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三十三話目~スライムの迷子さん~

 深夜、俺はひとり街へと繰り出していた。昨日本部にも連絡を取ってみたのだが、この街に新たな人外が引っ越してきたという話はないらしい。ということは、ただの観光客か、はたまた以前であった龍人のような流れの人外だ

 前者なら、まだよし。それなら説明もしやすい。後者なら、危うい。流れの中にはそもそも非正規で日本に訪れている奴もいるし、何より目的が見えない。こういう手合いに会うと、一般人である俺にはどうすることもできないのが現状だ。

 とりあえず、逃げることだけ考えておこう。もし危ない時は、専門の部隊が寄越されるはずだ。

 ただ、それは俺としてもあまり望ましくない。せっかく人間と人外が仲良くなれる世界ができたのだ。それに亀裂を生み出すような出来事は、本来あってはならないものなのである。

 俺はそんなことを思いながら、ぶらりぶらりと歩いていく。一応、朝から聞き込みを行ってあらかたの目星もつけているのだ。その人外についての情報もだいぶ聞くことができた。今のところは被害者もゼロ。このまま終わってくれればいいが……。

 と、俺が大きくため息をついたその時だった。

 ふと、路地裏の方で何かが蠢く気配がしたのは。

 街灯もない場所では、何も見ることができない。一寸先は闇だ。俺はスマホを掲げてライトをつけながら先へと進んでいく。べちゃべちゃという粘着質な音だけが暗い路地に響く。俺はほぼ無意識のうちに息を呑んでいた。

「誰か、いるんですか?」

 俺の声だけが虚しく反響する。それに合わせて、またしても粘ついた音。しかも、今度はこちらに近づいてきている。俺はあまりの不快さに身震いし、その場で足を止めた。

 そうしてスマホのライトを当ててみるとそこには――不定形の、緑色の物体が蠢いていた。

 まるで、意思を持っているかのように動く粘着質な物体……おそらく『スライム』だろう。スライムは意思を持つタイプがいると聞くが、こちらはどうだろうか……?

 もし意思疎通ができないタイプならば、すぐに逃げるべきだ。スライムはゲームで思われているほど弱い生物じゃない。体内に生物を取り込み、窒息させる。人間からすれば、十分脅威と成り得る存在なのだ。

 俺は目の前でアメーバのように体を広げるスライムに視線を寄越した。

「お、おい……返事をしてくれ」

「……?」

 俺の言っていることは、一応通じているらしい。スライムは自らの身体でクエスチョンマークを作ってみせた。とりあえず、敵意はないらしい。俺はそっと胸を撫で下ろしながら、その場に腰を下ろした。

「えっと……こんばんは。どこから来たんですか?」

 プルプルと震えるスライム。これはつまり、わからないということだろう。知性はあるようだが、会話はできず人型も保っていない。だとすれば、考えられるのは……まだ子どものスライムだということだ。

 おそらく、どこからか連れてこられたのだろう。が、はぐれたか、はたまた迷っているのだろう。身元もわからないし、これではどうしようもない。

 知性がないスライムがこうやって野生化しているというのは聞いたことがない。かなりのレアケースだ。今まではゴミ箱の残飯などを漁っていたようだが、これではこの子のためにもならないだろう。

 俺は意を決して声をかけた。

「えっと、君。どこから来たかわかる?」

 またしても、揺れるスライム。やはり、わからないか。スライムの生態に詳しい奴は俺の知り合いには……いるかもしれないが、確証はない。とにかく、ここに置いていくにはいかないだろう。

 俺はそっとスライムに手を差し伸べる。が、スライムはびくりと体を震わせて俺から遠ざかってしまった。

 この反応を見るに、どうやら人間に触れられることには抵抗があるようだ。が、このまま放っておくわけにもいくまい。とりあえず、俺はスマホに手をかける。

 もちろん、相手は決まっている。リリィだ。

 数秒もしないうちに、通話が繋がる。深夜ということもあって、リリィは相当眠そうな声音だ。俺はなるべく落ち着いた口調で、彼女に語りかけた。

「リリィか? 頼みがあるんだが……いいかな?」

『はい……いいですけど』

「すまん。じゃあ、今から言う場所まで来てくれ」

『あ、メモを取るのでちょっと待ってくださいね』

 リリィの声が再び帰ってきてから、俺は場所を告げる。その後で、再びスライムに目を移した。スライムは怯えた様子を見せながら物陰から俺を見守っている。

 俺はあの子を驚かせないように細心の注意を払いながら、そっと歩み寄る。ただ、先ほど不用意に触れようとしたことが悪かったのか、最初の頃よりは警戒しているようだ。

 さて、どうしたものか?

