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四十二話目~姑獲鳥のベビーシッターさん~

 秋風が優しく頬を撫でていく感覚を得ながら、俺は縁側でくつろいでいた。耳を澄ませば木々のさざめきが聞こえてくる。そんなのどかな一時を楽しみながら、俺は隣に座る緑色のスライム――グリへと視線を寄越す。彼女は気持ちよさそうに欠伸をしていた。

 今日はリリィが仕事で家を留守にしているため、彼女の世話は俺がすることになっている。リリィが出かける時などは大声で泣いてそれはもう手を焼いたものだが、今はだいぶ落ち着いたようだ。

 が、しかし、ここで一つ問題が出てくる。

「なぁ、グリ。そろそろ中に入らないか?」

「……」

 ――そう。彼女が、未だに俺に心を開いてくれないということだ。もうであってかなり経つというのに、どうしてか俺にだけは懐いてくれないのだ。

 当初は、彼女が男性に何かしらのトラウマを持っているせいだとも思っていた。が、どうやら男性なら全員嫌いだというわけではないらしく、この間道ですれ違ったおじいさんには丁寧にお辞儀をしていたほどだ。

 この結論から導き出される答えはつまり――いや、認めたくはないことだが、俺が嫌われているかもしれない、ということだ。

 俺は頬をひくひくと動かしながらも、何とか笑みを取り繕って語りかける。

「グリ? ずっとお外にいると風邪ひくぞ?」

 それはもっともだと思ったのだろう。グリは一瞬だけ眉根を寄せ、すっと立ち上がりリビングへ戻ろうとする。俺はその後を追おうとしたが……グリは警戒心を丸出しにして俺を睨みつけていた。

 目尻に薄く涙を浮かべながら、俺は再び縁側に腰掛ける。チラリと見れば、グリは素知らぬ顔でリビングのソファに腰掛けて再放送のアニメを眺めていた。

「うぅ……どうしてこんなことに」

 俺は彼女からは見えないようそっと顔を手で覆う。

 自分でも訳がわからない。そもそも、あの子を拾ったのは俺だというのに、どうしてここまで避けられているんだ?

 本当にどうしてあそこまで敬遠されているのか謎だ。このままでは一生この状態というのもあり得るかもしれない。考えるだけでゾッとした。

 俺は大きく肩を落としながらポケットを漁り、スマホを取り出す。こういう時、少しは誰かに頼ってもいいだろう。事実、あてはある。俺はやや躊躇いながらも、ボタンを押した。


「すいませ~ん。ベビーシッターのものですけど~」

 それから数十分ほどしたころ、そんな威勢のいい声が玄関先から響いてくる。続けてチャイムが鳴り響き、俺はそれを合図に一目散に玄関へと駆けだしていった。

「はい!」

 勢いよくドアをこじ開ける。と、目を丸くして呆気にとられている女性の姿が目に入った。

 腰のあたりまで伸びたウェーブがかかった髪。片目が隠れているものの、もう片方の目からは穏やかな光が見てとれた。まるで彼女の心を映し出しているかのようである。

 その女性はハッとして身だしなみを整え、それからぺこりと頭を下げる。

「こんにちは。人外専門ベビーシッターの右京と申します。種族は『姑獲鳥うぶめ』族。今日はお呼びいただきありがとうございました。どうぞ、よろしくお願いいたします」

「えぇ、どうも。えっと、さっそくですが、お手伝いを頼んでもいいですか?」

「はい、もちろんです!」

 元気な返事だ。やや危なっかしいところもあるように思えるけれど、俺は特に心配はしていなかった。

 というのも、彼女は以前ピティが来ていた時、留学セミナーに参加していたコーディネーターの人たちから紹介されたのだ。曰く、業界では有名なベビーシッターらしい。俺の管轄内にはいないし、そういったうわさも聞かなかったから知らなかったけど、確かに信頼できそうな人だ。彼女は人のよさそうな笑みを浮かべながら俺の横をすり抜けていく。

 その際、わずかだが背筋に冷たいものが走った。だが、それは彼女の種族特性によるものだろう。

 姑獲鳥とは、性質的には幽霊族にかなり近い。元は胎児を孕んだまま埋葬された女性の魂が浮かばれず人外と化した種族なのだ。だから、今得た感覚は間違いなく悪寒という奴である。これは本能的に人間が得てしまうものだ。

 彼女もそれがわかっているのだろう。俺の反応を見るや、儚げな笑みを浮かべた。その横顔は、どことなくかつて自分の種族の成り立ちを語ってくれたピティに似ている。

 俺はわずかな心苦しさを覚えながらも彼女をリビングへと案内した。すると、俺たちの存在に気づいたのかグリがすっと視線を寄越してくる。まさかスライムが相手だと思ってはいなかったのか、右京さんは少しばかり意表を突かれているようだった。

 けれど、そこは流石に本職。すぐに調子を取り戻して朗らかな笑みを浮かべてみせる。

「こんにちは。あなたのお名前は?」

「あ、まだその子言葉をしゃべれないんですよ」

 と、俺が口を挟むと、右京さんはなぜだか顔をしかめた。

「変ですねぇ……このくらいのスライムの子なら、言葉をしゃべってもおかしくないのに」

「ちょっと、訳ありなもので」

 これは以前チュリオさんから聞いた話だけど、彼女はろくに教育も受けていなかった――というよりも、親から育児放棄をされていた。生後数か月になってはいるが、それでも言葉をしゃべれないのはそれが関係しているということなのだ。

