二十九話目~ぬらりひょんの何でも屋さん~
翌日、セミたちがせわしなくわめきたてる中、俺たちは電車に乗って空港へと向かっていた。無論、ピティの見送りを行うためだ。リリィも今日ばかりは仕事を休んで俺についてきてくれている。彼女は涙ぐみながらも隣に座るピティの手を握りしめていた。
ピティはそんな彼女に淡い笑みを返す。彼女も目尻に涙を浮かべていたが、気丈に振舞おうとしているようだ。彼女は俺たちとだいぶ打ち解けてきたが、これはもはや性分なのだろう。そんなことを思いながら、俺は時計を指さした。
「そろそろ着くよ。準備してくれ」
「はい……わかりました」
リリィはすでに涙声になっている。まぁ、リリィはピティとずいぶん仲良くなっていたみたいだし、しょうがないか。それはピティも同じようだし、俺もだ。ただ、今は一応職務中である。涙を見せるわけにはいかない。
やがて目的地まで着くと、ピティは名残惜しそうに電車を後にした。きっと、これを下りるともう別れが見えてしまうことを嘆いているのだろう。俺はやや目を伏せる彼女の肩に優しく手を置いた。
「今生の別れじゃないんだから。またおいで。な?」
「……えぇ、もちろんよ。絶対に来るからね。勉強も頑張って、今度はもっと色んなところに行ってみたいわ。その時は、よろしくね?」
俺とリリィは同時に笑みを返す。それを見たピティは満面の笑みを浮かべて先へと進んでいく。
それから改札を抜け、ターミナルへと向かっていくと、遠目からでも留学生たちが集まっているのが見えた。みんな、コーディネーターや日本でできた友人などを連れてきている。それだけでなく、尾形さんや学校関係者たちまでもがここに来てくれていた。やはり別れが惜しいようで、泣いている子たちまで見て取れる。
ピティはそちらにより、改めて周囲を見渡した。
「どうやら、私が最後だったみたいね」
「……そうか」
朝、名残惜しくて色々と話し込んでいたのが悪かったのかな……まぁ、いいだろう。どうせ、今日が最後なんだ。精一杯話しておきたかったし、後悔はない。
と、そこで最初ここに来ていた黒服を着た女性がやってくる。彼女はいったん手を打ち合わせ、それから俺たちに向かって語りかける。
「皆さん、今日までの研修お疲れ様でした。よい思い出は……できたようですね」
彼女はクスリと笑い、俺たちコーディネーターに視線を寄越した。
「さて、コーディネーターの方々や、関係者の皆様。どうもありがとうございました。彼女たちにとって、今回の研修はかけがえのない財産となったことでしょう。重ねて、お礼を申し上げます」
彼女は一旦頭を下げ、それから留学生たちに目を向けた。
「……名残惜しくはありますが、もうそろそろチェックインを済ませねばなりません。皆さん、最後に少しだけ時間を取ります。どうか、後悔のないように」
彼女はぺこりと頭を下げ、それから端に寄る。留学生たちはしばし躊躇っていたものの、やがて俺たちの方にゆっくりと寄ってくる。ピティは俺たちの前に来るなり、今一度ニッと笑みを浮かべてみせた。
「えっと……まぁ、改まって言うとなると照れるわね。でも……ありがとう。夏樹、リリィ。本当に楽しかったわ。二人に出会えて本当によかった。それと、これ」
彼女が差し出してきたのは、二枚の手紙だった。彼女はそれを、俺とリリィに渡す。
「まぁ、私が帰った後にでも読んで。ここで読まれると、少し恥ずかしいから」
「あぁ。こちらこそありがとう、ピティ。楽しかったよ」
「私もです。また来てくださいね……」
リリィはそこでグッと息を呑み、彼女を抱きしめてみせた。その後で、声を上げながら泣きはじめる。堪えきれなくなったのだろう。それはピティにも伝播していく。
「全く……湿っぽいのは嫌いなのに」
