四十六話目~妖精の友人さん~
ちょうど昼飯を食べていたころ、俺はある不可解なものを目撃した。俺は持っていた箸を思わず落としてしまったが、そんなことなどどうでもいいくらの出来事があったのだ。
俺は息を呑みながらリビングの窓の外を見やる。そこにいたのは――草にまみれた巨大な球体だ。それはぷかぷかと浮かんでおり、窓に体当たりを食らわしてきている。その度に鈍い音が響き、窓の桟がわずかに軋む。一応人外向けに設計しているとはいえ、それでも窓は窓だ。このままでは、壊されかねない。
俺は横に座っていたグリを庇うようにして立ち――上がろうとしたが、それよりも先にリリィが席を立ち、いつものニコニコ顔を浮かべて歩み寄る。どうやら、彼女はあれが何なのか心当たりがあるようだ。
彼女はゆっくりと歩いていき、窓を開けてその球体を中に引き寄せる。と、その直後だった。緑色の玉の中から、小さな少女――いや、誇張表現などではなく、本当に人差し指ほどのサイズの少女が現れたのは。
「ぷはっ! リリィちゃん、おっひさ~」
「やっぱり、フィリアさんだったんですね! いつぶりでしょうか?」
「前のオフ会の時だから、二か月くらい前じゃない?」
と、楽しげに談笑する少女――確かフィリアと呼ばれていたか。見たところ、彼女は妖精族であるようである。どうやらあの球体は、カモフラージュとして身に纏っていたものらしい。いや、むしろ悪目立ちしていたと思うがここはあえて突っ込むまい。
フィリアと呼ばれる少女は非常に愛らしい姿をしていた。親指姫、という童話があるが今ここで実写映画を撮るとなったらまず間違いなく抜擢されるだろう。輝くような金髪と綺麗な緑の瞳。妖精族特有の羽は日の光を浴びて煌いていた。
「あ、そっちがリリィちゃんの同居人さん? こんにちは。フィリアです。種族は……」
「あぁ、妖精族だろ? 一応、職業柄色んな人外を見ているからわかるよ」
「リリィちゃんの言う通り、真面目そうな人ですね! じゃあ、自己紹介の続き! えっと、私とフィリアちゃんは前にネットで知り合った友達で~す!」
「夏樹さんには話していたと思いますけど、最近は人形の出張修理も請け負っているんです。彼女はその依頼主の一人だったんですが、妙に意気投合して……」
「そうそう。ま、人形サイズの私が人形好きってのもおかしな話かもね」
フィリアさんはクスクスと子どものように無邪気な笑みを浮かべてみせる。と、そこで彼女に歩み寄るものがひとり。グリだ。
彼女は自分よりも小さいものを見るのが珍しいのだろう。不思議そうに小首を傾げながら、フィリアにそっと手を伸ばしていた。リリィはそれを嗜めようとするが、フィリアが制止をかける。彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、フィリアの手から飛び去ってグリの眼前で動きを止める。
「こんにちは、スライムのお嬢ちゃん。よろしくね」
グリはコクリと頷き、そろそろと手を伸ばす。フィリアはでれ~っと表情を緩ませながら彼女の指を両手で握ってブンブンと振った。
「いや~ん。もう、何、この子? 可愛すぎない?」
フィリアはどうやら可愛いものが好きなようで、グリの肩に止まって頬ずりをしていた。それはグリもまんざらでもないらしく、誇らしげに胸を張っている。その間に、リリィは俺の傍に身を寄せてきた。
「だいぶ、グリちゃんも他人への警戒心が薄れてきましたね」
「……相変わらず、俺には懐いてくれないがな」
リリィは乾いた笑いを漏らすだけだ。その反応を受け、俺はがっくりと肩を落とす。
多少はグリの他者への態度が緩和したことは事実である。が、いかんせん俺にはまだろくに触ろうとしてもくれない。一番気まずいのが、夕飯時だ。
流石に火を使うということもあってグリを厨房へと入れるわけにはいかない。当然、俺と彼女が二人リビングに残される形となるのだが、その時にもグリは俺のことを見ようともしない。正直、肩身が狭いったらないのだ。
「な、夏樹さん。元気を出してください。グリちゃんもきっとわかってくれますよ」
リリィはそう言ってくれるが、はたしてそう上手くいくだろうか?
