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三十八話目~ボガートの警察官さん~

 数十分後。俺は図書館からそう遠くない喫茶店へと赴いていた。俺は中に入るなり、すぐさま周囲に視線を巡らせる。すると、俺の存在に気づいたのか先に到着して美月がすっと手を挙げた。彼女の横には、警察官の制服に身を包んだ女性が座っている。見るからに真剣そうな雰囲気を漂わせながら、その女性は腕を組んでいた。

「美月。その人は?」

「あ、こちらは今回の協力者の……」

「チュリオです。一応、人外関係の事件についての捜査を一任されているものです」

 チュリオさんは一度立ち上がり、こちらに礼儀正しい礼を寄越してみせる。芯が強そうな、いかにも武人然とした女性だ。髪はポニーテールにしているが、それは侍のようにも思えてしまう。ただ、髪と瞳はどちらも金色。間違いなく、外国の方だろう。

 美月は俺に着席を促しながら、渇いたのどを潤すかのようにお冷を煽った。

「……さて、グリちゃんのことについて一応ですが私の方でも調べがつきました。無論、それはチュリオさんやその他の協力者がいてくれたからですが」

 と、前置きをした後で美月はわずかに目を細める。八咫烏特有の漆黒の瞳が俺をしっかりと見据えた。

「正直、あまり気持ちがいい話ではありませんが、よろしいですか?」

「あぁ。頼むよ。じゃないと、俺も手の打ちようがないから」

 美月は気持ちを落ち着かせるようにそっと胸を撫で下ろし、瞑目する。彼女にしては珍しく、辛そうな様子を見せている。普段はもっと暑苦しい奴なのに、今日は妙に辛気臭いというか……いや、そうなるほどにこれから話すことは重要なのだろう。俺はごくりと息を呑みこみ、彼女の言葉を待った。

 美月は一旦息を吐いた後で、静かに目を開く。

「まず、グリちゃんの故郷が判明しました。ロシア某所の、洞窟です。そこのさらに奥深くにあるスライム族の集落で産まれたみたいなんです」

「一応補足を入れておきますと、そこのスライム族は他の種族ほど人間とは友好的ではなく、よほどのことでない限り人里に下りてくることはなかったらしいです」

 美月の言葉にチュリオさんが重ねる。彼女は依然として静かな口調のままだったが、どこか怒りを押し殺しているようにも見える。眉間にはしわが寄り、そのせいでせっかくの美貌が台無しになっていた。

 美月は頷き、神経質そうにテーブルを指で叩く。

「で、グリちゃんの本名はピュレイアルス・アーレンボルト・エルギロイと言うそうです。こちらは実際に彼女の両親に確認済みです」

「両親が見つかったのか?」

 俺はたまらず問いかける――が、美月はそれを聞いて「しまった」とでも言わんばかりに顔をしかめていた。隣に座るチュリオさんも美月を責めるような視線を送っている。その不可解さに、俺は思わず眉を潜めた。

「美月さん。やはり、隠すのはよくないかと」

「……わかってますよ。真実を報道するのが記者の役割です。けど、これは……あまりにも残酷すぎるでしょう」

 美月は心底苛立った様子で髪をガシガシと掻き毟る。こんな彼女は初めて見た。呆気にとられる俺をよそに、チュリオさんはズィッと身を乗り出して告げる。

「彼女に替わって、私から言わせてもらいます。ピュレイアルス……いえ、今はグリと言った方がわかりやすいでしょう。彼女の両親は健在です。現地の警察とも連携を取り、コンタクトを取ることにも成功しました。が、母親曰く『あの子はもう二度と戻ってこないでいい』だそうです」

 予想外の返答に、俺は言葉を失ってしまう。理解しようとしているのに、脳がそれを拒む。まるで他人事のようにも思えてしまう錯覚を覚える中、チュリオさんは構わず続ける。

「四宮夏樹さん。あなたは、人外たちのことについてどれほどご存知ですか?」

「基礎的なことならほとんどですが……人間と違う特徴を持った人語を解す生物。また、人間と友好的な関係を築こうとしている者たちが多数派、くらいですかね?」

「それは今回の話にはそれほど深く関わりませんね。人外が、高値で取引されるということは?」

「……無論、知っています」

 そう。知っていた。わかっていた。けれど、その考えには至りたくなかった。グリが、そんな扱いを受けた子だと思いたくなかったから。

 チュリオさんは淡々と、けれどしっかりと続ける。

「今回見つかったスライムの子は、まさにそれです。が、順を追って説明しましょう。なぜ、彼女がそれに巻き込まれることになったのか、ということから」

 チュリオさんが言葉を切ったあたりで、それまで沈黙を保っていた美月がスッと顔を上げて俺を見据えてきた。その瞳は、覚悟に燃えている。

「すいません、チュリオさん。ご迷惑をおかけしました。ここからは、私が話します」

 一拍置き、

「端的に言いましょう。グリちゃんは、突然変異種――姿を変えるだけでなく、特殊なフェロモンを分泌し、見た者を魅了してしまう能力を持った子です。ミミックスライムの中でも、特に希少。数世紀に一人産まれるか産まれないかというほどの存在です」

