三十一話目~酒呑童子の酒屋さん~
季節は巡り、葉の色も変わりかけてくるころ、俺はある場所へと赴いていた。町の離れにある大きなお屋敷だ。日本情緒あふれる建て構えをしており、迫力に満ち溢れている。今こうやって玄関に立っているだけでも、その重圧につぶされそうだった。
俺は大きく深呼吸をしてから、チャイムを押す。すると、数秒もしないうちに巨大な門が自動的に開かれた。いや、違う。正確に言うなら、それを開けた者がいる。俺は視線を下の方に移動させて、クスリと笑みをこぼした。
「やぁ、こんにちは。おチビちゃん」
俺の視線の先にいたのは小学生くらいの背丈をした少女達だった。彼女たちは俺を見上げるなり、ビクッと肩を震わせてそそくさと走り去ってしまう。なるべく驚かせないようにしたのだが、ダメだったようだ。
俺は苦笑を浮かべながら玄関の方へと向かう。その間も、周囲に気を配るのを忘れない。
この屋敷は相当にでかく、使用人もそれに比例してかなり多い。侍女たちは俺に気づくなり、律儀に頭を下げてきた。俺もそんな彼女たちに会釈を返し、奥へと進む。
「ようこそ、おいでくださいました」
ふと、後方から声が聞こえてくる。慌てて振り向くとそこには、中性的な顔をした女性が立っていた。髪は短くまとめており、着物を着ている。いかにもな大和撫子である。彼女は笑みを浮かべつつ、深々と頭を下げた。
「すでに姐さんは奥の方でお待ちです。案内しましょう」
「どうも……ところで、あの人はまた……」
「えぇ、ご想像どおりです。お気をつけて」
不穏な言葉が返される。まぁ、こうなるのは大体わかっていたが、改めて考える時が重い。自然とため息が漏れていた。
「お疲れですか?」
「え? えぇ、まぁ……」
「では、よかった。きっとあれを飲めば疲れが吹き飛びますよ」
「……でも、飲み終えた後が辛いんですよねぇ」
「まぁ、そういうものですから」
と、そうこう話しているうちにいつの間にか巨大な蔵までやってきていた。木造の蔵はやはりこの文明化社会の中で浮いて見える。だが、俺はこれが実はそれなりに好きだったりする。やや気持ちも軽くなり、そこで俺は女性へと語りかけた。
「ここに、あの人が?」
「えぇ。どうぞ、楽しんでいってくださいませ」
彼女は言うなり、扉を力任せに開けてみせる。するとその先にいたのは……顔を真っ赤にした長身の女性だった。着物ははだけており、見るからにだらしない。彼女は一升瓶を煽りながら、俺の方に向きなおってきた。
「あぁ……あ、夏樹かぁ。そういえば、依頼していたねぇ。入りなよ」
「どうも、失礼します」
「では、お二人とも。楽しんで」
俺は彼女に会釈を寄越した後で、目の前の女性――シュラに目を向ける。二メートルは越そうかという巨体に、それに見合うだけの胸元の膨らみ。着物からこぼれそうになっているそれを見て、俺はつい息を呑んだ。
が、彼女はそれに気づいてはいないようで、がぶがぶと酒を煽っている。だが、それも仕方のないことだ。
シュラは『鬼』族の長、酒呑童子である。彼女は大の酒好きであり、今は酒の製造も行って巨万の富を得ている。今では世界に向けて進出しようとしているとも聞いている。彼女は酒好きなだけでなく、意外に経営者としての器もあるのだ。まぁ、それは他の部下たちの力添えもあるかもしれないが。
シュラは空になった酒瓶をそこらへんに放った後で、嬉しそうに俺の頭に手を置いてきた。
「いやぁ、久方ぶりだねぇ、元気だったかい?」
「えぇ、おかげさまで」
「何だい、かたっ苦しい! もっと楽にしなよ。あたしとあんたの仲じゃないか」
「まぁ、一応仕事だから、ある程度の体裁を保たなくちゃいけないんだよ。でも、いいか。お前だし」
「そうそう。それでいんだよ。で……何で来たんだっけ?」
「シュラが呼んだんだろ? 新しい酒ができたから呑んでくれって」
「ありゃ、そうだったか?」
相当酔っているようだ。こいつ、大丈夫か?
