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三十二話~シービショップのシスターさん~

 日も沈むころ、俺は街へと繰り出していた。下校途中の学生や会社帰りのサラリーマンたちでにぎわいつつある道を突っ切り、大きな教会がある場所へと向かう。今日はある人と会う約束をしているのだ。

 夕焼けに照らされる教会はやや不気味である。が、同時に神々しくもあった。俺はそれを眺めつつ、ゆっくりと足を進めていく。おそらく、もう彼女も帰る時間のはずだ。日が出ている時は彼女も忙しいだろうから、こうやって時間を調整したのである。俺は教会の扉の前で今一度身だしなみを整え、それからゆっくりと中へと入りこんだ。

 すると、目に入ってきたのは修道服に身を包んだ金髪碧眼の女性だった。彼女は胸元に掲げたロザリオを握りしめたまま、こちらに淡い笑みを返してくる。

「お久しぶりです、夏樹さん。お変わりないようで、何よりです」

 相変わらず、静かな声音だ。職業柄からかもしれないけど、彼女はずいぶんとおっとりとした性格である。それ故に、彼女が人外であると知っても人は平等に接しようとするのだが。

「どうも。ヴィオさん。そちらもお元気そうで」

 俺は近くの椅子に腰かけながらそんな言葉を寄越す。ヴィオさんはふっと口元を綻ばせ、俺の横に腰掛けてきた。彼女は潤んだ瞳で俺を見据えたまま、静かに口を開く。

「最近はどうですか? 困ったことはありませんか?」

「全然大丈夫ですよ。怪我もしてませんし、病気もないです」

「なら、よかった。けれど、もし何かあったら来てくださいね? 私にできることなら、なんでもしますから」

 彼女は俺の手をきゅっと握ってくる。まるで水を浴びたかのように彼女の手は濡れていた。だが、それは仕方のないことである。

 彼女は『シーヴィショップ』という人外だ。本来なら海に住んでいるのだが、以前観光できたさいこの街に惚れこみ、以後滞在することになったらしい。俺とはそれなりに付き合いも長く、よく悩み相談もしてもらっている……人外の悩みを聞くべきコーディネーターが悩みを聞いてもらうのもおかしな話だが。

 ヴィオさんはこの教会でシスターをやっているのだが、その美貌と誰にでも平等に接する態度が好評でかなりの人気者である。だから、週に一回行われる一般開放のミサには大勢の人が訪れるとか。

 実際、俺が担当している地域の人外で彼女を知らぬものはほとんどいない。それほど顔が広いのだ。

 彼女がこうやって人に好かれるのは人外らしい外見をしていないというのも大きな理由だろう。全身が常に濡れている以外はほとんど人間と同じだ。だから、あまり人外に免疫がない人間でもとっつきやすいのかもしれない。

「ところで、夏樹さん。少しだけお話を聞いていただいてもよろしいですか?」

 ふと、ヴィオさんが語りかけてくる。俺はすぐに首肯を寄越し、彼女の目をしっかりと見つめた。彼女は戸惑った様子を見せながらも、それでも確かに続ける。

「あの……最近、この近くに誰か人外が引っ越してきませんでした?」

「? いえ……もし移住してきたなら私たちコーディネーターに連絡が入りますし、たぶんその可能性はないかと」

「そうですか……」

「何か、困ったことでも?」

「困ったことと言いますか……そうですね。少しばかり、奇妙なことがありまして」

 どうにもはっきりしない。彼女にしては、珍しく歯切れが悪い。

 俺が言葉を待っていると、ヴィオさんはいったん立ち上がって扉の方に寄った。彼女は扉からひょこっと首を出して周囲を確認した後で、扉にしっかりと鍵をかける。その後で、俺の方に戻ってきた。

「夏樹さん、ご存じないですか? ここ最近、不審な生物が見かけられていることを」

「え? いや、聞いていませんが……もしかしたら、ここ最近別件につきっきりだったので、本部があえて伝えなかったのかもしれないですね。後で連絡を取っておきます」

「よろしくお願いします」

「で? ヴィオさんもその生物を見たんですか?」

 刹那、彼女の表情が強張った。ヴィオさんはもじもじと体を捩らせながら、ぼそぼそと告げる。

「……えぇ。四日前くらいでしたか。私が溜まっていたゴミを出しに行った時、奇妙なものを見たんです。不定形の……よくわからない生物を」

「間違いなく人外ですね。ただ、報告が来ていないので……観光とかならいいんですが。その人外を見たのはいつです?」

「夜でした。ちょうど、十一時くらいだったと思います」

 なるほど……いかにもといった感じだ。夜に活動する人外は思いのほか多いし、もしかしたらその類かもしれない。また、以前よその市からお忍びで来ていたサキュバスのレイラのこともある。彼女のように何かしらの事情を抱えている子が来ている可能性も無きにしも非ずだ。

 どちらにしろ、俺ができるのは迅速な対応である。流石に今日やることは不可能かもしれないが、明日連絡を取ってそれから対策を練るとしよう。

 と、それよりもまずは情報収集だ。俺はペンをクルリと器用に回し、それからメモ帳の上に走らせていく。

「ヴィオさん以外に目撃者は?」

「この教会に訪れた人だけで、三人はいました。一応、襲われたりはしていない様です」

「……理性があるのか、それともただ気づかなかっただけなのか、それでもまた違いますね。ヴィオさんは?」

「私は怖くなってすぐに逃げ出しました。路地裏でグネグネと何かが蠢いていたんです。陸上だと私は人間以下ですので、襲われたらと思うと……」

 確かに、彼女のような海棲の人外は陸に上がると力が激減する。他の人外がある程度の固有の能力――サキュバスの吸精や、吸血鬼の変化の力などの超常の力を使えるのに対し、彼女たちは生命維持における最低限のものしか使えなくなるのだ。だから、それこそ襲われればほぼ無抵抗でやられてしまうだろう。そればかりは、最善の判断だと言わざるを得ない。

 ヴィオさんは明らかに怯えた様相を見せていた。体から分泌される水の量が増してきている。これは彼女が動揺している証拠だ。

 俺はそんな彼女を安心させるべく、優しく微笑みかけた。

「大丈夫。きっと私が何とかしますから。安心してください」

「……ありがとうございます。あなたに神のご加護があらんことを」

「ヴィオさんも、気を付けてくださいね。できるだけ夜道はあるかないように。もし不安な時は、私に連絡を下さい。腕のいいガードマンを知っていますから」

 俺の脳内にワーカホリックのガーゴイルの彼女が浮かぶ。今はキチンと定時で返されているそうだが、どうも不満らしい。もし俺が呼びだせば、すぐにでも飛んできてくれるだろう。彼女はよっぽど誰かのために尽くすことが好きなようだから。

 ヴィオさんはニッコリと笑った後で、そっと胸を撫で下ろした。

「相談してよかったです。急にお呼びして、すいませんでした」

「いや、これが仕事ですから。とりあえず、今日は家まで送りますよ。後日進展があれば、またご連絡しますから」

 俺はそう言って彼女に手を差し出す。ヴィオさんは先ほどよりもわずかに和らいだ表情になりながら、そっとその手を握り返してきた。


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