 これは、クトラさんが推測していた通りだ。彼女は、普通のスライムとは違う。だが、それがまさかそのような力を持って産まれた子だったとは。けど、それなら納得がいく。ただ可愛い、というだけで色んな人があの子にデレデレになっていたわけじゃないのだから。

 美月はまたテーブルを叩きはじめる。彼女が苛ついた時にだけやる癖だ。

「当然、彼女ははぐれ者として集落で浮いていました。また、調べたところによるとそのような突然変異の子はそれこそ億単位で取引されるらしいのです。それが激レアなミミックスライムの子どもとなればなおさら……」

「金のために、子どもを売ったってのか?」

 自分でもびっくりするほど低い声だった。美月はビクッと肩を震わせたが、フルフルと首を振って否定する。

「それもあったと思います。が、もっと大きな理由があったらしいんです。グリちゃんの様な突然変異種は、集落に災いをもたらすとして非常に恐れられていたそうなのですが、かといって殺すと罰が当たるのではないかと思って両親たちは怯えていたらしいのです。が、そこでさっきの話が出てくるわけです。殺すこともなく、穏便に村から出て行ってもらえる方法……身売りです。グリちゃんはまだ言葉も喋れない段階でしたから、ちょうどよかったというのもあったのでしょうね。人外専門の闇ブローカーに売ったそうです」

「本当、むかっ腹が立つ話だな」

「えぇ、本当に」

 美月は心底苛立った様子でテーブルを爪でカリカリと掻き始める。その横に座るチュリオさんは一呼吸置いた後で静かに口を開いた。

「もちろんご存じだと思いますが、そのような闇取引は国際法で禁じられています。現地の警察もつい最近そのような取引があったことを知ったそうで、私たちの方にも連絡が回ってきました。まぁ、おかげで捜査はだいぶ捗りましたが」

 チュリオさんは肩を竦めながら、獰猛そうな唸り声を上げる。彼女も、人外か。ただ、何の種族かはわからない。ほとんど人間と同じだから、リリィのようなタイプかもしれない。ただ、それにしても今の顔は恐ろしかった。本能的な恐怖に震えながら、俺はコップの水を煽る。

「とりあえず、私たちが調べられたのはこれまでです。現状、グリちゃんを祖国に帰すのは無理だと思ってください。また同じことが起こらないとも言い切れませんし、最悪、もっとひどいことになるかもしれませんから」

「あぁ。わかってる。ありがとう、美月。チュリオさん」

「補足ですが、現在ブローカーグループは逃亡中です。日本にグリさんがいたことを考えても、こちらに買い手がいるのか、はたまた彼らのアジトがあるのか……いや、その点はよくわかりませんが、危険なことには変わりありません。特に、グリさんは彼らから逃げ出したようですから、未だ狙われていると考えた方が賢明でしょう。一応、警察からも護衛が複数名向かうと思います。が、安心しないでください。なるべくあの子を一人にしないように、お願いします」

 チュリオさんは深々と頭を下げてきた後で、すっと立ち上がる。そこで、彼女はわずかに口角を歪めてみせた。

「無論、私も全力を尽くすつもりです。人外の誇りに懸けて、必ずや捕らえてみせましょう。正直な話、今回の被害者とは他人に思えない部分が多々ありますので」

 と言って、彼女は口から火を噴いてみせる。この人、本当にどの種族なんだ?

 チュリオさんはいつの間にやら取り出していた一万円札を机の上に置き、おそらく今日初めてであろう笑みを俺たちに向けてみせる。

「では、私は失礼します。四宮さん。くれぐれも、お気をつけて」

 去っていく彼女の後姿を見送る俺たち。と、そこで不意に美月がスッと体を寄せて耳打ちしてきた。

「そういえば、夏樹さんの名字って四宮でしたね」

「言いたいことはそれだけか?」

 美月は力なく笑い、それから椅子の背もたれに体を預けてドアの方を見やった。俺はそんな彼女に、ふとした問いかけを寄越す。

「ところで、チュリオさんはどの種族なんだ? グリと関係があるみたいに言っていたが、スライム族か?」

「いいえ、違いますよ」

「じゃあ、突然変異種か?」

「それも違います。チュリオさんは『ボガート』族。つまりは、真似妖怪です。ですから、ミミックスライムとは親戚みたいなものですね。だから、この捜査にも快く情報を提供してくれました」

 なるほど。堅物っぽい彼女が協力してくれたのは、グリを他人と思えなかったからか。それなら納得である。それにしても、いい情報……いや、心情的には最悪だが、それでも進展があったのは確かだ。

 俺は姿勢を正し、改めて美月に頭を下げる。

「本当に、ありがとう。おかげで助かった」

「いいですよ。私もいつもお世話になっていますし、それに……」

「それに?」

 彼女はニッと屈託のない笑みを浮かべ、

「やっぱり、グリちゃんを放ってはおけなかったので」

 と、満足げに言い放つのだった。


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