三十七話目~文車妖妃の司書さん~
病院を訪れた翌日。俺は図書館へと繰り出していた。というのも、そこで何かしらの情報を得たいと思ったからだ。以前ピティと行った図書館には、相当な数の蔵書が揃えられている。もしかしたら、スライムのことに関しての本もあるかもしれない。
ちなみに、リリィたちはお留守番をさせている。が、一応頼りになるワーカホリックのガーゴイルをつけているので安心だ。彼女の守りは鉄壁だということは、俺もよく知るところである。
やがて図書館が近づいてくると、俺の脳裏にある出来事がふと蘇ってきた。かつて出会った、自称旅芸人の龍人である。あの人は……失礼な言い方かもしれないけど、好きにはなれないタイプだった。人外と人間の共生を謳う俺が言うと矛盾するかもしれないけれど、本当に苦手だったのだ。彼女は何と言うか、本能的な危険を感じざるを得なかったのである。
俺はごくりと唾を飲みこみながら、建物内へと足を踏み入れる。一応周りを見渡してみたけれど、彼女らしき人影は見当たらない。俺はほっと胸を撫で下ろしつつ、案内板の方へと寄った。
「えっと……二階か。案外近いな」
俺はそんなことを呟きながら階段を上り、それから右の棚へと視線をやった。そこにはズラリと人外に関する本が並べられている。俺はすぐさまそちらに歩み寄り、目を走らせた――が、全くと言っていいほど見当たらない。
そもそも、スライムは人外の中でも比較的人間たちとは距離を置いている種族だ。だから、イマイチその生態もわかっていないし、なによりグリはその中でも特に希少な存在だ。俺も資料として渡されているもの以外では、ミミックスライムの情報を得られなかったのである。
今回も収穫なしか――と、思った直後だった。
「もしもし? 何かお探しですか?」
ふと、鈴の音のような澄んだ声が耳朶を打ったのは。
俺は思わず飛び上がり、小さく悲鳴を漏らしてしまう。が、声のした方向を見て、安堵のため息を漏らした。
そこに立っていたのは、細身の女性だった。黒髪を腰のあたりまで伸ばし、卸したてと思わしきスーツを着ている。首元から下げているプレートを見る限り、ここの司書さんのようだ。
彼女はどこか困ったように眉を寄せる。
「あの、すいません。驚かせてしまいましたか?」
「いや、大丈夫ですよ。ちょっと、嫌なことを思い出したもので」
俺は額に浮かんでいた冷や汗を服で拭いつつ、首を振った。やはりあの出来事はまだ俺の心に根付いているらしい。一瞬彼女かと思い、ゾッとしてしまった。なにせ、あんなことをしでかしてしまったのだから。報復されても文句は言えないだろう。
「? えと、何かお力になれることはありますか?」
少女はおずおずと問いかけてくる。その際、彼女の首筋辺りに何やら文字の羅列のようなものがチラリと見えた。
刹那、俺の脳裏にある考えが浮かぶ。
「失礼。ひょっとしてあなたは人外ですか?」
「え? どうしてわかったんですか?」
どうやら当たりだったようだ。彼女は心底驚いた様子で目を見開き、ハッと口元を覆う。よほどビックリしたようだ。その有様に、意図せず口元が緩んでしまう。
彼女はごほんと咳払いをしてから、すっと背筋を伸ばして俺に向きなおった。
「ご名答。私は人外――『文車妖妃』と申します。あ、それは種族名ですよ? 本名は、別にありますので」
彼女はそう言って胸元のプレートを俺の方へと突き出す。それを見るに……彼女の名は矢代清華と言うようだ。なるほど。彼女もリリィと同じで人間と同じような容姿をしているな。
確か文車妖妃は付喪神の一種で、そういった意味でもリリィ――リビングドールとは近種だと聞いたことがある。こうして相対していると、妙な既視感を覚えるのはそのためか。
俺は一旦咳払いをしてから、ふと彼女に問いかけた。
「失礼。少しお尋ねしたいのですが、スライムに関する書物はありますか?」
「スライム……でしたら、この棚に」
彼女はそう言って軽く背伸びをして棚の一番上にある書物を指さしてみせる。彼女は取ろうともがいていたが、やはり身長が足りていない。俺はたまらずそれを取ってやった。
題名は……『スライムの生態』。まぁ、無難なところだろう。ここからなら、多少の手掛かりは掴めるはずだ。
が、わずかに心もとない。俺はそれを小脇に抱えつつ、さらに口を開いた。
「あの、他にはありませんか?」
「えと、どのような種族の子について知りたいのですか?」
「ミミックスライムっていうんですけど、ありますかね?」
