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四十八話目~キョンシーの整体師さん~

 秋の美しい夕焼けが道路を赤く照らす中、俺はいつものスーツを着て仕事へと向かっていた。なぜこんな中途半端な時間に出かけているかというと、これから会う人がやってみる店がそろそろ終わるころだからだ。一応アポを取っているので、断りを入れられる心配はなし。

 俺は地面に伸びる自分の影を眺めながら商店街を歩いていく。下校途中の学生たちに混じって何人かの人外たちも商店街で買い物をしていた。この光景にもだいぶ慣れたものだ。昔は人外だからと言ってあまりいい扱いをされなくなったのだが、彼女たちが無害だということがわかってからはこういった光景も珍しくなくなってきた。

 なんとも微笑ましい思いを得ながら商店街を抜け、やや人ごみから外れた場所にある路地へと足を踏み入れる。すると、前方の方に少しばかり年季の入ったコンクリの建物が見えてきた。そこには堂々と『春麗接骨院』と描かれた看板が掲げられている。それも塗装がはげかけてギリギリそうだと読み取れるレベルになっているが。

 そこに勤めているのが今回の依頼人である。俺は中へと足を踏み入れる前に一旦立ち止まり、近くに止まっていたバイクのミラーを使って身なりを整える。それから中へ入ろうとしたその時だった。

「は~い。お疲れさま。お大事にアル~」

 そんな、どこか間の抜けたエセっぽい言葉が聞こえてきたのは。だが、その声の主を俺はよく知っている。

 建物の入り口付近に目をやるとそこには杖を突いたよぼよぼの老人と道士服を着た女性が立っていた。女性の方は俺に気づくなり、ハッと目を見開いて手をブンブンと振ってくる。

「あいや~、夏樹さん! 久しぶりネ!」

 そう。このエセ外国人風の言葉をしゃべるのが今回の依頼人だ。名を、春麗という。種族は『キョンシー』だが、列記とした日本人だ。いや、日本キョンシーだ。ちなみに名前は、キョンシーだからという理由で中国風の名へと改名したらしい。

 俺はすれ違う老人に軽く会釈してから、春麗に向かって笑いかけた。

「お疲れ様。ちょうど終わったところかい?」

「そうヨ。今日も頑張ったネ!」

 春麗はビッとサムズアップをしてみせる。普通、キョンシーとは体が固くてろくに動かないように思われているが、そうではない。長い年月を経たキョンシーは人間同様に動けるし、生前の能力をフルに使うことができる。だから、彼女はこうやって自分の店を建てることができているのだ。

「夏樹さん。今日はありがとネ。とりあえず、入りなヨ」

 独特のイントネーションに苦笑を寄越しつつも、俺は中へと足を踏み入れる。中には中国の民族衣装やヌンチャクや三節根が飾られている。無論レプリカではあるが、内装に以上にこだわっているのもこの整骨院の特徴だ。

 春麗は近くにある椅子に腰かけ、俺には待合室の椅子に座るようハンドジェスチャーで促してきた。その言葉に応え、俺はゆっくりと腰を下ろす。と、そこでようやく何かお香のような匂いが漂っているのに気が付いた。

「何か焚いているのか?」

「お目が高いネ。そう。お客さんが緊張しないように、お香を焚いてるのヨ。もちろん、中国製のネ」

 彼女は肩を竦めながらそう言ってみせた後で、渋面を作る。それまでとの態度の違いに、俺は少しばかり目を剥いた。

「どうかしたのか?」

「うぅん。実は、夏樹さんを呼んだのもそれが関係しているんだよネ」

 その言い分に、俺はどこか引っかかりを覚えた。そして案の定、それは的中することになる。

「実はさ、この間中国に旅行に行ったんだけど、だいぶお金使っちゃってネ。もう文無しヨ!」

「いや、それ笑い事じゃないだろう……」

 キョンシーに限らず、アンデッド系の種族はどこか楽観的だ。一説には一度死を経験しているのでほとんどのことは雑事に感じてしまうそうだが、それはどうでもいい。俺はやや身を乗り出して、彼女を問い詰めた。

「文無しってことは、今はどうしているんだ? 生活費とか、ここの運営費もあるだろう」

「うん。ま、貯金を絞ってやってるヨ。ぶっちゃけ、私は食事いらないからネ。断食とか朝飯前ヨ! 食べてないけド!」

 何がおかしいのか、春麗はゲラゲラと笑い始める。俺はその様を見て頭を抱えざるを得なかった。

 彼女に限らず、種族の特性に頼り切った生活をしている奴は案外多い。例えば彼女のようにアンデッドだからと休息も飯も取らなかったり、大好物だけを食べて生きようとしたり、なまじ制限がない分やりたい放題やっている奴らが非常に多いのだ。

「あ、でもちゃんとお風呂には入ってるヨ? 噴水使って」

「即刻やめろ」

「じょ、冗談ヨ、冗談……」

 なら、なぜ目を逸らすのか。

 春麗はいい奴なのだが、色々とモラルに欠けている。自分が女であるということに無自覚であるのか、本当に無防備なのだ。以前会ったときなど、暑いからと言っていきなり俺の前で服を脱ぎ始めたのだ。曰く、

