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四十六話目~覚のカウンセラーさん~

 翌朝、俺とリリィ、そしてグリはとある場所へバスで向かっていた。久しぶりの外出が嬉しいのかはしゃぎまくるグリをなだめるリリィを横目で見ながら俺はほぅっと息を吐く。というのも、これから会う人物は少しばかり変わった人なのだ。なるべく気持ちを落ち着けていた方がいいのはよくわかっている。

 俺は窓の桟に頬杖をつきながら外の景色を見つめる。徐々に秋らしくなってきた陽気は心地よいもので、ずいぶんと過ごしやすくなってきた。紅葉が風に吹かれて舞う様はどこか幻想的で、少しばかり気分が軽くなる。

「夏樹さん。そろそろじゃないですか?」

 思い出したようにリリィが言う。言われてみれば、最寄りのバス停まであと間近になっていた。俺は慌ててバスのボタンを押そうとするが、それよりも早くグリが緑色の触手を伸ばしてボタンを押す。彼女はリリィに向かってニッコリと笑いかけていた。

 まぁ、年ごろの子ならバスのボタンを押したがるのは世の常だろう。俺は頬をポリポリと掻きながらそんなことを思った。グリもだいぶ人間世界に慣れてきたような気がする。本国とは違う日本の様相に戸惑っているようだったが、リリィや他の人たちの助けもあってだいぶ改善したのだ。唯一、俺への態度以外は。

 やがてバスは緩やかに止まり、俺たちはそそくさと降りていく。バスから出るとちょうど拭いた秋風が頬を撫で、同時に芳しい香りを運んでくる。どこかで焼き芋でもやっているのだろうか?

「と、それより早く行かないとな。待たせたら悪い」

「ですね。行きましょう、グリちゃん」

 すっかり手慣れた様子でリリィがグリへと語りかける。俺はトコトコと歩いてくる二人を気遣いながら地図を頼りに目的地へと向かう。曲がりくねった道を行き、人がひとりようやく通れるくらいの通路を通っていく。なぜこんな入り組んだ道を通る必要があるかというと答えは一つ。今日会う人が極度の人嫌いであり、できるだけ人里から離れた場所にいたいというからだ。

 それから気も遠くなるほど多い通路を行ったり来たりしていると、しばらくして目的地らしき赤い屋根の一軒家が見えてきた。すでにグリは疲労がたまっているらしく、夢現の状態のままリリィにおぶさっている。だが、これは好都合だ。

 これから会う人も、グリが寝ていた方がやりやすいだろう。

 と、そんなことを胸中で思っていた時だった。家のドアがいきなり開き、そこから眼鏡をかけた一人の女性が歩み出てきたのは。

 大体二十代半ばと思わしき女性は俺たちをまじまじと見つめてニッと口角を吊り上げた。

「あなたたちが、今日の依頼人ですね?」

「やっぱり、適いませんね。両義さん」

 両義さんは皮肉ったような笑みを浮かべて肩を竦める。この仕草は、彼女が物事をはぐらかす時に用いるものだ。

 両義さんは『さとり』という人外だ。心を読み、人を惑わす能力を持っている。今回俺が彼女に依頼したのは、グリの読心だ。覚の能力は言語を話せないものにも通用する。無論、知性があればというのが大前提だが、グリはかなり頭がいい。それについては問題がなさそうだ。

 両義さんは俺たちの次の行動を予測したのか、ドアを開いた状態にしたままで家へと入っていった。俺はリリィと顔を見合わせて互いに苦笑し合いながら中へと足を踏み入れる。存外に洋風な家だ。フローリングはピカピカで、敷かれている絨毯は高級そうである。

 リリィはグリを起こさないようにと慎重にリビングへと歩みを進めていく。グリはぷうぷうと鼻提灯を膨らませながら心底気持ちよさそうに寝ていた。全く、いい気なものである。だが、この可愛らしい寝顔を見れただけでよしとしよう。