ここまで嫌われたことは生まれて初めてだ。ぶっちゃけ、かなり精神的にキている。この状態が続けば、心が壊れてしまいそうだ。
再び大きなため息をつく。だが、それで気が晴れるということはなくむしろ鬱々とした感情が募るのみだ。こういった時の対処法は、専門家の方が詳しいだろう。どうせ明日明後日は暇だし、クーラたちに会うついでに行ってみるのもいいかもな……。
「ありゃ? ねぇ、リリィちゃん」
などと思っていると、不意にフィリアが声を上げる。彼女はグリの周囲を飛び回りながら、いぶかしげな顔をしていた。そのただならぬ様子に俺とリリィも顔を見合わせ、彼女の方に寄る。
「どうかしたんですか? フィリアさん」
「いやさ、ちょ~っと気になったもんでね。この子さ、何歳?」
二人が答えを求めるように俺の方に視線を寄越してくる。俺は心臓が締め付けられるような錯覚を覚えながらも、告げた。
「たぶん、まだ一歳にもなっていないと思う。せいぜい、生後数か月って所だろ」
「な~るほどねぇ~。じゃ、やっぱりおかしいわ」
それまでどこかおどけていたようなフィリアの口調が厳しくなる。それを感じ取ったのか、グリはリリィの方にトテトテと歩みってきた。俺は改めて二人を庇うように立つが、フィリアさんはそれを見て肩をひょいっと竦めてみせる。
「別に取って食ったりしないよ。ただ、ね。妖精族ってさ、子どもが好きなんだ。人間、人外問わずネ。だから、目利きには自信があるんだけど、その子は明らかに発育が遅れている」
「この子は突然変異種なんだ。それが関係しているのか?」
「それは専門家じゃないからどうこう言えないけど、今まで色んな子を見てきたから言えるのは、その子が少し変わってるってこと。特に、スライム族――いや、おそらく、ミミックスライムかな? 彼らは普通、言葉まで真似するからあっという間に会話も成立するようになるんだけど、その子は言葉すら発しない。これ、やっぱりおかしいと思うんだ」
言われてみれば、俺たちはまだ誰もグリの声を聞いたことがない。当初は声帯がないと思っていたが、それも違うと言われたし、発育が遅いのは以前の検診の時にもほのめかされていたが、そこまで重要視していなかった。
「フィリアさん。その、グリちゃんは病気なんでしょうか?」
心底不安げなリリィの声。だが、それも当然だろう。彼女はグリを自分の娘のように扱っているのだ。リリィはグリを抱きしめながら、助けを乞うような視線をフィリアへとぶつける。
当のフィリアはというと、ニッと口角を吊り上げてサムズアップを寄越した。
「い~や、リリィちゃん。その点は大丈夫。ま、突然変異種ってのが関係しているのかもね。病気なら、匂いでわかるしね」
確か、妖精族にはそういった能力を持つ者もいるという。彼女は小さな花をひくひくと動かしてから、パンと頬を両手で叩いて先ほどまでの能天気そうな笑顔に戻った。
「さ! ちょっと暗くなっちゃったね。ほら、グリちゃん。お姉さんとお遊戯しよう!」
先ほどまでの真剣そうな様子はどこへやら、フィリアは途端におどけてグリの前で綺麗な舞を踊りだす。グリはすぐにそれに魅入られてらしく、とことこと彼女についていってしまった。
何と言うか……捉えどころがない人だ。妖精族は外見と年齢が離れている場合があるというけど、もしかしたらフィリアもその類かもしれない。正直、彼女と相対していると、妙な老獪さというものを感じざるにはえなかったのだから。
俺はポリポリと頭を掻いた後で、横にいるリリィを見やる。彼女はまだ不安が拭いきれいないのか、両手の指を絡ませたり離したりしながらグリたちを眺めていた。
俺はそんな彼女の体を優しく抱きしめてやり、そっと呟く。
「大丈夫。あの子なら、きっと大丈夫さ」
「……はい。ありがとうございます、夏樹さん」
無理をしている、と直感した。彼女は限界を超えそうになると声が掠れるのだ。
今、彼女はもしかしたらグリとの別離を想像しているのかもしれない。無論、それは俺としても絶対に避けなければならない結末だ。だからこそ、俺は一層強くリリィを抱きしめてやる。少しでも、その苦しみを緩和してやるために。
「ありゃりゃ、グリちゃん。こっちにおいで。パパとママは二人でいちゃいちゃしてるってさ」
フィリアがどこかからかうように言ってくる。俺は彼女に向かって軽く舌を突き出してやった。




