですか?」

 そう。そうなのだ。彼女はあった時からずっと無表情だった。せいぜい瞬きをする程度で、表情筋が動いた素振りは一度もない。このテンションでそんな態度をされては、違和感を覚えずにはいられないだろう。

 柚子さんはすぐにポンと手を打ちあわせて、何度も頷いた。

「あぁ、すいません! 私、面霊気は表情がないのです!」

「いや、でも……顔があるじゃないですか。鼻も、目も、口だって」

 事実、彼女は『のっぺらぼう』とは違って顔のパーツは全て揃っている。すらりとした形のよい鼻も、アーモンド形の可愛らしい目も、食べ物を口に入れることができるのかと心配になりそうなほどのおちょぼ口も、彼女は全てを持っている。

 けれど、表情がないのでは彼女の魅力はまるで伝わってこない。それがわかっているのだろう。彼女は照れ臭そうに頬を掻いた。無論、無表情のままで。

「いや、すいません! でも、私には『感情』というものがないのです!」

「……え?」

「では、ご説明しましょう!」

 彼女は舞台女優さながらに大げさなジェスチャーを取って堂々と告げる。

「私たち面霊気は元々は物! 要するに、仮面です! そして、仮面とは表情を隠すもの! 感情を押しとどめるもの! 百年を生き、付喪神となった時、なぜかその性質が我々に遺伝したのです!」

 騒々しくて何を言っているのかよくわからなかったが、とりあえず感情がないから表情が作れないということだろう。にしても、この人すごいハイテンションだ。ある意味、シャクアよりもやりにくい。あっちは精神と表情がリンクしているからだ。こっちは違うので、正直言うと疲れる。

「あ、もしかして、この山に来たのもそれが原因ですか?」

「然り! 人間社会では人付き合い、というものが重視されます! が、ご覧のとおり私には表情がないので相手に不快な思いをさせてしまう可能性があります! というか、何度か経験だってあります! それが嫌で、ここに来たのです!」

 あ~……なるほど。まぁ、そんなところではないかとも思っていたが。

 見るところによると、彼女の職業というのは仮面職人のようだ。基本は人に会わなくて済むタイプの職業とはいえ、それでも今の時代は何かと人とのつながりが重視される。こうやって山に閉じこもってばかりではあんまりだろう。

「えっと、柚子さん。表情を勉強しませんか?」

「いえ、ですから私には感情がないので……」

「いいんですよ。感情がなくても表情を身につければ。愛想笑い、って知ってますよね? そういった処世術を学ぶのも必要ですよ。少なくとも、このご時世では。人とは離れたかもしれませんけど、この山には人外が多くいますよ? 彼女たちに会った時、無視するわけにもいかないでしょう」

「で、ですが! 私は一体どうしたら!」

 焦りを露にする彼女に向かって、俺は優しく告げる。

「大丈夫。あてはありますから」

 そう言って俺はスマホを取り出し、ある写真を見せる。そこに映し出されている人物が何者かわかったのだろう。彼女はハッと口元を押さえた。

 俺はスマホを引き戻しつつ、その写真を見やる。そこに映っているのは俺とリリィだ。

 そう。リリィはリビングドールという種族であり、日本で言う付喪神の近類種にあたる。確証はないが、リリィに聞けば何かしらの答えが聞けるかもしれない。

「とりあえず、今度彼女を連れてきます。もちろん、他にもあてを当たってみますので、ご安心を。柚子さんも、できれば色んな人に関わりたいでしょう」

「はい! もちろんです! ただ、私は変われるのでしょうか?」

「大丈夫。変えますから」

 やや自信ありげに言ってみせると、彼女はグッと口をつぐむ。効果はてきめんだったようだ。後は、関係各所に声をかけるだけである。

 俺はそんなことを思いながら、以前として無表情のまま小躍りしている柚子さんを見ていた。


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