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四十三話目~人魚の学生さん~

 暗く静かな校舎裏。今、俺はそこにいる。そして、俺の眼前には一人の少女。車椅子に乗った、小柄な女の子だ。彼女の眼はエメラルドのような鮮やかな緑色をしており、髪は美しい亜麻色をしている。だが、それよりも目を引くのは彼女の下半身だ。

 その子の下半身は、魚のものとなっている。

 ――そう。彼女は『人魚』族。下半身が魚の種族であり、彼女――オルカはキスの人魚だ。オルカは潤んだ瞳で俺を見据えたまま、躊躇いがちに指を組んだり離したりしていた。

「夏樹さん。ここでいいんでしょうか?」

 俺はそわそわしている彼女を安心させるように、そっと頷く。それを受け、オルカの表情がわずかながら和らいだ。けれど、まだ緊張しているのだろう。目が泳いでいるし、やや呼吸も速いように思える。だが、それも仕方のないことだろう。

 彼女は今日、とある男子からここで告白される予定なのだという。

 彼女と俺は親交が深いということもあり、今日はその未届け人として呼び出されたのだ。正直、コーディネーターの仕事の範囲外ではあると思うのだが、悪い気はしない。これが、ひょっとしたら人外と人間の共生に繋がる第一歩かもしれないと思ったからだ。

 全体数に比べればまだ少ないように思われているはいるが、人外と人間のカップルはそれなりにいる。俺の知り合いにもいるし、近頃はテレビで取り上げられるほどの社会現象となっているほどだ。

 だとすれば、これもそれに繋がるかもしれないのだ。俺は当人でもないのに額に汗を浮かべながら、件の男子が来るのを待つ。その間も、オルカは落ち着きなく目をぱちくりさせていた。

 オルカはつい最近この街に越してきたばかりだ。が、人魚族特有の優れた容姿と本人の類まれなる努力と研鑽によって何とか言葉と種族の壁を乗り越えてクラスに馴染めたようである。これは担当コーディネーターである俺にとっても嬉しい報告だった。

 しかも、ラブレターまで寄越されたというのだから驚きだ。それはオルカも同様なようで、俺に電話をしてきた時などは取り乱して何を言っているのかわからないほどだった。

「はぁ……本当に来るんでしょうか?」

 オルカがそっと目を伏せながら呟く。俺はすかさず彼女に問いかけた。

「ないか不安でもあるのか?」

「だ、だって私はこんな体ですよ? 本当に人間さんが好きになると思いますか? まさかとは思いますけど、いたずらとかじゃ……」

「それはないって。オルカは綺麗だよ」

 オルカは顔を真っ赤にしながらもそれでもまだ不安げにしている。俺はそんな彼女の傍に歩み寄り、そっとその肩に手を置いた。

「自信を持てよ。オルカは美人だ。それに、もしからかってそんな手紙を寄越したんなら、俺がそいつをぶっ飛ばしてやる!」

「そ、そこまではいいです! けど、ありがとうございます、夏樹さん」

 先ほどよりもわずかに精気が灯った笑みを浮かべてみせるオルカ。うん。これならば大丈夫だろう。そもそも、彼女は若干奥手というか、引っ込み思案なのだ。自分に自信が持てないらしい。非常に可愛らしい容姿をしているのに……いや、だからこそ自分が人魚であることに苦悩しているらしいのだ。

 人外と人間が混じり合ったのは喜ばしいことだ。が、いいことばかりではない。人間の方が数的には多く、割合的には全人口の八割が人間だ。だからこそ、彼女たちマイノリティはどうしても比較の対象となってしまう。

 俺は最後にもう一度彼女に声援を送ろうとして――ハッとする。耳を澄ませば、誰かが歩いてきているらしき音が聞こえてきたからだ。校舎裏に敷き詰められた砂利を踏みしめる音が辺りに響く。

 それを聞くなり、オルカは慌てふためいた様子で手をばたつかせていた。

「な、なななな、夏樹さん! どどどど、どうしましょう!?」

「お、落ち着け! とりあえず、頑張れよ!」

「あ、ちょっ! 待って!」

 彼女の制止を振り切り、俺は近くの物陰に身を隠す。オルカは俺の後を追おうとするが――遅い。

「オルカさん?」

 ふと、そんな声が聞こえてくる。こっそりと物陰から身を乗り出して見てみれば、オルカの眼前には中性的な少年が立っていた。どちらかというと華奢な方であり、頼りがいがあるようには思えない。

「って、俺は親かよ」

 思わずひとりツッコミを入れる。なぜだかわからないが、少し気分が軽くなった。

 俺は静かに二人の様子を見守ることにする――が、どうにも動きがない。

 少年の方はもじもじしているばかりだし、オルカは忙しなく鰭をパタパタと動かしている。いかにも青春的な光景だが……じれったいにもほどがある。自分がやる分にはいいが、見る方になるとここまで退屈なのか、と今さらながらに思った。

「あ、あの!」

 もう帰ろうかと思った時、少年の方が声を上げる。意を決したのだろう。彼は全身の血が頭に上っているのではないかと思うほど顔を真っ赤にしながらも、それでも続けた。

「オルカ……さん。そ、その、あの、僕と、付き合ってくれま……せん、か?」

 照れくささからか、徐々に失速気味になってしまった告白。これは、望み薄かもしれないな……と思ったが、俺の予想に反してオルカは彼の方へと車椅子を移動させてその顔を見やる。まるで、その心を眺めているかのように。

「ねぇ、私なんかでいいの? 人魚だよ、私」

「もちろん。僕はオルカさんが好きなんだ。人魚とか人間とか、関係ない」

 静かだが、それでも確かな声音だった。そこには彼の決意が込められている。オルカはあわあわしながら、俺の方に視線を寄越してくる。だから、俺はお前の親じゃないって。自分で何とかしろ……と、言いたいところだが、出血大サービスだ。

 俺はオルカに向かってサムズアップを送る。まぁ、少年は少しばかり頼りなさそうに見えるが、それでも覚悟は伝わった。なら、ここはオルカに任せるのが一番だろう。

 オルカは極理を生唾を飲みこみそれから大きく息を吐いた。傍目から見ても緊張しているのが見てとれる。が、彼女はしばらく間をおいてハッキリと告げた。

「……えっと、とりあえず、これから、よろしく」

 刹那、少年の顔がパァッと輝く。まぁ、めでたくカップル成立、というところだろう。二人して顔を真っ赤にしている姿は中々に初々しい。かつての青春を想起してしまうほどだ。

 俺はそんな二人をバックにその場を後にする。夕焼けが二人を映し出す姿は幻想的で、どことなく儚げだった。


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