四十話目~パピヨンの駄菓子屋さん~
ブローカーたちが逮捕されてから数日。グリもこの家に馴染みつつある頃だった。
「またですか……」
リリィが心底がっかりしたように呟いたのは。彼女の視線は、自分の足元にすがりくグリへと向いている。わずかに震えており、明らかに怯えた様相を見せている。
そんなグリが見ているのは、俺だ。別に脅かそうとしているわけではない。ただ、仲良くなろうと歩み寄っただけで逃げられたのだ。
チュリオさんから聞いたところによると、やはりブローカーたちは男性だったそうだ。だから、俺のことも同一視しているのかもしれない。流石にもう一週間ほど暮らしているのだから慣れてもいいと思うのだが……。
「ぐ、グリ? ほら、怖くないぞ?」
ぷいっとそっぽを向く彼女。やはり、俺のことを見ようともしない。リリィは困ったように笑いながらそんな彼女の頭を撫でていた。
「夏樹さん。すいません。グリちゃんが怖がっているので……」
リリィは慎重に言葉を選んでくれている。が、それが逆に辛い。いっそのことズバッと言ってもらえたら楽なのだが、まぁそれは構うまい。
俺はくるりと踵を返し、ドアの方へと足を向けた。
「ちょっとだけ散歩してくるよ。グリのこと、よろしく」
「え、えぇ。行ってらっしゃい、夏樹さん」
俺は涙をこらえながら外へと踏み出す。秋風が木の葉を揺らし、猫が散った葉を追いかけていた。そんなのどかな情景を見ながら、俺は散歩へと繰り出す。こんなことは、グリが来てからほぼ毎日だ。
どうにも俺は敬遠されているらしく、グリは俺がいる時には食事もままならない。一緒に寝るなどもってのほかだ。できれば、あの子も俺の家で過ごすことになったのだから少しずつでも距離を詰めていってもらいたのだが……現状、それは難しそうだ。
「はぁ……」
意図せずため息が漏れる。いっそのこと仕事でもあれば忘れられるのだが、あいにく今は待機を命じられている。グリの件について整理がつくまでは、あの子の傍にいてあげてほしいということだ。
と言いつつもこうやって追い出されているわけだが。
「しっかし、このままじゃマズイよなぁ……」
いつまでもリリィに世話を任せておくわけにもいかないし、ベビーシッターを新たに雇うわけにもいかない。できるなら、俺とリリィが交代で面倒を見るのが理想だ。そのために、まずは現状を打破せねばならない。
俺は顎に手を置きながら思考を巡らせる。一応、あの子と仲良くなろうとしてあらかた色んなことは試してみた。スライムが好むと言われている道具も、食べ物も用意してやった。が、グリはそれを受け取ろうとしなかったのである。代わりにリリィがあげたら喜んでいたのに、だ。
「どうしようかなぁ……辛いなぁ」
今まで俺はこの仕事を続けてきたわけだが、これは初めてのケースだ。無論、子どもがいる人外にも何度もあったことがある。が、ここまで避けられたのは今回が初だし、自分でも信じられない。このままでは、俺の心が折れてしまう。
と、そろそろ思考が乱れつつあったその時だ。
「夏樹さん?」
ふと、そんな優しげな声が耳朶を打ったのは。
俺はハッと顔を上げ、きょろきょろと辺りを見渡す。すると、前方に子どもたちを引き連れた赤肌の女性が目に映る。グーラ族の、イデアだ。彼女は可愛らしいエプロンを身に着けた状態で、子どもたちを先導している。おそらく、お散歩の途中だろう。彼女は付添いの先生に断って、俺の方に歩み寄ってくる。
「夏樹さん、今日はお休みですか?」
「えぇ、久々に休暇をもらいまして……あ、そうだ!」
突然叫んだ俺に驚いたのか、イデアはビクッと体を震わせる。俺は慌てて、両手を振った。
「あぁ、すいません! ちょっと、興奮して……」
「い、いえいえ。大丈夫ですよ」
ほっと胸を撫で下ろすイデアに微笑みかけながら、俺は続けた。
「あの、一つ聞きたいことがあるんです」
「何ですか?」
「子供に好かれるにはどうしたらいいですか?」
「……はい?」
俺の言ったことが信じられなかったのだろう。イデアは訳がわからないといった様子で首を捻る。だが、それは想定内だ。俺は彼女の後ろにいた保育士にぺこりと頭を下げる。
「すいません、ちょっとイデアさんをお借りしてもいいですか?」
