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三十六話目~マミーのお医者さん~

 見えてくるのは、白い天井とそれに合わせられた純白のカーテンや綺麗に整頓された椅子や机など。前方に座っているのは、全身を包帯で包まれた女性……一応言っておくが、患者ではない。医者だ。彼女の後ろにはクモの下半身を持つアラクネ族の少女――クーラが控えている。

 この状況からすればわかると思うが、俺は今病院に来ている。だが、別に俺が体調を崩したわけではない。昨日受けた美月の進言通り、グリを診察に連れてきているのだ。リリィの膝に座る彼女は、興味深そうに目の前の包帯まみれの医者を眺めている。

 一応、この医師の女性も人外だ。『マミー』族のクトラ。現在はクーラと同じ病院に勤めている。包帯まみれなのは種族の特色であり、体に傷を負っているわけではない。彼女の素顔を見た者は誰もいないという話だ。

「なるほど。ありがとうね。もういいよ」

 見かけによらず可愛らしい声だ。まぁ、パッと見はただのミイラが直立しているみたいなものだから当然だけど。

 クトラさんはグリに当てていた聴診器を外し、それからわずかに姿勢を正す。

「えっと、とりあえず言っておくね。彼女……グリちゃんだっけ? 一応異常なし。悪いところはないみたいだよ」

「放浪中、ごみを漁っていたみたいなんですが……」

 俺が不安げに問うと、クトラさんはフルフルと首を振った。

「あ、大丈夫大丈夫。スライム族は消化器官が優れているからね。ちょっとしたものなら溶かせるんだよ。ほら、漫画とかで見たことない? 服を溶かすって奴」

「すいません。そちら方面は疎いもので……」

「そうなんだ。やっぱり、読む暇がないのかな?」

 クトラさんはどこか間延びした調子で告げる。というか、包帯でぐるぐる巻きにされているのによくしゃべれるな。やはり、人外はまだわからないことが多い。できれば、彼女のことも知りたくはあるのだが、今はグリの方が先決だ。

 グリは診察が終わって安堵したのかリリィに抱きついている。その様を見てクーラはニコニコと朗らかな笑みを浮かべていた。確かに目の保養になるだろう。リリィもグリも、互いのことを気に入っているようだしな。

「それにしても、可愛いですねぇ。ミミックスライムを見るのは初めてだけど、やっぱり本能的にわかっているのかもね。可愛い姿の方が生存確率が高いって」

「せ、先生! そんな夢のないことを言わないでください!」

 クーラが声を荒げて反論する。クトラさんはそれすらも笑って受け流していた。

 あれ以降、クーラはだいぶ仕事にも慣れてきて自信も持ちつつあるらしい。いい兆候だ。色々ドタバタしていて会えなかったけど、これなら俺も相談に乗った甲斐があったというものだ。

「あ、そうだ。クーラちゃん。リリィちゃんたちとちょっと散歩に行ってきたらどうだい? 聞くところによると、グリちゃんはずっと家にこもりっきりなんだろう? ここなら警備も厳重だし、安全だよ。ただし、警戒は怠らずにね。夏樹くんの話が本当なら、大変だから」

「わかりました! では、夏樹さんも……」

 と、言いかけたところで彼女は言葉を止める。だが、それも当然だろう。グリが心底怯えた様子で俺を見ていたからだ。なんだか、日を追うごとに信用が失われている気がする。その様子に、流石のリリィも苦笑をこぼしていた。

「じゃ、じゃあ私たちだけで行きましょうか……」

 クーラは遠慮がちに会釈をしてからリリィたちとともに病室を後にする。彼女たちの足音が聞こえなくなった後で、俺は大きく肩を落とした。

「ショックだったのかい?」

「当然ですよ。あの子を保護したのは俺なのに……」

「ふむ。別に、君が人間だから警戒しているというわけではなさそうだね」

「え? それってつまり、俺が悪人面とかいう奴ですか?」

 涙ながらに返す俺に、クトラさんはゲラゲラと笑ってみせる。彼女はバンバンと机を叩いた後で、そっと椅子の背もたれに体を預けた。

「いいや、違うさ。見たところ、グリちゃんはリリィちゃんにずいぶんと懐いているみたいだからね。これは推測だけど、夏樹くんにリリィちゃんを取られると思ってるんじゃないかな? もしくは、本能的に母性を求めているのかもね」

