四十一話目~ドリアードの山人さん~
「それじゃあ、行ってくるからね」
お昼時、俺はそう言って家を後にした。今日は、久々に仕事が入ったのだ。というのも、徐々にグリの件が片付いてきたからである。流石に一週間以上が立てば状況も整理できてきたらしく、面倒な手続きも回されなくなってきた。
だから、今日は久々の出勤だった。こうやってスーツに身を包むのもずいぶん久しぶりなような気がする。やはり、この方が落ち着く。もう職業病かもしれないが、どこかに出かける時にはスーツを着ていないと不安になる時があるのだ。
俺は一旦スマホを起動させ、今日の目的地を確認する。今回は、いたって簡単な依頼だ。要するに、月に一回の訪問である。これはこの仕事を続けてきた時からずっとやってきており、もう慣れっこだ。
俺は軽い足取りで自宅から少し離れたところにある山へと向かっていく。そこまで標高も高くなく、近所の小学校などでは遠足にも用いられる場所である。そこに住んでいる人外と会うために、俺は今日こうして出かけてきたのだ。
山が近づくにつれ、徐々に建物の数が減っていき、逆に木や田んぼの数が増えていく。この街では人外が過ごしやすいように自然も多く残しているのだ。そのおかげでここはかなり評判がいい。だから、その管轄を任せられている俺には相当なプレッシャーがかかるのだが……。
などと思っているうちに、いつの間にか山のふもとに到着。俺はそびえる山を見上げ、そっと身だしなみを整える。うん。やはりこの格好だと気合いが入る。俺はゆっくりと森の中へと足を踏み入れた。
この森はほとんど人の手が加えられていない。無論、山に入る時に怪我をしないようにするため最低限の整備はされているが、それでも他の山に比べれば随分と自然のままの様相を残している。今日、俺が会う人外もそれを良しとしているものだ。
俺は今一度スマホを起動させ、周囲に視線を巡らせる。そろそろ頂上に近づいてきて、景色もだいぶ開けてきている。
報告によれば、確かここら辺で待ち合わせをしているのだが……。
「ナツキ?」
「ッうぉっ!?」
突如後方から聞こえた声に思わず飛び上がる。俺は胸を押さえながらそちらを見やって、ほっと溜息をついた。
「はぁ……驚かすなよ。ビックリしただろ?」
「ゴメン。悪気はなかった」
ややぶっきらぼうな口調で返す少女――『ドリアード』族のシャクアだ。彼女が今回の依頼人である。
「ナツキ。久しぶり」
「あぁ、久しぶり。元気だったか?」
コクン、という確かな頷き。シャクアはやや頬を赤らめさせていた。
俺は苦笑を浮かべながらも改めて彼女の体に視線を巡らせる。ドリアード族特有の緑色の肌、蔦のような髪、そして鮮やかな朱色の瞳。身長こそ俺より低いくらいだが、体つきはほとんど成熟している。いわゆる、トランジスタグラマーという奴だ。
「ん。ナツキ、どうした?」
「いや、なんでもないよ」
「そう。なら、来て」
シャクアは、あまり饒舌な方ではない。というか、かなり無口なほうだ。必要最低限のことしかしゃべらない。だが、それは彼女の種族も関係しているだろう。
ドリアード族は、普段は木や草と同化して生きている種族だ。だから、他種族との関わりを極力避ける傾向にある。もちろん、このご時世で完全に関わりを断つことは不可能に近い。それに関しては彼女も努力をしているようで、最初に会った頃よりはずいぶんとマシになっていた。
シャクアは蔦のような足を動かしながら先へと進んでいく。人間よりもはるかに発達した足を持つ彼女からすれば、こんな山道はどうってことないらしい。グングン進んでいく彼女に遅れぬよう、俺はやや小走りで追っていった。
そうして頂上まで上り詰め、そこに備えられた展望台に近づいたその時だった。
「ん。ナツキ、ストップ」
と、シャクアがいきなり制止をかけたのは。何事かと見れば、彼女の眼前には粗大ごみの山があった。酷い悪臭を放っており、ところどころ腐食も見られる。さらに言うなら、かなりの量がある。それこそ、積み重ねられてできた山は俺の身長よりも高いくらいだ。
呆気にとられる俺の服の袖をクイクイと引っ張りながら、シャクアは告げた。
「ナツキ。これ、落ちてた」
「どこにだ?」
「山」
相変わらずアバウトだ。ってか、それじゃ場所の特定もできやしない。
俺は一度間を置き、それから問いかける。
「山の、どこにあった?」
「あっち、こっち、そっち」
と、続けざまに四方を指さすシャクア。まぁ、わかってはいたけれど、相変わらずコミュニケーションがとりにくい。でも、言いたいことはわかる。
「要するに、不法投棄ってわけだな?」
「ん。たぶん、それ。できれば、持って帰ってほしい」
「俺にか? でも、流石にこの量は……」
俺の言葉を遮ってシャクアは首をフルフルと振った。
「違う。この、落とし主に」
「落とし主? いや、シャクア。それは無理だ」
「どうして?」
「どうしてって……身元がわからないじゃないか」
シャクアはぽかんと口を開けていたがどうやら理解はできたらしく、ポンと手を打ちあわせた。その後で、すっと展望台を指さす。
「ここから、呼び掛けてみれば?」
「いや、やっぱわかってないな、お前。要するに、だ。呼びかけても来るとは限らないし、そもそも叫んだからって聞こえるわけがないしだな……」
なんだか、この感覚も久しぶりだ。話が食い違う感覚。けれど、今はこれがやや有難かったりする。だって、グリに至っては俺と会話することすら避けるのだから。
「ナツキ。泣いてるの?」
「……泣いてない」
どうやら無意識に涙をこぼしていたらしく、シャクアが不安げに問いかけてきた。俺は努めて明るくそう答え、目尻に浮かんだ涙を拭う。
が、どうしたものか。持ち帰るにしても、こんな山まで車が登ってこられるわけがない。第一、人力でだって厳しいだろう。この山はアップダウンが激しい。持ち運びしてる時に怪我でもすれば大ごとだ。
「むぅ……シャクア。ところでお前はこれをどうやって持ってきたんだ?」
「普通に。持ってきた」
「へ?」
時分でも我ながら間抜けな声を漏らしたと思う。が、シャクアはそれを気にも留めず静かに瞑目し、自分の背中から幾本もの蔓を伸ばしてみせる。それは近くにあった大ダンスに絡みつき、軽々とそれを持ち上げる。
「こうやって」
「いやいやいや、シャクア。待て。お前、自分で持ってこれたのか? これを全部」
「ん。余裕のよッちゃん」
やや古い言い回しだったが、それは今問題ではない。これなら、簡単に持ち運びができるのではなかろうか?
