第四話~漫画家の吸血鬼さん~
空が赤く染まるころ、俺は遅めの外出に出ていた。というのも、今回会いに行く人外は日光が苦手なのである。だから、夜に訪れる必要があるのだが、いかんせんそれが難儀なのだ。
人外は基本的に種族として苦手なものがいくつか存在する。顕著な例で言うと、日本の『雪女』などがそうだ。彼女たちは暑さが大の苦手であり、普段は家に引きこもっている。出てきたとしても、夜などの日差しがない時間帯だ。
俺が今日会う種族もそう言った苦手を多く有している。というか、弱点だらけだ。
俺は手元に持った地図を何度か見て確認しながら周囲を見やる。だんだん人のいる場所から離れていき、気のせいか肌寒くなってきたようにも感じた。夜の闇はどんどん増していっているし、木の陰がたまに人のように見えてしまう。
あまりホラーが得意でない俺としては、これはあまり喜ばしくない状況だ。
俺は若干小走りになりながら目的へと足を向けていく。うっそうと茂る木々の合間を縫ってしばらく歩くと、前方に馬鹿でかいお屋敷が見えてきた。夕焼けに照らされるそれはどこか荘厳で、同時に不気味でもあった。カラスも鳴いているものだから、気味が悪いったらない。
俺は鉄格子の門の前まで歩き、ブザーを軽く押した。すると、存外あっさりと家主の声が聞こえてくる。
『はい。どなた様ですか?』
中性的な声だ。この人物が、今日俺が出会うべき人外である。
俺はなるべく刺激をしないように穏やかな声音で告げた。
「こんばんは。コーディネーターのものです」
『あぁ、そうだったんですね。どうぞ』
そんな声が聞こえたかと思うと、ひとりでに門が軋んだ音を立てながら開く。その不気味なありさまに一瞬怯むが、俺はグッと唇を噛み締め足を踏み出した。
雑草が生い茂る中庭を突っ切り、大昔に作られたであろうボロボロの噴水を横目で見ながらこれまた豪華な木製の扉の前に立つ。俺は意を決して、そこに取り付けられた牛を象ったドアノッカーを鳴らした。
直後、ドアがゆっくりと開かれ、そこから一人の少年が歩み出てくる。
髪は鮮やかな金色をしており、瞳はまるで血を溶かしこんだかのように紅い。肌は病的なまでに白く、全体的に華奢な印象を受ける子どもだ。
彼の名はヴェルディ。この日本にやってきている『吸血鬼』の少年だ。今はここに一人でやってきている。
一般に吸血鬼は血を吸うと言われているけれど、彼らはそうむやみやたらに人を襲ったりしない。実際、彼の両親は故郷の病院で働いており、献血で届けられた血を啜っている。曰く、その方が効率がいいそうだ。人間を襲うのはこのご時世難しくなってきたらしいし、何より検査を受けた血液ならば安全だという。
と、まぁ、それはどうでもいい。俺の本題はあくまでこの子との対話だ。
彼はぼんやりとした目でこちらを見つめている。まだ二十歳にもなっていない、俺から見れば子どもだ。俺は彼の目線まで体を下げ、それからニッコリと笑いかけた。
「やぁ、ヴェルディくん。ちょっとお邪魔してもいいかな?」
「どうぞ。僕は構いませんから」
彼は冷ややかに言って俺を中に招き入れる。改めて見ると、すごい屋敷だ。天井には豪華そうなシャンデリアが吊るされているし、床にはこれまた高そうな絨毯が敷かれている。相変わらず、吸血鬼というのはすごい一族だ。
曰く、彼らは昔から貴族の家系だったらしい。しかし、時代の流れに置いていかれ、次第に忘れられていったそうだがそれでもこうやって富と権力を持っている。中々に太いコネクションも持っていると耳にした。
俺は彼に案内されるまま、リビングに会った椅子に座る。そうして、俺の眼前に座ってきたヴェルディに向かって問いかけた。
「ヴェルディくん。ところで、お仕事の方はどうだい?」
「まぁ、ぼちぼちですよ。よくも悪くもないです」
彼はそっと肩を竦めてみせる。ちなみに、彼の職業とは漫画家である。吸血鬼の超人的な能力によって一人ですべての工程をこなしているらしい。以前その光景を見せてもらったが、かなりすごかった。
吸血鬼は他の種族よりも身体能力が優れている。それをフルに使っているのだから、人間が何人いようと適うわけがない。たったの数日で原稿を完成させていたほどだ。
今は月刊誌で活躍しており、吸血鬼とエクソシストが戦う漫画を描いている。それは種族的にどうかと思ったが、彼曰く『人間だって人間と戦う漫画を描くじゃないですか』らしい。よくわからないが、やはり天才の考えることは違う。
と、彼はほっと息を吐き、じろりと俺の方を半眼で睨んできた。