「えぇ。でも、できるだけ早めにお願いしますね?」
恰幅のいい保母さんはそう答えてくれる。俺はそれを受け、すぐにイデアに向きなおった。彼女は真剣そうな顔つきで俺の顔を見つめている。俺は一旦深呼吸をしてから、彼女に事の次第を洗いざらい吐いた。
イデアは当初驚いた様子を見せていたが、すぐに落ち着きを取り戻してうんうんと頷き始める。やはり、本職に聞いた方が早いだろう。グーラは子どもに好かれやすい、という話もあるくらいだからな。
イデアはポン、と手を打った後で、ニッと口角を吊り上げる。
「そうですね。その子は、何歳くらいですか?」
「たぶん……まだ生まれて間もないくらいだと思う」
「なるほど。なら、お菓子をあげるといいんじゃないですか? ほら、一緒に食べると仲良くなれるって言いますし」
「おぉ……ありがとうございます。参考になりました」
「人外向けのお菓子が打っている駄菓子屋さんがありますから、教えますよ」
と言って、彼女は胸元から取り出したメモ帳に何と地図まで書きこんでくれる。この面倒見の良さも、彼女の魅力だろう。イデアは書き終えるなり、そっと俺の方にメモ帳を寄越してきた。
「夏樹さん。これは私からのアドバイスです。焦ってはダメですよ? 時間をかけてゆっくりやっていくことも大事です。それに、その子は事情が事情みたいですから」
「はい。本当に助かりました。ただ、その……この件はなるべくご内密に」
「ふふ、それはわかっています。では、失礼しました」
イデアは小悪魔的な笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げる。俺は去っていく彼女に手を振ってから、先ほど受け取ったメモ帳に視線を落とした。そこには駄菓子屋までの子細な道のりが記載されている。これなら、迷う心配はなさそうだ。
俺は地図を頼りにその場所へと向かう。ここからはそう遠くなく、数分ほどで目的地が見えてきた。寂れた、ボロッちい駄菓子屋――いかにもといった感じである。あそこに、グリが食べてくれそうなお菓子があるのだろうか?
俺は店の前で一度立ち止まり、身だしなみを整え――ようとして今は勤務外だったことを思いだす。どうも体に染み付いてしまっているらしい。俺は苦笑を浮かべながら、木の戸を開けた。
「こんにちは~」
「あら、いらっしゃいませ……って、あんたは!」
俺の眼前に座っていた長身の女性――『パピヨン』族のフロリアはカッと目を見開いてみせる。俺はそんな彼女を見て、わずかに頬を緩めた。
「やぁ、フロリア。久しぶり」
「久しぶりも久しぶりよ……いったい、どこに行ってたのよ!」
彼女はがなり立てるようにして喚きたてる。俺は耳をふさぎながら、曖昧な笑みを浮かべた。彼女の複眼が俺をじっとのぞきこんでくるこの感覚も、ずいぶんと久しぶりだ。
フロリアと俺は実は昔会ったことがある。当時、彼女は別の仕事に就いていたはずだが……。
「仕事、辞めたのか?」
「辞めたわよ。だって、退屈だったんだもん」
この言い方も久しぶりだ。フロリアはパピヨン族と言って、蝶の特性を持っている。二対の腕、昆虫のような複眼、見る者を圧倒する鮮やかな羽――ここだけ見れば、別に普通の人外だろう。だが、彼女の難点は性格面にある。
別に乱暴だとか、性格が著しく悪いわけではない。ただ単に、自由気まますぎるのだ。
蝶が風の向くままひらりひらりと飛ぶように、彼女も同じ場所に留まることを良しとしない。以前彼女はデパートで働いていたはずだが、それも退職したようだ。
俺の方に連絡が回っていないところを見るに、どうやらピティが来ていた期間化、その前後に辞めたようである。確かにあの時期は優先的にピティの方をやるように言われていた。なら、仕方のないことだろう。
フロリアは呆れた様子で近くの柱に背を預けた。
「で? 今日は一体どんな御用?」
「あ、そうそう、忘れてた。実はさ、ウチに子どもが……」
「出来たの!?」
「……まだ途中だろ。ちゃんと聞けよ。居候させてるんだ」
フロリアはややそそっかしいところがある。俺は彼女を押しのけ、事情を説明した。
すると、フロリアは心底苛立った様子で舌打ちする。
「……嫌な話ね。全く、人間って奴は……」