ピティは涙を拭いながらそう告げる。俺は二人の傍により、両手を目いっぱいに広げて抱きしめた。温かな感触が伝わるのを感じながら、俺はそっと囁く。
「またおいで、ピティ。いつでも歓迎するから」
「二人もね。私の故郷に来て頂戴。嗚呼……名残惜しいわ。ねぇ、ちょっと待って」
彼女は一旦断りを入れ、俺たちから離れてみせた。かと思うと、その翼を大きく広げてみせる。その様に驚く俺たちをよそに彼女は笑みを浮かべながら、静かに述べる。
「あなたたちに龍の祝福があらんことを……私たちの国のおまじないよ。二人が幸せでいられることをいつまでも願っているわ」
彼女はそれだけ言って目尻に浮かんだ涙を拭い、大きくため息をついた。
「はい! 湿っぽいのはこれで終わり! 元気でね、二人とも!」
「あぁ、そっちの方がピティらしいよ」
「何よ、それ!」
ピティは眉を吊り上げていたが、すぐに表情を弛緩させてクスクスと笑いだす。
「ふふ、最後までずっとこんな調子ね。でも、こっちの方がいいわ」
「皆さん。時間ですよ」
と、その時ふと声がかかる。どうやら、もう時間になってしまったようだ。それを受け、ピティは自分のスーツケースに手をかけた後で、俺たちを今一度ギュッと抱きしめた。
「また会いましょう。今度はもっともっと、素敵なレディになってくるから」
「ピティはもう素敵なレディだよ」
「出来ればそれは、最初から言ってもらいたかったわね……なぁんて。ま、夏樹も冗談がいえるようになってきたじゃない。リリィ。夏樹をよろしくね。夏樹って、どうも抜けてるから」
「そうですね。私がちゃんと見ていますから、ピティさんは安心していてください」
ピティは満足げに頷いた後で、手を振りながら去っていく。
「またね、二人とも! 本当にありがとう!」
空港の奥へと消えていく留学生たちに手を振ってから、俺は静かに息を吐く。もう彼女たちの姿は見えなくなってしまった。これくらいなら、いいだろう。
「夏樹さん」
と、そこでリリィから声がかかる。見れば、彼女はこちらにハンカチを差し出してきていた。俺はそれを受け取って、目尻に浮かんでいた涙を拭う。ピティはそれを馬鹿にするでもなく、ただ微笑ましげに眺めていた。
俺はそれを彼女に返した後で大きくため息をつく。と、同時。スマホから着信音が聞こえてくる。見れば、何でも屋からの連絡だ。俺は急いでそれを取る。
「もしもし?」
『やぁ、どうも。首尾よくいったみたいだね、コーディネーターくん』
「……見てたのか?」
『まぁね~。一応、僕も彼女に間接的とはいえ関わったわけだし』
どうやら、彼女はここにいるようだ。が、気配は感じられないし、どこにも見当たらない。やはり、彼女は掴みどころがない。それも彼女が『ぬらりひょん』だからかもしれないが。
日本の妖怪の総大将とも呼ばれる人外であり、昨日の人外たちは彼女が集めてくれたものだ。なんだかんだ言って俺に協力してくれる、よき友人である。まぁ、昔家に不法侵入されたのが縁なのだが。
「お前もありがとうな。今度、茶でもおごるよ」
『どうも。それより君、泣いてる?』
「……悪いか?」
『否定をしないのが君らしいところだね。嫌いじゃないよ。さて、僕の役目はここで終わりだし、後はプラプラしてくるよ』
「一応言っておくけど、飛行機内に不法侵入するなよ?」
『わ、わかってるって』
なら、どうしてどもったのか?
まぁそれはいいだろう。俺は通話を切り、それからリリィに目を向ける。彼女はまだ少しばかり涙を流していた。俺はそっと彼女の頭に手を置き、それから告げた。
「とりあえず、飯でも食いに行こう。奢るよ」
「えぇ、ありがとうございます」
俺は優しく彼女の頭を撫でてやる。もし、子どもが海外に行く時は、こんな感じなんだろうな、と内心思うのだった。