清華さんは少しばかり表情を歪めてみせる。俺は一瞬だけ不安に駆られるが、それは杞憂に終わった。彼女はニッと笑みを浮かべ、それからちょいちょいと手招きしてみせる。
「ここにはないんですよ。秘蔵書庫にありますので、お出ししますよ」
「秘蔵書庫?」
「ええ。主に学生さんや学者先生にお出ししているものなんですけどね。結構貴重なものなので、そうホイホイと置いておくわけにもいかないんですよ。それこそ、信用が足る方以外には渡すこともはばかられるくらいです」
と、彼女は俺の服装を見ながら言う。今の俺は職務中ということもあり、スーツを着ている。普段から身だしなみには気を遣っているせいか、怪しまれることはなかったようだ。彼女はすたすたと歩いていき、それから一階へつながる階段を降りていく。
「ところで、どうしてスライムのことを調べようとしているんですか?」
「まぁ、ちょっと……これは仕事の関係で」
彼女も人外だ。俺がコーディネーターだということはわかっているのだろう。何度か頷き、それから小さく鼻を鳴らした。
「大変ですねぇ。お仕事ご苦労様です」
「そちらこそ。すいません、付き合わせてしまって」
「いいんですよ。夏休み明けは暇ですし」
彼女の言う通り、夏休みが明けたせいか以前来た時よりは確実に人が減っている。彼女も手持無沙汰で退屈していたのだろう。なら、俺はちょうどいい来客だったわけだ。
清華さんは意味深な笑みを寄越してから、すっと人差し指を右の方へと向けた。そこには貸出し用のカウンターが備えられており、他の司書さんたちが働いている。彼女は口角を吊り上げながら、小悪魔的な視線を寄越してきた。
「ここで待っていてください。秘蔵書庫には関係者以外は入れないので。勝手に入ると……わかりますよね?」
「大丈夫。入りませんよ。わきまえているつもりですから」
「よろしいです。では、しばしお待ちを」
と言って、彼女はそそくさとカウンターの奥へと消えていく。俺は近くの柱に背を預け、ほぅっと息を吐いた。やはり思っていたことだったが、単一の種族を調べるのは非常に時間がかかる。それこそ、レアな部類ならなおさらだ。これは、徹夜も覚悟しなければいけない。
いや、でもそれがグリのためになるんだ。なら、ちゃんとやるのが俺の仕事である。
新たに気合いを入れなおしたところで、俺はカウンターの奥から清華さんが戻ってきていることに気が付いた。彼女は両手に余るほどの巨大な書物を持っている。まさか、あれが俺の探していたものだとでも言うのだろうか?
これは本当に大変な作業になるかもしれない。
「お待たせしました。これが、例のものですね。ただ、ここに書かれているのはスライム全種についてですので、もしかしたらご希望のものは少ないかもしれません」
「なるほど。よかった……いや、よくないですけど」
これを全部読め、というのは相当な拷問だ。だって、電話帳を数冊重ねたほどの厚さを誇っているのだから。
俺はごくりと喉を鳴らし、それを受け取ろうと手を伸ばした――その時、不意にスマホの着信音のようなものが図書館に響き渡る。その音源は、俺のポケットだ。
「す、すいません」
俺は清華さんに断りを入れ、それからスマホを取り出す。その相手は、美月だ。
ひょっとしたら何かがわかったのかもしれない。俺は体を丸め、なるべく声を響かせないようにして通話を開始した。
「もしもし?」
「夏樹さんですか? あの、グリちゃんの両親のことについて情報が入りました」
「え? まさか嘘じゃないですよね?」
「えぇ。できれば、嘘であってほしいのは私も一緒なんですが……とにかく本社まで来てください。詳しい話は、それからします」
美月にしては珍しく、緊迫感に満ちた声だった。それが一層俺の不安を掻きたてる。
俺はすぐさま通話を切り、清華さんに向きなおった。彼女はむっと頬を膨らませていたが、俺の表情からやむを得ない事情があったと判断したのだろう。わずかに表情を緩めて、問いかけてくる。
「えと、何かあったんですか?」
「えぇ、少し。すいません、せっかく付き合ってもらったのに」
「いえいえ、いいですよ。じゃあ、この本は……」
「とりあえず保留にしておいてください。今はちょっと急用が入ってしまったので」
「わかりました。では、時間がある時にいつでもお越しください。どうせ、これは誰にも借りられないものですから」
ひょいっと肩を竦ませおどけた様子を見せる清華さんに頭を下げ、俺は図書館を後にする。なぜだか妙な不安を感じ、自然と足が早まる。先ほどの美月の言葉が、いつまでも脳裏にこびりついているかのようだった。