「シャクア。これを麓まで持っていってくれるか?」
「いや」
「へ?」
またしてもそんな声が漏れる。シャクアは腕組みしながら、どこか不満げに頬を膨らませていた。
「これは、人間たちが捨てたもの。シャクアがこれをここに持ってきたのは、ナツキに知らせるため。まとめていた方が持っていきやすいと判断したから」
「いや、だがなぁ……」
「これをやったのは、人間。人間のしりぬぐいを、どうして私たちがしなくてはいけない? そのしわ寄せを、他に押し付けてもいいと?」
シャクアはたまにこうやって的を射た答えを寄越すことがある。コミュニケーションがとり辛いだけで頭が悪いわけではなく、むしろその考えは成熟しているとも言えるだろう。だが、いささか頑固なのもたまに傷だ。
シャクアは依然として腕組みしたままである。その姿はとても可愛らしいが……このままではらちが明かない。
「シャクア。頼むよ。これを運んでくれ」
「いや。シャクアにそんな義務はない。これのせいで、シャクアの友達だった草木が死んだ。正直、これ以上はやりたくもない」
確かに、不法投棄されたせいで環境は破壊されたことだろう。ドリアードは自然と密接な関係を持つ種族だ。だから、環境を壊されたことに怒りを隠せないのだろう。その気持ちは俺にも十分伝わってくる。
シャクアは眼前にあるゴミの山を指さして、眉根を寄せた。
「シャクアは、人間が好き。でも、嫌な人間もいる。こんなことがする人間が、シャクアは一番嫌い」
「……すまん」
「ナツキが、謝ることじゃない。謝るべきは、これを捨てた人間たち」
彼女の言葉は静かだけれど、確かな迫力に満ちていた。どうやら、本当に頭に来ているらしい。ここは、あまり刺激しないのが得策だろう。
とはいえ、これをどうするかなぁ……まず人手がいるし、それにこんな山道を苦にしない奴らがいるわけ……。
「……あれ? いる、かもしれない」
前言撤回だ。俺の脳裏にある人物たちのことが今さらになって浮上してきたのだ。彼らなら、あるいは……。
俺はすぐさまスマホを取り出し、通話を開始する。かける相手はもちろん――以前何も役に立たなかった、脳筋の黒服集団のボスだ。
数時間後。頂上付近に集められていたゴミはほとんど片付いていた。後は、こまごまとしたものと特別に大きいものだけである。俺はその光景を満足げに眺めつつ、黒服たちを指揮する少女――ナターシャの元へと向かった。
「あ、どうも夏樹さん。お疲れ様です!」
「お疲れ。悪いな、忙しいのに」
「いえ! この間は何もできませんでしたから、これくらい!」
ナターシャは快活な笑みを浮かべ、彼女の後ろにいる黒服たちも思い思いのポーズを取りながら笑っていた。本当に、つながりというのは大事なものだ。
彼女たちは相当な訓練を積んでいるらしいので、これくらいは朝飯前らしい。頭を使うのは苦手だが、こういった単純作業は大得意だ。改めて、呼んでよかったと思う。
「ナツキ」
「ん?」
見れば、シャクアが上目づかいで俺の方を見つめてきていた。彼女は頬を赤く染めながらも、しっかりと頭を下げる。
「感謝、する。これで、また森は綺麗になる」
「いや、俺の方こそありがとうな。頼ってくれて。あ、そうだ。一応、不法投棄予防の看板とかも手配しておいたから、安心しておいてくれ」
シャクアはまたしても頷き、背中の蔓を俺に巻きつけてくる。これはドリアード族特有の友愛行動だ。俺はこそばゆい感覚に襲われながらもニッと笑みを浮かべて彼女の頭を撫でる。
今回は、改めていい教訓になった。人外の中には、環境の影響をもろに受けてしまう種族がいる。シャクアも、後一週間ほど連絡するのが遅かったら衰弱しきっていたことだろう。なるべく早めに連絡をしてくれたのは、本当に幸運だったというしかない。
やはり、人間と人外の共存の道は険しく遠い。まずは相互理解と、互いへの配慮が必要だ。でなければ、こんなことが続いてしまう。シャクアはああいってくれていたけど、おそらくこんなことがずっと続けばいつしか人間全体が嫌いになってしまうだろう。もちろん、それは俺の望むところではない。
もっと尽力しなくては――そんなことを思いながら、俺はシャクアの熱い抱擁を受けていた。




