四十四話目~獏の管理人さん~
泥の中に埋没していくような感覚の中、俺はふと目を覚ました。が、周囲に広がる怪しい景色を見て眉根をグッと寄せる。まるで暗幕を引いたかのように真っ暗で、けれども遠くの方はしっかりと見える。地面はなく、本当に水中にいるようだ。この感覚に、俺は覚えがある。ここは、夢の中だ。
「へぇ、察しがいいね」
「ッ!?」
突如聞こえた声に、俺はハッと身構える。きょろきょろと辺りをいぶかしげに眺めてみたが、人の姿はない。だが、笑い声は確かに聞こえてくる。いや、正確に言うなら、脳内に響いてくるような感じだ。
「なっつんは相変わらずだね。元気そうだ」
「パキラ。やっぱりお前か」
けたけたと楽しげな笑い声だけが虚しく反響したかと思うと、俺の眼前にぼんやりとした火の玉がやってくる。それは徐々に人の形を成していき、気づけば一人の少女がそこにいた。
藍色の髪をポニーテールにまとめたぼんやりとした目を持つ女の子だ。彼女はぶかぶかのパジャマのようなものを着ている。右手にはウサギだかクマだかよくわからない生物のぬいぐるみを持っている。
彼女――パキラは大きな欠伸をしながらごしごしと目を擦った。
「なっつん。久しぶり~元気だった?」
「まぁな。お前は、相変わらず引きこもってんのか?」
「そう言わないでよ、これも仕事なんだから」
彼女はちっとも辛そうな様子を見せずに言う。だが、それもそうだろう。パキラの仕事は夢の管理人――つまり、悪夢を排除するのが役目だ。
彼女は『獏』族だ。獏と言えばだれでも知るように悪夢を食べる人外である。基本的には夢の世界に入り浸っており、本体はめったなことでは起きない。つまり、今俺が話しているのは精神体とでも言うべきパキラの分身なのだ。
パキラは相変わらずのぼんやりとした目で俺を見据える。その緋色の瞳は見つめているだけで吸い込まれそうなほどだ。夢だとわかっていても、本能的な恐怖に身震いしてしまう。
「さてさて、なっつん。僕がこうやって会いに来たのには理由があるんだけど、いいかな?」
「嘘言うな。おおかた、食休みだろ?」
「アタリ。やっぱり、嘘はダメだね。僕は正直者だから」
どの口が、と言いたくなるがやめておいた。こいつはいつもこんな感じだ。全くもって捉えどころがない。俺はガリガリと髪を掻き毟り、大きく息を吐いた。
「最近、仕事の方はどうだ?」
「うん? あぁ、好調だよ。最近は安眠グッズとかも出ているみたいだからね。いい夢を見ている子が多いよ」
話の内容に関して、パキラは肩をがっくりと落とす。その理由は簡単だ。その夢が彼女にとって望むものではないからである。
獏は夢を食べる。だが、それにも質があるらしく悪夢が一番おいしくて、逆にいい夢はあまりおいしくないらしい。特に希望や未来に満ちた夢は最悪だそうだ。むしろ、孤独と絶望にまみれた夢は天にも昇るほどうまいらしい。
ここだけ聞くとこいつらが悪食に思えてしまうけど、そうではない。彼女たちは悪夢を食べて、代わりにいい夢を見させてくれるのだ。つまり、夢をアップグレードしてくれる存在なのである。
パキラはフルフルと首を振り、ひょいっと肩を竦めてみせた。
「なっつんさぁ~コーディネーターじゃん? 僕の望む夢、見てくれないかな~」
「ふざけるな……と、言いたいところだが、一応仕事だからな。話だけは聞いてやる。どんな夢がお好みだ?」
「親も知人も恋人も誰も彼も殺され、自分は捕らえられて死ぬよりキツイ拷問を受け続ける夢」
「馬鹿か!」
思わず突っ込みを入れてしまう。そんな夢、生まれてこの方見たことがない。
だが、パキラは怯まずに唇を尖らせながら不満を口にする。
「えぇ~いいじゃん。なっつんのケチ」
「いや、考えてみろよ。そんな夢見たら精神壊れるだろ」
「大丈夫だって。夢を見て精神を壊した人はそこまでいないから」
「待て! 『そこまで』ってことは少なくとも前例があるってことだろ!?」
しまった、と言わんばかりに口元を押さえてみせるパキラ。だが、それは後悔しているというよりはむしろ楽しんでいるようである。彼女の目は今現在の状況を楽しんでいることを語っていた。
パキラはクスクスと笑いながら、ぐ~っと背伸びをしてみせた。
「ま、いいや。だってなっつん、さっきまで悪夢見てたもんね」
「……は?」
「本当、本当。わかってるっしょ? 夢を食べられたら、その内容を忘れてしまうってことくらい」
「それは……」
知っている。が、彼女が俺の夢を食ったのは初めてだ。いや、こうやって話してくれたのが最初なだけかもしれないが、少なくとも初耳であることは確かである。パキラは手元のぬいぐるみの頭を撫でながら、ポツリと呟いた。
「ま、実際はこうやってばらすのもタブーなんだけどね。でも、なっつんと僕は親友だと思っているから、一応ね」
「……どんな夢だった?」
「聞く覚悟があるの?」
一瞬だけ、彼女の目が真剣なものになる。その様相に俺はハッと息を呑んでしまい、不覚にもパキラにそれを見られてしまった。彼女はニま~っと笑いながら、まるで鬼の首を取ったとでも言いたげに俺の元へ歩み寄ってくる。
「へへ、なっつんの驚き顔いただき~」
「からかうなよ!」
「ハハッ! ごめんごめん!」
パキラは相変わらず薄く笑みを浮かべながら俺の額をつつく。刹那、俺の視界がぐにゃりと歪んだ。それだけでなく、体が揺れ始める。
「大丈夫。君の悪夢は、僕が消してあげるから」
薄れゆく意識の中、彼女の声が妙に鮮明に聞こえた。そして、俺が目を覚ますと目に映ってきたのは見慣れた天井。どうやら、目が覚めたらしい。しかも、ちょうどいい頃合いだ。目覚まし時計が鳴る十分前。窓の外からは小鳥たちのさえずりが聞こえ、アサヒが窓から差し込んできている。
いかにも健やかな朝だというのに、俺の心にはわずかながらしこりが残ったままだった。




