三十五話目~八咫烏の記者さん~
「こんにちは~! 夏樹さん、いらっしゃいますか~!」
朝食を食べていた折、そんな威勢のいい声が玄関の方で響く。リリィは目をぱちくりとさせながら、助けを求めるように俺を見つめてくる。グリもそんな彼女を見てか、同じように俺に視線を向けてきた。
「悪い。ちょっと依頼をしていたんだよ。二人はそのまま続けてくれ」
あらかじめ断りを入れ、それから玄関の方へと向かう。その間も、止むことなくチャイムと声が響いていた。
こんな朝っぱらからやっては近所迷惑だろう。俺はすぐさま玄関へと向かい、急いでドアを開けた。すると、そこに立っていた小柄な少女とバッチリ目が合う。
黒髪をポニーテールにした女の子だ。ベレー帽のようなものを被っており、右手には万年筆、左手にはメモを持っている。さらに、その背には巨大な黒翼。なるほど。やはり、彼女が今日来てくれる新聞社の記者さんのようだ。
彼女はパァッと顔を輝かせた後で、律儀に礼を返してくる。
「はじめまして! 八咫新聞社所属、『八咫烏』の美月と申します!」
「どうも。お忙しいのに御足労ありがとうございます」
「いえ、これも仕事ですから。上がっても?」
「もちろん。どうぞ」
彼女は羽を折りたたんで玄関をくぐり、それから丁寧に靴を端に寄せる。見た目に寄らずかなり礼儀正しい子だ。
彼女たち翼人種は体躯が小柄な子が多い。だから、実年齢と外見に差があるのは仕方のないことなのである。俺は尾羽をピコピコさせながら歩く彼女を見つつ、そんなことを思っていた。
「あ、そちらの子が例のスライムですね?」
リビングに着くなり、美月が言う。彼女の視線はお行儀よく椅子に座っているグリに向けられていた。その傍にいるリリィは甲斐甲斐しく彼女にヨーグルトを食べさせてあげている。昨日以降、グリは人間の子どもの姿をしていることもあって、まるで母と娘のようだ。
「すいません、写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」
美月は一旦断ってから、胸元から取り出したカメラをグリへと向ける。彼女は怯えた様相をしていたが、リリィはそんな彼女の頭を優しく撫でてやる。それで落ち着いたのだろう。グリはやがて美月の方へと向きなおった。
数秒おいて、シャッター音。それから、美月は笑みを浮かべつつ胸元に手を突っ込んだ。
「ご協力ありがとうございます。はい、これをどうぞ」
彼女が取り出したのは、棒付きキャンディーだった。グリはそれをすぐに食べようとしたが、リリィがそれを諌める。まだ朝食が終わっていないから、それを食べろということだろう。グリはそれに異を唱えることもなく、リリィからヨーグルトを食べさせてもらっていた。
「可愛いですねぇ……この子が、親を探しているんですよね?」
「えぇ。昨日から探してはいるんですが、イマイチ手がかりがつかめなくて。あなたを呼んだのも、その助けになれば、と思ってのことです」
「なるほどなるほど。私たちも夏樹さんにはお世話になってますからね。協力は惜しみませんよ」
実を言うと、美月とは何度か面識がある。コーディネーターという職業上、色々取材を受けることがあるのだ。彼女たちの新聞社では人外のことを多く扱っているということもあり、その関係者がよく話を聞かれる。美月は俺の管轄外に住んでいるのだが、それでもかなり仲がいい方だ。
お互いが敬語を使っているのは、職業柄だ。俺もどうしても敬語の方がやりやすい部分がある。こればかりは、どうしようもないことなのだ。それに、今は勤務時間内だしな。
考え込む俺をよそに、美月は近くの椅子に腰かけた。その後で、万年筆をクルリと回す。
「さて、では早速。彼女の種族は?」
「ミミックスライム。名前はグリ。とりあえず、仮称ですが」
「ミミックスライム!? げ、激レアですね!?」
昨日、メディアが言っていた通りだ。やはり、レアな種族なのだろう。探してみたけど、文献も少なかったし、そもそもの絶対数が少ないのかもしれない。
美月はやや興奮気味に俺に詰め寄ってくる。
「で、あの、よければもっと詳しく」
「わ、わかってるから、離れて……まぁ、今わかっているのは、とりあえずこの街に来たのは一週間以上前。人間に対して怯えた様相を見せているから、たぶん拉致されてここに来たんじゃないかと」
俺の言葉に美月は顔をしかめてみせる。気持ちはわからないでもない。種族は違えど、同じ人外がひどい目に遭っているのだから。
彼女は万年筆のお尻の部分で頭をガリガリと掻いてから、大きなため息をついた。
「ふぅむ……なるほど。他には?」
「正直、よくわからないというのが本音ですね。言葉も喋れないから、故郷もわからない。そもそも、誰によって連れてこられたのかもわからない」
「まぁ……スライム、しかも子どもですしね。それは仕方ないですよ。ただ、ご両親は探していると思うので、私たちも全力を尽くします」
