第三話~リビングドールのお医者さん~
まだ暴力的な日差しが差し込むころ、俺はある場所へと向かっていた。ただし、依頼ではない。今日は珍しくオフの日だ。が、普段が激務なだけに休みをもらったとしても何をすればいいのかよくわからない。
ということもあり、俺はリリィが働いているというおもちゃ屋へと向かっていた。もちろん、俺は彼女には言っていない。あくまでサプライズとして彼女の元を訪れるのだ。
しばらくして、おもちゃ屋の看板が見えてくる。思わず身だしなみを整えようとしてしまった自分に、少しだけ驚いた。
もはや条件反射レベルで染みついているらしい。職業病というのは恐ろしいものだ。
俺は少しだけ髪を逆立ててからおもちゃ屋のドアを潜る。カウンターの方を見れば、そこには恰幅のいい禿げ頭の男性が座っていた。彼はこちらの存在に気づくなり、ニッと口元を吊りあげてみせる。
「やぁ、どうも。あの子に会いに来たのかい?」
「えぇ。あ、でも呼ばないでもらえますか? あくまで内密にしておきたいので」
店主はそれにサムズアップを寄越し、奥のドアをちょいちょいと指差した。
「今は奥で人形たちのオペをやっているよ」
「オペ、ですか」
「そうそう。修理って言い方は、嫌いらしいんだ」
店主は肩を竦めながらそう漏らす。まぁ、リリィはリビングドールだし、人形も自分と同じに思えてならないのだろう。そう考えると、それはごく自然なことだ。
俺は彼に頷きを返し、そっと奥の方に進んでいく。なるべく足音を立てないようにして進んでいくと、突き当りに小さな部屋が見えてきた。そのドアからはかすかな明かりが漏れている。おそらく、あそこに彼女がいるのだろう。
俺はそっと歩み寄り、こっそりと中を覗く。するとそこには、可愛らしいエプロンを身に纏ったリリィが正座をしながら人形たちの傷を治していた。針を巧みに操り、抜けていた綿を入れなおしていく。素人目から見ても、鮮やかな手際だった。
もちろんそれも素晴らしいのだが、それ以前に彼女の表情に俺の目は奪われてしまった。リリィはまるで慈母のような穏やかな笑みを浮かべながら労わるように人形たちに向き合っている。まるで自分の子を抱いているかのようだ。
耳を澄ませば、彼女の微かな歌声が聞こえてくる。澄んだ綺麗な声だ。耳にするりと入って、心まで溶かしていくようである。
日頃の疲れが吹き飛ぶような気がして、俺は小さくため息をこぼしてしまった。
と、その時リリィがハッとした様子でこちらを見てくる。そこで、俺は観念して彼女の前へと姿を現した。
「覗いて悪かった。お疲れ様、リリィ」
「夏樹さん? あれ? 今日は非番じゃ……」
「非番だよ。けど、たまにはリリィがどんな仕事をしているのか気になってな」
俺は彼女に微笑みながら、その横に腰掛ける。同じシャンプーを使っているはずなのに、どうして彼女はこうもいい匂いがするのだろう。思わずくらくらしそうになりながら、俺は近くにあったクマの人形を手に取る。先ほど縫合されたばかりなのか、その名残りが見てとれた。
「相変わらずすごい手際だな。ほれぼれするよ」
「そう言ってもらえるとありがたいです」
俺はそこで、疑問を口にした。
「ところで、嫌じゃないのか? こうやって人形たちがボロボロになっているのを見るのは」
仮にも彼女はリビングドール。つまりは人形の親戚のようなものだ。人形を見て、何か思うところがあるのではないだろうか?
俺の問いに、リリィは小さく唸った。
「う~ん……嫌ではないですよ? むしろ、この子たちは喜んでいますし」
そう言って、彼女は目の前にあった人形たちを指さしてみせる。リリィはどこか嬉しそうに頬を綻ばせていた。
「私たち人形は、人に使われることが前提です。ボロボロに見えても、ここには持ち主たちの愛情が込められています。ただ弄ばれただけとは、違いますから」
……なるほど。リビングドールならではの観点だ。彼女は人形が人の性質を持った種族だし、本質的に人間に仕えることを喜びとしているのかもしれない。彼女がメイドをやっているのにも、何かしらの関係があるだろう。
などと思っていると、後ろからわざとらしい咳払いが聞こえてきた。見れば、そこには店主が立っており、ちょいちょいと手招きしていた。
「リリアナさん。オペ、終わったかい? 今、持ち主が来ているんだけど」
「あ、はい! 出来てます! ちょっと待ってくださいね?」
リリィは近くにあった可愛らしい人型のぬいぐるみを持って立ち上がる。その後で、パタパタとカウンターの方へと向かっていった。俺はその後をゆっくりと追う。
すでにカウンターのところには持ち主と思わしき幼い少女とその母親と思わしき人物が立っていた。彼女たちはリリィが持っているぬいぐるみを見るなり顔を綻ばせてみせる。
リリィもそんな彼女たちに優しく微笑みかけた。
「こんにちは。もう大丈夫ですよ」
リリィはそっとぬいぐるみを少女の方に渡す。彼女はそれを受け取るなり、パァッと顔を輝かせてぺこりと頭を下げた。
「ありがとう! おねーちゃん!」
「えぇ、どういたしまして。これからもその子と仲良くしてあげてね?」
リリィはその子の頭をわしわしと撫でてやり、それからニコリと微笑んだ。こうしていると、彼女が人外であるとは気づかない。ただの近所にいる優しいお姉さんみたいだ。
やがて去っていく親子に手を振り終えた後で、リリィは少しだけ寂しそうに言の葉を漏らした。
「……元気でね」
おそらく、それはあのぬいぐるみに宛てたものだろう。どうやら彼女は別れを惜しんでいるようだ。
「お疲れ様。よくやったな」
そんな彼女に労いの言葉をかけてやる。リリィはこちらに向きなおり、小さく頭を下げた。
「いえ、夏樹さんも来てくれてありがとうございます。では、私はまだお仕事がありますので……」
「あ~いやいや。もう今日はいいよ」
リリィの言葉を遮って店主が言う。彼はグッと親指を突き立てながら、ウインクしてきた。
「十分働いてもらったからさ。今日は夏樹くんと一緒にデートしてきなよ」
「で、でも、まだお仕事が……」
「いいって、いいって! 今日くらいは息抜きしてきなよ」
「……だとさ」
俺は彼の言葉に合わせるように肩を竦めた。リリィは躊躇いを見せているようだったが、しばらくして静かに頷いた。
「すいません、じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
リリィはそれだけ言って更衣室へと入っていった。その後で、店主は俺にこっそりと教えてくれる。
「あの子、すごく働き者だけどさ、気を張り詰めているみたいなんだ。だから、夏樹くんがそのガス抜きに付き合ってあげて」
「もちろん。俺はコーディネーター以前に、彼女の友人ですから」
その言葉に、店主はわずかに眉根を寄せた。
「彼女じゃないのかい?」
「ち、違いますよ。まぁ……可愛いとは思いますけど」
俺は彼から顔を逸らして頬を掻く。しかし、店主は彼女が来るまでずっといやらしい笑みをたたえたままだった。