「あ、待てよ」

 ふと、脳裏にあることが思いつく。そういえば、張り込み用にあんパンを買っているのだった。

 俺は肩に掲げていた鞄からあんパンを取り出し、スライムに差し出してやる。スライムは興味深げに俺の方に歩み寄ってきて、あんパンをつつく。おそらく、これが安全かどうか計っているのだろう。

「大丈夫。怖くないよ」

 努めて優しく語りかけてあげると、スライムは静かにあんパンを体内に取り込んだ。それは見る見るうちに溶かされていく。改めて見ると、中々にすごい光景だ。スライム族に出会うのはこれが初めてだが、幼体のスライムがここまで利口だとは思っていなかった。

 にしても、こいつはどこからきたのだろうか?

 それもまだよくわからない。ただわかるのは、こいつは無害であり、ある種の被害者であるということだ。

「夏樹さん?」

 ふと、後方から声が聞こえてくる。見れば、そこには寝間着姿のリリィがいた。彼女は急いでくれたようで、額には汗が浮かんでいる。俺はそんな彼女を労わるように笑みを浮かべてから、目の前にいるスライムを指さした。

「ありがとう、リリィ。夜遅くに来てくれて。実は、この子が困っているみたいでさ」

「その子は……スライムですね? でも、どうしてこんなところに……ね、お父さんとお母さんは?」

 リリィの問いに、スライムはまたしてもプルプルと震えてみせる。が、リリィはそんなスライムを安心させるかのように静かに頷き、そっと手を触れた。

「大丈夫ですよ。私たちがきっとお父さんとお母さんのところに返してあげますから。ね?」

 やはり言葉がわかるのだろう。スライムは未だ震えながらもリリィに寄りそう。彼女はそんなスライムを抱きかかえた。

「あの、夏樹さん。この子、家で保護するんですよね?」

「ダメだったか?」

 彼女は首を振りながら、腕の中で縮こまるスライムを見やる。

「いいえ、私もそのつもりでしたから。それより問題なのは、この子の名前です。流石に名無しのスライムさんというわけにはいきませんから」

「だな。えっと、名前は……何がいいかな?」

 リリィはしばし考え込んだ素振りを見せた後で、パァッと顔を輝かせた。

「では、スラ太郎はいかがですか!?」

「……はい?」

「女の子なら、スラ美ちゃんとか、可愛いですよね!?」

「え、えっと、それは……」

 俺は助けを求めるようにスライムに視線を移す。どうやら俺と同意見のようで、名前が気に入らなかったようだ。今にも腕から飛び出さんばかりのスライムを見やって、リリィは再び大きなため息をつく。

「ダメでしたか……すいません」

「謝ることじゃないよ。気にするな」

 とは言ったものの、まさかリリィにこんな欠点があったとは。壊滅的なまでのネーミングセンスだった。そういえば、昔一緒にやったゲームのキャラも酷い名前だったような……いや、それはもうどうでもいい。

 俺は目の前のスライムに視線を寄越した後で、ポンと手を打ち合わせた。

「とりあえず、暫定としてグリで。ほら、緑色だし、気に入ってくれたみたいだぞ?」

 本音を言えば気にいらなかったのかもしれないけど、リリィにつけられるよりはマシだと考えたのかスライムは同意の頷きらしきものを寄越す。リリィもそれを見て納得してくれたらしく、ニッコリと笑みを浮かべた。

「それじゃあ、よろしくお願いしますね? グリちゃん」

 まるで自分の子を抱いているかのような様相のリリィを見て、俺はわずかに頬を綻ばせた。


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