彼女は羽をわずかに羽ばたかせる。八咫烏族は、千里を飛ぶこともできる伝説の種族だ。さらに、カラスたちとの対話もできる。実のところ、俺が彼女を呼んだのもそう言った経緯があるからだ。彼女たちのネットワークがあれば、捜索が容易に行われる。警察にも届け出たけど、確実に彼女たちの方が早い。
美月はメモを取った後で、大きく頷いた。そうして口を開こうと――したその直後。
「な、夏樹さん!」
突然、リリィが切羽詰った声を上げた。俺たちが慌てて彼女の方を向くと、そこには――白くなったグリと、彼女を抱っこしているリリィの姿があった。
リリィは涙目になりながら俺たちの方に歩み寄ってくる。
「あ、あの! いきなりグリちゃんが白くなってしまったんですけど、あの、わ、私」
「落ち着け。大丈夫。大丈夫だから」
俺はリリィの腕の中で楽しげに笑っているグリを指さし、それから続ける。
「調べたんだけど、ミミックスライムって食べたもので色が変わるらしいんだよ。ほら、ヨーグルト食べてただろ? だから、白くなったんだって」
「じゃ、じゃあ変な病気とかじゃ……」
「断じてない。一時間もすれば、元に戻るらしいぞ」
「ふぅ……よかったですね、グリちゃん」
リリィは慈母のような笑みを浮かべながらグリの頭を撫でる。彼女は依然としてお気楽そうにけたけたと笑っていた。何気に大物かもしれない。俺には懐いてくれないけど。
「す、すごいですね! あの、ちょっと密着取材してもよろしいですか?」
美月が興奮気味にリリィへと擦り寄っていく。リリィは戸惑いながらも、首肯を返した。美月は微笑みながら、グリに手を差し伸べる。すると、グリはたどたどしくも彼女の手を握り返した。
「おおぅ……スライムってひんやりしていて気持ちいいですね。ちょっとねちゃってしていますけど」
「嫌な言い方をしないでくれ」
美月は俺の言葉も聞こえていないようで、グリに夢中になっていた。やはり、人外には懐いている。同種でなくとも、同族という認識はどこかでできているらしい。グリは見かけによらず、賢い子だ。これは、言葉を覚えるのもそう遠くないのかもしれない。
「グリちゃん……ですよね? リリィさんから見て、この子はどうですか?」
「すっごくいい子ですよ。ただ……」
「ただ?」
「この子、部屋を暗くすると怖がるんです。おととい連れてきて一緒に寝ようとしたんですけど、電気を全部消したら怖がって私にすり寄ってきて……あ、今は豆電球をつけた状態で寝ていますよ?」
美月はジト目で俺の方を見つめてくる。だが、仕方ないだろう。俺とリリィの寝室は別だし、グリは俺を寄せ付けようともしない。だから、リリィの方が彼女のことをよく知っているのは当然のことだ。
美月はメモを取った後で、何度か頷いた。
「なるほどなるほど。本来スライムは暗い場所を好むものだと聞いているんですけど……」
「たぶん、一週間放浪していたからかもな」
俺はそこで割って入り、それから続けた。
「聞いた話だと、一週間以上この街でホームレス生活をしていたらしいんだよ。生存適応能力が高いスライムとはいえ、やっぱり子どもだから、怖かったんじゃないか? 俺が会った時も、暗闇で隠れるようにしていたし」
「ふぅむ……だとしたら、トラウマができつつあるのかもしれませんね。病院には連れていきましたか?」
「いや、昨日専門の医者……というか、科学者だな。その人が来てくれたから行ってないが」
「行くことを勧めますよ。それでわかることもあると思いますし」
美月が珍しく真面目な意見を寄越す。当然、それに反対する理由もない。
「わかった。明日、明後日連れていくよ」
「じゃあ、私もお供しますね」
リリィが頼もしいことを言ってくれる。というか、主に彼女がグリの世話をすることになるだろう。俺は寄せ付けてもらえないのだから。
美月は俺たちを見合わせて満足げに鼻を鳴らした後で、目をカッと見開いた。
「さて! 気を取り直して取材ですね! グリちゃん、ちょぉ~っと、お姉さんにお顔を見せてね~怖くないよ~」
猫撫で声になりながらグリを観察する美月。鳥なのに、猫撫で声ってどうなのよ。
意外にもグリは黙って美月の視線を受けていた。それは、ミミックスライムとしての本能だろう。彼女たちの種族は観察をよしとする。だから、美月が観察することには異論がないようなのだ。
が、絵面がやばい。だって、飴を携え、鼻息を荒くした女性がいたいけな少女へ好奇の視線を向けているのだから。
俺はリリィとアイコンタクトを躱し、それから美月を無理矢理引きはがす。彼女は必死の抵抗を試みていた。
「は、放してください! 私の記者魂が燃えているんです!」
「やめろ。絵面がやばすぎるんだ。とりあえず今日は帰ってくれ」
「あ、ちょ、待っ……」
俺はベランダへと歩み出て、美月を外へと放り出す。彼女はしばらく中への侵入を試みようとしていたものの、やがて諦めたのか器用に空へと舞いあがり、泣きながら飛び去っていった。
――後日。グリの記事が新聞へと載せられた――が、そこにわずかながらも俺の悪口が書かれていたのはまた別の話。