「だいぶ親バカが入っているようだね」

「ひっ!?」

 突如聞こえた声に飛び上がる。見れば、台所から顔を出した両義さんが俺の方を見てにやにやと笑っていた。おそらく、心を読んだのだろう。プライバシーもへったくれもない。

「悪いね。これが私なんだ」

 ほら、これだ。俺が独白すると彼女が必ず言葉を重ねてくる。別に嫌ではないのだが、たまには放っておいてほしいというのも本音だ。

 俺はまたしても肩を竦める彼女をよそにグリを近くのソファへと横にさせる。リリィは自分の羽織っていた上着を脱ぎ、それをグリへと被せてやる。

 こうして見ていてわかったことだが、リリィは案外母性本能が強いらしい。いや、それとも単にリビングドールの特性だろうか? 彼女の種族は子どもが大好きである。第一、人形は子どもを喜ばせるのが大前提だ。その可能性は十分ありそうだが、今は別にどうでもいい。俺は近くの席に腰掛け、先ほど両義さんが持ってきてくれていたウーロン茶を啜った。

「用件はわかっているよ。あの子のことだろう?」

 意味深な言い方で両義さんが返す。こういう時余計な説明をしなくていいのは大助かりだ。両義さんはいたずらっ子のように無邪気な笑みを浮かべながら俺とリリィを交互に見渡して頷く。

「なるほど……あの子は、そういう事情を持った子なんだね。話には聞いていたけど、やれやれ。やりにくそうだ」

「そんなに大変なんですか?」

 俺の問いに、両義さんは曖昧な首肯を寄越す。

「ま、トラウマ持ちはね。案外知られていないけど、記憶や考えを読むのって大変なんだよ? 疲れるし、何よりトラウマ――つまりは心の傷を見るわけだからね。私にとっては彼女たちの思い出を追体験するわけだ。これが辛い。下手すると心が折れそうになるよ」

「でも、折れない両義さんはすごいと思います!」

「ハハ、ありがとう。リリィちゃん。そう言ってもらえると救われるよ」

 すかさずリリィがフォローを入れると、両義さんはやや満足げに頬を掻いた。彼女は一旦コップを置き、それから大きく深呼吸を繰り返す。しばらくの沈黙が続き、リビングにはグリの寝息だけが響く。

「よし。それじゃ、やろうか」

 と、両義さんは呟いて覚悟に満ちたまなざしをグリへと向けた。その時、彼女の漆黒の瞳が真っ赤に染まっているのが俺の視界に映る。これは、マジだ。

 覚が能力を本気で行使する時は、眼球の色が変わる。色に個人差はあるが、その美しさには定評があるのだ。両義さんはジロジロとグリを見つめている。が、徐々に額にしわが寄ってきた。もしや、あまり芳しくない出来事なのでは……?

「大丈夫だよ。気にしなくていい。二人とも、全く同じことを思わなくていいじゃないか」

 両義さんは目をマッサージしながら気だるげに告げる。まさか、リリィも同じことを考えていたとは驚きだ。いや、だがそれもそうだろう。もうグリは俺たちにとって家族も同然なのだから。

 両義さんはいつの間にやら持ってきていた目薬を差した後で、こちらを安心させるように優しく微笑んだ。

「大丈夫。発育が悪いって言われたみたいだけど、そんなことはないよ。あの子はちゃんと物事を考えられる知性があるし、君たちのことも『親』として認知している。言葉をしゃべれないのは、おそらく指導者がいないからだろう」

「指導者?」

 俺の問いに両義さんは何度も頷き、コップの中の水を煽る。そうしてのどを潤してから、彼女は改めて答えた。

「そう。指導者。君たちだって、言葉は誰かから習っただろう? 自分の力だけでは限界がある。だから、彼女にいっぱい話しかけてあげるといい。後、親がいないのも原因の一つだね」

 両義さんの顔はわずかに歪んでいる。彼女はなぜグリが捨てられてしまったのかを理解してしまったのだろう。そのような表情をしていた。

「普通、ミミック系――つまりは化けるタイプの人外は親から色々と習うんだ。発声方法、誘惑の仕方、はたまた食事のとり方などなど。でも、グリちゃんの生みの親は行方知らず。発声方法がわからないのは、彼女が人間の外見を真似できても内部構造までは真似られていないということに直結するだろうね」

 これまで誰もたどり着かなかった答えに簡単に行き着いてしまった。流石は覚。心を読むのに特化した人外なだけはある。てか、最初からここへ連れてくればよかったんじゃないか?」

「それはダメだね。読心をするためには相手が落ち着いている必要がある。保護されたすぐに寄越されたのでは、心を読むどころか近寄らせてすらもらえないだろうさ」

 両義さんは天井に向かってほぅっと息を吐き出し、まるで自分の無力感を噛み締めるようにしながら静かに瞑目する。

「悔しいものだね。天才カウンセラーの私が、君たちの助けがなかったらこの子の心すら読めなかったなんて」

「自分で言うんですね……」

 一人呟く両義さんに向かってリリィがツッコミを入れる。気持ちはわからないでもない。言っていることは事実だが、自分で『天才カウンセラー』とか言っていいのだろうか?