「で? どういったご用件で来たんです? 僕とお話するためだけじゃないでしょう?」
「まぁね。うん。隠し事をしても無駄だと思うから単刀直入に言うけど、ちゃんと生活できているかい?」
その言葉に、彼は明らかに動揺した素振りを見せた。グッと息をつまらせ、目線を逸らそうとする。が、俺はすかさず続けた。
「一応、君の両親からは言われてるんだよねぇ……『息子がちゃんとやれるように面倒を見てほしい』ってさ」
「僕はもう子どもじゃありません。吸血鬼ではもう大人の部類です」
「でも、人間の俺から見れば子どもだよ。それに、君の両親から見てもね」
俺は一旦言葉を切り、それから周囲に視線をやった。
「このお屋敷、広いでしょ? ちゃんと掃除とかできてる?」
無言だった。が、部屋の隅に見える埃がその証拠のようなものである。
俺はまたしても問いかけた。
「それと、食事はちゃんと食べてる?」
「……一応」
「たとえば?」
「……フルーツ」
俺は小さく嘆息した。
吸血鬼といっても血だけを啜るわけではない。果物や肉を食べることもある。だが、彼はあまり食に関心がないのか適当に済ますことが多い。俺は額を押さえながら首を振った。
「血は?」
「……飲んでない」
「ダメだって。吸血鬼は血を啜ってなんぼなんだから」
「でも、僕はあまり血が好きじゃないんだ」
「漫画ではあんなに血飛沫を出しているのに?」
「現実と非現実をごっちゃにしないでください」
彼はほっぺたを膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまった。やはりまだまだ精神的には子どもである。これは、彼のご両親も苦労したはずだ。
俺は少しばかり考えを巡らせてから、ポンと手を打ち合わせた。
「とりあえず、輸血パックをいくつか手配しとくから」
「ちょっと! 勝手に決めないでよ!」
「ダメダメ。俺はコーディネーターだから。もし何かあったら大問題だ。それに、体調を崩したら執筆に支障が出るでしょ?」
その言葉に彼はグッと言葉に詰まる。彼は漫画を描きたくて日本に来たのだ。もし体調を崩せば、強制送還なんてことにもなりかねない。だから、これは彼にとって必殺に等しい呪文のようなものである。
ヴェルディはガシガシと頭を掻きむしった後で、諦めたようにソファにもたれかかった。俺はそこでさらに追い打ちをかける。
「それと、たまには外に出なくちゃ。家に引きこもってばかりだと体に悪いよ」
だが、俺の言に彼は鼻を鳴らして両手を振った。
「残念。僕は吸血鬼だから、外には出られないよ。日光に当たったら死んでしまうからね」
「別に朝に出る必要はない。夜に散歩すればいいんだから」
毎度お決まりのセリフを吐くヴェルディ。もう対処にも慣れた。この子とも付き合いは長くてもう友人とも呼べるような仲である。
うなだれるヴェルディに、俺はまたしても言葉を投げかけた。
「あとさ、たまには人に会ったら? 俺以外とも話したらいいよ」
「……だって、怖いんだもん」
そう。ヴェルディは極度の人見知りだ。先ほど作業は一人でこなしているといったけど、あれは自分でできるからというより、他人と一緒にいるのが耐えられないからである。事実、俺と最初に会った時は酷いものだった。神経質そうに体を揺すったり、会話を始めようとすればどもって何が言いたいのかわからない。漫画家になる時も俺が付き添ってあげなければ担当さんと話すことすらできなかっただろう。
まぁ、この遠い地までやってきた度胸と行動力はあるんだ。後は、それを活かすだけである。
俺はとりあえず胸元から取り出したメモ帳にいくつかのアドレスをかき込んで、それを彼に渡す。ヴェルディは怪訝そうな様子でそれを眺めていた。
「これは?」
「とりあえず、行けそうな場所を書いてみた。人も少ないし、散歩には最適だ」
「……よくやるね」
「まぁ、仕事だからな。あ、そうそう」
と、そこで俺は振り返り、
「今度さ、ここの掃除をしてもいいか?」
「? 僕としては嬉しい限りだけど……いいの?」
「もちろん。ま、これくらいはサービスさ。とりあえず今日は帰るけど、何かあったら言ってくれよ?」
「ありがとう。また来てくれると嬉しいな。ただし、小言は抜きで」
「ちゃんといい子にしていればな」
俺はそれだけ言ってその場を後にする。
その数日後。俺と共に掃除をするためにやってきたリリィを見てヴェルディが人見知りスキルを発揮しまくったのは言うまでもない。