「私はもう死体ヨ。こんなのに興奮するなんて、よほどの変態さんしかいないッテ」

 らしい。まぁ、厳密に言うなら彼女は確かに歩く死体だが、それでも女性的な体つきをしているし、パッと見ては人外だとわからない。それを彼女はイマイチ軽く見ている節があるのだ。

 俺はため息をつきながら再び額に手を当てる。

「覚悟はしていたけど、まさかここまでとは……」

「ごめんごめん。でも、困ってるのは本当ヨ。何とかならないかナ?」

 彼女は今までの笑顔を引っ込めて不安げに眉根を寄せる。これまではおちゃらけているようにも思えたが、本人的にも由々しき事態だと自覚はしているらしい。それに、失業した人外が就職しづらいのは俺も知っている。なら、ここはコーディネーターとして、彼女の友人としてアドバイスをしてやるのが当然だろう。

 俺はため息交じりに言葉を投げかけた。

「とりあえず、今の段階で家賃とか建物の維持費とかはまかなえているのか?」

「ううん……」

 返されるのは躊躇いがちな否定。俺はたまらず二の句を継げた。

「今月の収入で賄えるのか?」

「無理……だと思うネ」

「じゃあ、副業とかは?」

「してないネ」

 なら、やはり何かしらの補助がいるだろう。とはいっても、彼女がやっているのは整骨院だ。俺の知り合いの人外たちに声をかけたとしても、ここに来てくれる保証はない。だとすれば、何かしら別の対策を打っておくのが吉だろう。

「春麗。何か特技は?」

「特技? カンフー得意ヨ! 映画見て覚えたネ!」

 彼女はそう言って見様見真似のカンフーを披露してみせる。だが、それはお世辞にも芸となりうるものではない。正直なところ、これで金を取れることはないだろう。

 俺の反応を見て春麗はむっと唇を尖らせ、それからポンと手を打ちあわせた。

「あ、そうだ! 私、こう見えて料理得意ヨ!」

「……は?」

 自分でもびっくりするほど低い声が出た。それを聞いた春麗は肩をビクッと震わせ、後ずさる。だが、文句を言われる筋合いはない。なにせ、俺はそれで昔死にかけたことがあるのだから。

 前述したとおり、春麗は食に対して非常に無頓着だ。だから、普段は絶食しているし、自分で料理も作ろうとしない。だというのに、映画を見た後は決まって中華料理を作るのだ。何より性質が悪いのは、それを人に食わせるところである。

 先ほどのカンフーにしろ、彼女のやっていることは大半がなりきりだ。だから、そのクオリティは本物に遠く及ばない。にもかかわらず、自分はできると思っている節があるので独自のアレンジを食われるのだがそれがまた酷い。

 俺が食べたのは四川風麻婆豆腐だったが、あれは違う。四川風というのは、闇雲に唐辛子や香辛料をブチ込んだものではないんだ。あれこそ繊細な味付けと調理が求められるのに、彼女はあろうことか手当たり次第に赤い調味料をブチ込んだのだ。

 当時、彼女と親しかった俺はリリィと共に家に呼ばれ食事をご馳走になったのだが、俺はあえなく撃沈した。リリィはというと、人外ということもあったのか比較的すぐ回復したが、俺は一週間以上舌のしびれが止まらなかったほどだ。

 そんな彼女が、料理を振舞う? そうなれば、生活費を稼ぐどころか賠償金を支払う羽目になってしまう。

 春麗はわずかに不満げにしながらも頭を抱えていた。

「あぁ、もう。一体どうすればいいのヨ……」

「……あのさ。春麗」

「何?」

 ふと、彼女がこちらを見てくる。その純粋な瞳を見て一瞬だけ決意が緩いだが、俺は告げた。

「この整骨院にあるものを売り払えば、多少は維持費も賄えるんじゃないか?」

 だが、これは考えられる限り最悪の手段だ。この整骨院にあるものは彼女が長い年月を重ねて旅をつづけ収集してきた者である。それを捨てろというのはやはり……。

「いいネ、それ!」

「……は?」

 目をぱちくりさせる俺に構わず、春麗は手を打ちあわせる。

「そうヨ! その手があったヨ! 売れば金が入る! これ、世界の理ネ!」

「ちょ、ちょっと待て! いいのか? これ、宝物なんだろ?」

「う~ん、そう言われるとキツイけど……でも、この整骨院の方が大事だからね。それに、物はなくなっても記憶はなくならないよ。私が旅した記憶はずっと心に残るし」

「……春麗。お前……」

「ふふん、どう? 意外に私も考えているでしょ?」

「イントネーション、元に戻っているぞ?」

 刹那、それまでドヤ顔を作っていた彼女は顔を真っ赤にして俺に背を向ける。真剣になりすぎるとなりきりを忘れてしまうのも彼女の悪癖だ。春麗はゴホン、と咳払いをして俺に非難の眼差しをぶつけてきた。

「夏樹さん……夜道に気を付けることネ。キョンシーの祟りは恐ろしいヨ」

「はいはい。俺にはお前の料理の方が恐ろしいよ」

 それだけ言ってすぐさま椅子から立ち上がる。このままいると、マジで料理をご馳走になりそうだ。それだけは避けねばならない。俺はすがりつく彼女を押しのけて外へと歩み出た。


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