「なんか、本当に子どもみたいですね」

「当然さ。人外でも人間でも行動原理はほぼ同じだよ。まぁ、あの子はちょっと特殊かもしれないけどね」

「ちょっと待った。今の、どういう意味ですか?」

 クトラさんはわずかに頷き、それから周囲を見渡してみせる。包帯にくるまれているくせに、一応視界は効くらしい。彼女は周囲に誰もいないことを確認してから、俺の方に向きなおった。

「君だけが残ったのはある意味幸いだったかもね。まぁ、さっきもちょっと言ったけど、グリちゃん……いや、ここではミミックスライム、と言った方が正しいかな? まぁ、いい。とりあえず端的に言うと、彼女たちの種族は基本的に周囲の顔色をうかがって媚を売るんだ……いや、そんな顔をしないでくれ。私だって、言葉を選んでいるつもりなんだ」

「それで選んでいるなら、勉強しなおすことを勧めますよ」

「中々言うね。まぁ、ぶっちゃけた話、ミミックスライムは万物に化けられる性質を持っている。だから、一番生存に適した形になる習性があるんだ。だから、少女の姿をとっているのは、そういうことなのかもね。ま、メディア女史の入れ知恵ならそれも納得だけど」

 そういえば、メディアさんとクトラさんは面識があるのだった。メディアさんが少女の姿をとるようにさせていたのは、少女だからというよりもそちらの方が周りに助けてもらいやすいと判断したからだろう。

 事実、リリィのみならず美月、クーラまでもがその可愛さに魅了されている。こればかりは、その擬態能力のすさまじさに息を呑むしかあるまい。

「ま、あれだ。言い方が悪かったのは、私も自覚している。すまない。ただ、もう一つだけ言うとするならば、グリちゃんはその種族の中でも特に異常だ。擬態能力が、異常なんだよ。いや、そもそも擬態と言っていいのかすらわからない」

「どういうことですか?」

「グリちゃんは人型を取っているけど、基本はスライムだろう? 粘着質な体、それに緑色の肌。人間とは本質的に違うわけだ。つまりは、人外だとパッと見てわかってしまうんだ。けれど、グリちゃんを見た者はまず例外なく人外であることを認識したにもかかわらず、その可愛らしさの虜になっている。普通、人外には誰しも多少の抵抗感があるにもかかわらずね」

「……ハッキリ言っていただけますか?」

 クトラさんは額に手を当て、それから深く肩を落とした。その後で、机をとんと叩く。

「これは私の推測だけど、グリちゃんは普通のミミックスライムとは違う。おそらく、何かしらの特殊な能力がある。有り体に言えば、突然変異だね。それが何かは検査結果が出るまではわからないけれど、彼女が通常のスライムとは一線を画していることだけは明らかだ」

「それは、本当の話ですか?」

「当然だよ。そこまで信用がないかい?」

 そうだ、と言えば殴られるだろうから黙っておく。その代わりに、俺は改めて問いかけた。

「もしかして、グリが拉致されたのも?」

「ま、それ関係だろうね。ミミックスライムの、それも突然変異体だ。きっと闇の市場に出回れば、億単位の金が動くだろうさ。ま、これ以上はよくわからないけど、とりあえず彼女の担当医として言っておくよ。用心しておきたまえ。あの子を守ってあげられるのは、他でもない君だけだ。決して油断しないように」

 俺はそれに頷きを返した後で、窓の傍に寄る。外では、グリとリリィ、それからクーラの姿が見えた。三人とも楽しげに花畑で遊んでいる。それを見ていると、あれを守らなければならないと強く思うことができた。


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