 両義さんは一旦舌をべろりと出してから、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「とりあえず当面の目標はあの子に言葉を教えてあげることかな。映画やアニメ、なんでもいい。スライム族は吸収力が段違いだからね。知識を与えれば与えるだけ賢くなるよ」

「もうグリはお利口さんだけどな」

「はいはい。ところで、四宮くん。君、仮にもコーディネーターだろう。ミミック系の知り合いはいないのかい?」

「いや、それが……いないんですよ」

 俺はやや俯きながらそう答えた。実際、ミミック系――つまりは自分の体を自在に変えられる人外というのは激レア中の激レアなのだ。そうホイホイ出会えるものではない。

 それはリリィや両義さんもわかっているらしく、二人ともしかめっ面になっていた。

「そうですよねぇ……夏樹さんが知らないんじゃ、私が知るわけありませんし」

「ふむ。なるほど。四宮くん、つてはないのかい?」

 俺は静かに首を横に振る。以前コーディネーターたちから色々と話を聞いたが、ミミック系を知っている者たちは一人もいなかった。十人以上がいてあれだから、相当だということがわかるだろう。

「……あ」

 などと思っていると、不意にリリィがポンと手を打ちあわせた。彼女は目を丸くしながらも、まるで世紀の大発見をしたかのように俺の方に身を寄せる。

「夏樹さん、もしかして、ピティちゃんなら知っているんじゃないですか?」

「あ、確かに。あいつ、人外の学校通ってるもんな」

 これは盲点だった。確かに日本のコミュニティ内にはいないが、海外にはひょっとすればいるかもしれない。ピティとは連絡先も交換しているし、いざとなればネットを繋いで詳細を話せばいい。思わぬアイデアが出たことに感動しながらも、俺はリリィに微笑みかけた。

「ナイスアイデア。助かったよ」

「い、いえ。私は別に……」

「二人とも。いちゃつくのは家の外で頼むよ。で、だ。二人に言っておきたいことが一つある」

「何ですか?」

「もしかして、悪いところでもあったんですか?」

 俺とリリィの質問を鼻で笑い、両義さんはどこか満足げにサムズアップを決めた。

「よかったね。二人はあの子から懐かれているよ!」

「……え?」

 思わず俺の口からそんな声が漏れる。だが、リリィと両義さんは俺とは違ってうんうんと頷いている。あれ、なんだろう、この疎外感?

「リリィちゃんは言わずもがなだね。グリちゃんはお姉さんだと思っているみたいだよ。とびきり優しくて、大好きらしい」

「い、いやぁ……えへへ」

 照れくさそうに頭を掻くリリィ。喜んでいるなら何よりだ。彼女は心底幸せそうな顔をしており、表情筋が緩みまくっている。まぁ、今日くらいは大目に見てやろう。

「四宮くんもだね。グリちゃんは君のことを兄だと思っている……いいや、違うな。正確に言うなら、君を魅力的な異性として見ている」

「……はい?」

「わかりやすく言おうか? つまりあの子が君にそっけない態度を取っていたのはいわゆる……」

「両義さん、後ろ!」

 突如としてリリィが声を荒げる。何事かと見れば、両義さんの背後に緑色の巨大物質が出現しており、それはあっという間に両義さんを包みこんだのだ。彼女は驚きからか目を見開き、もがいている。そして、彼女を飲みこんだ物体の正体は、眠りから覚めたグリだ。

「こ、こら! グリちゃん! ぺっ、しなさい! ぺっ!」

「グリ! いい子だから! 両義さんを放してやれ!」

 俺たちは慌てて両義さんを引っ張り出す。余談だが、この時両義さんは初めて走馬灯というものを見たらしかった。


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