大体、昼間っから酒ばかり飲みやがって……いい気なもんだ。
シュラはけたけたと笑いながら、近くの酒樽に手をかけた。かと思うと、いきなりその蓋を叩き割る。彼女はすかさず枡を入れ、それから俺に寄越してきた。
「呑みなよ」
「いいのか? ってか、今の割り方……」
「いんだよ。景気よくやんなくちゃ締まんねえだろ」
彼女は豪放磊落……というか、無鉄砲なところがあるのだ。それは俺も評価しているし、長所だとも思っているのだが、いかんせん振り回されると勝手が違う。俺は否定することもできず、枡を受け取って口に運んだ。
俺はあまり酒が得手ではないのだが……これは飲みやすい。アルコール度数はそれなりに高いだろうが、それでもスイスイと喉に入ってくる。飲み口が軽やかで、特有の辛さなどはない。これは、彼女の能力によるものだ。
酒呑童子は、自分の思い描いた通りに酒を操れる。彼女が作ったのは、酒が苦手な奴向けのものだろう。これならば、確かに飲める。
シュラは自分も枡を煽りながら、俺をチラリと見つめてきた。
「ところで、夏樹。あんた、最近はどうしてたんだい?」
「俺か? まぁ、そうだなぁ。あ、そうそう。外国から留学生が来ていてな? その子と一緒に過ごしてた」
「へぇ、やるじゃないか。リリィもいるし、両手に花じゃないのかい?」
「からかうなよ。大体、あいつらは俺のことなんて眼中にないだろうよ」
「か~っ! 相変わらずしけたこと言ってるねぇ! ったく、呑め呑め!」
彼女はさらに酒を注いでくる。もうこうなれば、後はいつものパターン。朝まで呑まされるだけだ。だが、この酒ならばいくらでも付き合えそうだな……なら、いいだろう。
俺は快く酒を煽り、それから続けた。
「まぁ、俺のことはいい。お前の方は、どうだ?」
「あたしの方は絶好調さ! 酒造りもこの通り万全。家族たちもみんな元気だ」
「ならいいけど、何かあったら言ってくれ。俺が何とかするから」
「……思ったけど、あんたは変わり者だよね」
「は?」
シュラは躊躇いがちに、それでもハッキリと告げた。
「いや、あたしたちって結構人間から見たら敬遠される対象にあると思うんだよ。体も違うし、何より怖いだろう? でも、あんたたちコーディネーターはよくしてくれるし、特に夏樹は親身になって話を聞いてくれる。それがちょっと不思議でさ」
「……なるほどな。別に保身に走るわけじゃないが、仕事だからここまでやってるんじゃないぞ? 元々、お前たちみたいな奴らと仲良くなりたくてこの仕事に就いたってのはあるけどな」
「そいつぁ初耳だねぇ。聞かせてくれないかい?」
「嫌だ」
シュラは大きくずっこけ、それから目を瞬かせた。
「ったく、いいじゃないか、ちょっとくらい」
「嫌だよ。少なくとも……酒の勢いで話したくはない」
俺の言葉に対しシュラは大きく息を吐き、それから頭をガシガシと掻き毟った。
「やっぱり、あんたは真面目だねぇ。鬼には向かねえや」
「当たり前だろ。俺は人間だからな」
と、不敵に返してやると、彼女もニッと口角を吊り上げてきた。彼女はその後で、またしても枡をグイッと煽った。
「よっし! 今日はとりあえず呑もう! どうせ暇なんだろう? いいじゃないか!」
がっしりと肩を掴まれる。万力のような力だ。逃げることは……絶対にかなわない。俺は涙を浮かべながらも頷きを返した。
この数時間後。飲み過ぎた俺は病院に運ばれたのだが……それはまた別の話。