「まぁ、でも大丈夫ですよ。ちょっと、ごめんなさいね?」

 右京さんはそっとグリを抱き寄せ、服が汚れるのも構わずギュッと抱きしめる。すごく手慣れた動きだ。やはり、かなりの経験をお持ちのようである。

 その抱擁が落ち着くものだったのか、グリは体を弛緩させていてもはや人型を保っているのがギリギリなくらいだ。あそこまでリラックスできているのは、姑獲鳥が子育てに特化した人外だからかもしれない。もちろん、彼女が鍛えた技のせいもあると思うが。

「はい。もう大丈夫ですよ、グリちゃん」

「え? どうして、名前がわかったんです?」

 たまらず俺が問いかけると、右京さんは「あぁ」と相槌を打って首肯した。

「姑獲鳥は抱いた子のことは大体わかるんです。そういった種族ですから」

 なるほど。それならば、ベビーシッターという職業は彼女がなるべくしてなった職業だろう。右京さんは愛嬌たっぷりの笑顔を俺とグリに向けてくれた。ここでもやはり、グリは彼女に懐いているように見える。それは同性だからなのか、または彼女が人外だからか……いや、待てよ。

「あの、右京さん」

「何です?」

 くるりと踵を返してくる右京さんに、俺は問いかけた。

「あの、グリが俺のことをどう思っているのかってわかります?」

「わかりますけど……どうしてですか?」

 正直、言うのは躊躇われた。だが、せっかくグリの気持ちがわかるかもしれないチャンスが巡ってきたのだ。これを逃してどうする。俺は意を決して事の次第を吐露した。

 右京さんは馬鹿にするでも呆れるでもなく、ただただ黙って俺の話を聞いてくれた。その間にもグリのことをあやすのを忘れていないのだから、本当に頭が上がらない。俺は改めて彼女に畏敬の念を抱かざるを得なかった。

「そうですね。では、ちょっと失礼しますね?」

 右京さんは再びグリを優しく抱きしめる。すると、今度は先ほどとは違ってグリがわずかに身じろぎした。それはどこか抵抗しているようにも見える。それだけ、俺のことが嫌なのだろうか……だとすれば、かなりショックだ。

 が、俺の予想に反して右京さんの顔は穏やかで、慈愛に満ちているものだった。彼女は腕の中で身を捩るグリの頭をそっと撫でてあげてから、俺に視線を移した。

 もしや、きつい言葉を言われるのではと思ってしまい心臓がキュッと縮まる。けれど、そんな俺の予想に反して右京さんは努めて穏やかな口調で語りだした。

「大丈夫ですよ。グリちゃんは夏樹さんのことを嫌ってはいない様です」

「本当ですか?」

「えぇ。ただ、何と言いますか……ちょっと照れくさいんでしょうね。夏樹さんは彼女にとって初めて優しくしてくれた人、男性なんです。ですから……」

 ぺチン――。

 と、彼女の言葉を遮るようにそんな間の抜けた音がリビングに響き渡る。何事かと見渡してみると、グリが自分の横に立つ右京さんの足を叩いていた。心が読まれたのがそんなに嫌だったのか、顔が真っ赤に変色している。スライム族は感情によって色が変わると聞いたことはあるが、これは初めて見るものだ。

 グリは何度も何度も右京さんの足をぺちぺちと叩いている。まるで、これ以上話すな、とでも言わんばかりに。その意図は十分彼女に伝わったのだろう。右京さんはニッコリと微笑み、グリを抱きかかえた。

「と、私が言えるのはここまでです。とりあえず、嫌われてはいないようですよ」

 右京さんの言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けていくのが自分でもよくわかった。俺は近くの柱に背を預けてそっと息を吐き出す。これまで溜めこんでいたものが一気に軽くなった気分だ。

 さて、グリの気持ちもわかったことだし、やることは一つ。

 とりあえず、彼女ともっと向き合ってみよう。もしかしたら、俺は嫌われるのを、拒絶されることを怖がっていたのかもしれない。だとすれば、今回の件は確実に俺の方に火がある。

 それはもう過去のことであり、変えることはできない。が、これからは変えることができる。俺はごくりと息を呑みこみ、右京さんへと歩み寄る。グリは俺が接近していくにつれ、グッと身を丸めていく。その反応に怯みそうになる――が、くじけない。

 俺は震える手をグリの頭へを伸ばし、そっと撫でてやる。思えば、彼女に触れたのはこれが初めてだ。彼女の温もりが、鼓動が、独特の感触が伝わってくる。

 俺が触る直前、グリはビクッと体を震わせたが、撫でてやると少しだけ表情が和らいだ。

 ……あぁ、なんか、嬉しいな。ちょっとだけ距離が縮まったような気がする。

「よかったですね、お父さん」

「なっ!?」

 目を剥く俺をよそに、右京さんはクスリと笑ってグリと一緒にソファへと座る。俺は、そんな二人を眺めつつそっと胸を撫で下ろした。


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