彼女は、人間があまり好きではないらしい。というのも、かつて幼虫だった時代に日本に来たのだが、その時に好奇の視線を向けられ続けたらしいのだ。無論、誹謗中傷も受けたという。当時はまだ人間と人外が理解できていなかったから、それも仕方ないと言えばそうなのだが、それで片付く話ではない。
「あ、別に夏樹のことを言ってるんじゃないわよ? あんたはアホだけど、いい奴だし」
「一言多いのも相変わらずだな。ま、そういうわけでだ。あの子が好きそうなお菓子、あるかな?」
「う~ん、スライムよね? 基本何でも食べると思うんだけど……できるだけ固形物が望ましいわね。液体物だと、体質によっては体調を崩すらしいから。ほら、駄菓子って美味しいけど身体に悪そうなものも多いじゃない? スライムって液体に近い性質を持っているから、他の液体を入れるとその性質が混ざるのよ。大人だと自動でろ過されるらしいんだけど、子どもじゃねぇ……難しいだろうから、固形物がいいわ。消化できるし」
案外博識だ。フロリアは飽きっぽいけれど、極める時はとことんやる奴だ。これもその影響だろう。彼女は近くにあった棚からいくつかのお菓子を取ってみせる。それは、子どもでも食べやすい卵ボーロやクッキーだった。
「とりあえず、これを持っていってみなさい。駄目ならまた来て。今度はその子用のお菓子を仕入れておくから」
「ありがとう、色々。えっと、お代は……」
「あぁ、いいって! 特別にサービスしてあげる!」
俺の言葉を遮り、フロリアはそう告げた。呆気にとられる俺をよそに、彼女はさらに続ける。
「今回だけだから。別に、その子のことが可哀想だと思ったからだとか、親近感を覚えたからとかじゃないから。ちょっと泣きそうになったとかじゃ、決してないから」
「……はいはい。ありがとさん」
「何よ、その言い方! 信じてないでしょ!」
相変わらず、素直じゃない奴だ。こういうところは全然変わらないな。
俺は戸に手をかけつつ、彼女の方に首だけを向けた。
「それじゃあ、またな。今度はすぐに辞めるなよ?」
「辞めないわよ! だって……」
「何だ、男でもできたか?」
「違うわよ! いや、そうじゃないけど……」
なるほど。とりあえずこの場所に満足しているってことか。
俺は予想外の惚気を喰らいながらも、彼女に手を振ってその場を後にする。すでに時刻は昼時。ちょうどいい時間帯だ。
俺は家路を急ぎつつ、両手に抱きかかえるおやつに込める力を強める。すでに気合は十分だ。おそらく、グリもこれならば気にいってくれるだろう。
そんなことを思っているうちに、いつの間にか自宅に到着。俺は一度呼吸を整えてから、中へと足を踏み入れた。
「あ、夏樹さん。お帰りなさい」
まるで俺の帰りを待ちわびていたかのように玄関先に立っているリリィ。と、その横に控えるグリ。俺は彼女に笑いかけながら、おやつを差し出した。
「ほら、グリ。お土産だ」
「わぁ、よかったですね、グリちゃん」
愛おしげに頭を撫でるリリィの顔を見上げるグリ。俺の持っているものが危険なものではないとわかったのか、そろそろと手を伸ばしてくる。
緊張の一瞬だ。俺はごくりと息を呑みこみ、彼女を見守る。
グリは小刻みに震えながらもそっと手を伸ばしてきて――おやつを受け取った!
俺とリリィはそっと胸を撫で下ろす。完全に克服した、とは言い切れないが一歩前進したというところだろう。俺はほぅっと息を吐いて体を弛緩させる。
さて、おやつはまだパッケージに入れられたままだ。このままでは食べられない。グリはまだ子どもだから開けて――やろうと思ったその直後だった。
何を思ったか、グリがいきなりおやつを口内に放り込んだのである。それも、パッケージ詰めされた状態のまま。俺は慌てて吐き出させようとしたが、そこであることに気づく。彼女の体は半透明の物体でできている。だから、食べた者の状態がしばらく残るのだが、先ほど食べたおやつは器用にその中でパッケージと中身とに分類されていた。
「……ミミックスライムの能力か」
確か、ミミックスライムは体を自由に変えられるという。おそらく、今のは体の中で器用にも袋を開けたのだろう。俺はその光景にただただ唖然とするばかりだった。




